不定期更新日記
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2月11日水曜日
今日は急ぎのニュース
薬害エイズ事件における刑事責任の追及中であった、安部英被告の責任追及の道が途絶えようと
しています。
一審では無罪判決が下りましたが、非常に根拠が薄く今後責任が追及されることは殆ど明白でした。
しかし、病院への入退院を繰り返し。裁判に絶えられないと言うことを理由に、実質的な裁判の継続
不能になる可能性が出てきました。
マスコミは大きく取り上げていませんが、これは非常に大きな問題です。
このまま、現場における最も上位であったと思われる安部氏の責任の追及ができない場合。それより
上位の厚生労働省などの個別の責任を追求することが難しくなります。
実際に病気であるならば仕方ないと言えるかもしれませんが、社会的に批判の多い一審を残したまま
審理が終了するのは決して後世の医療事故等の裁判の悪しき前例を作ることになります。
皆さん、吉野家や秋葉原の火事だけでなくこの問題にも注目してください。
2月9日月曜日
すごく間が空いてしまいました。掲示板のほうですら年明けの挨拶で止まっているという
体たらく・・・。
実を言うと身内で不幸があったため、テスト期間中に何度か実家と千葉を往復していて正直
ホームページどうこうはもうどうでも良い状態になっていたもので。
公開スペースであるweb上でたらたらと愚痴を書くのはどうかとも思ったのですが、見ている
人も数人しか居ないようなページですので、場合によっては以下の部分は思い返して消すかも
知れません。
正直言うとかなり疲れてます。主に精神的に、亡くなったのは私の母方の祖父でした。父方の
祖父は私が生まれるずっと前に亡くなっており、また母方の祖父母の家が昔から私の実家に近かった
こともあって。私は小さい頃から祖父の家に良く行き、夏休みや正月は家族の中私一人だけで祖父の
家ですごしたものです。祖父も子供が娘二人だけであったことや、それまで生まれていた孫も女ばかり
だったこともあってかことのほか私を可愛がってくれていたように思います。
しかも祖父は、生前の祖父を知っている人皆が「怒った姿を見たことがない」というほど温厚な人で
私も知っている限りでは一度くらいしか怒った姿を見たことがなく、それも私に対して怒ったのでは
ないという事くらいしか覚えていないほど昔のことです。
私は所謂「おじいちゃん子」であり。また、祖父が経済的理由や戦争前の社会情勢の中で学校に行け
なかったことを非常に後悔していることを良く聞かされました。祖父は笑いながら喋ってはいましたが
本当に悔しそうに勉強をしたかったといっていたのを思い出します。何であれだけ数学を勉強したがって
いた祖父の血を引いているにもかかわらず自分は数学が苦手なのかと思ったりしたこともありました。
その為、大学を卒業したらまず一番に祖父に報告し喜んで貰おうと思って居ました。しかし、もう今と
なっては墓前に報告し、喜んでくれている姿を想像するしかありません。
祖父とは大分前になりますが、元気になったら二人だけでどこかの温泉にでも入りにいこうと約束して
いました。しかし、約束してから祖父は中々、旅行にいけるような体調にならず。また、私も夏休みなどには
帰れるものの時間がとれず結局、約束を果たすことはできませんでした。最後に病院で面会した時にそのことを
言ったのですがチューブなどを外したばかりだった祖父はボソボソと声にならない声を出して、私の頭を撫でて
くれただけでした。
私が長期休みに入るとすぐ実家に帰り、ギリギリまで家に戻って来なかったのは、福岡が過ごしやすいという
こともありますが、それ以上に祖父にあうためという理由があったからです。しかし、それが失われた今福岡は
墓参りをしに帰る町になってしまったといっても私にとっては過言ではありません。
大の大人がこんな支離滅裂な文章をだらだらと書いてしまって申し訳ないです。
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