幸福な束縛 (前編)
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数日前、ジュノに戻ってしばらく経つはずのファピナナから連絡があった。
用事を済ませたらバストゥークに向かうとのこと。どうせならゼプウェル島には一緒に行きたいから…。
一緒に行きたいのは、あたし達とではなくスカイリッパーと、よね。
ファピナナはこの間サンドリアから戻った時からそう思っていたらしいのだけれど、色々用事が重なりまだジュノを離れられないのだそうだ。
彼女はやっぱりみんなに愛されている冒険者なのだ。
確かに異端といえばその通りなのだけれど、あたし達みたいに自分達から一線を引いてるわけじゃなくて、誰とでも仲良く付き合ってる。
だからこそ彼女の愛らしい魅力は磨かれて、強力な武器になっているのだろう。
だから…あたし達はゼプウェル島に出かけるわけにもいかず。
ここのところのスカイリッパーは、長老達の話を聞いて回り、それを確かめるためにグスタベルグ周辺に点在する石碑などを読みに頻繁に出かけている。
いくらガルカが長寿で、スカイリッパーはあたし達より年上だとは言っても、まだたかが50歳。正確な年齢は知らないけど。
前の大戦の時にはまだまだ子供だったのだ。
長老達の話は彼も耳にしたことがない事が多いのだろうと思う。
その副産物として、パルブロ鉱山の開拓の際のガルカ達の動向についての書物を手に入れることが出来た。
リンツァイスは…いつもどおり自分の作品を作ってる。やることがないからだ。
ナタリアとの時間が増えるのはいいことだ。
あたしといえば…。
取り合えず国史を読み直し、先生と議論をしながら確かめるべき細かい謎を導き出している。
その他にも取り合えず片っ端から文献をあたっているのだ。
最近はまるで歴史家になったような気分。
「この記述、変じゃないですか?」
「なになに…。うーむ、確かにスカイリッパー君が手に入れてきた書物と照らし合わせてみると噛み合わない点が多いね」
「初期開拓時のクゥダフ駆逐に投入された部隊の規模が全然違ってますよね」
「この時期は…この人の他の著書あたってみた?」
「いえ、まだです…この時期の黄金銃士隊は鋼鉄銃士隊に匹敵するだけの力を持っていたんですか?」
突如異質な鼻にかかったミスラ独特の声があたし達の議論を遮った。
「あんた達さ、古い本に書かれた事で理屈こねくり回してて面白いのかい?」
脇でつまらなそうに聞いていたイー・キノエが口をはさんだのだ。
なるほど。彼女は彼女で、生きた情報の有用性に対して誇りを持っているのだ。
彼女の専門なのだから。
「面白いってわけじゃないけど、何か手がかりになるかもしれないでしょ」
「百歩譲ってそんな古びた書物から情報が手に入れられるとしてもだ、何故私がその話し合いに参加しなきゃならないんだ?」
「あなただって、これを元にして調査が出来るかもしれないじゃない」
あたし達がそんなことを言い合ってると、先生が口をはさんだ。
「イー・キノエ君、ボクらのやってることは確かに重箱の隅をつつくようなことだよ」
「なんだよ、先生さん?」
「でもね、ボクらにとっては、こういう些細な謎を発見することがすごく面白いんだ。性分みたいなものだね。謎が解決できるかどうかなんて重要じゃない。こういう些細なことを考えるのが楽しいんだ」
「…ハァ?」
そーくるか…。確かに面白いのはあたし達だけかもしれない。実際にこんな疑問が役に立つかどうかなんてわからない。
だけど、どんな小さな疑問でも、大きな謎を解くきっかけになる可能性もあるのだ。
これは先生やあたしのような人間は、強く実感していることでもある。
「ハイハイ、んじゃ好きなだけやってくれ…私には今日の話し合いの結果だけ教えてくれればいいよ」
イー・キノエが立ち上がる。
「ちょっと、イー・キノエ!?」
「ソロロ師にでもお茶淹れてもらってくるよ」
そう言うと彼女は外へ出て行ってしまった。
「それじゃ、ちょっと休憩してお茶の時間かな?」
「あ、はい」
先生は、足を崩した。
取り合えずあたしは本にしおりをはさんで丁寧に閉じる。古い本は扱いも難しい。
漉かれてから時を経た紙は、簡単に崩れてしまうからだ。
自分の手元に来た時点で写本するべきなのだろうけれど、それもすごく手間がかかる。
ウィンダスの魔法図書館のように、大きな学校や研究所だと写本の専門スタッフがいたりするけど、先生やあたしの本なんかはどうしようもない。
オノレだって自分の勉強と先生のお遣いで手一杯なのだ。とても写本なんか頼めるわけがない。
確かに写本のための付与魔法(魔法図書館のアレだ)を使うのも勉強かもしれないけれど、今はそれに専念させるのは可哀想だ。
ふぅ、と一つため息をつくあたし。
ずっと頭の中で渦巻いている言葉がある。
『君達はお互いが一番大事で二人でいられればそれでいいって事だろ?』
『君達の行動や言葉に影響を受ける周りの人達のことなんざ眼中にないんだ』
この間の無礼な男、ブルストが言ったことだ。
その時、三人分のお茶をお盆に載せてイー・キノエが部屋に戻ってきた。
タルタル民芸調の塗りのお盆に、これまたウィンダス調の焼き物の湯飲みに、そしてウィンダスティー。
コーヒーやココアを飲むことが多いバストゥーク人にとっては、サンドリア式の紅茶ならまだしも、こういうのがフルセットで目の前に出てくるとちょっとびっくりする。
「お、玉露だね。新茶かい?」
先生はなんだか嬉しそう。
「ああ、ウィンダスからお茶の葉を送ってもらったもんでね。ソロロ師に頼んで淹れてもらったよ。ここはいいね。先生さんもソロロ師も馬鹿でかい末弟子もウィンダス出身だし、気兼ねなくお茶が飲めるよ」
イー・キノエの方もウィンダスティーの香りでリラックスしてるようだ。
「どういうこと?」
「サンドリアじゃとてもじゃないが飲めなかったんでね。サンドリア人はあの匂いが苦手なんだそうだ」
「ああ、そうらしいね…あそこは紅茶の国だから」
先生が幸せそうにお茶をすすりながら答えた。
あたしも納得する。二つとも原料となる葉は同じなのだけれど、サンドリアティーはお茶の葉を醗酵させてから乾燥させるのだ。
「そういえば、オノレはどうしたんです?」
先生に訊いてみる。今日は姿を見ていない。
「ああ、なんか朝届いた手紙を読んで、青い顔で出かけていったよ」
「…なんでしょう?まさかイー・キノエ、なんかやらかしたの?」
「私は何もしてないよ。実はな…」
その時、そんなのんびりとした時間を破るように、大音響を立てて書斎のドアが開かれた。
「あなたが、あなた達がオノレを縛り付けているのね!?」
大声とともに現れたのはミスラの少女…後ろからオノレとソロロが困ったような顔でついてきた。
「は…?って言うか、あなたどなた?」
あたしと先生はただ呆然とするばかり。
イー・キノエは知らん顔をしてあさっての方を向いて口笛なんか吹いていた。
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あたしの名前はフェムヨノノ。タルタルの女の子。
職業は一応…中堅どころの冒険者。赤魔道士を生業としている。
バストゥーク生まれのバストゥーク育ち。私塾で魔法を学んで魔道士になった。
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オノレが正座をしてすまなそうにうなだれている。その脇ではミスラの女の子が同じように正座をして、けれどこちらはキッと先生を睨んでいた。
先生は居心地が悪そうな顔をして、頬をポリポリと掻きながら、そんな二人の前に座っている。
それぞれの前にはウィンダスティーの入った湯飲みが湯気を立てていた。
この部屋は先生の書斎。ウィンダス風の内装になっている。木の高床を作ってあってそこに直接腰をおろすのだ。
ちなみにオノレが間借りしている部屋もそうなっている。
ウィンダスで生まれタルタル風の文化で育った二人にとっては、座卓の方が集中できるからなのだろう。
あたしはダメだ。机と椅子、しかもヒュームサイズのものでないと集中できない。人間とは面白いものだ。
小さかった頃はこの塾で半日を過ごしていたのに…残りの半日をリンツの作業台に二人で椅子を並べて過ごしていたのがたのが原因だろうか。
「しかし、あんたどうやって飛空挺パスを入手したんだい?」
イー・キノエが同族の女の子に問い掛ける。
「方法はいくらでも。オノレのご両親にお願いしたのですわ。期限付きですけど」
ははぁ、なるほど…確かオノレの御両親は、ウィンダスではそこそこの立場だと聞いたことがある。
息子の大事な大事な婚約者だ。甘くもなるのだろう。
そう、この子はクィラ・リキゥ。オノレの幼馴染にして婚約者。ウィンダス魔法学校に通っているとか何とか…。
「なぁ、クィラ・リキゥ」
黙ってたオノレが彼女の方を向いて情けない声で話し出した。
「なんですの?」
「僕は自分の意志でここにいるんや。確かにろくに会えへんけど…」
「それが問題なのですわ!」
いや、問題って…しょうがないじゃない。会えないのが嫌だったら…。
「だからわたしは来たのです。場合によっては学校も辞めて、オノレが国に帰るまでここに居させてもらいますわ」
「そら無茶やわ!」
「わたしのこと愛していないんですの!?」
「あ、いや…僕は、その、あの、別にやな…」
オノレの反応はうろたえているのが丸分かりだ。
先生は腕を組んで俯いて困っているし、イー・キノエは、ケッとでも言いたいような顔をして天井を見上げていた。
ああ、そうなのよね。今だからきちんと理解できる。
ウィンダスの魔法図書館の研究員にならないかと誘われた時、あたしはそれを一蹴した。
オノレにはバストゥークが好きなんて説明したけれど、あたしもリンツァイスもそれ以外の理由があることがあたりまえだと思って、それを自覚できないでいた。
「あー…のね…」
キッと睨むような少女の視線を受け止めながら、先生が言い難そうに声を出したのだけれど、
「なんですの?」
間髪を要れずに返ってくる答えに、先生はビクっとして、
「あ、いや…ボクは、その、あの、別に…」
…オノレと同じようにまともな声は出てこない。
はぁ…いい年をした大人、というかもう半分お爺さんなのに、年端も行かない少女を相手にしてこのざまだ。
リンツァイスがこの間言っていた、先生が魔法以外の事ではまともに人と話も出来ないっていうのは当たっている。
そしたら、今度は矛先があたしを向いたらしく、少女はこちらにつぶらな瞳を向けてきたのだ。
やめてよぉ…アイツが言った通り、あたしも先生と同じなんだってば。
「フェムヨノノ師のお名前は伺っておりますわ。お供を連れて各地を探索し、過去に失われた書物を発見して付与魔法の発展に尽力していらっしゃるとか」
…お供?
「お姉さまはどう思われます?」
…お姉さまって誰よ?
「私は愛するオノレと生まれた時からずっと一緒にいました。魔法学校に入ったのもオノレと同じ場所にいつづけるためなのです。それなのに満足にも会えないようになってしまって」
…動機が不純だわね?
「お姉さまも同じ恋する乙女として、この切ない気持ちをきっと理解していただけるはずです」
…こ、恋する乙女って?
色々疑問はあるのだけれど。まぁ、なんと言うか、あたしも、その…アレなのだから。
「う、そりゃ理解できなくはないわよ…」
と呟いてしまったら、クィラ・リキゥ嬢、きらきらと目を輝かせてこちらに身を乗り出してあたしの手を固く握ってくれた。
「お姉さま!ありがとうございます!」
「あ、いや…あたしは、その、あの、別に…」
結局オノレや先生と同じうろたえ方をしてしまうあたし。
決してこの塾でこのような場合の受け答えの方法を教えてもらったわけではないのだけれど…変な所まで受け継いでしまったものだ。
いつまでも三人揃ってしどろもどろしているわけにも行かないので、先生が声を出した。
「まぁ…クィラ・リキゥさん…だよね」
「なんですか?」
つっけんどんな答えだ。これがオノレが礼儀正しいと言っていた娘なのだろうか。
それとも、先生のことをウィンダスから追い出された場末の魔道士とでも思っていたりとか?
「いや、あのね…」
「物事をはっきりと言うことの出来ない研究者は最悪だと学校でも習いましたよ?あなた本当に連邦でも一目置かれる方なのですか?」
どうやら後者らしい。
「いや…ボクのことは置いておいて…ボク自身は、君がオノレ君と一緒に住もうが問題ないと思うのだけれど。なんなら今彼が住んでる部屋にいてもらってもいいし。だけどね…」
「まぁ!!」
一転してクィラ・リキゥは目を輝かせた。
「さすがにビルルホルル師ですわ。物事の真実を的確にお見通しになる能力をお持ちです!」
いきなりの変わり様。これが今時の若い人達なんだろうか。
いやいや、それじゃあたしがまるで年寄りみたいじゃないか。
でも年配者としての義務は果たさなくちゃならないわよね。
そう思って、あたしが一応そう諫言する。
「あの、先生、この二人の歳でそれはさすがに…」
だって…いくら婚約者とは言え16歳で国を離れて同棲って言うのはちょっと。殆ど駆け落ちじゃない。
そう、この歳では不埒で退廃的過ぎる。
「お前とリンツァイス君だって実質的にはそうだろう?冒険者登録をしたのは丁度オノレ君と同じぐらいじゃないか。それから二人で家を離れて一緒に生活してる…」
「!!」
ボンっと音を立てて、あたしの顔はいきなりトマトに早変わりだ。
「あ、あ、あたし達はそういうんじゃないです!姉弟ですよ!」
「確かにそういう違いはあるけどね。ボクは本質的には変わらないと思うけどな」
「全然違いますよ!それに一緒の部屋に住んでるわけじゃなくて、隣なんです!」
「どこが違うのかさっぱり…」
「それに二人はまだ若いんですよ?何か間違いがあるかもしれないじゃないですか!」
「例えお前の言う『何か』が起きても、この二人にとってそれは問題にはならないから間違いとはいえないんじゃないか?」
ああ言えばこう言う。さすがにあたしの先生。すばらしい切れ味の屁理屈を披露してくれた。
「そんなわけありますか!?」
大声を上げて反論したのだけれど…
横ではイー・キノエが例のいやらしい笑みを浮かべてこっちを見ている。
クィラ・リキゥは輝かせた目を先生からこちらに移して、じっと見ている。
オノレはきょとんとした目でこっちを見ている。
先生はちょっとびっくりした感じの目でこっちを見ている。
いきなり八個の視線があたしに集中してしまう。
う…先生やオノレにもバレた?
そ、そうだ!
「でも先生が許可したとしてもビザの問題もありますよ!耳の院だって休学を許してくれるかの問題だって!」
あたしは、何とか誤魔化そうと一気にまくし立てる。
「うん。それが一番の問題なんだよね…ボクの権限ぐらいじゃね」
「僕の場合とは違いますからなぁ。国の推薦があるわけでもあらへんし」
「ビザ持ってる人間の配偶者は自動的にもらえるんだろ?結婚してしまえばいいんじゃないか?」
「そこ、煽らないでよ!」
「別に煽ってるわけじゃないよ。あ、冒険者になってしまえば滞在はフリーだぜ」
「それを煽ってるって言うの!」
「なんならここで一緒に勉強したらいいじゃないか。なんか問題あるのか、先生さん?」
「ボクも耳の院との契約の問題があってね…」
とクィラ・リキゥを除いた4人でグダグダやっていると、
「やっぱり無理ですのね…こんなに愛し合っているのに…」
と声がする。
そちらを見ると、彼女の愛らしいつぶらな目一杯に涙がたまっていた。
あ、やばいかな…
一瞬の後、みぃ~!というミスラの泣き声が部屋の中に響き渡る。
彼女ミスラっぽくない話し方だったけど、その泣き声はやっぱりミスラ、というか猫そのものだった。
とりあえずオノレに彼女を任せてあたし達は廊下に出た。
「ソロロ師にもう一度お茶淹れてもらうか。落ち着くには暖かい飲みなれたものが効くからな」
イー・キノエはそういうと、店の方へ向かって歩いていってしまった。
この間オノレと喧嘩した時は彼女の事をけなしていたけど、結局は同族の女の子には甘いのだろう。ほんのちょっとだけ年下だから余計にそうなのかもしれない。
先生は疲れたように壁に寄りかかった。眉間を指で押している。
あたしもこめかみをマッサージ。
師弟揃ってああいうのが苦手なのだ。どっと疲れが出てしまう
ふと先生が問い掛けてきた。
「あのさ、フェムヨノノ」
「なんです?」
「お前、リンツァイス君と何かあったのか?」
屁理屈だけじゃない。さすがというかなんというか…やっぱり子供の頃からずっと自分を見てきた先生なのだ。
あたしは答えない。
「さっきのお前、なんか変じゃなかったか?」
「…そうですか?」
「お前がイー・キノエ君みたいなことを言うと思ったんだけどな…普段のお前ならそうするだろ?理論的に考えて、イー・キノエ君が言った方法が一番手っ取り早く問題を解決出来る」
トントンと足のつま先で床を叩きながら先生が腕を組んで天井を見上げる。
はぁ、観念するしかないか。
「なにか…はありました。でもそれはリンツとの間になにかあったわけじゃなくて、あたしに起こったんです」
「ふーん…」
先生はそれだけを言うと黙ってしまった。
しばらくの間、先生の足が床を叩く音だけが時間を支配する。そのリズムは規則正しいのに、なぜか時間の感覚が曖昧になる。不思議だ。
「…もう今日は進めることも出来ないでしょうし、あたし帰りますね」
「ん、わかった」
「彼女、泊めてあげるんですよね?」
「恋人が寝泊りしている部屋があるのに、大工房の領事館に行って寝ろとは言えないよ」
「そうですよね…食事とかは?」
「ソロロとツェイラに頼むしかないなぁ。バストゥーク名物でもとは思うんだけどさ」
きっちりとクィラ・リキゥのことも気遣う先生だ。
「そうですね。それじゃまた明日の朝来ますね」
そう先生に挨拶して、あたしは塾の建物を後にした。
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大工房の北から居住区画に入り、しばらく歩いて自分の部屋のドアを開けた。
まだ早い夕方と言った時間。それでも日は西に傾いていて、昼とは違ったオレンジ色の日差しを投げている。
椅子を窓の傍に持っていって、その上に乗って窓を開ける。飛び込んできたまぶしさに、あたしは思わず目を細めた。
まだリンツァイスもギルドから帰っていないだろう。今日の晩御飯は何にしようか。
あたしは椅子の上に立ったまま窓の桟にひじを乗せて頬杖をつく。吹き込んでくる初夏の風を頬に感じながら、頭の中を漂っているモノをまとめようとした。
クィラ・リキゥ。オノレの異種族の幼馴染にして婚約者。
元気な娘だ。素直な娘だ。オノレとのことを第一に考えているけなげな娘だ。
…まだこの間のあたし達のようにそれが危険なことだと気付かされていない。それは幸せなことだ。
オノレは気付いているのだろうか?
結局その後、あたしとリンツァイスはあの事について何も話さないままだ。
確かにあたし達にとって一番大事なのはお互いであるという事実は否定しようがない。
絆という名前の狂気。
でも、どうしろというのだろう。
狂気だろうがなんだろうが、望んでもいない周りへの責任などというものを押し付けられて、そのために自分の一番大事なコトを後回しに出来るわけがない。
自分の根源的なところにある大事な人との関係。それは絶対に壊せない。
でも…だからこそあたし達は狂っている。
それは別にリンツァイスとの事だけじゃないはず。
あたしは自分が好きなことをやりたい。だから国お抱えの魔道士にならずに冒険者をやってる。
それが駄目だといわれようが、あたしは…。
どのぐらいの時間そうしていただろうか。太陽の位置がだいぶ落ちていた。透き通った緑色に化粧された月がうっすらと見え始めている。
あと小一時間もすればリンツァイスも帰ってくるだろう。食事の支度を始めておこうかと思い、あたしは椅子から飛び降りた。
入り口のドアの脇にかけてあった鍵を手にとり、自分の部屋のドアを閉めて、そしていつものように隣の部屋のドアを開けた。
とりあえず窓を開けて、なんて考えていると…
「あれ?」
予想に反して、リンツァイスは部屋にいた。
作業台の前の椅子に座って、腕を組んだまま背もたれに寄りかかっている。
寝てるのかなと思ったのだけれど、目はしっかり開いているし眉間に皺が寄っている。
珍しいものだ。作業台の上に何もないのにこんな表情をしているリンツァイスなんてそうは見ない。
「どうしたのよ?」
あたしが入ってきたことには気付いてる。
「ん…あぁ、ちょっと考え事。どうにも集中できなくってねぇ。今日は切り上げたんだ」
リンツァイスはこっちを向かないまま答えた。
確かに集中できない状態での神経を極端に使う作業は全く意味がない。下手をすれば今までの作業も全て無駄になってしまうこともあるから。それはあたしもよく分かってる。
「ふ~ん…」
あたしはトコトコと台所に向かって、奥から自分用の踏み台を引っ張ってくる。
昨日はナタリアと三人で食事をしたから、彼女が台所を使うのに邪魔にならないところに置いておいたのだ。
あたしもリンツァイスも手の込んだ食事はそうめったにしない。お互い食べることにあまり興味がないのだ。エネルギーを使う旅先では、普段は取らない朝食もしっかり取るのだけれど。
バストゥークにいて、その上どちらかの作業が佳境に入っている時期などは本当にシンプルだ。
もちろん栄養のことなんかは考えてるけど、比較的簡素な食事になることが多い。
だからナタリアと一緒に食事をする時に彼女が作ってくれる料理は、あたし達にとってはちゃんとしたものを食べるいい機会になる。
結局この日もシンプルで、青菜を散らした鶏のスープとホロ麦のパンだけだった。
塾への突然の来訪者の話をしながらのささやかな食事が終った後、帰りがけにイー・キノエから渡されたウィンダスティーを淹れて、あたし達はゆっくりと食後の時間を楽しんでいた。
リンツァイスはまだ考え込んでいるようだ。
「なんなのよ?」
あたしは訊いてみる。ちょっとした思考の手助けだ。
「うん。この間の…」
「ブルストとか言う無礼な男のこと?」
「軍人なのは確かなんだよねぇ。僕らの剣術みたいな技術じゃなくて、もっと簡潔にまとまった動きをしていたからさ。各方面の最低限度の技術だけを学ばされたような…」
「…そうね。それにあの事件のことを知ってるみたいな口ぶりだった。そうなると…政府関係者、しかもかなりの高官の息がかかった人ということになるわよね」
「でもそれだけじゃ片付けられないんだよなぁ。僕らがベテランの冒険者にはかなわないって言ってた。まるで自分が冒険者みたいな…」
「軍人出身の冒険者?そんなのいるかしら?」
リンツァイスは言葉のやりとりを利用して思考するタイプなのだ。それがわかってるから丁寧に反応してみる。
「軍人なのに冒険者ってさ…」
「ウィンダスの戦闘魔道団だったらそういう人達も多いだろうけど…」
あたしの憧れの人達がまさにそれだった。魔法研究者で軍人でなおかつ冒険者。
「バストゥークにもいるよね?」
「え?」
「そうだよ…ガルカの歴史を考えればそうじゃないか」
「ごめん、あんたの考えてることが…」
「いや、そうなんだ、フェムには思いつかないはずなんだ」
「ちょっと、リンツ!」
リンツァイスの考えが読めない時というのはそれなりにあるけれども、そう言われるとなんだかショックだ。
あたしとリンツァイスが違う人間だって言われてるような…もちろんその通りなんだけど。
「ああ、うん、ごめん。フェムが思いつかないっていうのは、フェムは彫金ギルドにいないからなんだよ」
「…どういうこと?」
「あの人…多分黄金銃士隊だ」
「!!」
なるほど…
新規の鉱山の探索や開拓の指揮をとるのは…黄金銃士隊だ。
彼らは様々な所を探索し調査をする。新たな鉱脈を発見できれば彼らの手柄だ。
そして、ガルカは昔からバストゥークにおける鉱山夫として労働を担ってきた。
表には出ないかもしれないが、バストゥークのガルカの歴史と黄金銃士隊の関係は実は根深いものなのかもしれない。
石に触れた時に流れ込んできた記憶が頭の中にフラッシュバックする。
あの人は…何を感じていたか。あの時指揮をとっていたのはその役割から言って黄金銃士隊のはずだ。
「あんた…今日は冴えてるわね。あたしの仕事横取りされちゃったわ」
リンツァイスがあたしより先に、確信できるところまでたどり着くのは珍しい。
「別に今日だけじゃないよ。考えるのはフェムだけの仕事じゃないんだし」
そう言って、リンツァイスはニコっとする。
…なんだか面白くない。
わがままだって思いながらも、ちょっとふてくされてみるけど、アイツはご機嫌だ。
「何ふてくされてんのさぁ?」
「なんでもないわよ!」
あたしは脹れたままそういい返して、初夏の香りのするお茶を一気に煽った。