最近、来日したBushは国会でcompetitionの効用を強調しました。確かに活力ある社会を維持していく上には競争はよほどの怠け者でない限り重要な要素であることを誰もが認めることと思います。構造改革や規制緩和の元に日本で展開されたのは、competitionじゃなくてemulationだと思います。
プロローグは不当な価格への異議申し立ての行動であった。城山三郎さんの「価格破壊」という小説には再販制へのNOを唱えるあるスーパー経営者をモデルにした主人公の活躍を、当時の自分はある種喝采に似た情念を伴って読んだ記憶があります。
消費者により安くよりよいものを提供が合言葉のように乱舞し売上高では百貨店を抜く規模で成長していきました。地域性や社会性を配慮した形での出店は高度成長下、人々の生活に大きなインパクトを与えてくれ功績大なるも事実でありました。何事も自動症に陥ると堕落するように、売上至上の目的化が強まれば畢竟、社会性とか地域性とかが欲望主義や拝金主義の手段とされ強引な出店にならざるを得ないのは、経済学や経営学を学ばないものでも解るものです。
それはまさにemulationそのものですし、はどめの効かない欲望主義のなれの果てなのでしょう。あくなき欲望主義だけでは生きていけないのも人間の性だということは歴史を遡らずとも常識感覚を保持しているものなら首肯できるはずです。だがしかし構造改革の掛け声は高まるばかり、大まかな国のグランドデザインも示されぬまま、ただアメリカのポチよろしくグロバリズムが世界標準とする出鱈目な構造改革を内閣も政治家も企業家もまだ推し進めようとするのは、後世にて大いなる失敗として語られるに違いないと思います。誰もが何かおかしいと感じているし、活力なき経済活動はいかような勝ち組が出現しても一向に回復する兆しはみえておりません。
そればかりか毎日のニュースは信じられない様な残虐な事件にことかかなく、チョットやソットでは驚かないような不感症にさえ陥ってきています。自分を含めほとんどの日本人がどこに価値を求めて判断すればいいのか解らない袋小路に押しやられているのだと思います。大いなる豊富と貧困が非対称に浮き彫りにされてきているのは、日本人の精神において華々しくなっているのです。
健全なるcompetitionができる経済活動を取り戻すには、大いなる蛮行で日本の誇りを打ち砕いてきた者達が再生をかけて取り組むしかどうやら他に道はないように思えます。そこいらを丁々発止、喧々諤々とやっていける場所を作ることからはじめなくてはならないのでしょう。
2002/05/10