幸福な束縛 (後編)
./
次の日の朝、店の奥に入ってドアを開けると、
「ああ…ねえさんですか…おはようございます」
死にそうな声が出迎えてくれた。
地獄の怨霊の声ってわけじゃないけど、せっかくの朝なのに。
オノレ…顔からして今にも倒れそうな感じ。目の下にはくっきりと隈が浮き出ている。
「あんた、寝てないの?」
「はぁ…クィラ・リキゥが寝かしてくれへんかったんですよ…」
オノレはそれだけ言うと肩を落としたまま自分の部屋へ戻っていく。
ちょ、ちょっと!?
…寝かせてくれなかったって!?
最近のあたしは、色々とその…アレだ。そんなのが頭をよぎることが多い。
色々不埒な妄想を頭の中で渦ませながら廊下を歩いて先生の部屋までたどり着いた。
ノックするものの、答えがない。
「先生?」
不信に思ってドアを開けてみると、中から淀んでいるとはっきり分かる空気が流れ出してきた。
「ああ…フェムヨノノか…おはよう」
…先生も死にそうな顔をして、目の前の読み台をボーっと眺めている。
本に向かっているというのに、こんな死んだ表情。
昨日のクィラ・リキゥへの反応といい、師匠と弟子が一心同体…ってわけでもないだろうに。
「どうして先生まで…」
「あんなもの一晩中聞かされてみなよ。ボクだって老人って齢でもないんだ。安眠できるわけがないよ」
「あ、あんなものって、先生!?」
「いやはや、やっぱり若いってのはああいうものなんだね…」
しみじみと呟く先生。
「いえ…あの…」
対してしどろもどろになるあたし。
ちょっと待てちょっと待てちょっと待ってください。そんな話あたしに振られても困る!
「もう一晩中彼女がオノレ君に文句いってるんだよ。大声で」
…ああ、なんだ。
見えない手で胸をなでおろすあたし。
そりゃそうだろう。二人ともまだまだ子供だし、しかも師匠の家だ。そんな不埒なことがあるわけがな…
「かと思えばいきなり甘えだすし」
「!?」
安心しきったところに不意打ちを食らわせられた。
「もう何考えてるかわかんないね。恋する乙女ってのは…ああごめん、お茶淹れてくれる?」
「あ、はい。分かりました。昨日イー・キノエのですか?」
「今はコーヒーの方がいいな」
どよんと曇った顔で先生が言った。確かにその方がよさそうだ。
とりあえず窓を開けて新鮮な空気を入れてから、あたしはお店の方へ向かった。
先生の部屋で、今日はバストゥーク風にコーヒーを飲む。
考えてみればウィンダス風の内装でコーヒーを飲むのも面白いものだ。
木は石に比べて匂いが染み付きやすい。その部屋の主がどういう生活をしているかが浮き彫りにしてしまう。
この部屋の木の床には、どちらの匂いがより強く染み付いているのだろう?
ウィンダスティーの香りか、それともコーヒーの香りだろうか?
ドアを閉めていても、クィラ・リキゥがオノレに話し掛け、そして続けて文句をいう声が絶え間なく聞こえてくる。
クィラ・リキゥのわがままに困り果てているオノレの姿。そこに得体の知れない責任に縛られた自分とリンツァイスの姿が重なってきた。
「オノレがなんかかわいそうですね…」
「そうかな?ボクはそうは思わないけど」
先生がポツリと呟く。
え?
「だって…好きなことをやるためにここに来てるのに、それを責められるなんて…」
そう。やりたいことをやっているだけなのに。
「オノレ君は、多分幸せなんだと思うよ」
「幸せ…ですか?」
「うん、自分を求めてくれている人がいるっていうのは、幸せなことだ」
先生が淡々とした調子で言葉を続ける。
「それはまぁそうですけど…」
「例えそれが束縛だと感じてもね。幸福な束縛だよ」
幸福な束縛…意味がよく分からない。
ドアがガチャと開く。
リンツァイスとイー・キノエが入ってきた。
「どうだった?」
あたしが二人に訊く。
「駄目だねぇ。ギルド関係の人にも当たってみたんだどさ…」
「こっちも駄目だ。なんか名前を出した途端に顔を伏せられてしまうんだぜ?それ以上突っ込めないな、あれは」
二人が口々に答える。
昨日のうちにイー・キノエには話して、二人で聞き込みをしてもらってたのだ。
「どうしたんだ?」
先生が不思議な顔をした。
「実は…」
あたしは昨日のリンツァイスの思いつき…黄金銃士隊の動きからガルカの歴史を導き出そうという試みを先生に話してみた。
そしてもう一つ、石の記憶に刻まれたあの人の事。
成り行き上ブルストのことも話すことになってしまった。先生はともかくとしてソロロやツェイラ、オノレに心配をかけたくないからその事は黙ってて欲しいと念押しして。
「大統領府で尋ねたんですけどねぇ、彼の履歴は見せてもらえなかったんですよ。嫌な顔されちゃったしなぁ。黄金銃士隊の事も工務省では部外秘らしいし」
あたしが一通り話し終わった後、リンツァイスがそんな風に付け足す。
先生はしばらく考え込んだ後、
「ふむ…他国からまわるって手はないか?」
「どういうことだい?」
イー・キノエが顔を上げる。
「莫大な利益を生む黄金銃士隊の活動は基本的に機密事項だろうが、対外的にも地位のあったあの人の事ならば…」
そうか!身分照会やらなにやらで、かえって公的機関のほうが記録が残りやすいはず。
「なるほどね…先生さん、頭いいね」
イー・キノエはやたら感心したようで、しきりに頷いている。
「まぁ、僕は考えるのが仕事だからね」
「ははは、まるで昨日のフェムみたいなこと言ってますねぇ。僕が考え付いちゃったもんだからフェムが脹れてましたよ」
リンツァイスが笑う。
「ちょっと、リンツ。余計な事言わないでよ!」
あたしが睨む間に、イー・キノエがポケットからリンクパールを取り出した。
「早速一番の適任者に頼んでおこうぜ」
彼女は懐から取り出した小さな宝石を耳に当ててボソボソと何かしゃべった後に、私に手渡した。
「エレノアが出た。ねえさんから頼む」
…ちょっと待ってよ。昨日はクィラ・リキゥからお姉さま呼ばわりされて、フェムヨノノ師って呼んでたイー・キノエまで『ねえさん』なの!?
オノレのがうつったのだろうか。ソロロとツェイラも姉弟子であるあたしを、『おねえさん』って呼ぶわけで…。
一人っ子のはずなのに大勢の妹弟抱えちゃってるあたしっていったいなんなのよ?
「あ、うんわかった」
とりあえず何も言わずにあたしはそれを受け取って、簡単な挨拶をしてから話の内容をエレノア女史に伝える。
「ウルリッヒ?ああ、調査隊のリーダーだったな。たしか今のミスリル銃士隊隊長の…」
「ええ、フォルカー隊長の叔父上だとか…それで彼は生粋のミスリル銃士隊の出身だったのか知りたいと思って…その手の記述ってそちらにあります?ちょっとこっちではあまり触れちゃいけない話のようで」
「確かに人々の評判は余りよくなかったという話だな。なるほどバストゥークの話なのにそちらでは調べるのが難しいというのも面白いものだ。こちらで当たってみよう」
エレノア女史はそう請け負ってくれた。
もし彼が元黄金銃士隊ならば…色々と納得できることもある。
あ、そうだ。
「エレノアさん、そちら大丈夫ですか?調べたりすることで誰かに狙われたりとか…」
「ん?何のことだ?」
「いえ、実は…ちょっと」
と前置きして、あたしはブルストのことをエレノア女史に説明した。
「ふむ…私の方にはこれといって妙な事は起きていない」
あたしはほっとする。これだけ巻き込んでしまってるのだから、これ以上の迷惑はかけたくない。
「わけが分からないです。たかが冒険者の調べごとのはずなのにこんなことになるなんて。立場とか責任とかそんなモノは冒険者にとって意味のないことのはずなのに…」
と、あたしは軽く言ったのだけれど…
「フェムヨノノ師、あなたには失望したな」
リンクパールから流れてきたエレノア女史の返事は、あたし達が思いもよらないものだった。
「…どういうことです?」
「あなたは冒険者としての立場を責任から逃れるための言い訳にしている」
「!!」
「冒険者とはそんなに自由で甘いものだったのか?」
「そういうことじゃありません!」
その言葉にカチンと来てしまう。
「だって、あたしは自分が望んでもいない力を押し付けられて…あたしはただの自由な冒険者でいたいのに…」
と言い返えしたのだけれど、その後のエレノア女史の冷めた言葉があたしの耳をついた。
「だが、それがあなたのしてきたことの結果だ。それを他人のせいにして自由な冒険者という幻想に逃げようとしているのが今のあなただ」
「私は今の力を手にいれることを自分で選択した。だからその力を行使した結果生じた物事は全て自分の責任だと覚悟している」
「それはもちろん…」
「あなたが持っている各国の、特に魔法関係機関からの証明書や紹介状…あなたはそれを時々使うはずだ。あなたは一般の冒険者の入れないところに入ることが出来、会えるはずのない人に会うことも出来るだろう。その力を行使しておいて一介の冒険者などと名乗るのは筋違いというものだ」
「う…」
「それに一般の冒険者とて自由な立場ではない。剣を振るうこと、魔法を使うこと、それ自体が責任を伴う。冒険者が自由な立場であるというのはとんでもない思い違いだ」
「…」
その通りだ。あたしはどんどん答えられなくなってきている。
「あなたは力を持ちそれを行使することが出来るのだ。力には責任が伴う。フェムヨノノという名前はもう自由ではないのだ。思えば、会った時も『ただの冒険者のフェムヨノノでいいですよ』などという甘ったれた自己紹介をしていたな」
「それは、あなたが元冒険者だと思ったから…」
力なく反論してみたのだけれど、エレノア女史からは切りすてられてしまった
「そこに真実が現れていたわけか。今のあなたに協力することは出来ない。期待していたのだが…イー・キノエには今すぐにあなた方への協力をやめるように指示しておく。それでは」
その言葉を最後に、通話は一方的に切られてしまった。
あたしは呆然としながらも、リンクパールをイー・キノエの手に押し付けた。
イー・キノエは神妙な顔をしてあたし達を一瞥すると、ため息を一つついて部屋の外に出て行った。
ドアがバタンと音を立てて閉まる。
「く…」
俯くと涙がひとりでにこぼれてきてしまう。
あたしは…甘かったのだろうか。
別のパールの端末でその話を聞いていたリンツァイスも暗い顔をして俯いている。
「今のお前は、オノレ君と一緒だな」
脇でずっとただ聞くだけだった先生が、突然言葉を発した。
「…は?」
「ボクが昨日言った」
「幸福な束縛…とか」
そう、先生はそう言っていた。
「期待は時として束縛になりえる。その期待に答えて何かを為さなければならない、もしくは為してはならないという重圧が」
それはそうだと思う…けど。
「オノレ君の場合、愛という期待をかけられてそれに応えなければならない」
「はぁ…?」
「クィラ・リキゥ君のことだけじゃないよね。オノレは耳の院からも期待を受けている。将来ウィンダスを背負って立つ希少なエルヴァーンの魔道士としてね。タルタル以外の種族がトップクラスになるというのは対外的にも国内的にも有利だ。それはボクらも一緒だ。自分の望みだけでこうやって生きているわけじゃない」
「周りへの責任…ですか?」
「そうだね。期待を受けているからこそ責任が生じる。例えばオノレ君なら、奨学金を得ている以上、将来が既に決まっている。自由気ままに生きることは許されない」
そうなのだ。オノレは自由には生きられない。魔法を勉強できることと引き換えに自由を失っている。
「僕らの場合、魔法の研究を生業として日々の糧を得ているわけで。自分の研究結果や発言に責任を取らなきゃいけない。なんと言うか結局はお金と信頼…ということだと思うよ」
「でも!オノレは自分でそうしたくてウィンダスのエルヴァーンとして生まれたわけじゃないです…あたしやリンツだって自分がやりたいからやってきただけで…いつのまにか…ヒック…」
…あたしの声はもう嗚咽交じりだ。
リンツァイスもさっきから顔を上げない。
先生はしばらく黙っていてくれた。
「業…なんだろうな、多分」
しばらくの後、先生はポツリと漏らした。
「ボクはね、暗黒騎士だ」
あたしは顔を上げて先生の顔を見る。
「…?」
「その能力を手に入れた…その力を振るった者の責任として、ひ弱な人間でも仲間を守れるようになるために、その能力を解明し広めようとしている」
前に先生自身が仰っていたことだ。
それが先生の力に対する責任…?
「それと同時に、ボクは闇という業を背負っている」
「業…ですか?」
「そう、戦い命を奪うこと、そういうコトを求めてしまうという業だ。それを為さないために常に自分との戦いを続けている」
正直な話、よく分からない。
周りの人に理解されない尋常ではない思いを抱えつづける。そこから逃れることが出来ない。
先生は、それが暗黒騎士の業だと言う。
「仕事やそれに対する責任というのも同じモノなのかも知れないな」
「…同じなんですか?」
「望む望まざるに関わらず、能力を手に入れること、そしてそれを振るうこと、振るわなければならないこと…考えてみれば何も変わらない」
そう…なのかもしれない。でも理解は出来ても納得は出来ない。
「実はブルストという男ここに来たんだよ。変ってなくてびっくりしたよ。ま、それはお互い様か」
その言葉に、あたしとリンツァイスはおどろいて顔を上げる。
「先生、あの男を知ってるんですか!?」
「知っているというか、昔ちょくちょく顔は見ていた。それでね、お願いされちゃったんだよ。弟子のやることは責任を持って監督しろって」
そんな無茶な…あたしはもう何年も前に独立してる。先生にそんな義務はないはずだ。
「そ、それでビルルホルル先生はなんて答えたんですか!?」
勢い込んでリンツァイスが訊く。
「何ともしようがないと答えた。フェムヨノノも色々考えがあるだろうし、ボクは師匠として出来る限りの協力はする。あとは任せるだけだ、ってね」
「…それであの男は引き下がったんですか?」
「苦々しい顔はしてたけどね。ボクの言ったのは正論だから反論できないだろ?」
「それはそうでしょうけど…」
「まぁ、いろいろごちゃごちゃ言ってたけどね。いざとなればボクは皆を守ることが出来るから心配しなくていいよ」
「でも、それじゃ先生が…」
リンツァイスが横から、心配そうな声で言う。そんなことをしてしまったら先生はこの国にいられなくなるかもしれないから。
「そのぐらいは師匠の責任のうちさ。弟子を取ったものとしてのね」
ニコっと微笑んで先生がいう。
「まぁ、じっくりと考えればいい。まだ時間はあるからね。そのぐらいならボクがフォローできる。その代わり真実を掴んだ時に結論を聞かせてくれ。弟子としてではなく対等な立場で」
…この人の下で勉強出来てよかった。本当にそう思う。
「そういえば、あの男はお前とリンツァイス君の関係についても言ってた。確かにお前とリンツァイス君はお互いを大事にしすぎる。だから最終的には他人のことは全く構わなくなる。実際その通りだと思うね」
あの男、そんなことまでしゃべったのか…
「…お前とリンツァイス君の絆、それも業なんじゃないか?」
「?」
あたしとリンツの絆が業?
「お前達が生まれ持った、一生立ち向かっていかなければいけない業だ」
「業だなんてそんな…」
「業、束縛、まぁなんでもいいさ。縛られるという意味では同じコトだと思うよボクは」
そうなのかも…知れない。
「でもね…その業との戦いはやっぱり幸福なんだよ。お前とリンツァイス君の絆の証明じゃないか」
先生の声は優しく響く。
あたしの顔はもうぐしょぐしょだろう。次から次へと涙が流れてくる。
今さっきエレノアに軽蔑の言葉を吐かれ、今度は先生に優しく諭される。
情けないし、嬉しいし…もうどうしようもない。
./
小一時間もそうしていただろうか。少しは落ち着いたあたしはリンツァイスと一緒に先生の部屋を辞した。
正直今日はもう続けられないと思ったのだ。
それでも…それは悲しくて駄目だからというのではない。
自分の業と向き合う覚悟を決めるための時間が、あたしとリンツァイスには必要だと感じたから。
外に出ようとすると、イー・キノエが店に通じる扉に寄りかかっていた。
あたし達の姿を見つけると、軽く手を上げる。
「落ち着いたか?」
「あ、うん。ごめんね。こんな情けなくて」
あたしはちょっと目を伏せたまま答える。
泣いてる姿を見られたわけだし、なんか気恥ずかしい。
「いや、しょうがないさ。私がねえさんの立場でも悩んだだろうし」
軽く笑ってみせるミスラ。
あたしもそれに、意地悪な微笑みで返すことにした。
「あんたももうすぐそうなるのよ。あたしぐらいの歳になったらね。逃れられないわよ?」
「く…フン、まだまだ先の話さ」
彼女は鼻を鳴らしてみせるのだけれど、明らかに狼狽している。
「フェム…いきなり意地悪だねぇ?」
リンツァイスが苦笑しながら言う。
「あたしのこと、ねえさんって呼ぶからよ」
「あのバカのがうつっちまったんだ。それにやっぱり…ねえさん…だろ?」
なにがやっぱりなのだ!?
「はいはい…」
呆れながらもあたしは答えた。そう、これもあたしの抱える一つの業なのだろうか。
あたしは真顔に戻る。エレノア女史のことだ。
「イー・キノエ…」
「ああ、心配しなくていいさ。エレノアには私が言っておいた。あの女もあれで嫉妬深いからな」
「は?」
嫉妬深いのはスカイリッパーを睨む目で知っていたけど…あたしに嫉妬?
あれほどまでに頭の切れる人があたしなんかを?
「つまりだ。冒険者を続けていられるねえさんが羨ましいのさ」
ああ…なるほど。
基本的にはあたしとエレノア女史の社会的な身分は似たようなものだろう。なのにあたしは冒険者をやっていて、彼女は家業に縛り付けられている。
自分の力の責任から逃れようとするあたしは、彼女の目にはあまりにも我侭な人間に写ったはずだ。
「まぁエレノアも判ってはいる。ねえさんがそんなにやわじゃないってな。今までどおり協力してくれる」
「そう…ありがとうって伝えておいて」
「ああ」
イー・キノエがふっと口元を笑わせて頷いた。それから寄りかかっていたドアから身体を離す。
あたしとリンツァイスはドアを開けて外に出た。
ドアを閉める直前、あたしは一つ思いついた文句を言う事にする。
「それともう一つ伝えておいて。『あなたが出来ないことをあたしはやる。せいぜい羨ましがってなさい』ってね」
そのままドアを閉めると、その後ろから今度こそイー・キノエの大きな笑い声が聞こえてきたのだった。
./
そんなちょっぴり幸せな気分だったのに、店の外に出た途端、あたしの視界に嫌なものが飛び込んできた。
「あんた!」
あたしが叫ぶとリンツァイスも気付いたようで、
「…ブルストさんか」
とため息混じりに男の名前を呼んだ。
なんてことだ。せっかく先生の優しい気持ちをいっぱい受けてきたばかりだったのに。
ブルストは今日は一人ではないようだ。後ろにもう一人男が控えている。部下だろうか?
「考え直してくれたかな、フェムヨノノ師とリンツァイス君」
「…よくもまぁ先生にまでちょっかい出してくれたものね?」
あたしはキッとヤツを睨む。
「それが一番効果的かと思ったんだがね…どうだい?」
「あいにくと先生はあんたみたいな押し付けがましいヤツじゃないのよ。あたしのことはあたしが決めるべきだ、そう言ってくれたわ」
「ほう…それで?」
「まだどうやって自分の責任を果たすかの結論は出てない。でも真実を追うことには変わりはないとだけは言えるわ」
「ふむ…ならもう一度会ってよかったな」
「どういうことよ?」
あたしがそう言う間に、リンツァイスはブルストの脇にいる男に目を向けていた。
その男は身構えもせずにただ立っている。
髪はヒュームではものすごく珍しい銀髪、というより殆ど白髪。
笑いでもすれば好印象だろうに、その顔には何の表情もなくただこちらを見ている。
「こちらは?」
リンツァイスが訊く。
「まぁ、そうだな…世界の英雄って所か」
英雄だって?こんな若い男が?
「…何の英雄だってのよ?」
例えヒュームでも、バストゥークで生まれ育ったあたしは年齢を見分けることが出来る。
というか、実例がすぐ傍にいる。
一見白髪のようだけど顔立ちは若い。見た感じリンツァイスと同じぐらいの年頃の風貌、つまりあたしとも同じぐらいってことだ。
世界の英雄と言うぐらいならば、先の大戦の英雄としか考えられない。それなのにこれほど若いわけがないじゃない。
「こんなに若いのに?」
リンツァイスが素直に疑問を口にする。
「ふむ…世界には君達が知らないことが色々ある。彼は、本当に国だけでなくヴァナディール全体を救った英雄だ」
「…なにさ、それ?」
リンツァイスが訊き返す。あたしもさっぱり分からない。
「ま、彼のことはとりあえず置いておこう」
「そうね…まず訊きたいことがあるわ。あんた、黄金銃士よね?」
あたしはこの間リンツァイスが思いついた仮説、というより殆ど確信を投げかけてみた。
とりあえずペースを持ってこなきゃならない。
「ほう…さすがフェムヨノノ師といったところか」
「残念だけど、思いついたのはリンツ方よ…あんた、自分で持ち上げたくせにリンツを馬鹿にしてない?」
やっぱり声は荒くなってしまう。
「ふむ…なるほど。彫金ギルド関係からの連想か」
「まぁそうだね。で、今日は何しに?僕らを殺しに来たわけ?」
リンツの声もまた固くなっている。
それを聞いて、あたしははっとする。
…あたし達は今度も武器を持っていない!
いくらなんでも街中を歩くときまで武器を持つという習慣に直すのは難しいのだ。ガードの目もある。
いくら冒険者とは言え、普段からバストゥークにいるあたし達としては、街中で武器を持ち歩くのはあまりにも不自然過ぎる。
対して、ブルストと白髪の男は腰に戦士剣をぶら下げている。普段リンツァイスも使う幅広で巨大な片手剣だ。
この系統の剣はあまり優雅じゃないけど、重さと巨大さを活かしたその威力は片手剣の中でもトップクラス。
実質的に正規軍からは外れているミスリル銃士隊であれば独自に習得した技を使うのがが殆どだけど、バストゥーク軍の戦闘訓練を受けた人間が戦士剣を使うのは珍しい。普通は官給品にもある曲刀や小剣といったところだ。
これでブルストが冒険者じみた行動をメインとする黄金銃士であることが裏付けられる。
また丸腰で、しかも今度は二人を相手にしなきゃならなくなるかもしれない。
ところが、ブルストは大げさに肩をすくめた。
「だから、今のところ君達とは戦うつもりはないって言ってるだろうが。いい加減にしてくれないか?」
演技がかった喋り方でそんなことを言う。
「じゃあ何しに来たってのよ?」
あたしはどこまでも喧嘩腰。
この間図星を付かれたというだけではなくて、あれだけのことを言われたのだ。
敵意を持つな、というほうが無理でしょ。
「抑止力、というところかな。それは明快にしておいた方が効力があるものだ」
「その話はこの間たくさん聞かされたと思ったけどね。まだ何かあるっての?」
リンツァイスもあたしと同じく、かなり厳しい口調だ。
「俺だって平和的解決を望んでいるからな。君達や君達の周りの人達はこれからのバストゥークの発展にとって必要だ。だからもし最悪の事態になったとしても、それを解決するための犠牲はなるべく少ない方がいい」
「そりゃ立派な心がけだね」
リンツが皮肉混じりにそんな返事を返した。
とどのつまり、何かあったらあたし達を殺すって事。
「この男を君達につける」
…いきなり何を言い出すかと思えば。
「こういう場合はごくまともな返事を返すとするわ。そんなのお断りよ」
当たり前だ。自分の命を狙っている人間と同行できるものか!
ところがブルストは動じない。
「おいおい、別にパーティを組んでもらうって言ってるわけじゃないさ。こいつに君達の動向を…ずっと張り付いてもらう。必要とあらば実力行使を、とそんなところだ」
「そりゃそっちの勝手だけどさ」
「分かっていると思うが、君達に拒否権はない」
そりゃまぁその通りだ。拒否したところで意味はない。
言ってみれば、あたし達が調査するのだって、ブルストに拒否権がないということにもなるのだから。
「ではね。またお互いに生きて会えることを願っている。今度はバストゥークの仲間として」
「あたしもそれを願っているわ。お互いにバストゥークを大事に思ってるわけだし」
ブルストと白髪の男はそのままあたし達に背を向けて歩き出す。
ここで事を構えてもしょうがない。あたし達はその背中を黙って見送ることにした。
./
「ねえ、ナタリア?」
「なんです、お義姉さん?」
今日の晩御飯はナタリアが一緒だ。もちろんリンツァイスも一緒だったのだが、先程彫金ギルドからの呼び出しが急にかかり、早々に片付けて出かけていってしまったのだ。
だから、今はあたしとナタリアの二人。食後の紅茶をゆっくり飲んでいる。ナタリアはサンドリア風のお茶を好むのだ。
「あたしね、自分と…自分の業に立ち向かうことにしたわ。そのためには覚悟を決めるための時間が必要なの」
「?」
小首を傾げてこちらを見るナタリア。
「あなたには少しの間迷惑をかけてしまうかもしれない。でも…最後はわかっているから」
「どういうことです?」
「何も訊かずに少しだけ見逃してくれる?」
「はぁ、お義姉さんがそう言うんでしたら何も訊きませんけど」
ナタリアは、わけが分からないといった顔をあたしに向けている。
そうなのだ。何も自分の名前の責任とかだけじゃない。あたしにはもう一つ立ち向かわなければならない業があるのだ。
そしてそれにけじめをつけなければならない。
「…ありがと」
あたしは義妹に微笑んでお礼を言う。
そして、彼女が淹れてくれた、コーヒーでもなくウィンダスティーでもない、彼女の優しい気持ちと快いちょっとだけの我侭が込められたお茶の香りを、胸いっぱいに味わった。