動機付け 安田 瑛理
「ケン。テレビなんか見てないで、早くご飯食べちゃいなさい」
母親の制止もなんのその。ケンは、食い入るようにテレビを見つめている。
その画面に映っているのはアニメではない。現在至る所で放送されている、とある金融機関のCMだった。
レオタードの女性とその1%にも満たない男性陣が、音楽に合わせて踊っている。
しかし、そこはCM。『ご利用は計画的に』というテロップを残して次のCMに変わってしまった。
ケンは残念そうに目の前のご飯に集中し直す。
ほっとする両親。
だが……。
さっきの音楽が鳴った。
弾かれるように顔を上げる息子。
両親は溜息をついた。
だめだこりゃ。
どうして食事も惜しんでまでテレビのダンスを見るのか。それにはもちろん理由がある。
このダンスの振り付けを、どうしても踊りたいのだ。
現在、このCMはクラスの中で大人気。
歌詞が英語のため、鼻歌でBGMをつけつつ踊る子どももいるのだが、いかんせん高度すぎる。そのため、今まで成功者がいなかったのだ。
阿波踊りのようなクラスメイトの中で、自分だけビシっと踊れたらどんなにかっこいいだろう。
やってやれないことは無いのではないだろうか?
そんなわけで、今に至る。
家はマンションなので、へたに練習すると下に響いて大目玉だ。
となれば、手や足の確認、イメージトレーニング。
体を動かして練習したことは、まだ無い。
というか、思い立ったのは今日である。
明日、放課後が初練習ということになる。
どうか、うまくいきますように。
……それが、どうしてこんなことになったのか。
ケンは、クラスメイトのキラキラ光る視線を感じながら、内心で溜息をついた。
なぜかクラスメイトの目の前で、踊ったこともないダンスを披露するハメになったのだ。
放課後教室を出ようとすると、教壇で一人の少年が相変わらず阿波踊りを踊り、周囲からのウケを集めていた。
それを見ながら、おいおい勘弁してくれよ、と思ってランドセルへ荷物を突っ込む。
「なんだよ、じろじろ見て」
移していた間も、見ていたらしい。調子よく踊っていた少年がこちらを向いた。
「なんでもねーよ」
そう答えて、慌てて視線を外す。
まだ踊ってもいないのに、『その踊りどうよ』とは言えない。
その反応が気にいらなかったらしく、少年は馬鹿にするように言った。
「お前も踊ってみろよ」
「何言ってんだよ」
冗談ではない。もっと、完璧にしてからだ。完璧なダンスで、あっと言わせなければ意味が無い。阿波踊りでは意味が無いのだ。
すると、少年達は「ははぁーん」という顔をした。
「お前踊れないんだろ」
「だから、踊れるリョータがうらやましいんだろ」
「バカ言え!」
「そんくれー俺にだってできる!」
これが思いの外よく響いたらしい。
教室の中がシン……、と静まりかえった。そして次の瞬間、
「じゃあ踊ってもらおーぜ」
「ケン君踊ってー」
歓声が上がった。
『お・ど・れ!お・ど・れ!お・ど・れ!』
教室に残った生徒、全員一致の踊れコール。
ここまで言われて、引き下がる小学生がいるだろうか。
否、いるまい。
さらに周囲が盛り上がるにつれ、少年の中に妙な自信が湧いてきたのだ。
(ひょっとして、俺踊れるんじゃ?)
一度も踊ったことがないのに。
「わかったよ。踊ればいーんだろ」
拍手と歓声とに送られて、ケンは教壇に上った。
頭の中で、昨夜焼き付けた映像が回る。
手拍子も始まる中、そのテンポに合わせて脳内にイントロを流す。
そして……
「チャイム鳴ったのが聞こえなかったのか!さっさと教室を出ろ!!」
響いたのは担任の怒声だった。
その日は何とか免れた。でも明日は?
明日までになんとかあの踊りをマスターしなければ。学校での自分のメンツは丸つぶれである。
学校は追い出された。家では練習できない。となれば、後は公園。
ケンはおやつとテレビを返上し、夕日を背にして公園で必死に練習していた。
バランスを崩して転んだりしたせいか、既に着ているものは土だらけ。膝からも肘からも血が出ている。
(帰ったら怒られそうだなあ)
『こんなに汚してきて!』と目を三角にして起こる母親の姿が目に浮かぶ。
だが、そんなことには構っていられなかった。自分のプライドがかかっているのだ。なんとしても、今日中に!備え付けの水道でのどを潤すと、ケンは再び踊り始めた。
その動きは、今日が初練習とは思えないほどキレのあるもので、買い物帰りに偶然見かけたおばさんたちも感心するほどだ。入念な振り付けチェックと、イメージトレーニングの成果、そして元々の運動能力の高さのたまものだろう。
しかし、彼は妥協をゆるさなかった。彼の目標は、クラスメイトの阿波踊りに勝つのではなく、あのCMの踊りそのままに踊ることにある。テレビの中の彼らは、こんなものではない。と自分を奮い立たせ、さらに踊り続けた。
もう日も沈み、明かりが外灯に切り替わってもまだ踊り続けている。
小学生が一日でプロのダンサーに勝とうというのだ。そもそもの目標設定に無理がある。
何より、おやつも夕食も抜いているため、動くエネルギーが明らかに足りない。
それでも踊り続けているのは、驚異的な集中力、というより見上げた根性だった。
そんな中、ケンを熱く見つめる四つの目。彼の両親である。
「けっこう、様になってるじゃないか」
「ご飯も食べないでずっとあんなこと……」
心配して探しに来れば、こんな所で踊っているとは。
『ケン君なら、公演で踊ってましたよ。ほら、あの、今やってるCMの。上手だったわー。』
『どこのダンス教室に通ってるの?ウチの子も行かせようかしら』
隣のキョウコちゃんと、一つ向こうのジュンヤくんのお母さんから聞いた時には、顔から火が出るかと思った。
昨日から、やけに熱心にあのCMにくらいついているとは思っていたが……。
まさか本当にやるとは。
一体誰に似たのか。お母さんは、感心して息子を見守るお父さんを見てそっと溜息をついた。
「あっ」
こけた。
足に力が入らないのか、もつれて倒れる。
そろそろ止めなくては。もう、根性でもどうにもならない所に来ている。
そう思い、息子にかけよろうとした母を、父は止めた。
「お父さん」
「気が済むまでやらせてみよう」
───あの子がこんなに熱心にやってるのを初めて見るよ。
「……そうね」
それでも何かあってはまずいので、お父さんは残り、お母さんは後ろ髪を引かれる思いで家に帰った。
お父さんが息子を背負って帰ってきたのは、それから三十分してからである。
それで翌日、ケンが成果を披露できたかというと……。
「はい。熱が出まして……はい。今日は休ませていただきます」
昨日の猛練習が祟り、極度の筋肉痛と怪我による発熱で、身動きできずにいた。
(俺ってバカじゃん……)
現在は全身の痛みに半泣きになりながら、布団の中で丸まって拗ねている。
「いきなり無茶するからよ」
母の呆れたような声が聞こえる。
それはもう聞き飽きた。でも、練習以外に何があるというのだ。
「ああいう人達はね、ダンスのプロなの。ちゃんとそういう学校へ通って、基礎からやってるのよ。見ただけで踊れるようになるわけないでしょ」
見ただけにしてはかなり上手かったのだが、母はそれを言わなかった。言えばつけ上がるだけだ。
「俺だって……」
布団の中から悔しそうな呟きが漏れる。確かに、そういう所に通えば踊れるようになるかもしれない。いや、きっとなるだろう。これは親の欲目だろうか。
しかし、CMのダンスだけ踊れるようになっても困る。それに満足して、飽きるとも限らない。
「習ってみたいの?」
母の言葉に、布団が跳ね上がった。
「いいの?」
熱に頬を上気させて訪ねてくる息子を寝かしつけつつ、
「その代わり、途中で『嫌になった』なんて言わないのよ」
習い事にお決まりの台詞を言った。
「うん!」
すると、それまで拗ねていたのが嘘のように大人しくなった。
現金な息子に苦笑しつつ、母はもう一つ頭をひねる。
(どこへ通わせたらいいのかしら……?)
その後何を勘違いしたのか、アイドル候補生として養成所に通うことになったのはもう少し後の話。
そして、実際アイドルになり、一世を風靡するのはもっと後の話。
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