心のふるさと、メヴラーナ   解き放たれし日本人の心

東京からコンヤにいたる道

世界で上位50位のなかに位置する電気会社の重役の一人である高橋忠俊氏は、支社のチェーン店の連帯を図り、その輪を広げるためにプロジェクトチームを組みイスタンブールを訪れた。

 どれほど多くの西洋人たちが、日本人独特の和を好む精神を冷笑し、また日本の会社のために身をささげようとする尊い目的をばかげたことだとみなしたとしても、はたまた、このすばらしい高貴な目的への人々を招集する綿密に迷彩れた巧みな操作であると考えようとも、忠俊はまったく違った考えを持っていた。「人間性と品性の則(のり)が大切である」と彼は考えていた。奉仕すると言う信条は、利益を追求する傍ら、献身的に働くことと捉えていた。また生産性を追及する一方で、ある目的のために奉仕するという信念を持ち生きる事生きる事を。ほかの人々にも持ってもらいたいと願っていた。もともと彼の気質の中には、人間の愛と人間としての価値をもっとも重要視する傾向が存在していた。彼は周囲の人々と共存する仲で、包容力のある人間性を開発していった。そしてこのような結びつきを失うと、西洋のように重い精神的苦痛を感じながら生きていくようになることを彼は知っていたのだ。ほかの日本人と同様に・・・ 

 西洋では協会を中心として人間の精神的つながりを気づきそれを独占という形で確立してきたのとは逆に、日本では各個人がそれぞれ個々に信条を持つ中で、それらのひとつを選択しなければならないと言う強制力は働くことはなく、人々は無数の宗教を同時に信じている。たとえば仏教や儒教や神道など、どの時代でもそれぞれすべてを同時に信仰していた。

 忠俊は日本人らしさを譲歩することなく静養の影響力のかなり高い会社についても「たぶん、西洋の民族主義と東洋の精神主義がバランスよく保たれたので、長期間にわたる成功を手にしてきた」と、考えていた。

 イスタンブールでは会社の連携をつよめ、その輪を広め、製品の宣伝しようとがんばっていた。トルコの取締役達が忠俊と彼のチームをゲストとして、旅行に招待しようと計画した。日付が聖メヴラーナの追悼際の12月17日に当たっていたので、場所はコンヤが選ばれた。

 長旅の後コンヤへ到着した。食事をするのもままならないほどすばやく急速をしたいと彼らは願いホテルの部屋へそれぞれ入っていった。翌日、町の隅からすみまでが歴史的遺産といっても良いコンヤの町を観光し始めた一行はコンヤが歴史的に大変興味深い場所であり美しい町であると知った。思い出を集めようと見たものをいつもカメラやビデオに収めた。

ガイドはカラタイメドレセについて、説明をしていた。クッベは特徴的なセルジューク朝の色彩を醸し出す青緑と黒で見事に調和を映し出していた。そしてそこには葉や花の入りこしきの複雑な装飾が施された芸術作品がみられた。クッベのちょうどなかほどの窓の下に作られたプール(貯水池)は当時天文学的観測が行われていたことを示している。その左側に鍵の形をした奇妙な配置が水面を絶えず水平に保させている。諸星、天空を鏡のように映し出すように、水の流れが定められていた。』と説明し何百年も前の科学者たちがこのメドレセの中央に存在するプールの水を望遠鏡として使用していたことや、水の流れから諸星の運行を観察し研究し、天文学に光をともしたことや、さらしはオックスフォード大学がカラタイメドレセの、観測機としての配置を模倣して作られたことを、ガイドが伝えると日本の人々は驚きで目を輝かせた。

 ガイドはメヴラーナが熟考するためにこのメドレセをいつも訪れていたことや星の一部からしばしば示唆を受け、おそらく天空の観察にも参加し、さらにそこで、メスネヴィーの一節をも読んだことを伝えた。

「川の水に映る月のごとく、人間に見られるすべてのことは、彼の方を映し出す。そのアストロラーベの上のくもは、幽玄の天空と魂の灯火を明白に解説し、教えを授ける。」メヴラーナはさらに言葉を続けた。「人間は神のアストロラーベである。しかし、アストロラーベをよく知る天文学者が必要である。」

カラタイメドレセの後、文字装飾の冠の扉と一つの大サロンによって特長づけられるインジェミナーレメドレセの外観は、セルジューク朝の作品の中で重要な位置を占めるのだが、それほど感嘆するものではない。ただ今まで経験した戦争の全貌を物語る、ほりこみのある石が、ひとかたまりとなり、それぞれしっかりとはめこまれた状態にあった。見事に細工された幾何学的形をした文字は何世紀もの時が経たにもかかわらず、色あせることなく、青色の石によって装飾されたミナーレと共に、芸術作品の傑作といえる特徴を備えていた。歴史の香りを漂わせる雰囲気は、どのような人間にもそうであるように、日本の人々をも何百年も前の世界へと誘うのであった。

観光バスはメラムの丘へ向かって上り、駐車した。一行はバスから降りて緑豊かなコンヤを一望した。そよそよと吹く秋風が黄、緑、紅色の葉によって、パステルカラーのジュンブシュ(弦楽器のひとつ)に変化した木々を轢き、穏やかな音楽を奏でていた。ガイドは歴史の街を一冊の本のようにたとえ、マドラサや博物館やジャーミィや遺跡などが歴史の本の一頁、一頁を綴っていると伝えた。旧石器時代から始まるコンヤの起源は、磨製石器時代の文化もひろがりをみせ、チャタルホユクとジャンハサンホユクの遺跡から紀元前7000年から6000年にさかのぼると推測される。そしてこの特徴のあるチャタルホユクには、狩の獲物の動物の絵が描かれた浮き彫り式壁があり、遺跡からはさまざまな作品が発見され、当時のものであることが確認もされていると語ったので、日本の人々はこれらをぜひ人目みたいと願った。しかし観光バスの運転手は、規定の時刻にイスタンブールに到着しなければならないと、躊躇した。彼らはこの望みをあきらめた。ただ忠俊はもしトルコを再び訪れることがあるなら会社関連ではなく個人的に一人で旅し見学にこようと心の中で計画を立てていた。

 ガイドは説明し続けた。ヒッタイトたちからヒッタイトの統治を崩壊させたフィルギア人達は、その世紀、コンヤはフィルギア人の重要な町となり、フィルギア人たちの文化遺産がおおくのこっている。その後、フィルギア人の統治を破壊したリディア、ペルシア、アレクサンダー大王時代、そしてローマ帝国の統治のさらに後、1071年マラズギルトの戦いでの勝利によって、トルコ人たちの支配下に入ったこと、そしてその後アナトリアセルジュク朝の首都となったことを語った。それから、一行は考古学博物館、コユンオウル博物館、アラウッディーンモスクを見学した。日本の方々はコンヤの意味の由来を知りたがった。ガイドは聖画という意味のイコンに由来するイコニオンからであると説明した。フィルギアの言語のカワニィアということばがなまり、派生したともいわれる。コンヤという名はアナトリアの古代から続く名を守り続けたまれな町のひとつであるとも説明した。

観光バスはメヴラーナ博物館の三人の墓(ウチュレル メザルルウ)側の大通りに駐車した。セリム一世がミーマルスィナンにつくらせたスルタン・セリム・ジャーミィの横側を通り抜けるとき、忠俊はイスタンブールでミタジャーミィと同様の建築方式で建造されていることに、特に興味を持った。

メヴラーナとの初めての出会い

ガイドは旅行中に、聖メヴラーナとコンヤについて予備知識を与えてくれた。この知識の光に導かれ、彼らは、メヴラーナ博物館の外門から中庭へとはいっていった。

秋雨の力強い勢いに逆らい、逃れちらほらと生き残ったバラたちは春も夏も見ることなく、花を咲かすこともなく枯れていき、時に戸惑うつぼみたちは季節のいたずらにもかかわらず、存在する場所の尊さをまるで知っているかのように、美しくさえずっているようにみえた。噴水から直接みずたまりに落ちる水のメロディカルな音や美徳を備えたミンベルで語り合いながら飛び回る鳥たちのさえずりも加わり、その中庭は来世の雰囲気を醸し出していた。庭に開かれた博物館や図書館や修同僧(デルヴィシュ)たちの小房のかべは、何世紀もの間に壊されたにもかかわらず、基本の形はそのまま残されているが、色あせた石は何百年もの間に古びていった。セルジュクチョウの偉大な人物たち、アレムッディーン・カユセル、スルタンヴェレド、ゲヴヘル・ハートゥンの働きによって、聖メヴラーナノ死後建造された歴史的な記念碑は時を越えても頑丈に留まっていた。 お墓の扉は、気高きく心を焦がすものたちに開かれ、いと高く情熱を持ち続ける者達とめぐりあわせ、深い痛みに対する薬となり、外界の束縛に取り除く扉、心を携え旅するもの達に開かれた扉であった。

 忠俊がメヴラーナ博物館の扉から中へ一歩

踏み入れると、神秘的な雰囲気が漂いその香りがただ年の顔をやさしく撫ぜ、彼の魂を細やかに包み始めた。彼の心に安心さと安らかさが生まれるのを感じた。彼が墓石のほうへ一歩一歩進むごとにその安らかさは増し、次第に高まっていくのを彼は感じた。博物館の中に拡がる悲哀のこもった旋律は、日本の音楽とはまったく似ていなかった。今まで聴いたこともない嘆きのような悲重名泣き声に似た葦笛は、彼の心を震撼させ始めた。忠俊はまるで葦笛の傷心の寂寞感に満ちた別れの叫びの音色は、うずき、うめきながら弔辞を述べているかのごとくさびしく、その想いに燃え上がり

浄化された魂の息づかいが伝わってくるようであった。彼はそれを感じた。

 葦笛の奏者の息づかいによって満たされるその魔法がかった葦笛の魅力的な翼のような音色が彼の心に届き、心地よい感覚を味わうたびに、彼は彼の心の中に何かが燃え上がりさらに熱くなっていくのを感じた。悲しげに奏でられる葦笛は忠俊の耳からはいり、染み渡り、心を満たしていった。まるで燃え上がることを強く欲する心に、閃光がはしり、太陽の燃える炎が、心を満たしていくかのようであった。理性を超えた炎が彼を取り囲んでいた。

この穂脳は終わりなき永遠のへの誕生であり、情熱の存在を知らせる炎であった。彼の心の中に、ひとしずく、ひとしずく暖かく流れ込んできた。それはまさに春の訪れのようであった。

 忠俊はコンヤのゼラニウムの香りの漂う精神的な雰囲気を情熱の呼び声と変化させ、高められた心を落ち行く心となす旋律、葦笛の悲しげな嘆き声を耳にする時、「私は音符も、音符に従って楽器を奏でることも知らないのだが」、この不思議な音楽は何なのだろう」・・・とぶやきながら、葦笛の吐息は天の川に続く愛と情熱の軌道を作り上げ、彼はその中に入り始めたのである。今まで味わったことのないこの感覚はなんとも名づけることもできないし理解もできなかった。「もしかしたらガイドが旅行中にした解説のためになのだろうか。それでこのような感じを味わっているのだろうか」と言いながらも、同時に、彼は、まったく違った影響を受けていることを感じていたのだった。まるで、お墓の壁や天井、扉からひしひしと情熱が湧き出ているかのようであった。

 彼は聖メヴラーナの墓石に向かって、深くお辞儀をした。それはこのうえなく敬意のこもった、謙虚な礼であった。日本では敬意を表し一礼する態度やほかにも丁寧な行動や慣習がある。それは静養で目と目を合わせながら握手をするのと同様である。人に対し一礼するというのは「私はあなたを受け入れました。あなたに結びつきます」と言う意味が込められており礼を受けたものは、義務としてこのお返しをしてお辞儀を返す。

 ガイドと一行は偉大なスーフィーの御前から横側に移動し始めた。忠俊はと言えばそこを離れたくないと言う感じだった。魔法か何かの力でそこに釘付けにされてしまったかのようであった。手にいれたこの平安な状態をもっともっと長く味わって痛かったのだが、自分自身を何とかしてこの精神的安らぎから離れさせ、憂鬱な気持ちでグループのほうへ向かわせた。ガイドが説明する貴重な知識も聴き逃したくはなかったから。

 博物館で聖メヴラーナと彼が生きた時代についての衣服や品々、手書きのメスネヴィーや聖クルアーン、葦笛やクドゥムや絨毯等々、それらの前には、いつの時代のものか、さまざまな知識を伝える説明がきが書かれてあった。ガイドはひとつひとつ丁寧に英語に訳しながら伝えていた。このような音響効果が見事な状況で、しかも神秘的な空気とうずくような葦笛の音色によって覆い尽くされた彼の解説は忠俊の揺れ動き始めたこころの琴線に、ひとつひとつやりのようにささり、深く刻み込まれ、震えさせた。

おそらく、忠俊は世界中とびまわったであろう。しかしどの国もそしてどのような場所でもメヴラーナの御前ほどには影響を与えたことはなく、不思議な違った感覚で満たされたこともなかった。

ガイドが、旅の間何度か繰り返し暗証したその有名な呼びかけの言葉が再び耳に響いてきた。

「来れ 来れ 何人であれ 再び来れ

信仰を持たぬ者であろうと、拝火教とであろうと、多信仰者であろうと、来れ

わが学びの場は絶望にあらず

たとえあなたが百度その誓いをやぶろうとも

来れ 再び来れ」

 忠俊は、聖メヴラーナのこの呼びかけから、宗教、言語、人種、民族そして貧富の差の違いはなく世界のすべての人々に愛と寛容さによって、腕を広げ、罪びとであろうと、信仰を持たぬ人々であろうと、広い寛容さと慈悲に満ちあふれ、慈しみのこもった目で見ていることを理解した。

 ガイドは、聖メヴラーナがメスネヴィーの中で語ったように、「アッラー(唯一の神)は拝火教徒でさえ、もしご自身を呼び求めるならば応え給うであろうと理解できる」と言いながら、このように円熟した者たちは神の恵みと慈悲で希望に満ち溢れていた。聖メヴラーナは誰をも下にみるべきではないと繊細に述べた別の言葉を説明し、その言葉を暗誦すると、忠俊はさらに感嘆した。

「信仰を持たない人々を軽視しなさらないでください。信仰者として死を迎える可能性もあります。人の生涯の終わりを知るものはいませんのに、そのことからまったく顔を背けていらっしゃるのです」と言う言葉は意味深長であった。

聖メヴラーナが担った役目を意識して彼は次のように述べている。

「私たちはコンパスのようだ。私たちの一方の足はシャリーア(の上に、堅箇に留まっているが、もう一方の足は七十二の国を歩き回っている。」ある人々は時がたつに連れて、黙認できないような行き過ぎた寛容さと非難したとしても、その広い寛容さはタウヒード(アッラーのほかに神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり)の秘密と高貴なるクルアーンの光とイスラームの意識と基本に基づく聖ムハンマドムスタファ(彼に平安と祝福あれ)の高徳さを指し示しているに他ならない」と語り伝えてきた。

ガイドは対御ら名表面の上で流れる透き通った水のように、滑らかに読まれた聖メヴラーナの諸節、解説は、よくはなされ、こだましながら、真っ暗な穴の中からさらに深い井戸の底に流れ込むかのように日本人の観光客の脳裏にも流れ込み、こだましていた。忠俊はその場の心地よさの中で幸せと驚きを感じていた。人がモザイクの色のように同じ場所に存在でき、寛容と愛のとび差の最後まで捜し求めることができ、人々はそのモザイクのようなものの中でそれぞれ魂が一緒になる。そしてそれらに自分自身の高き光を与える聖メヴラーナを太陽にたとえる。善人も悪人も富むものも貧しき者も知り合いも見知らぬ人も大人も子供も差別なく、それぞれの人間に、そしていきとしいけるものすべてに、同じ光を放つ太陽のようである。締め付ける鎖につながれたかのように,「もしあなたの生きた時代に生き、あなたを見ることができたなら、偉大な思想家よ」という言葉が、唇からもれでた。

中の神聖な神秘的な雰囲気は、忠俊に霊感によって磨かれたメッセージを与えた。忠俊は類まれな精神的空気の中で生きつづけた。永遠の魂、太陽よりも神秘的で、今まで解き明かされなかった偉大な秘密が、忠俊の全細胞を捉えたようであった。

 ガイドは博物館の壁に掲げられているいつの4行詩を訳しながら読み上げていた。それから意味も説明していた。

「 石は葉を出させない、春がきて過ぎ去っても、

土となれ、なんとも美しいバラを咲かせられる、

汝は石のようであった、多くの心を砕いてきたのだからもう十分、

土となれその上には楽しげなバラたちが育つであろう、」

 忠俊は「来たれ」と言う呼びかけとこの詩の一節の中深遠な思想をその瞬間に彼の脳裏に完全にやきつけた。と同時に何か特別な驚きも感じた。「この言葉を語ることができ何世紀もの間それが忘れられなかったこと、そして周囲いやその周囲を乗り越え全世界へと知識の連鎖によって、数多くの知識人たちへと受け継がれてきたこのすばらしい考え方は理性とすぐれた知性に支えられている。本にはいり切れないほどの強い生命力と情熱にささえられた思念・・・この世の情け容赦のない社会との接触によって、人生を何とか守ろうとする人々のために最も役立つ薬、もっとも効果のある解毒剤、もっとも心地よい精神的状態、最も優れた医療、」と彼は考えていた。

ガイドは博物館に備えられた品々について説明すると同時に聖セイメヴラーナの目に見えない部分をより重点的に伝えることを好んだ。忠俊のこころに芽生え始めた炎の火種に風を送り、燃え上がらせていった。「水に満足するものに何も与えることはできない。水に恋焦がれ心をみいだしなさい。」と語った偉大な指導者の言葉をさらに続けた。

忠俊は彼の心が水を求めているのに気がついていた。その日までのどの渇きは仏陀の前でさえ、癒されることはなかった。そのときに嗅いだ香り、心を酔わせる酒のような効果は以前一度も感じたことがなかったし、味わうこともなかった。

「これはなんともいえない心地よさだ。虹ほど近く、虹ほど遠く感じるこの不思議な感覚」と自分自身に語りかけた。魂にやさしく平安を撒き散らす甘い季節風が吹いた。葦笛の音はこの風を駆り立て、けしかけ、何も聞こえず何も語らぬ遠い地平線へと連れ去っていった。

心に話しかけ、魂にささやきかける世界から齎される不思議な音色、その神を思い出させる音と神秘的な香りは非常に異なった感覚を呼び覚ませていた。彼の身体の中で、普遍的な愛をと寛容さを顕す偉大なスーフィーの影響を受けずに、また方向付けられない場所を、ひとつも残っていなかった。

彼は人生の中で次第に生きる事に嫌気が差していた。人生は意味のないものだと知っていた。だだっ広い太洋の野ど真ん中で支えもなく取り残されさまざまな嵐に見舞われ沈没しないようにばたばたする船のように弱弱しい精神的状態に陥っていた。それらの嵐で精神を守り支えとなる港を探し求めていたが、どこもいつも何かかけていると感じていた。さらにあるときはそれらを捜し求めしらべたりもした。訪れた区に儀煮のさまざまな哲学者たちや神殿や彼らにとって聖なるものとその目的も学び、深くそれらを習得してきた。自分の国でもまた同様に深く捜し求めたがどの場所でも彼が探しもとめる精神的安定を与える風を見出すことはできなかったのである。誰からもこれこそが意味あるものという確信は得られなかったし、呼びかけられることも魂が引き寄せられることもなかった。このため長い間捜し求めることもしなくなっていた。そして彼の中身を完璧に満たし落ち着き休養させる精神的扉は存在しないと確信した。雅しかし・・・思いもかけないときに偉大な人物である聖メヴラーナの扉に足を一歩踏み入れた。探し求めることをあきらめ、見出すことはできないと確信していたその港を、その瞬間彼の魂、彼の自我はついに発見したと彼は語り始めた。

忠俊は、自分の命と同じくらい価値のあるその港がトルコに存在するとはまったく予想しなかった。自分自身に「何年も探し続けて、捜し求めても見出せず、もうそのような港は発見できないだろうと思い、鍵をかけた私の内的、精神世界への扉の鍵穴にぴったり当てはまる鍵が個々にある。これはたしかなことだ。」とつぶやいた。

 

彼の心、彼の胸の外をおおう強く硬く閉じられた殻をバリバリと音を立て、打ち破り、その中のすばらしい感受性が表面にほとばしり始めた。まるで太陽の深いそこから吹き出た貴重な穴の開いていない真珠のようであった。

 忠俊は「私の生きている時代で、通俗の集団文化という弾をどんどん撃ち込む砲撃の元で、人間が次第に物質主義化し、精神的世界を忘れ始めた時、強い快楽主義によってくみ出され砂漠化し枯渇してしまった心に、不可欠な永遠の水がここにのみ存在するのは確かだ。科学技術の時代に、走り回り、失いつつある熱い感性をなくしてしまってはならない。本来この熱き思い、美しさは、どの人間にも内在している。ただ芽を出させ、葉を開かせ、表に出るためには正しい場所で、何かから起こる火種と、ちょうど良い時がひつようであろう。ちょうどわたしのように・・・」と言いながら、この世のすべての人間がこの場所を訪れることが不可欠だと彼は考えた。そして自らも彼の心の中で、その精神的豊かさを味わい始めたのであった。彼はただ単に自分が生物的存在でないことにも自分が気づいた。どれほど生物的制約のために、外界と結びついていようとも、彼の魂は未知の永遠へと開かれた幸福を感じ取ることができた。

 ガイドとその一行はメヴラーナ博物館から外へ出た。墓石の前からなかなか離れられない心はその中に残されたままだった。忠俊はガイドに「2分間待ちいただけますか」と言った。急いで博物館の中へ飛び込んでいった。ふたたび聖メヴラーナの墓石の前にやってきて、一瞬の間身じろぐことなく立ち留まった。手のひらを合わせ胸の上に持っていった。そして下に頭がつくほど深々とお辞儀をし、挨拶をした。この挨拶は彼が人生の中でなした心からのそしてもっとも誠意のこもった挨拶であった。

「偉大なお方よ、あなたに感謝いたします。すぐにまた私はここへ参ります。ごきげんよう、」といった。3、4歩後ずさりした後、急いで外へ出、仲間に加わった。メヴラーナのすばらしさを知るガイドは、忠俊の心が聖なる指導者の虜となったことをよく承知していた。メヴラーナ博物館から出た一行は博物館の回りに位置するお土産品を売っている店に入り、買い物をし始めた。そのどれもが聖メヴラーナに深く関係する品々であり、博物館の中に展示されていたものと関わる歴史的な品物であり記念品や思い出となるものであることは明らかであった。数珠、花瓶や彫刻などの小さな飾り、同の彫り物、額縁にはめられた聖メヴラーナの詩や言葉、写真等々。

 忠俊はコンヤとメヴラーナの暮稜の写真のあるえはがきをとセマーゼンの形を掘り込んだ木のスプーンを買った。

買い物が終わった一行はすぐそばのレストランに入り2回へ上った。二階は広いバルコニーであった。バルコニーの園停、かれらが予約しておいた場所に、腰をかけた。このバルコニーからメヴラーナの暮稜とバラ園が魔法の看板のようにくるくると回って見えた。青緑をしたお墓の天辺、クッベが、建物の間で一期は壮大で、華麗に生えていた。忠俊にとってそのよう精神状態の中でこれよりすばらしいもてなしはなかったであろう。

なんと悪い性質を身につけてしまったことだろう。精神的な美しさを失い始めた。この世の苦難とそれが生み出される嫌気、倦怠感、憂鬱を彼の上から取り除き、精神的平安と心の安定を与え、さらには、広い水平線までも包み込む安心感が、この世まで延び広がり、その熟考という海の中で泳ぐために最初のひとひろ(両手を広げた長さ)を踏み出させた。忠俊は、幸せと歓喜をえたのだ。座った場所から物思いにふけりながらメヴラーナの暮稜とバラ園を眺めていた。そして墓石の前で感じた情熱によって彼の平安な心地はその場所でもいまだに続いていた。

セマーの儀式

空は暗くなり始めた。メヴラーナを記念し、セマーを見せるサロンに向かってみんなは出かけた。忠俊はこよなく幸福であった。だが自分自身は沈んだ状態であることをかんじていた。何もかたらなかった。今でも尚絶え間なく指導者の御前で感じた相互作用的な感動に浸っていた。まるでプログラムされたロボットのようにグループみんなに従ってはいたが、彼の内的世界では光が満ち溢れていた。一向は友人たちとサロンに入り示された各々の観客席を見つけて席に着いた。忠俊の人並みならない関心を見極めたガイドは彼を特に隣に座らせようとした。

「忠俊さん、少し後で、観ることになるセマーは、万有の行動を示しています。メヴラーナによるとセマーとは、「アッラーが『われは汝らの主である。そうであるか。』と仰せられたのに対し『はい、さようです。あなた様はわれらの主であらせます。』と返答した声を聴き、自我を乗り越え、主に合間見えることです。諸原子はスーフィーたちのように、太陽の光の中でセマーをし、留まっているが、どのような旋律で、どのような拍子で、どのようなサズ(弦楽器の一種)によってセマーをするのかは、だれも知る由もありません。セマーとは心の中の神秘に到達した者たちが、人の心を和らげる恋人たちに会うための行動です。セマーに入ると2つの世界からも外へ出るでしょう。セマーの世界はその2つの世界よりもより外側に存在します。7番目の天井は一番高い天ですが、セマーの位階はこの天よりもより高いのです。顔をクブラに向けた者達は、この地上においてもセマーの位階の高さに到達します。もちろん、あの世でもですが。たとえ輪となって、セマーをし、回転し、留まる者達の間にカーバが存在したとしても・・・」と解説されたそうだ。セマーは聖メヴラーナが霊感によって、到達し発展させたものです。完璧に向かって歩む精神の旅(ミィーラージュ)はその行き来の代表的なものです。」

 

「ミィーラージュとはなんですか?」

「忠俊さんこのことについて貴女に本を一冊あげましょう。それから学ぶことができますよ。もしよろしかったら儀式が始まる前にセマーについてあなたに少し情報をお伝えしましょう。」

「喜んで、どうかお続けください。」

「セマーは7つの部門と4つの挨拶から成り立ちます。知識の天から綿密に調べるならば存在することの基本条件は回転することです。存在するものの間で共通する類似点は回転です。類似点はもっとも小さな原始からもっとも遠い諸星に至るまで、それぞれ一つ一つを構成し、形成する原子の中の電子と陽子の回転にあります。すべてのものが回転するように人間と言う種も構造的には原子の中での回転、身体中の血液循環、土から造られ土に戻る事によって自然に無意識的に回転するという作業が見られます。ただ人間がほかの存在よりも優れている点は知性であります。僧です、少し後でごらんになるセマーゼンたちには被造物に共通する行動をセマーによって顕し、知性も共にその行動に加わる形をとるのです。セマーは、しもべたちが真理に方向付けられ、知性によって、情熱と共に高められ、自我を否定し、真理なるお方の中で消滅し完成し、成熟した人間として再びしもべとして帰ることです。すべての存在のため、そしてすべての被造物のため、新生した魂と共に、愛と奉仕のためにもどる事です。」

「女性たちもセマーをしますか。」

「この問いは近年何年もの間討論の的となっていることのひとつです。聖メヴラーナの時代メイダニシェリフという場所では、一度も女性と男性は一緒にセマーすることはありませんでした。セマーハスルタンベレドから後、形式化され現在に至っています。女性たちは女性たちの間だけでセマーをしていたそうです。今日ではセマーをショーに変えてしまった者達の間では行われていますがこれは大変かなしいことです。さあ忠俊さん、ぎしきがはじまりますよ。また後ほどお話を続けましょう。」と言ってガイドは説明を止めた。

 はじめに講師が出て、聖メヴラーナについて短い説明をした。ガイドは話を短く切って、翻訳した。彼自身の知っていることも付け加えなが、ら忠俊の耳元でささやいてた。

 

 

 

アッラー:唯一の神

シャリーア:クルアーンの諸節、聖ハディース、イジュマーゥ、キヤースに基づいて成りたつ法

タウヒード:(アッラーのほかに神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり)