週末



イライラとあなたに投げ付けてみたい「初歩的なことだよワトスン君」   敦盛草



 キヨハルが小さくため息をついたのが気配でわかった。
 なんていけすかないヤツだと思う。言いたいことがあるなら言え。なんらかのレスポンスを期待していることが見え見えのアクションは、あたしの行動を先回りされているようでひどく不愉快だ。さっきキヨハルはあたしがキヨハルのものだと言った。あたしはそれに機嫌を損ねた。それで二人はこうして同じ部屋で息をつめている。
 それは事実、世間一般で言うところの意味において、まったくその通りで、あたしはキヨハルのものでキヨハルはあたしのもので、そしてあたしはキヨハルの言葉よりその事実自体に機嫌を悪くしているのだ。
 キヨハルがめくる新聞の音が聞こえる。
 あたしはベッドの上から首だけひねって、床に寝そべって新聞を読むキヨハルの後頭部を見た。短髪の良く似合う形のいい頭だ。いつもはテレビ欄しか見ないクセに今は週末の書評ページなんか開いている。お前になんかわかるまい。わかるまい。わかるまい。あたしはそう憎しみを込めてキヨハルの後頭部を睨んだ。
 あたしが機嫌を損ねている本当の理由はキヨハルには思いもつかないだろう。そんなものだ。
 キヨハルがあたしのものだなんて、あたしがキヨハルのものだなんて。
 考えてみればあたしは今までそういう言葉をキヨハルと自分の上に当てはめてみたことがなかった。だから唐突に出てきたその言葉の意味に面喰らった。誰かが誰かのものであると言う。キヨハルは言う。他の人もみなそう言う。そんなおそろしい関係が存在することに、それが二人のあいだに存在することに、しかもそれは二人各々が選びとった結果のものだということに、あたしは身がすくんだのだ。あたしはキヨハルのものだからキヨハルはあたしを好きなようにできるし、キヨハルはあたしのものだからあたしはキヨハルを好きなようにする。あたしはキヨハルにそれを許しているのだし、キヨハルもあたしにそれを許している。実におそろしく、盲目的で無鉄砲だ。愚かだ。あたしもキヨハルも愚かだ。だからあたしもキヨハルもお互いに甘え過ぎて、こんな狭い部屋で二人、息をつめていたりしなくちゃならないのだ。
 キヨハルが「あたしのもの」じゃなければいいのに。
 キヨハルが近所のサークルKのレジのお兄さんだったらいいのに。そうしたらあたしはこんなつまらないことで腹を立てたりせず、もっとキヨハルに優しくできる。「温めますか?」と聞くキヨハルに、にっこり笑って「お願いします」と言うことだってできるのだ。
 レジをはさんだ穏やかなあたしとキヨハルの光景は、なかなかに、いい。
 無理に首をひねっているので目の表面が乾いてきた。
 あたしが「キヨハルのもの」じゃなければいいのに。眼球がちりちりしてきたので、思わず目を閉じて枕に突っ伏すと眼球が目蓋の裏に引っ掛かるよう感じがしてじわりと涙が出てきた。目蓋の裏で赤と青が点滅している。枕に顔を押し付けると点滅した光は霧散して闇になった。ちりちりしていた眼球が静まった。
 あたしがキヨハルの大学の、たまに席が隣になるので顔くらいは知っている程度の女子学生だったらいいのに。そうしたらキヨハルは今よりずっと礼儀正しくあたしに接してくれるだろう。落ちたプリントを拾って手渡してくれたりするのだ。資料を忘れた時は見せてくれたりするかも知れない。少なくとも厭味たっぷりにため息をついてみせたりすることは決してないはずだ。
 あたしはキヨハルの大学のたまに席が隣になるので顔くらいは知っている程度の女の子がうらやましくなった。その人はあたしよりもはるかに、礼儀正しく好青年なキヨハルを良く知っているのだ。
 キヨハルがあたしのものじゃなければいい。そうしたらあたしはもう歪んだ甘えでキヨハルを傷つけたりしない。キヨハルがあたしのものじゃなければいい。そうしたらあたしはもっとキヨハルに優しくなれる。今よりもずっと自分のいいところを見せられる。キヨハルがあたしのものじゃなければいい。そうしたらキヨハルはもっとあたしのコトを好きになるだろう。
 枕から顔を浮かせて「キヨハルがあたしのものじゃなければいいのに」と言うと、キヨハルは眼鏡を外した顔をこちらに向け、間の抜けた声で「はぁ」と言った。ホントにこの人があたしのものじゃなきゃいいのになァ、と改めて思いながらあたしは、その間の抜けた声にひどく気分を良くした。




モドル。















こんなに短いクセに「あたし」と言う単語が38回、「キヨハル」が40回出てきます。うわぁ、ウザい!!