寛容と怠惰

人はどれだけ寛容でiいられるのだろうか?
今回の瀋陽での北朝鮮人の亡命事件で直感的に感じた思iいです。
大使館の境界は国の境界でもありそれをおいそれと勝手に超えてならぬルールが国際上決められているのは、そうすることで国と国との存在を認知するのだという歴史的経験則の意志の結果なのです。現代人の理解を超えるある種苦役を強いられていると予想される国からの脱出を試み境界を越える行為は命を亡ぼすかもしれぬ亡命そのものです。その状況が把握できない現場人は、そこの状況、場所、時、を認識すれば、異国人の侵入にそれを取り押さえる者の落し物を拾うなどの行為をして寛容だと主張したいのだろうか?と おそらく幾多の国民意識を保持したものからの視点は、怠惰な愚かしい行為としか映らないと思う。かくも無様な行為は、今の日本人が存する日本の象徴であり国民の姿の怠惰そのものであると痛烈に感じ取るべきである。
にもかかわらず 一職員と外務省の怠惰と批判するマスコミと世論の品性下劣こそ省みて恥ずかしさを感じるべきことであると思う。


非対称

いつもより速い感覚で季節が移ろっているのは、自然のサイクルに何か変化が起きているのかもしれない。
史上最速の桜開花との報道を見たりするとより信憑性を帯びてくる。

2002年の今年は右から読んでも左から読んでも同じの対称をなしている年なのに、そこらここらで非対称の事変が多く起きているのも皮肉だ。
ネットの世界ではブロードバンドが花盛りADSLAAsymmetric の頭文字、非対称がその意味となると皮肉を通り越した暗示の世界の到来などと騒ぎ立てても合点がいくきもする。思えばかような些細な差異にも動揺するようになったのは、そんな遠くない過去だと思う。神々の時代にはおおよそひとつの価値にていまより秩序だった世界があったに違いない。
アメリカのセフテンバーイレブンを象徴とするような非対称な事件や事象はそこかしこで確認できる。世界最大の繁栄のシンボルがいともた易く、miseryな国のタリバンにやられたという非対称、だからといってタリバンを加勢する気持ちは毛頭ありません。いつの時代もかように人間は残酷な行為をなすと言う事実だけが自分たちに示されたのです。
それより大事な視点は、
そのアメリカの提唱するグローバル化になんなくノセラレ構造改革、規制緩和の合唱に悉く破壊されている日本の状況もまた非対称そのものであるという事実を確認することです。

最近、来日したBushは国会でcompetitionの効用を強調しました。確かに活力ある社会を維持していく上には競争はよほどの怠け者でない限り重要な要素であることを誰もが認めることと思います。構造改革や規制緩和の元に日本で展開されたのは、competitionじゃなくてemulationだと思います。大手のスーパーが破綻をきたしてきていますが、これはemulationの無残な結果だと思う。
プロローグは不当な価格への異議申し立ての行動であった。城山三郎さんの「価格破壊」という小説には再販制へのNOを唱えるあるスーパー経営者をモデルにした主人公の活躍を、当時の自分はある種喝采に似た情念を伴って読んだ
記憶があります。
消費者により安くよりよいものを提供が合言葉のように乱舞し売上高では百貨店を抜く規模で成長していきました。地域性や社会性を配慮した形での出店は高度成長下、人々の生活に大きなインパクトを与えてくれ功績大なるも事実でありました。何事も自動症に陥ると堕落するように、売上至上の目的化が強まれば畢竟、社会性とか地域性とかが欲望主義や拝金主義の手段とされ強引な出店にならざるを得ないのは、経済学や経営学を学ばないものでも解るものです。
それはまさにemulationそのものですし、はどめの効かない欲望主義のなれの果てなのでしょう。あくなき欲望主義だけでは生きていけないのも人間の性だということは歴史を遡らずとも常識感覚を保持しているものなら首肯できるはずです。だがしかし構造改革の掛け声は高まるばかり、大まかな国のグランドデザインも示されぬまま、ただアメリカのポチよろしくグロバリズムが世界標準とする出鱈目な構造改革を内閣も政治家も企業家もまだ推し進めようとするのは、後世にて大いなる失敗として語られるに違いないと思います。誰もが何かおかしいと感じているし、活力なき経済活動はいかような勝ち組が出現しても一向に回復する兆しはみえておりません。
そればかりか毎日のニュースは信じられない様な残虐な事件にことかかなく、チョットやソットでは驚かないような不感症にさえ陥ってきています。自分を含めほとんどの日本人がどこに価値を求めて判断すればいいのか解らない袋小路に押しやられているのだと思います。大いなる豊富と貧困が非対称に浮き彫りにされてきているのは、日本人の精神において華々しくなっているのです。
健全なるcompetitionができる経済活動を取り戻すには、大いなる蛮行で日本の誇りを打ち砕いてきた者達が再生をかけて取り組むしかどうやら他に道はないように思えます。そこいらを丁々発止、喧々諤々とやっていける場所を作ることからはじめなくてはならないのでしょう。 2002/05/10