そこは険しい山々に囲まれた、静かな村里でそこに住む人々は田畑を耕し、のどかに暮らしていた。
季節が秋から冬へと変わりつつ、ある日、その村里に1人の旅人がやってきた。
もうすぐ夜を迎えようとしていて、村人も家路に急いでいた。
「あの、もし・・」旅人は急ぎ足の村人を呼び止めた。
「申し訳ないが、この辺りに宿はありませんか?」
村人はけげんそうに立ち止まったが「見ての通り・・・」と 苦笑し「小さな村ですからな、宿なんてありゃしません。ですが・・」
「少し行った所に大きな百姓家がありますから、聞いてみて下さい。村長ですから」
旅人は嬉しそうに礼を言うと、早足でその家に急いだ。
確かに大きな家だった。戸を叩くと女の声がした。
「どなたでしょうか?」
「あいすみません・・旅の途中で夜を迎えてしまい・・よろしかったら 一晩泊めて頂くことはできませんか?」
しばらくして、戸がガタガタと開いた。
「それはお困りでしょう。こんな所でよかったら、どうぞ」
出てきたのはがっちりとした体格の男だった。家の主人であろう。 「助かります。本当にありがとうございます」
旅人は草蒂を脱ぎ、用意された桶で足を洗った。ホッとした顔をし 囲炉裏のそばに座った。
「あぁ、落ち着きました。このまま山で夜を迎えることになるところでした」 お茶を勧められ、旅人は一息ついた。
「どちらから?」主人が言った。「京都です」
「それは遠いところから・・・」
主人の家族は妻と子供が5人いた。小さい子供たちは寝てしまっているらしかったが
1番上らしい少年が主人の隣に座っていた。
旅人の話は、少年の心をワクワクさせた。旅人は今、京都で何が起こっているのか 事細かに話して聞かせた。
「今や下級武士や浪人と呼ばれる人たちが時代を動かそうとしています。 その中でも新撰組はすごい。みな浪人上がりだが、幕府の目にとまり
大変な仕事ぶりです」 少年の瞳がキラキラと輝いているのが、旅人にも読みとれた。
夜も更け、皆寝静まったが、少年だけはなかなか眠れずにいた。
『新撰・・・組』
その言葉が胸の中に渦巻いて、高鳴るのがわかった。
今まで聞いたこともない『京都』という未知の場所の話。
そして、下の人間が時代を動かそうとしている・・・それも新撰組は百姓上がりも いるという。
唇をギュッと噛みしめた。 少年の名前は田村疾風という。年は16歳になったばかりだった。
意気盛んな疾風にとって、旅人の話はとても魅力のあるものだった。
その夜、彼は一睡もすることができなかった・・・・
次の朝。小さな子供たちも起きてきて朝食を囲んだ旅人は
「いや、こんな楽しい朝飯は初めてだ。子供がいるのはいいですな」と
ワイワイと騒がしい子供たちを目を細めて見つめた。
そして、旅支度を整えると深々と主人やその妻に頭を下げた。
「本当に助かりました。食事でごちそうになり、ありがとうございます」
「うちは百姓ですから、野菜や米には不自由しません。たいした物でもないですから」
「いやいや・・本当にありがとうございました。では、先を急ぎますので・・」
「お気をつけて」
旅人はふと、軒先でジッと自分を見つめている疾風に気がついた。
旅人は彼のそばに来るとフッと笑みを浮かべた。
「君、名前は?」「疾風・・田村疾風」
「いい名前だな。そうだ、君にこれをあげよう」
そういうと、旅人は首からお守りを取り、彼の手に乗せた。
「これは・・・」
「京都のお寺のお守りだ。旅の安全祈願に頂いてきたものなんだ」
「そんな・・大事な物を・・俺に?」
「きっと君にも必要になるんじゃないかな・・と思ってね」
疾風はハッとして、旅人を見つめた。
「じゃ」旅人は疾風に軽く手を振り、主人にも一礼をすると早足で去っていった。
「俺の気持ち・・・気づいていたんだ。あの人・・・」 「お兄ちゃん〜何もらったの!」小さな弟、妹たちが疾風の足にからみついてきたが
彼の耳には何も入ってはこなかった。
お守りをギュッと握りしめ、去っていった旅人の姿をいつまでも見つめていた。