theme『 取得』     「不宣」

 

少年の足元にある水溜りは、徐々に面積を広げ、今にも少年の爪先を吸収しようとしていた。

その液体は、夕焼けよりも人口で作られるであろうどの赤よりも紅く、鮮やかで美しく少年の目には見えた。

少年はその液体を撫でるように手で触れる。

ぬくもりが指先から伝わり、体中へと伝わっていくような錯覚を覚えた。

この上なくいとおしく、とてつもなく崇高なものに触れてしまった感覚で、止める事も出来ずに、少年はずっとその液体を撫でつづける。

 

液体を絶え間なく吐き出しながら、それは少年の様子をじっと見つめ、うめくでも無く叫びだすでもなく、ただ静かに細い呼吸をしつづける。

その眉は、苦しさに耐えるように引き結ばれながら、しかしその眼は、優しさを湛えながら一身に少年の姿を見つめる。

 

 足元の液体に見入っていた少年はその視線に気付き、視線の主に目を向けると、にっこりと微笑み、呟いた。



「とうさん・・・」

 

 

               *

 

 僕は、“とうさん”の事が大好きだよ。今でも。

とうさんだって僕のことが大好きだと思う。

 

うん。とうさんは小説家だったけれど、あんまりお金持ちじゃなかったよ。

僕も何度かとうさんが書いたものを見せてもらったけど、僕には難しくて何のことが書いてあるのかわからなかった。

とうさんの言うことは、たまにその小説みたいに難しくて、僕には良くわからなかった。

だから、とうさんが言っていることがわかるくらい僕も頭が良くなればいいなぁと思ってたんだ。

 

近所のおばさんが『あなたはとうさんのほんとうの子供ではないのよ』って言ってたけど、僕は“本当の子供”ってゆうことの意味がわからかった。今でもわかんないよ。

パパとママがいなくなってしばらくおばあちゃんの所に住んでたら、とうさんが来て、『今日から僕は君のとうさんだよ』って言った。だから僕もその日からとうさんの子供になったの。

ねぇ、僕がとうさんの“本当の子供”じゃないってどういう事なのかな・・・

 

 血?血が違うの?でもとうさんも僕とおんなじ色の血がいっぱい出てたよ?何か違うの?やっぱり僕にはよくわからないや。

 

 パパとママ?
おばあちゃんは遠くにいっちゃったんだよ、もう帰ってこないんだよ、って言ってた。僕のこと嫌いになっちゃったのかな?
僕、いい子じゃなかったのかな?僕はパパとママのこと大好きだったのに。
すごく寂しかったけど、とうさんと一緒に暮らし始めてからは、パパとママがいなくて寂しいって言っちゃいけないんだっておばあちゃんにいわれたの。だから僕、一度も言ったこと無いよ。

でも、ほんとはすごく寂しくて悲しかったの。パパとママが僕のことを放って遠くに行っちゃったから。

 

 とうさんのことほんとは嫌いなのって?

大好きだってば。さっきも言ったのに。おじさんちゃんと聞いてなかったの?

とうさんどこかにいるんでしょ?早く会いたいな。
でも僕のこと嫌いになっちゃったかな。あんなに苦しそうな顔してたから。痛かったんだろうな、きっと。

こんなことならもっとちゃんと死なせてあげればよかった・・・

 

 

                    * *

 

私には子供はいませんでした。
妻にも捨てられて、とても寂しかった。

だからあの子を引き取ろうと思ったのです。
あの子の両親は事故で死んだ、とあの子の祖母から聞いています。
あの子は遠くへ行ったのだと聞かされていたようです。
ちゃんと両親は死んだのだと伝えたかったけれど、それは酷な気がしてどうしても言えませんでした。

だから、あの子は今でも両親は生きていて、遠いところで暮らしているのだと思っているのではないでしょうか。

『自分は捨てられたのだ』と思っているのかも知れません。

 

父親としては、私は失格だったのかも知れません。
尊厳も何もなかった。

ただ、愛情はこの上なく注いでいたつもりです。
生活が苦しかったこともありましたが、あの子には苦労をさせてはいけないと、必死で頑張ってきました。

だからというわけではありませんが、きっと私があの子を愛しているのと同じくらい、あの子も私を愛してくれているのではないかと思います。

 

私は愚かな人間です。

一人息子であることも、夫であることも、字を綴って生業とすることでさえ与えられ、自分自身で取得してきたものに甘んじて、責任を全うすることをしなかった。

妻を失って思ったのです。
ああ、これは私への罰なのだと、その時漸く気付いた。

取得した権利には必ず責任が付帯するのだと。
否応無しに。

だから、私は抵抗しなかった。
それが責任を負うことだと思ったのです。

あの子を引取って、あの子と暮らすようになって、あの子が背負っているすべてのものを一緒に背負うことが私の負う責任なのだと思ったのです。

人はやはり私を愚かだと思うでしょうか。
あなたもきっとそう思ってらっしゃるんでしょう。

でも私はそのことに関しては間違っていなかったと思っています。

 

何故こんなことになったのか・・・

世間の方々は、私の育て方が悪かったのだとか、猟奇的殺人未遂だとか、少年犯罪の低年齢化だとか言うかも知れません。
でも、私はあの子には人を殺すという意識は無かったのではないかと思っています。

私の勝手な解釈ですが、あの子は両親を失っている。
しかも、自分の手の及ばない所で。

そのことが悔しくもはがゆくもあったのではないか、だから私に・・・
そう思うのです。

私の思い上がりかもしれませんが。

 

これから、ですか。

これからも私はあの子と一緒に暮らしてゆこうと考えています。

あの子が、私の命を奪おうとするほど私を愛してくれているのなら、私達が離れて暮らす理由もないでしょう。

 

今度こそ、取得した権利を失わぬよう・・・

 

                                                                                                            end

 

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