それぞれの戦い - 追われる者達

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天の塔からの帰り道、雑踏に見知った顔を見かけて、私の心臓は一瞬にして縮み上がった。締め付けられるような感覚。
カハッと喉の奥を締め上げられたような声が出てしまった。

「イー・キノエ君、どうした?」
この先生は、人と喋る時、その言葉の前に噛み締めるように相手の名前を入れることが多い。
ねえさんは気付いてるのか? いや、子供の頃からずっと慣れ親しんできた師匠だからな。慣れてしまって気付くとかそういう状態ではないのかもしれないが。

「いや、なんでもないさ、先生さん」
私はそれに頭を振って答える。
人の良い魔法研究者は、眉をぴくっと動かした後、
「そうか…ならいいんだけど」
そう言って、すたすた先へ歩いていってしまった。

くそったれが。
私は私の目的に従って旅をする。
今の私の目的は、ねえさんと兄ちゃん…フェムヨノノ師とリンツァイスの行方を見定める事だ。
自由の民、それが私達ミスラに冠せられる称号だったはずだ。
だが、実際は自由ではない。
族長という制度が成り立ち、その人物がトップに居る以上、自由の民などというものは名前だけでしかないのだ。
ウィンダスのタルタルの星の神子、サンドリアの王族と同じだ。
族長本人にその気がなくても、その周辺の人間が制度自体を守ろうとする。
いや、周辺の人間じゃない。制度自体の自己防御能力ってところか。
確かに一族自体は自由であるかもしれないが、その構成員に自由はないのだ。

それはどこでも一緒だろう。

抜け忍と呼ばれる制度が、東の大陸の国にはあるらしい。
それは伝統的なニンジャのコミュニティを守るためのもので、組織から抜け出そうとする者は絶対に許さない。

だが、このヴァナ・ディールでそれを受け継いだのはノーグだ。ノーグではニンジャとサムライは同等の戦闘員として扱われる。
ニンジャだけでなくサムライにも適用されるという事だ。
つまり、ノーグで教育を受けた者は全て、ノーグと言う組織に反旗を翻す事を許されていない。

私は、ウィンダスミスラの族長の意思でカザムへ派遣され、さらにノーグへ飛ばされた、という経歴を持つ。
二人の族長は私の将来のためだなんて言うのかもな。たしかに私はニンジャとしての能力をノーグで得る事が出来た。
生まれた時からミスラの中で鍛えられてきた狩人の能力、ウィンダスで教育を受けた街中で情報収集をするためのシーフとしての能力。その過程で冒険者登録をしその恩恵を受けた。
それに加え、戦闘面や隠密行動面を強化するためのニンジャの能力。
それらの能力は私にとって、貴重なものだとわかっちゃいる。
だが…実際の所、二人の族長の狙いはそんなところにはなかったはずさ。

ウィンダスの族長にとってはカザムとのコネクションを作るため、カザムの族長にとってはノーグとのコネクションを強化するため。
なんともはや、本人の為だと言いつつ、その裏には命令した本人の自己利益が多分に含まれているわけだ。

そう。私は実質的な抜け忍さ。
サンドリアに忍び込んだはずが、何の因果か捕まってしまって、それを助けてくれるというエルヴァーンの司書官にすがってしまった。自分の命惜しさに。
エレノアは、本当の私なんざ知らないだろう。
いくらあの女が恐ろしい能力を持った官僚とはいえ、専門家の私がそんな事を悟られるわけがないからな。

だが、そんな事はノーグの連中にとっては関係ない。
やつらは相手が誰だろうが、追ってくる…地の果てまでも、時の果てまでも。

考えてみれば、エレノアの懐から出て私自身が主体として動くのは久しぶりだった。
勘が鈍っていたのか、そこを気付かれたわけだ。

「先生さん、先に帰ってくれ。ちょいと用事が出来た」
前を歩く小さな存在に声をかける。
「ん? …わかった」
さすがに察しがいい元冒険者だ。
ビルルホルル師は立ち止まって、私を一度見上げたんだが、一瞬の後納得したような顔になって歩いていった。行く先は巻き込んだ挙句に間借りしているバストゥーク領事館だろう。
あそこの総領事も気の毒なこった。

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さて…。
私は角を曲がると、人影のないところへ歩く、というか後ろについてきているヤツを誘導する。
ここは森の区だ。もともと私が生まれて少女時代(笑うな、そこ!)をすごした場所。土地勘はあるし普通のやつらが知らないような場所だって知ってる。
行く先は手の院の裏。人は少ないし、間違っても子供は来ない。
ミスラの子供達は実はカーディアンに苦手意識があったりする。タルタルにいい感情を抱いていない親達は『魂を取って食われる』なんて実しやかに脅かすからだ。

ごく狭い空間だが…相手もきっちり私の目の前にたどり着いてくれた。
ひょろりとしたエルヴァーンの男と対峙する。
既に左腰の長物の柄に手をかけながら、腰を半分落としていた。
「おいおい、挨拶ぐらいしようぜ?」
いきなりそんな気になれるかい。そう思って声をかけてみたのだが、答えはそっけない。
「お主、自らの行く末はわかっているな?」
こんな状態なのに、私はその言葉遣いに悲しさを感じてしまった。
「…つまりあんたはノーグの仕事をこなす立場として、私に会ったってことかい?」
私の眉は歪んでいるだろう。しかもその歪みは八の字だ。
「…」
答えない男。

刹那、私は後ろに飛びのいた。
避けた時に残してきたらしい、私の髪が一本、ハラリと真っ二つになったのが目視できた。

居合…
『切る』ことを主眼に置いた曲刀、細身で剣先までほぼ一定の幅、しかも片手で使うには長く両手で使うには短めの中途半端な長さ、余りにもセオリーから外れたカタナという武器の、独特の技だ。
鞘内部を走らせて剣速を増すなんざ、例え片刃であってもヴァナ・ディールの普通の剣からは考えられない。

ピクリと男が眉を吊り上げる。自分自身に驚いているのか?
なんだ、コイツ…まだアレなんじゃないか。
その事実がわかって、私はほっとしたような気になる。あっちにしてみれば、なんとも勝手な言い草なんだが。
「あんたさ、剣に迷いがあるな」
「…」
目の前の男は、未だに残心の姿勢を取り続けている。しかも答えない。
「どしたい? やると決めたんじゃないのかい?」
声をかけてみるが、まだ下を向いたままだった。

しょうがない。私は長いため息を一つ。
「私としても、あんたに殺されるのだけは願い下げだけどな」
そう言って私は両腰に吊るしておいた武器に手を伸ばす。こちらの鞘は革製だ。音もなく右手に片手剣、左手に大型のナイフを抜き放った。
片手剣は、ミンダルシア、クォン両大陸で普通に使われている諸刃の直刀。ロングソードに比べれば短めだが、グラディウスなどの広刃の突剣に比べれば長めの、まぁ極々普通のタイプの剣。
ナイフは…これはウィンダスの族長から受け取った狩人の印だ。ある意味これによって私は縛られていると言っていいのかもしれないが。

対して男のカタナは、見目ではっきりと判る業物。刃紋の出方がとても綺麗だが、私はそのカタナを知らなかった。
「へぇ…カタナが変わったんだね。誰かからの賜りものかい?」

黙っていたはずの男が、やっと答えてくれた。
「お主も知っておるだろうよ。首領の脇を固めるあのお方だ」
「って事は認められたわけか。それじゃそれはあんたのカタナなんだな…おめでとうよ」
皮肉ではなく本心だ。
東方の大陸の文化とはまた違った、このヴァナ・ディールでのカタナの在り方。

瞬間、二人で目を見合わせた。どのぐらいの時間だっただろうか。
ほんの短いうちに、男の目の色が移り変わっていくのが見えた。
つまり、感情が移り変わっているって事だろ。
それを見ているこっちが切なくなりそうだ。だからそんな目をするのはやめてくれ。

「では…参る。覚悟せよ」
目をそらし、ふっとため息をついて男は左上段に構えた。目は無表情に戻っていた。
その構えをみて、あたしもため息が出てしまう。
「しょうがないね…まぁいいさ」
私も腰を落として構えた。
「でもな、さっき言った通りな、あんたにだけは殺されたくないんだよ」
それを宣言する。宣言しておかなければならなかった。

二人して構えて、ぴたりと止る。

間合いは向こうのほうが広い。
一足一刀、つまり一動作で相手を必殺できる距離のことを間合いという。
通常の直剣の両手剣の場合、間合いは広いが懐に入られると弱い。つまり有効射程はドーナツ状になっている。槍などのポールウェポンも同様だ。
これは、武術だけの戦いならば全く問題にならない。ある程度のレベルに達した人間が有効射程内で繰り出す反応速度は、ある意味物理法則を凌駕しているからだ。
自分の間合いに侵入してきたのがただの一撃ならば、ほぼ確実に叩き落す事が可能。だからこそ戦いでは相手の予測の裏をつく事を主眼に置くわけだ。

しかしこの世界には一撃を避わすためだけの魔法や術という存在がある。
迎撃の初段が避けられる事が確定すれば、武器の最大到達距離が長いだけでは有効範囲はかえって狭くなってしまうわけだな。
だからねえさんのような剣士としてはそれ程ではない人間にも、武術の達人に対して付け入る余地がある。この間の砂漠ではいいものを見せてもらった。
しかし両手剣より短く軽いカタナはその有効範囲が異様なまでに広い。体全体を使う事で、間合いを広げているのだ。
絶妙のバランスとでも言うべきか…とにかくこの武器は恐ろしい。

対して私の方は短めの片手剣とナイフ。これは完全に懐に飛び込むためのものだ。この状況、まさか弓を使うわけにもいかないしな。
間合いの到達距離の関係上、有効射程に捕らえる時間は向こうの方が有利だが、ただし、その分防御姿勢を取るのはこちらが早い。
つまりこちらも二刀流を使う事で間合いの有効範囲を広げているというわけだ。

今は、こちらの片手剣の間合いの先と相手のカタナの間合いの先がギリギリのところで掠れている。
まるで神経を掠らせているような…そんなもどかしさ。
お互いの領域が微妙に触れ合う度に相手の呼吸が伝わって、懐かしい感覚が蘇ってきた。
ああ、やっぱりコイツはコイツだな。呆れるぐらいお人好しだ。
それに安心する私だ。

…動く。
私と男の位置が一瞬にして入れ替わった。

「やっぱりさ、あんたにゃ無理なんじゃないかい?」
男はまたしても私をしとめそこなっていた。

空蝉の術なんぞを使おうとしても、その瞬間にやられただろう。だからこれは純粋に近接戦闘技術だけの戦いだったのだが。
向こうは頬に一筋傷が走っている。
私の方は、耳の毛を多少もってかれた。ミスラ女性のおしゃれの象徴がちょいと虎刈りになってしまったが、まぁいいさ。
私は髪は直毛だが耳の毛は癖が強いからあまり櫛は入れないし、それほど気にしない…事にしておこう。

はっきり言うならば、この男は私より強い。しかし…この有様だ。
「情けないとは思わないよ。私があんたの立場でも同じようになっただろうさ。でもな、今は迷いがない分私の方が有利だ」
自分でも驚くほどあっけらかんとした言葉に対して、
「迷いがないだと? 罪悪感なども感じぬと言うか?」
男は驚愕したような顔だ…んな顔するな。
「そうさ。別に私の中ではあんた達を裏切ったつもりはないね」
「しかし実際に連絡は途絶え、お主はこうして得体の知れぬ者に同行し、このような場所にいるではないか」
「ちょっとしたトラブルに巻き込まれてな。そうせざるを得なくなったわけさ。今はサンドリアの司書官の監視を受けている身でね。拷問にでもかけられてサンドリア政府にノーグの事が伝わっちゃまずいだろ?」
「その時は…」
「まさか自決しろなんて、前時代的なことは言わないだろうね?」
私はニヤリとしながら、皮肉っぽく言う。
「う…」
エルヴァーンは言葉に詰まってしまったようだ。
昔はそうだったらしいが、今の首領はそんな事は言わない。かと言って命を大事にとか、そういうのではないことは、この男に与えられた役割を見ても判る。
ノーグの裏の事情が漏れない事が第一条件ってわけだ。それに反しない限り…
「私は、出来るだけ生還せよって教わったんだがな?」

つまり、単純に新規の教育にかける金も時間ももったいないというだけのことだ。
どこもかしこも人手不足だからな…冒険者が持て囃されるのも頷ける話だ。
冒険者ってのは国やノーグのような組織にとっては、名誉だけで雇える使い捨て可能な予備戦力というわけだ。
勝手に訓練して勝手に育ってくれる、その結果獣人は駆逐されるし街道の治安も良くなる。先の大戦で世界を恐怖のどん底に叩き落した闇の王でさえ、あっさりと倒してくれた。
ちょっと予算を割いて保護しただけでこの結果だ。国への見返りは相当にでかい。本当に便利な存在なわけさ。

「どうだい? 私の事、首領に伝えてくれるかい?」
今大事なのはこれだ。とりあえずの間だけでも、いきなり闇討ちされて殺されるなんて事はない方がいい。
その後の事は…まぁねえさんの件が片付いたら考えるとするさ。
「拙者はお主に関しての判断を任されている」
なるほど…さすが首領だ。部下にはきちんとした権限を与え、その上で掌握する。
「なら、あんたへのお願いさ」
「…明日再度見まえよう。その時に判断を伝える」
「判断が遅いな。そんなんでノーグでやっていけてるのかい?」
「言っておくが人手はすぐに揃えられる」
「なら安心だな」
これは皮肉。
「いやさね、心配してたんだよ。あんたの事はね…ずっと」
こっちは本心。

男はそれには答えず、カタナを腰の鞘に戻すとくるりと私に背を向けた。
私はもっと話したかったんだけどな、その背中には拒否の意思が見えていたから諦めざるを得なかった。

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私はこの国には自分の部屋を持っていない。
奇妙に思われるかも知れないが、元は実家があったし、ここで修行をしていた時は殆ど合宿状態だったから、登録時に部屋を要求しなかったのだ。
実際の所、ねえさんや兄ちゃんみたいな登録を機に実家から離れるという人間は滅多にいない。
なにせ殆ど出ずっぱりの生活をするわけだから、せめて自分の国に帰ったときぐらい実家でのんびりしたいじゃないか。

私は居住区で部屋をレンタルする権利自体は持ってるから、そうする事も出来るんだが、私もビルルホルル師と一緒にバストゥーク領事館へ居着いていた。
一応彼に雇われたわけだから、お付みたいなもんだ。ウィンダス籍を持っていることは、この際問題にならない。考えたくはないが、ビルルホルル師が襲われる事だってあるかもしれないからな。
居付いているとは言っても、さすがに公務をする建物じゃなく、その裏手にあるゲストハウスだ。
どこの国でも、出先機関にはゲストハウスを持ってることが多い。アウトポストなんかはその典型だが、アレとは違いこっちはきちんとした国有の建物だ。宿屋並かそれ以上のクラス。

木の床の上に敷いた籐の敷物に胡座をかいて、体重を後ろに傾けて、組んだ足の先を手でつまんで持ち上げる。んで体全体をぶらぶら揺すってみた。
前にビルルホルル師の書斎で考え込んでた時にもやってしまったのだが、『奇妙且つ器用な体勢よね』なんてねえさんには言われたもんだ。

「イー・キノエ君…キミさ、なに落ち着かないような素振りしてるの?」
座卓に向かって天の塔に対しての書状…つまり脅迫文をしたためていたビルルホルル先生が、背伸びをしたついでに私の方を見て、そんな事を言った。
んでも、問い掛けた本人は私の答えも待たずに、すぐさま書き物に戻ってしまった…なんなんだ?

「ああ…先生さん、あんたさ、昔は信頼出来る味方だったヤツが敵になった、って経験をしたことがあるかい?」
「ふーん、そんな事か」
気のない返事が返ってくる。
「いや、私にとっては重要な事なのさ」
その返事は、ちょっとばかりイラツクものがあったが、とりあえずそう返しておく。
明日…どうしたもんだか。

さっきならヤツを殺す事も出来たんだけどな…なんで私はやらなかったかな? ヤツの言ったとおり明日は確実に私を殺れる布陣で来るだろう。
とりあえずの理由としては、ヤツを殺したとしても、そしたら今度は本当に私はノーグの敵になっちまうって事だが…。
ビルルホルル師は、相変わらずこちらを見ない。

「…あるよ、もちろん」
「あ、そうなのか…って、おい!?」
あまりにもあっさりとした声音で質問への肯定が出てきたもんだから、一瞬そのまま納得しそうになってしまった。
「ボクも元冒険者だし、その当時は今みたいに制度がきっちりしていなかった。殆どがごろつきみたいなモノだったからね…ごく当たり前の事だったんだよ」
先の大戦前はそういう時代もあったわけだ。なるほど。
今でこそ冒険者同士で表立って争う事なんざ殆どないが、それはそうする必要がないからだ。
食い詰める前に国のミッションを受ければ当座の食費ぐらいは稼ぐ事が出来る。居住費はタダだ。装備に関してはランクに応じて官給品がある。
おまけに勝手に予備役軍人のような立場にされてるもんだから、本当に食えなくなったらすぐにでも軍に志願すりゃいい。その権利があるってこった。
昔は国の助けもなく、日々の生活でさえ生きるか死ぬかを当たり前のようにやっていた時代だったわけだから、自分以外はみんな敵みたいなもんだったんだろう。

「先生さん、あんた、その時どうした?」
「そうだね…難しかったけど、僕はきちんと話そうとしたね」

私はあっけにとられてしまった。
「…それが出来りゃ苦労しないさ」
「そうかな?」
手を動かして書き物を続けながら、喋りも続けるビルルホルル師だ。
私は何をバカな事を、と、それを切り捨てようと
「そうだよ。今の私のは…」
言いかけたのだが、遮られた。
「イー・キノエ君、君は本気でそうしようとしてなかっただけなんじゃないの?」
私は絶句する。
「んな事は…」
しばらく努力して、やっと声を搾り出したのだが…まったくこの先生さんは。
「無駄かな? 決してそんなことはないと思うよ。要するに、君の意志の強さが相手の壁を突破できるかどうかだ。話すっていうのは、命をかけて全ての能力を使って、自分の想いを伝える事だよね」
またもや努力を遮ってくれるのさ。

「んー…」
私の本当の想いがなにかっつったら、それはもう決まってる。だから私の剣には迷いがなかった。あの男にすら勝てると確信できたほどに。
だけど、それは今の状況を突破することは繋がらない。どうやって…やっぱり先生さんの言う通りしかないのかもしれないな。
けど、問題は。
私にそれが出来るのか?

「むむむ…」
また胡座で足を持ち上げ身体を後ろに倒す姿勢になってみる。ぶらぶら身体を揺らしながら考える。

「キミ…なかなか器用だね?」
「おうわ!?」
ビルルホルル師がこっちも見ないでそんな事を突然言うもんだから、考え事の最中だった私は驚いて後ろにひっくり返ってしまったのだ。

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頭の中で色々な想いを転がしているうちに、朝を迎えてしまった私だ。
アイデアは一つ思い浮かんだが、それが通用するという保証はない。

寝床から起き上がって、直後隣室のビルルホルル師の様子を見に行った。
先生さんはまだぐっすり寝てるようだし、当たり前だが襲撃もないようだ。
今ここに泊まっているのは私とビルルホルル師だけだから、狙い目といえばその通り。しかし、バストゥークのゲストハウスに襲撃をかけるなんて馬鹿な真似は、アイツに限ってはしないだろう。

さて…どうしたもんか。
まぁどこに居ても一緒か。そう判断して、私は朝靄の港区へ歩いて出た。
靄の向こうに漁師ギルドの明かりが見えた。既に一仕事終えた後のようだ。連中の朝は早い…というか早すぎる。その分昼間は暇だ。
それに対して、目の前の口の院は、本当に静まり返っていた。
いや、これが正常だ。この院がこんな朝早くから活気があるような事態になったとしたら、それこそ大事だ。
ヴァナ・ディール全ての国を巻き込んでの戦争とか、そのぐらいのはずだから。

飛空挺乗り場でも眺めてくるかと思い立ち、足を西の方へ向けた。
夏とは言え朝間はかえって気温が低く感じる。そのせいで霧が濃いのだ。ちょっと先が見えないなんてほどじゃないが、10歩ほど先になるとだいぶ辛くなってくる。
太陽が照り始めれば、霧はあっという間に消え去ってしまうだろう。

途中、釣り竿を抱えた漁師風のタルタルとすれ違いざまに軽く挨拶をした。
朝食を家で食べて、これから桟橋につながれてる船の上で、釣り糸を垂れながら昼食まで寝っ転がる、ってなプランを頭の中に思い描いてるに違いない。
「毎朝ご苦労なこったね?」
「いやいや、ここからは自堕落に昼寝だからね」
…当たりだ。

のんびりとギルドの方へ歩いていくタルタルの後姿を、私はそのまま立ち止まって見送った。
既に気配があったからだ。
そちらを振り向かず、声をかける。
「あんたも朝早くからご苦労さんだ」
「お主がこれ程までに早起きになっているとは思わなんだ。以前は…」
「お、おい!」
私は慌てて振り返ってそれを遮る。
確かに昔もこの時間に比べれば遅かったが、それでも職業柄それなりに緊張感を持って生活していたから、今の生活よりも早かったはずだ。
「…今日は特別さ。普段はあのタルタルのようにもっと自堕落に生きてる」
「自堕落…か?」
エルヴァーンの男はいかぶしげに、ピクリと眉を動かす。
「そう。こう言っちゃなんだが、ノーグに居たときに比べてひどく落ち着いた生活をしてるわけだ」
「…」
男は黙っている。
「精神的にも安定していると言っていい。 …きちんと話がしたい、あんたと」

一気に周りに殺気が張り詰めた。
何層にも多重に張り巡らされた殺気に、一気に押しつぶされそうになる。何人だ?
「なるほど。すぐにでも人が集められるってのは本当だったわけだな。出世したもんだね」
「まさか虚勢と捉えていたわけではあるまい?」
「あんたがそんなタイプじゃない事は、私は良く知ってる。とりあえず、話、聞いてくれるのかい?」

殺気の層を貫いて、他のよりも遥かに鋭い視線が私を射抜いた。
その視線からは、何故か懐かしさのようなものを強く感じてしまう。一つ言葉を間違えたり、何か下手な動きをすりゃあっという間に私の首は宙を舞う状況だろうに…私ゃマゾか?

その視線にやられないように気を振り起こすと、私は喋り始めた。
「私が今やっていることだが…」
「ん? お主の離反の経緯ではないのか?」
「まぁ聞いてくれ。今私はな、英雄を解き放つ人間を支援している」
「その人物が『紙切れ束の蒐集者』か。バストゥークのフェムヨノノ師、だな?」
「ねえさん、そんな風に呼ばれてるのか」
私は呆れ顔になってしまう。ねえさんの二つ名なんて知らなかった。てか本人も知らないんじゃないか、それ? 
しかし、失われた魔法や知識に関する貴重な書物のはずなのに、『紙切れの束』なんて卑下た呼び方をするのは、ねえさんっぽいと言えばそうかもしれない。
まさか自分で名乗っているわけじゃないだろうが。

「で、それがどう関係する? フェムヨノノ師がやろうという英雄を解き放つとはなんだ?」
「エアハルト、知ってるな?」
『英雄』の名を出す。コイツも関わっていないはずがない。
「…首領や天晶堂の客人だ。拙者や他の者が何度かそれとなくバックアップに付いた。客人はそれを知らないだろうが」
「そいつは、あの術の使用を許されている?」
「…」
答えが返ってこない。ただ周辺からの殺気は強くなった。それが肯定を表している。
「いや、首領がどういう人間に許可を出そうが構わないんだ。んじゃ今それ以外には…というか、その術の存在の詳細をエアハルトに教えた人物ってのは居るのか? 首領以外にだぞ」
目の前のエルヴァーンが驚いたような顔になった。
「それはありえん。居たならば盗人だ」
「オーケー。それだ」
私は断言した。
「…どういうことだ?」
「あんた達の仕事を受けるよ。それで私はあんた達を裏切ったんじゃないって証拠を見せる事が出来る」
その仕事とはなんなのか、そして必要なものとその詳細を伝える。
男は眉をちょっとだけ歪ませて、それを聞いていた。

これが思いついたアイデア。だけど、それだけじゃまだ力不足だ。だから本当の想いをつたえるしかない。
「でもな…それだけじゃない。こっちが私のあんたに対する私の言葉だ」
「拙者に?」
「ああ、色々理由はあれ、私はその解き放つ人間を見つづけていたいんだ。少なくともこの問題が片付くまで」
「そのような者を見続けてどうなる。所詮は世界を見ようともしない者たちではないか」
ノーグにいれば、自然と世界の裏が見えてくるようになる。そこから見るヴァナ・ディールは綺麗な世界じゃない。色々なものがどろどろに渦巻いている。
コイツは、そこから目をそらす人々を嫌っている。いや、違うな。
嫌っているわけじゃない。諦めているのか。だからこそ自分なりの正義で世界を貫こうとして、ノーグにいる。

「少なくともな、今私が見たいといっている人物は『世界の理を解そうとしない者』ではないさ」
「…ほう?」
「あんたやノーグの人間にこそ、あの二人の行く末を見てもらいたいのかもしれない。諦観の念でなく希望をもって自分の正義を貫こうとしているんだからさ」

その言葉の後、しばらくの間、静寂が辺りを包んだ。
殺気に満たされた空間。だがその中央にいる私とこのエルヴァーンのサムライの間にだけは…何か純然たる殺気とは違ったものがあった…と私は希望する。

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ふ、と目の前のエルヴァーンの男が笑ったように見えた。
そして軽く右手を上げる。
周りから放たれていた殺気が、波が引いていくように消えていった。
それと同時に、朝靄が消えていく。
その代わりに、昇り始めた太陽が、海から朝の日差しを投げかけてきた。

「ふむ、面白いな、とにもかくにもしばらくお主を生かしておいても、ノーグに損はなさそうだ」
差し込む朝日の中でやっと言葉を発した男に、あたしは全然爽やかじゃないニヤリといやらしい笑みで返した。
「…とってつけたような理由だな、おい?」
何だかんだ理由をつけたとしても、あんたはやっぱりあんたなんだ。そうでなけりゃ、昨日の時点で私は殺されていた。

「いや、俺もな、見てみたくなったんだよ。お前と一緒だ。」
「そうかい。フェムヨノノ師は私が見込んだ人だ。あんたにも…」
「いや、俺が見たくなったのは、お前の未来だ」
「…ハァ?」
かつて恋人だった男からかけられた突拍子もない言葉に、私は間の抜けた声を出してしまった。
なんてこった。こんな間抜けな面を見られるなんてさ。
曲がりなりにも一度は惚れた男だ。自分を出来るだけ格好よく見せておきたいじゃないか。

しかも…こいつ、私と一緒にいた時の言葉遣いに戻っていやがる。

「お前、変わったよな。生きている事自体を楽しんでるみたいだ」
「そうかい?」
私としちゃそんな意識はなかったんだが。
「まぁな、目に生気が満ち溢れてる」
「そりゃ殺されるかそうでないかの状況だったんだから当たり前だろ?」
「いや、昔はどんな大事な仕事を抱えた朝でも、やる気もなくて、『あんたとずっと気持ちいいのがいいよ』なんておねだりを続けてベッドから出て行かな…」
一気に私の耳と尻尾の毛が逆立った。
「バ、バカ!」
「おうおう、真っ赤になっちまって。今でも可愛いじゃないか」
「黙れ黙れ黙れ! それ以上言ったら殺すぞー!」
私の声はもう殆ど叫び声だ。朝の海に響き渡る、機嫌が悪い猫の威嚇。
しかし、私のせいかコイツのせいか、全く威嚇に聞こえない。

前言撤回。コイツの中の私の記憶は、既に格好よくないものばかりだった。
「そんな記憶、後で脳みそ掘り返して抹消してやる…」
硬く決意した私だったが、
「ああ、もう一度会うまで死ぬなよ。今のお前と…」
ってな別れ際のコイツの言葉で、さらに格好悪い記憶を大量生産させることに成功してしまったのだった。