Diary


04年9月6日(月) 設計

・論文投稿する。(9月中)=大きいところ(日本文学・日本近代文学)

・就職を見ていく

・論文が通れば、ドクターへ。

・論文が落ちれば、就職。

 

問題点=中大付属は?

 


04年3月1日(金) どうも久々に対人齟齬が。

昔は対人恐怖症だった。高校時代。人混みに行くのすら辛かった。引き籠もっていた。

色々あって、とりあえず表面上は、「まっとうな人」っぽく振る舞えるようになった。ただ、まだその名残がある。それを「対人齟齬」と言っている。

 

昨日、職場の人と二人で、飲みに行って、ライブを見た。コミュニケーションが無茶苦茶だった。言葉が出てこない。そう、「対人齟齬」とは、失語症に近い。話そうとしても、言葉が出てこない。出てくる言葉も、意味がはっきりしない。なんとかコミュニケーションをとろうとするが、焦るほど無茶苦茶に。そんな感じだった。酒の力を借りても無理だった。

 

・・・困る。コミュニケーションとはすべてディスコミュニケーションだ、などというのは、一応、表面上はコミュニケーションと見えるような伝達行為が出来て、初めて言えることだ。表面上からしてディスコミュニケーションだったならば、どうなるか。めちゃくちゃですわ。

 

早くゆっくりしたい。何度も言うが、調子が悪いときは、身をかがめてじっとしてるしかない。

 


04年2月6日(金) 「生きる理由」とか。

「青い春」の頃、「生きる意味」なぞ考えたことがあった。

それを考えずに生きている人間を、軽蔑したりもした。

 

あれから十年以上経って、働くようにもなり、分かったこと。

 

@生活するため。

 →まあ、トートロジーだけど、やっぱり働きだして思ったのは、賃金を貰って、それで飯を食ったり娯楽をしたりして、次の労働に備えるってのが、一番の生きる理由になっている。実際のところ。

A金持ち(資本家)の懐を肥やすため。

 →まあ、これも当たり前のことだけど、必死に働いても、その労働力のいくらかは、当然、仕事先の資本を持っている人に貢いでいることになる(結果的に)。もっと単純に言うと、家賃を払うのも、労働力を大家さんに貢いでいる訳だし。それに対してどうこうしようと言うのではなく、実際の所、生きてる限りは絶対にこうなるってことで。(あ、別にこれは、生きる「理由」じゃないか)

B周りが悲しむのが鬱陶しいから。

→葬式は大嫌い。しんみりした雰囲気が大嫌い。人(特に身内)が無く姿は、見たくない。明るい葬式って、できないのかな?ま、とにかく、自分が死ぬことで、身内がこういった「葬式」をするのが、嫌だ。まあ所詮、偽善だけど。ま、これも「生きる理由」の大きな一つであるのは確かです。

 

まだ理由はあるかもしれないけど、主にこの三点。

てなわけで、自殺はしません。

 


04年1月31日(土) 最悪の状態では、身をかがめるだけ。

何をしても、何を見ても、何を聞いても、酷く感じるだけ。

リンゴを見ても、死にたくなる・・・という感じ。

そんな状況では、身をかがめることしかできない。

ただひたすら、時間が過ぎゆくのを、待つだけ。

その先が、どうなるかなんてのは、知ったこっちゃない。

光があるなんて思っちゃいない。

 


↓2003年 労働の意味が、ほんの少しずつ分かってきた。そして、自分の限界が少しずつ分かってきた年だった。

 


03年11月26日(水) 最悪の状態で、何ができるのか。

すべてを、最も悪い状況としてしか「解釈」できない。

要は、解釈の問題。ある現象・対象に、どう感じるか。

11/1の日記と同じことだけど、鬱状態の場合、それが最も悪い解釈になる。

そして、悪循環。

 

喜びと苦痛との振幅が少ない状態に持って行きたい。

桜井章一も言っていたが、体に芯を通したような状態でいれればうれしい。

そうすれば、喜びも少ないけれども、悲しみも少なくなれるから。

 

これからどうしていくべきなのか。

やはり、生活(つまり、貨幣)が、すべての土台にあるんだなぁ。

それが不安定になると、すべてが不安定になる。

父親の会社がやばいらしいし、それも含めて、精神的にかなり不安定。

 


03年11月23日(日) あかん

限界が近い。

最悪な状態。

早く、解放されたい。

もうあかん。

最低の存在。

 


03年11月1日(水) でふれ・すぱいらる

とにかく、悪循環。

 

精神状態が悪くなると、すべてが悪循環になっていく。喜怒哀楽なんて、見る人の主観によって変わる。同じ事が起きても、人によって、当然、感じ方が違う。それと同じく、同一人物でも、その時の精神状態によって、同じ事が起きても、感じ方が変わってくる。

 

最悪の精神状態なので、「いい」筈のことが起きても、被害妄想的に、悪く感じてしまう。すると、余計に精神状態が悪くなり・・・という悪循環。ま、去年の3月21日に書いた事と同じなんだけどネ。(いつの話なんだ・・・)

 

はぁ。こればかりは、時間と体力回復に任せるしかない。でも、時間は無いし、精神状態が悪いと眠れないし、で、回復の見込みは薄い。

 

早く、12月になってくれ〜っ!

 


03年10月22日(水) 休んじゃった・・・

>仕事を。

休むと、後ろめたい気がして、全然気が休まらない。

風邪で心身の状態が宜しくないので、許してやって下さい>自分の超自我

 

脳に、思考を一時停止させるボタンがあれば便利なのに。

それと、忘却のボタンと。

 

ま、誰でも考えることか。

 


03年10月18日() 『隠居』への憧れ

上岡龍太郎氏が、新たな著書を書かれたようだ。『“隠居”のススメ』という本らしい。近々読んでみるつもり。

 

その内容は分からないけれども、隠居には憧れる。10〜20年ほど頑張って働いて、ある程度金を貯めて、で、家賃収入かなんかで隠居したい。そう、強く思う。で、そんな生活の中、ポックリ逝きたい。(・・・って、お前いくつなんだ)

 

以前は夢もありました。研究という夢が。でも、それもどこかへ行きました。疲れてしまいました。

 

まぁそんなことは、置いときましょう。

 

 

 

阪神が日本シリーズ一戦に負けたのは、悔しかった。こんなに悔しい思いをするとは思わなかった。

今日は頑張れ〜〜っ!

 


03年10月15日(水) あほほど・・・U

「あほほど」しんどいです。ぶる〜。

早く休みに入って欲しい。

そればっかり望んでいる。

それが糧で、毎日を乗り切っている。

こうして、5年、10年、15年、20年・・・と過ぎていくんだろう。

それでいいと思う。

昨年、祖母の葬儀の際、「ポックリ」と他界できることを望む老人が多くいると、坊さんの説教で聞かされた。その時は、全く理解できなかったけれども、なんとなく分かる気がする。

歳をとってきたのか、世を知ってきたのか、疲れているだけなのか・・・。

とても疲れてます。

 


03年9月24日(水) あほほど・・・

はい。「あほほど」久しぶりに、更新致します。実に、1年以上間があきました。何故今更・・・? はい、単にHPの作り方を、忘れないためです。

この1年、いろんなことがありました。でも、振り返るのはめんどいので、パス。

阪神優勝だけは、ホントに嬉しかった・・・。なんか、阪神戦の応援だけが、唯一の生き甲斐になってたもんなぁ。

授業は、気張らずにやるという事だけ、会得しました。ある程度、力を抜いて、やるのが良いようです。

はぁ、でも、この先どうやって行くんだろう > 自分


↓2002年 契約社員に近い仕事を始めた年だった。生活するという事が、ほんの少し分かった年だった。


4月4日(木) 思考パターン。

1週間ほど、更新ナシ。大体、このホムペ自体、後悔するか、もとい(笑)、公開するかも未だ決めていない。

最近は、寝ても覚めても学校のことばかり考えている。いくら寝ても熟睡できない。心配ばかり先だって、何も手につかない。もう少し、楽観的な考えをする思考パターンを会得しないと、学校生活も含めて、やっていけない。・・・ということは、重々分かっているんだけど、そう簡単に、思考パターンなんて変えれないしネ。

このままだと、「登校拒否」になっちゃいそう。怖い怖い。


3月21日() 悪循環。

いまの状態。

鬱 → でも、忙しい → 焦る → でも、鬱のせいで何も手につかない → 余計に鬱になる → 余計に忙しくなる → 余計に焦る → 余計に鬱のせいで何も手につかなくなる →・・・・・・(以下、永久に続く)

鬱の時は、この他にも、いろんな悪循環が起きる。
処方されたオクスリを多目に飲むも、それ程、効き目なし。いつも通り、「消えてしまいたく」なる。・・・・・・紋切型ですな。

後頭部が更にいたひ。これも風邪のせいかな・・・。それとも鬱か。たまらん。


3月19日(火) だるひ。

後頭部が痛ひ。からだがだるひ。最初は鬱の影響かと思ったけれども、たまに咳が出るし、どうやら風邪のよう。アタクシは、年に10回ほど風邪をひくのだけど、最近は何故かずっと大丈夫だったのに・・・。ちょっと、緊張の糸がとけたかなあ。とりあえず、葛根湯と、ルルを飲んだ。明日はゆっくりしよう。学校が始まると、風邪をひくひまもないだろうし。
風邪をひいたとき程、タバコの数が増えてしまう。すぐに身体の調子の悪さが精神にも来るので(その逆ももちろん然り)、なんか、イライラして・・・。

(う〜ん、明日休もうと思ったけど、たった今、出版社の方から呼び出し。休めないなあ・・・。)


 

3月16日() 「症」に関して

昔読んだ或る本によると、「恐怖」と「恐怖症」の違いは、「原因・対象」がはっきりしているかどうかにあるらしい。例えば、すぐに殴ってくるA氏に対して、「怖い」と思うとする。これは、自分が殴られるかもしれないという「理由」で、A氏を「対象」にしているから、「恐怖症」でなく「恐怖」となる(なんか、イイ例えじゃないなあ・・・)。対して、なんだか漠然と、「人間」が怖い、でもその理由が分からない・・・自分でも「怖がっている自分」がおかしく思えるけれども、たとえそんな自分を否定してみても、それでも何故かとても怖い・・・これは「原因・対象」がはっきりしないから、「恐怖」でなく(この場合は「対人」)「恐怖症」となる、らしい。・・・まあうる憶えだし、専門家の方から言わせれば、こんな簡単なものじゃないのかもしれないけど。
で、鬱にもそれは言えるのかなあ、と思いました。
鬱になる時は、「きっかけ」がある場合も多いけど、その「きっかけ」に対してだけではなく、全ての事柄がイヤに思え、億劫になり、そして不安に感じる。そして、その「きっかけ」が解消したら、鬱が治るという訳ではない。もちろん、「きっかけ」がなく、鬱になることも多い。だから、この「きっかけ」は、「原因・対象」にはならないのではないか、と。
今日はそんな感じだった。
(続きを書くのも億劫になってきたので、ここでこの話は中断。)

 

ああ〜・・・なんかしんどい。珍しく競馬で買ったのに、全然嬉しくもない。
今日は早く寝ようっと。