刻まれた想い
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この程度のゴブリンならば敵ではない。間違いなくやれる。
俺はそう確信していた。
だが、やはり油断はしないほうがいい。確信というのは油断が生むものなのかもしれない。
水の流れるすぐ傍で足を踏み外した自分を馬鹿らしく思いながら、俺は滝を落ちていった。
バカか…俺は。
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先日、長老の一人から読ませてもらったパルブロ鉱山開拓時の手記の写し。
その記述を裏付けるという北グスタベルグの丘の頂上にある石碑に、俺は花を捧げに来ていた。
今までも依頼を受けて花を持ってきたことはある。だが仕事とは関係なく来たのは初めてだった。
俺は今まで目をそらし続けていたということを最近実感されられ続けている。
ごく当たり前だと思っていた事が、話を聞くたびに、新しい事実を知る度に、新鮮な驚きへと変る。
成人してから続けていた鉱山夫が自分には向いていないと諦めをつけて、冒険者になってから10年以上が経つ。
その間剣術も習い今では師範代だ。
旅の冒険者としての技量も新人の頃から比べれば間違いなく成長しているだろう。
だが、俺は技術ばかりを身に付けて、心は全く成長していなかったのではないか。ここの所そんな感覚を得るようになっていた。
たしかに他の種族に比べれば寿命がはるかに長い俺達は心の成長も遅いのだという。
だが…俺の成長は遅すぎるようだ。
あの仕事がなかったら、何も考えずに当たり前のように冒険者を続けていたの違いない。
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水同士が激しくぶつかる音で俺は目を覚ました。
ザーというノイズが次第に意識の中で形になっていく。
どこだ…?
意識が自由になったと同時に、俺はいきなり目を見開いた。
やっぱり俺はバカだったらしい…そんな事をしたら光が網膜に突き刺さるに決まっている。
案の定、俺は一度開いた目を閉じてしまった。今度は慎重に恐る恐る目を開けてみた。
焦点が徐々に合い、俺の目には高くそびえる岩壁とその隙間に見える空が映る。
この地形はダングルフの涸れ谷だな…北グスタベルグの滝が涸れ谷の先へ落ちていることは知っている。ここ最近もこの奥にある石碑を写す為に足を運んだのだ。
しかし…まさか自分が落ちることになろうとは思ってもみなかった。
『あの滝から落ちてみたい、ってのはさ…バストゥークの冒険者達に共通する一種の憧れだよねぇ』
リンツァイスが昔言っていたことだ。その時はさっぱり意味がわからなかったが、実際に落ちてみた今となってはその気持ちはわからなくもない。
涸れ谷からこの場所へ来れば、例え地図を見ていても方向感覚はなくなってしまう。だから知識としては知っていても涸れ谷とあの滝の場所的な繋がりを実感することは難しい。
図らずも俺はしっかりと認識してしまった。なにか嬉しさのようなものはある。はるか上空にはあの橋がかかっていて、この瞳に映る空は確かにグスタベルグの空なのだ。
…だが、こんなのは一度だけでいいな。
その時、頭上から若い女の声が降ってきた。
「あ、気がつきましたね?」
そして、岩の隙間に見える空を捉えていた俺の視界に、ヒュームの若い女性の顔が飛び込んできた。
茶色の髪を首上あたりで切り揃えて、上の方の髪で少し束を作って結んでいる。
なかなか洒落た髪型だが、俺はその名前を知らない。
「息はしていましたし外傷もありませんでしたから、しばらく放っておいたのですが」
…そりゃ見事な判断だ。なんなのだ、この女は?
「君…は?」
起き上がろうとした俺だったが、脇腹に痛みが走った途端顔を思い切りしかめてしまった。
俺はあたりを見回すが、添え木になりそうなものはない。
「折れてるんですか?」
「そのようだ。参ったな…」
ため息をつきながら、俺は身体を元の位置に横たえた。
この方が幾分ましだ。
痛み止めも荷物の中には入っていたのだが、腰の脇の小さな荷物入れを見ればまだ水がたれて来ているのが分かる。
きっと水で濡れて溶け出してしまっているだろう。
油紙でも使って置けばよかったのだが。ほんの少しの怠慢が情けない結果を生む。
近頃一人で行動することがなかったし、バストゥークのごく近くだということもあり、明らかに油断していたのだ。
さて、どうしたものか。
憂鬱な気分でいた俺に、女の一言が降りかかってきた。
「私、治せますよ?」
「…白魔道士、冒険者か?」
なるほど。助かった。考えてみればこんな場所に来る一般人などいるわけがない。
「いえ。違います」
「なに!?」
「あ、冒険者というのは正しいです…今日までは」
「今日まで?」
「それはいいんですけど…」
よくはない。が、しかし。
「サポートジョブか?」
「いえ。違いますよ」
「詩人か?」
「違います」
「よもや…騎士だったり?」
「それも違いますね」
「…いい加減にしてくれないか?」
「そうですね」
彼女は首をちょっとかしげると、おもむろに詠い始めた。
魔法…だな、これは。
だがフェムヨノノのおかげで殆どの魔法の旋律を知ってる俺でも聞いたことがないメロディだった。
しばらくの詠唱の後、手を身体の前に突き出して歌い上げると…彼女の目の前に光の渦が発生していた。
それは徐々に大きくなり、ある程度の大きさになると消えてしまった。
だが、その後に現れたものは。
「光のエレメンタル!?」
なんだ!?今の詠唱で寄ってきたのか!?
しかしこんな場所で光のエレメンタルが発生した例なんか聞いたことがないぞ。
彼女はまだ俯いたままぶつぶつと呟いている。
気付いていないのか!?魔法を扱う人間が?
俺が無理やり体を起こそうとすると、激痛が走る。だがそんな事をいっている場合ではない。
「ぐ…」
その時、光の塊が破裂して…なぜか俺の脇腹の痛みは消えていた。
瞬間的にエレメンタルは掻き消えたように姿を消し、彼女がこちらを覗き込んでいた。
いったい何があったのか。
そしたらこの女、俺の顔を見てこう抜かしやがったのだ。
「おかしいですね。まだ痛いですか?そんなに顔歪ませちゃって可哀想…」
「今のは?」
「光の精霊の癒しの能力です」
「君は…いったい…?」
「さぁ?」
彼女ははぐらかすように微笑んだ。
「召喚士…か?」
最近ごく少数の冒険者達が過去に存在したというその能力を手に入れたらしい、ということは聞いている。
しかし俺は今まで会ったことがなかった。
冒険者が多く集まるジュノでも、召喚士という存在は非常に珍しい。
ところが、その女性はあっけらかんと俺の問いを否定してしまった。
「いいえ、違いますよ」
「しかし…精霊を呼び出すというのは…」
「召喚士が呼び出すのは主に幻獣です。幻獣はもちろん精霊の力を持ってはいますが精霊そのものの具現化ではありません」
「君の場合はどうなんだ?」
「私は、召喚士になることが出来なかった、ただの落ちこぼれです」
「…?」
俺が間抜けな顔をしているのがわかったのだろう。
「無理やり呼称すればエレメンタラー、精霊使い…というところでしょうか。まぁわかりやすく言えばエレメンタル専門の召喚士のようなもの…ですかね?」
「いや、俺に訊かれてもな。すまんが魔法に関してはとんと疎いんだ」
はっきり言って俺は混乱している。
召喚士と同じ能力を使うというのに、召喚士ではないらしい。
エレメンタル専門?どういうことだ?
だが、ゆっくり考えている暇はなかった。
グルル…という獰猛な声があたりに響いたからだ。しかも複数。
ゴブリンだ。
首だけ起こして周りを見ると…だいぶ寄ってきているではないか。
「おい、気がついているな?」
女に声をかける。
「ええ、戦えますか?なんなら私が囮になりますからその隙に逃げてもらえれば…」
…この女、何を言ってるんだ?
普通こういう状態で囮と言ったら俺の方だろう。
「これでもグスタベルグ周辺のゴブリンに後れを取るほど素人ではないからな。俺が囮になって君を逃がすというなら話はわかるが」
「見て判る通り私も戦うぐらいは出来ますから、その心配は要らないですよ」
「ならば二人で戦えばいいだけだ」
俺は体を起こして、なんとか立ち上がる。
全身に打ち身の後の鈍い痛みが残っている。
筋肉の損傷自体は光の精霊のケアルで治っているはずだが、それに反応して起きた炎症などは回復魔法だけではどうしようもない。しばらく後を引くのだ。
このような場合、フェムヨノノは代謝による治癒力を極端に高めるリジェネという強化魔法を使ってくれるのだが、残念ながら今はいない。
すぐさま自分の身に付けているものを確認する。
腰の後ろに交差に結びつけた手斧と受け流し用の短剣。
手斧の刃の後ろは鉤状になっていてソードブレイカーとして使える。そしてパリーングナイフという受け流しのための湾曲した形状を持った短剣。
だが、たかがそれだけだ。
手斧は鉈代りに持ち歩いていたが、投擲のためのバランスを取っているだけの小さなものだ。そしてこの種の短剣はもともと攻撃するためには使えない。
当たり前だが、さっきまで俺が振っていた氷の魔力を持った巨大な両手剣は見当たらなかった。
「…高かったんだがな」
俺は思わずため息をついてしまった。高かったというだけでなくかなり長い期間使ってきた愛剣だったのだ。
「は?」
「いや、なくしてしまった剣の事だ。氷の魔法が付与されているものなのだが」
「まぁ…」
一度目を丸くして、そのあと気の毒そうな哀れむような…そんな目で俺を見る女。
状況がわかっているのか?
「精霊使いだかなんだか知らんが、とりあえずエレメンタルの召喚と力の行使は出来るんだな?」
「そうですよ」
「武術の心得は?詠唱中に近接されたら何匹まで持ちこたえられる?」
俺は手斧と短剣を結び付けていたフックを外し両手に構えながら彼女に訊いた。
目はゴブリンの群れに向けたままだ。
「匹って呼び方よくないですよ?獣人だって」
「…そりゃ悪かった。で?」
「そうですね…持ちこたえるだけなら四、五人は」
「なんだと!?」
俺はギョッとしてしまう。いくらこいつらが弱いとは言え…。
そう言ってる間にゴブリン達は襲い掛かってきた。
俺は顔を正面に戻して、瞬間的にヤツらの数を把握する。戦士が三び…三人、短剣を持ってるシーフか赤魔道士か、そんなのが五人。
まず金属の鎧をつけた戦士のうちの一人が跳び上がった。その右手のロングソードが、俺の左肩口に振り下ろされる。
だがその剣速は遅い。少なくとも俺やリンツァイス、そしてフェムヨノノのような剣術をしっかり学んだ人間であれば、全く問題にならない速度だ。
身長のハンデを覆すために跳んだのだろうが…浅はかな考えだ。
俺は素早く左手を持ち上げ、逆手に構えた短剣の刃をロングソードの刃と直角か少し傾くぐらいに合わせ、短剣自体の湾曲を利用して肩の外側へ流してやった。
滑った剣のせいでそのゴブリンは空中で体勢を崩した。そのまま俺の身体への激突コースに入る。
無防備になった姿を逃さず、俺は受け流した左腕の動きを利用して、こちらに飛び込んでくるバカの喉元に肘を突き入れた。そのまま肩をぶつけ身体の左側へ弾き飛ばす。
そいつはゴフッと息を吐き出して、けたたましい鎧の音と供に地面に墜落した。
空中では姿勢制御が効かないしそこから加速することも出来ない。跳び上がるヤツはまさに鴨葱でしかないのだ。
まだ殺ってはいないが、これだけ数が多いととどめをさす時間も惜しい。どうせしばらくは呼吸もままならないはずだ。
すぐさま次の獲物に目を移す。さっきのヤツと同じロングソードを構えた戦士が二人。
さすがに目の前で跳び上がり挙句撃墜されたヤツを見ているものだから、二人で突きの姿勢を取ろうとしていた。
そうだ、この状況ではそのタイプの剣はそのように使うのが正しい。そして身長差がある分俺が防御しづらい胸か腹を狙うのがセオリーだ。
安易に跳んださっきのバカとは違い、その二匹は軸足をしっかりと踏みしめ両足分の二段階で加速をかけて剣先を突きつけてきた。
『ちぇすとぉ~!』などという叫びが聞こえてきそうな理想的な突きだ。
だが…まだまだ甘い。なぜ二人とも正面から攻撃するのだ?
俺は身体を少し左にずらした。
右腹に迫って来た方の剣先を手斧の後ろの鉤部分で引っ掛け、回転させ上向きの力をかけて柄を跳ね上げる。たまらずゴブリンは剣を手放した。
ロングソードは回転しながら空中に弧を描き、俺の五歩ほど後ろに突き刺さった。
そして左側の突きを左手の探検で外側にはじき出しておいてから、右手の斧を回転させた反動を使い一歩踏み出して、俺は左側のヤツの腹に蹴りを叩き込んだ。
金属鎧を着けているとは言え軽量なゴブリンは簡単に後ろに吹っ飛ぶ。そいつは岩にぶつかってそのまま崩れ落ちてくれた。
戦士のゴブリンは、既に武器を失った一人が残っているだけ。
「大丈夫か!?」
少し余裕が出た俺は、すぐ彼女の方に目をやったのだが。
女は…召喚らしい構えを止めたまま、ポケッとした顔で俺の方を見ているだけだった。
女だけではない、後ろの革鎧を着けたゴブリン達の動きも止まっている。マスクの下の目は点になっているのだろうか?
なんだ?俺が何か場違いなことでもしたのか!?
その必要もないのに、俺までギクっとして動きを止めてしまった。
全員が十秒ほど止まっていただろうか。
思い出したように後ろゴブリンの数人が魔法を詠唱し始めた。
輪唱のように重なっていて聞き取り辛いが…このメロディは…スリプルか!?
やはり黒魔道士か赤魔道士がいたようだ。まずい。自慢じゃないが俺は魔法抵抗力は殆ど持ち合わせていないんだ。
「おい!」
彼女がはっと気付いた様子で召喚の動作の続きを行った。前に構えていた両手を180度回転させる。彼女の目の前に瞬間的に渦が巻いて中から風のエレメンタルが飛び出した。
エレメンタルはそのまま詠唱を続けるゴブリン達の中に突っ込んでいって、一陣の風を巻き起こした。
旋律が止まる。いや、音を伝播させるはずの周囲の空気の流れが止まってしまったようだ。
ゴブリン達は口をパクパクさせるだけ。
なるほど。その一帯にサイレスを使わせたのか。
続いて彼女は氷のエレメンタルを呼び出す。実体化するや否やまたも突撃させて、今度はその周辺に氷の魔力を撒き散らした。
…パライズか。
この女、なかなか戦闘に慣れているようだ。
「今のうちです!逃げますよ!」
「なんだと!?」
逃げるだと?圧倒的にこちらが有利になったのにか?
「無用の殺生は避けるべきでしょう?あなたの闘い方を見ていてもそのような意思を感じました」
そう言うと彼女は駆け出した。
いや、俺のは止めを刺す時間が惜しかっただけなのだが。
文句を言いたかったが、既に彼女がだいぶ離れてしまったので、俺はしょうがなく彼女の後を追った。
ゴブリン達は必死に追ってくるが、やはり麻痺が効いているのだろう。走り出そうとして転んだりしている。聴覚を遮断されているからそのまま蹴っ躓いて連鎖反応で将棋倒しになったり…なかなかの見物だ。ゆっくり見物できる時間がないのが残念といえば残念というところか。
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しばらく走り、俺達はゴブリン達の目が届かない岩の隙間へ滑り込んだ。
ゴブリンの嗅覚はそれほど強くはない。見えなければ追ってこられることもないだろう。
俺は腰をおろし岩壁に寄りかかった。女も息を吐いて俺の前へ腰をおろした。
「巻いたようですね?」
「そのようだ。すまんがしばらく休ませてくれ」
腕と足が重い。炎症の反応が収まるまでしばらく体を休めた方がいいだろう。傷自体は治っているのだから、しばらく放っておけばいい。
俺は剣術の習得過程で俺はそのような知識も学んでいたのだ。
道場では戦闘技術を学ぶだけではない。そのような身体についての知識も、武術にとっては非常に重要だ。身体構造を熟知しているかどうかでその人間の力量が決まると言ってもいいぐらいだ。特に対人戦においてそれは顕著に現れる。
「さっきの戦いを見ると、あなたは随分お強いのですね?」
女が問い掛けてくる。俺は頭を振りながら答えた。
「別にそんなことはない。長くやってるだけだ。幸い寿命に恵まれているんでな」
そのせいで心の成長は遅いわけだ。
「あなたのような戦い方をする人は初めて見ました」
なるほど。剣を使う人間と一緒に戦ったことがないわけはないだろうに、俺の戦い方を見て彼女がボケッとしてしまった理由がわかった。
つまり、彼女は正真正銘の冒険者なのだ。俺の使う対人戦をベースにして体系化された道場の剣術を見たことがなかったのだろう。
「それに魔法には疎いとおっしゃっていましたが、結構お詳しいようですね」
「他の人間が魔法を使う状況における瞬間的な判断に慣れてしまっただけだ。大体はそういうものだろう。魔法の原理やらはさっぱり知らんさ」
あいつらと行動していると毎度思うのだが、フェムヨノノは自分以外に魔法を使える人間がいるという状況に慣れていない。だからあの二人は自分達のペースを押し通そうとする。
どうにかならんもんだろうか。
俺がそんなことを考えていた所に、声が割って入ってきた。
「…てこんな所へ?」
「ああ、すまない。なんだ?」
「どうしてこんな所へ?」
嫌な質問だ。
「見れば判っただろうが、足を滑らせて川に落ちてしまって流されたというわけだ。なにかあって涸れ谷に来たわけじゃない」
「まぁ…お間抜けな話ですね」
痛いところをついてくる。確かに大間抜けな話だ。
「君も冒険者になったばかりというわけじゃなさそうだな?用もないだろうに、どうしてこんな所にいた?」
今度は俺が疑問をぶつけてみる。
精霊使いだかなんだか知らないが、そこそこ経験をつんだ冒険者はジュノを拠点に活動する。初心者やよほどの変わり者ならいざ知らず、この女が涸れ谷に赴く用事など殆どないはずだ。
「そうですね…静かな時を過ごしたかったんです。思い出の地で」
どこか遠くを見るような眼をしながら女は言った。
わけが分からないが、俺は疑問を発することをやめる。
誰にでもそのようなことはあるものだ。
硫黄臭い風が岩壁を伝って走ってきた。
思えば冒険者に成りたてのころは、ここや涸れ谷の入り口でモンスターを相手に鍛錬を繰り返したものだ。
「…ある人の言葉がきっかけで私は召喚士になろうとしていました。けれどもなれなかった」
懐かしい匂いに促されたのか、女が語り始めた。
行きずりの関係だが、俺はこういうのには慣れている。ジュノに居ればそれまで全く知らなかった人間と二、三日いっしょに行動するのも日常茶飯事だ。
回復するまでの間話を聞くのもいいだろう。
「やはり難しいのか?」
「彼ら…彼女らでしょうか?ともかくたくさんの幻獣に会いました。でも彼らは私に力で屈服させられることを望んでいたのです。でも私にはそれは出来ませんでした」
「すまんが、そこら辺は詳しくないな。召喚士とはそういうものなのか?」
「ええ。幻獣を召喚するためには彼らと契約を結ばなければなりません。その為には彼らと戦い力を見せつける必要があるのです」
またなんとも厄介な話だ。俺は幻獣などと呼ばれるモンスターと戦ったことはない。
だが神話の中にその名前が出てくるような連中だ。さすがに強いのだろう。
それにしても…
「出来なかったというのはどういうことだ?勝てなかったということか?」
「いえ…仲間達の力も借りていましたし…」
「?」
「あなたも多分私の名前を聞いたことがあると思いますが、私も一応英雄と呼ばれる人間ですから」
「ほう、君の名前は?」
俺は多少興味を持った。顔こそ知らないが話には聞いたことがあるかもしれない。
考えてみれば、さっき逃げた時も息切れひとつしてなかった。それは肉体的にもかなり強いということだ。
ところが彼女は多少寂しげな顔をして微笑んだ。
「いえ、言わないでおきましょう」
そう言われてしまえば無理に訊くことも出来ない。
彼女が続ける。
「私は力による契約などというもので、自分と幻獣の関係を縛りたくなかったんです。例えそこから心の絆が生まれることになろうとも前提にあるのは力の関係です。そんなものはお互いに不幸を生むだけだと私は思いました」
彼女の言うことは、俺にはさっぱりわからない。
だが…どこかで聞いたような話だ。
「最初に一度だけ幻獣と契約しました。彼とは戦って契約したわけではなかったので。だけどその彼と幻獣を巡る旅をしている間に気がついたんです。だから私は彼との契約すら一方的に打ち切りました」
そんなことが可能なのだろうか?
「彼に背を向けたとき、彼の意思が飛び込んできました。『君はいつか消えてしまうんじゃないかってずっと思ってた…そして本当に僕の前から消えてしまうんだね…』って。
でも、私は自分の意志を貫くために振り返ることが出来ませんでした」
そうか。ファピナナに似ているのか。
意図しない苦笑が出てしまう。
「どうしたのです?」
「いや、俺の仲間にも、一人君と同じようなやつがいる」
「私と同じ?」
「そうだ、なんでも一生懸命考える。そのくせどこか達観してるんだ。奇妙なヤツだ」
「はぁ…私が達観していると?」
不思議そうな顔で俺の顔を見る女。
「俺にとっては…そうだな。そいつも大事な仲間との別れを淡々と語っていた。お互いが成長するためだと割り切った別れだったようだ」
「なにか冷血漢みたいな言われ方ですね?」
俺は首を振った。
「割り切ると言うと違うな…別れを決意することが出来る、そういう心の大きさというのかな。それを君にも感じた」
本音を言えば羨ましいのだ。
そんな羨望の気持ちに後押しされ、俺は少し訊いてみることにした。
「どうしたらそういう風になれる?」
「私みたいに、と言うことですか?」
彼女は不思議そうな顔で俺を見る。
「うむ、なにか強さのようなものを感じるのだ。君や俺が話した仲間にはな」
しばらく考え込むような素振りをした後、彼女は俺の目を見て問い掛けてきた。
こうやって、しっかりと目を合わせられるというのも、強さの現れなのではないか?
「あなたは、今何を為そうとしています?」
質問で返される。ちょっと戸惑いながらも俺は素直に答えた。
「ガルカの歴史を追い、そして自分が何を為すべきか考えようとしている所だな。さっきも鉱山開拓の記念碑に花を捧げに行ったのだ」
「記念碑…ですか?」
「開拓に携わった者の名前が刻まれていて、ヒュームの名前の中に一人だけガルカの名前が混じっている。その彼や仲間のヒューム達の想いを知りたいと思ってな。しばらく向き合っていた」
「それでどうでした?」
俺は苦笑しながら答える。
「結局俺は浅はかなのかもしれん。魔法がかけられているわけでもないただの石に…」
とそこまで言ったとき彼女が微笑みながら首を振った。
「そこには確かに想いが刻まれているのだと思いますよ」
「ん?その石碑には、そういう魔法がかけられているということか?」
きっかけとなったミッションの石のようにか?
「違います。魔法なんてあってもなくても同じなんですよ。何かを感じ取れるかどうかは、結局それを受け止めた人が、自分に照らし合わせて考えられるかと言うことです」
おれはひとつため息をつく。
「すまんが判らんな」
「ではあなたのことを考えてみてください。ガルカの冒険者は少ないですよね?行きずりのパーティでは自分一人ということが多々あると思います」
「それはそうだな」
「あなたと同じ目的で行動している親しい仲間の中では?」
リンツァイス、フェムヨノノ、ファピナナ、そしてこの間から協力してくれているイー・キノエとサンドリアの司書官。
「…俺一人だ」
なるほどな…自分に照らし合わせるというのはそういうことか。
「それがわかれば、きっとあなたは石碑に刻まれた想いを受け止めることが出来るはずです」
更に彼女は続けた。
「想いを伝える魔法なんて存在しないんです。でも、だからこそ私達は想いを込めて後に残る石に刻むのだと思いますよ?」
「…それで?なぜそれが強さにつながると?」
「私は弱い人間ですけど…」
彼女ははにかむようにしたが、しっかりとした口調で続けた。
「もし私が強く見えると言うのであれば、それは私が残したい大事な想いを持っているからだと思います。あなたの話に出てきた方もそうなのでしょう」
俺は黙った。
彼女もそのまま何も言わず、岩の隙間に映る空を見上げていたようだ。
何か話したほうがいいかと思ったが、結局そのまま結構な時間が過ぎていった。
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そろそろいいだろうか。
腕を一度振ってそこに重みがないことを確認すると、俺は立ち上がった。
「助かった。君が回復魔法を使ってくれたから、炎症の回復だけですんだ」
「…お互い様ですよ。いい話も聞けましたし」
「俺はいい事は何も語っていないと思うが?」
「そんなことはありません。あなたのような想いを理解しよう、想いを繋ごうとする人が居ることが嬉しかったです」
「…?」
俺がわけがわからないで居ると、
「あなたのお名前は?」
そんなことを訊いてきた。考えてみれば名乗ってなかったな。
「スカイリッパーだ」
「それはヒュームに付けられた名前ですよね?本当のお名前は?」
「ああそっちか。俺の本当の名前は、ナハ…」
俺は言いかけて思い留まった。
「いや、多くの人の想いが込められて名付けられたものだ。君に言わせれば想いが刻まれているということか?…だからスカイリッパーも本当の名前だ」
そうだ。本名を知っているはずのあいつらも、俺をスカイリッパーと呼ぶ。そこには何かしらの思いが込められているはずだ。
それがガルカへの迫害だと言いたいなら勝手に言っていろ。だが込められた想いを理解してくれる人間も居るはずだ。
俺の答えを聞いて彼女は微笑んだようだ。
そして後ろで手を組んだままくるっとターンをして俺に背を向けた。
「最後でしたから…昨日と今日は誰にも会うつもりはなかったのですけどね」
ふふっと笑う彼女。
「最後?」
もういい加減、俺にはわからない発言には慣れてきたと思ったが、それでもやはり訊き返してしまった。
彼女はもう一度こちらを向く。
「最後にあなたのような人と会えてよかったと思います」
やはり意味不明だ。
「あれを」
そう言った彼女の視線を辿ると…
そこには額にルビーが埋め込まれた奇妙な動物が、優しげなヒュームの女性の傍に寄り添っているレリーフが岩に大きく刻まれていた。
そしてその女性の顔は。
俺は驚き、脇を見た。しかし、そこには誰もいなかった。
今さっきまで俺の後ろにいたはずの女性。それがいない。
「そんな馬鹿な!?」
いきなりぷつりと気配が切れてしまったのだ。
俺だってかなりの年月武術を学んできた。だから人の気配には敏感なはずなのだが残り香すらない。本当に人間一人が消えてしまった。
どうなっているのだ?
もしかしたら彼女は思い出の地にこれを刻むために来ていたのだろうか?
そう考えればオカルトではなくなるが、彼女が消えてしまったのは確かだ。
それに失礼な話ではあるが、彼女が彫ったとはとても思えないようなリアルなレリーフだ。
『君はいつか消えてしまうんじゃないかってずっと思ってた…そして本当に僕の前から消えてしまうんだね…』
彼女が『彼』から言われたという言葉が頭をよぎる。
そして俺の前からも姿を消してしまった。
いや…あの奇妙な動物が彼女が唯一契約した幻獣だとしたら…彼女は彼のもとへ帰ったのかもしれない。
レリーフの中の彼女は優しげで、幻獣も心なしか幸せそうに見える。
力で幻獣達を従わせることを拒否した彼女。その為に唯一心を通わした幻獣と別れることになった彼女。
しばらくボーっと岩壁を見つめるうちに、だんだん心が温まっていくのを感じた。
刻まれた想いを受け止めるというのはこういうことなのだろうか?
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俺は一度涸れ谷の外へ出て近くに咲いていた花を摘んで戻ると、そのレリーフの前に捧げた。
彼女が死んだと言うわけではないだろうから、縁起でもないと怒られるかもしれない。
だが、俺の心に何かを与えてくれた、そしてこれからこの岩壁を見る人間に何かを与えてくれる礼のようなものとして、俺はそうしたのだ。
そして俺の名前を想いを込めて呼んでくれる連中のところへ帰るために、バストゥークの城門へ向けて俺は歩き出した。