出向英雄 - 続きはいつもバウンディング - 前編
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「さ~て、きりきり白状してもらおうか!?」
アレスさんは、ドンと机を叩く。
目の前のタルタルは、ビクっと首をすくませちゃう。
魔法学校卒業したてって感じの、本当に若いタルタル。
半地下になってる口の院の一室。高い位置にある窓には格子がはまってて、そこからは地上の光が筋になって差し込んできている。
決して暗くはないはずなのに、何故だか分らないけど、その光景が余計におっかない。
タルタルの少年の目の前にいる男は、明らかに怒ってる。決して優しく「カツ丼食べるか?」なんて言ってくれそうもない。
「す、すいません。ご迷惑をおかけしちゃった事は謝ります」
恐る恐る、上目遣いになってアレスさんを見てしまう。
「…違う!!」
アレスさん、大声を上げる。本当にいらついたような声。
「ひぃ~」
タルタルの少年、もう泣き出しそうな感じだ。ガクガクブルブル。
アレスさんは一つため息をついた。そしてなだめるように…そんなに優しくはないか、落ち着かせるように言った。
「あのな、何を怯えてるんだか知らないが…俺が聞きたいのはあの竜の事だ」
「…は?」
はえはえ?少年の頭の上に?マークがたくさん浮かぶ。
「竜って…?」
そんな少年を見て、アレスさんは、まるで薬草だと騙されてマンドラゴラの煮付けを口にしてしまった表情になる。ジンジャーをたっぷり効かせてセルビナミルクをぶっ掛けたような。
「ふむ…」
机の脇を歩き回っていたウィルパナルパさんは顎をなでまわしてる。
…無精髭は剃った方がいいと思う。ラティシアさんからいつも怒られてるのだ。
そんな年配で大先輩のタルタルを脇目にして、少年の方は心配そうな声で訊いてくる。
「あの…僕は?」
「どうするんだ?」
アレスさんは領事館付で天の塔へ出向だから、口の院に関しては全く関与する事が出来ない。
元々そんな感じのてきとーな仕事を望んでウィンダスに来たんだから、文句を言う筋合いはないけど。
「いや、別にこれと言って」
事も無げにウィルパナルパさんは返答する。
一瞬あっけに取られたアレスさんだけど、さすがに心配になった。
口の院、本当に大丈夫か?
「おいおい」
背の高い三角帽子を被ったタルタル、鼻を一つ鳴らして…仕方がないな、という感じだ。
「大体私は君の教育担当じゃない。正規の職員じゃない人間がやるわけにはいかないだろう。後片付けを要請されただけだ」
「しかしな…説教するって言ってなかったか?」
いくらなんでもそりゃ無責任ってもんだろう。アレスさんは眉をしかめる。
それを見たウィルパナルパさん、ため息を一つつくと少年の方に向き直った。
「それでは、これは口の院からではなく、黒魔道士の先輩としての言だと思ってくれ。
君の過信に満ちた魔力が、連邦全ての人を滅ぼす事もある。ちょっとのミスが世界の全ての人を殺す事もあるんだ」
少年、一瞬ぽけっとした表情になる。
エリートとして認められた黒魔道士とは言え、学校出立て。
まだ実感がないんだろう。
自分の魔法は世界を救うためだけにあると信じて疑わない、若くて正義感と才能にあふれた黒魔道士。
一方アレスさん、自分達の事を言われてるような気がしてぎくっとしちゃったりする。
実際、下手すりゃ世界の終りなんて場面に立ち会った経験もあるから、あながち間違いじゃない。
「それを常に念頭においてくれ、って事だね。帰ってよろしい」
ウィルパナルパさんは頭を振って少年に出口のドアを顎で指し示した。
「あ、はい」
恐縮しながら籐編みの座布団から立ち上がって、出て行く将来有望なタルタル。
「存外優しいんだな? もっと厳しく説教するもんだと思ってたけどな。ウィルパナルパさん、結構厳しいだろ?」
少年の小さい後姿を完全に見送った後に、アレスさんがポツリと言う。
「私は何時でも誰に対しても優しい。もちろん君や君の仲間達を責めた言ではないしな」
「…」
嘘だ。直感で把握するアレスさん。
「アジドマルジドはなんて?」
「竜の事かい?」
「ああ」
「そんなモノ、院長に報告する義務はないな」
「…なんだって?」
「大体『バストゥーク領事館付武官』で『冒険者』の君の自由意思による戦闘の結果、君が発見し、そして現在君の監視下にある」
なんだか、都合のいい所だけを、やたらと強調するウィルパナルパさん。
だからアレスさんはちょっと突っ込みたくなる。
「『天の塔へ出向中』ってのを忘れてるぞ」
「…君は英雄だろう? 仕事、しかも出向先に縛られるなんてバカらしいじゃないか」
ウィルパナルパさん、しれっと答える。
さすがにアレスさんは呆れてしまって、突っ込むのはやめる事にした。話にならないって思ったから。
「どちらにせよ、我々には関係のない事だよ。ましてや現役最狂黒魔道士のお手を煩わせる事じゃない」
ニヤリとするウィルパナルパさん。
ま、言ってしまえば彼は正しい。なんか「最強」の発音がちょっと変だったような気がするけど。
ポリポリと頬を掻くアレスさん。この男が相手で良かったのか悪かったのか。
と、ウィルパナルパさんが思い出したように手を叩いた。
「おお、しまったな。人外魔境のキチガイばーさんも、まだ現役のつもりでいるだろう。現役最狂は彼女の方だったか」
「…探知の魔法が張り巡らされていない事を祈ってるよ」
「なるほど。マッド博士は付与魔法もお得意だ」
「…マジでシャントットに言いつけるぞ?」
「む、君とて呼び捨てではないか?」
「…今のは聞かなかった事にしてくれ」
「では、お互いにそうする事にしよう」
男同士の固い約束。二人はがっちりと腕を組んだ…わけはない。
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アレスさんは、そのまま口の院を後にして、レンタルハウスの自分の部屋へ向かった。
口の院を出た時に、目の前の領事館へ殴りこんで総領事の首を絞めたいという願望を感じたけれど、とりあえずそれは保留。
ぐっと堪える我慢の子のアレスさん。
しばらく経てばディンさんの登録の直しは出来るだろう。
まぁ多少寝不足にはなるけれど、気にしない事にしておけば何とかなる…ような感じがしないでもない。
実際は何ともならないんだけれど、それは今のアレスさんには禁句だ。
何も犯罪を誘発する必要はないから。
案の定、自分の部屋のドアをがちゃりと空けた途端、ディンさんの白い背中とふわふわ揺れる黒いポニーテールが目に飛び込んできて、アレスさんはしっかり慌てる事になった。
つまり着替え中だったわけ。すぐさまドアを閉めてしまう。
…やっぱりどうにもならないみたい。
だけど仮にも英雄。犯罪者にはなるわけにはいかないのだ。
自分を落ち着かせながらも、ドアの向こうでしきりに謝るディンさんを、「いいから早く服を着なさい」ってなだめすかして、十分後やっと中に入れたアレスさんだ。
椅子の上には件の竜。色は緑色。
「…やっぱりこれは闇の印だな」
まじまじと竜の額を見詰めた後、アレスさん、ため息と共にディンさんに告げた。
「でも、師匠はこの子を助けるって決めたんですよね?」
全幅の信頼を込めて確認するディンさんだけど、はっきり言ってそれは大幅に誤解してる。
「違う」
アレスさんはシンプルに答えて首を振った。
「コイツが目覚めてディンを襲うようならば、すぐにでも切り捨てる」
いきなり悲壮感に満ち溢れた顔をして師匠を見つめるディンさん。
とりあえずそれには構わない。
「しかし珍しいな。額に印が浮き出てるなんて」
しかも眉間だ。
「そうなんですか?」
「普通は…いや、俺もそれ程多く見たわけじゃないが。それでも額にあるのは見たことがない」
そこまで言った所で、子竜がピクリと動きを見せた。どこが…って、ちっちゃな耳が。
「か…可愛い」
ディンさんの乙女チックな感想に、アレスさん、またもため息。
この二日でどっと老けたような気がするのだ。思わず黒い髪を一房つまんで見上げてみる。
良かった。まだ総白髪にはなってないみたいだ。
エアハルトみたいになったんじゃ、今よりもっと女性に縁遠くなるじゃないか。
目の前の、ちょっとばかりタッパがありすぎるけど基本的には可愛い娘で通るはずのディンさんそっちのけで、そんなことを考えるアレスさん。
いやいや、無理矢理意識に入れないようにしてるのだよ。
またも耳がピクピク。
そろそろ目覚めるか。
「気付けしましょうか?」
ディンさんがアレスさんに訊く。
「気付けって、どうやって?」
何を言ってるんだ? ヤグドリかグレープジュースでも飲ませようって?
「いえ、ケアルで」
詠唱開始しようとするディンさんを、アレスさんは慌てて止める。
「ダメだ。ケアルは竜族には効かない」
「あ、そうなんですか。じゃ怪我を負ったらどうするんです?」
素直な弟子は、疑問があったらすぐに師匠に聞くのだ。
「えーとだな…」
「はい」
「普通聖なる印を持った竜は契約相手と魂がリンクするから、生命力が勝手に流れる…らしい」
「はぁ」
「ちょっとコツを掴むと、その流れを瞬間的に強化して一気に回復できる…とか何とか」
「なるほど」
「勿論乱用したら飼い主が先にくたばる…んじゃないかな?」
どうもはっきりしない。要するにアレスさんも詳しくは知らないのだ。
「でもこの場合、この竜は誰とも契約してない…んだろうな。まだ生まれてから時間が経ってないようだし」
「そうですか…」
傍らでそんな会話をされれば、うるさくて嫌でも目が覚めるってもの。
遂にぱっちりと両目を開ける子竜。
アレスさんは、壁に架けられてた愛用の青い刀身のレイピアを手にとって、鞘から引き抜いて構える。臨戦体勢。
二人に見つめられた子竜は、体を起こすとブルンブルンと首を二回振って、その後きょとんとした顔で目の前のディンさんを見上げた。
勿論ディンさんは、一気にノックアウトされちゃったわけで。
「きゃ、きゃわゆいっ!」
ディンさん、もうちょっと綺麗に共通語を発音しなさい。
身体の前で手を組んで震え上がっちゃった彼女とは対照的に、アレスさんは更に緊張を増していく。
ギュッと剣の柄を握り締め、子竜を注視。
だけどディンさん、師匠の様子はお構いなしに子竜に手を伸ばしちゃう。
自分の脇からするする伸びていく手を見たアレスさんは、びっくりして、
「ば! な!? でぃ!」
一生懸命止めようとしたけど、あまりの無防備さに言葉が出てこなかった。
バカ! 何を!? ディン! です。
ディンさんの手が、子竜の顔に近づく。
「き! お!?」
さすがにアレスさんは剣を持っていない方の手を、ディンさんの手に伸ばしてとめようとした。
だけど、それはかなわず。
黒い光が竜の額からほとばしり始めた。上はディンさんの手に抑えられてるから、光は横へ広がっていく。
「こ!?」
完全に言葉を忘れたアレスさん。伸ばした手はそのままで黒い光を凝視してしまった。
まぶしい…わけはない。黒い光なのだから。
だけどそれは矛盾した存在。そんなのあるのか? 暗黒魔法の類?
でも最早頭も満足に働かず絶句。
かたやディンさん、ストップをかけられたような感じで、動きが完全に止まってしまった。
それがどれぐらい続いただろうか。
アレスさんが気が付くと、黒い光の放射は止まっていた。
ディンさん、まだ止まってる。
「ディン、大丈夫か!?」
子竜に構わずに、ディンさんの肩を掴むと、彼女やっと気がついたようだ。
「し、師匠?」
アレスさんは、ほう、と一息。今度はターゲットを子竜に移して睨みつける。
「やっぱりダメだな。危険な橋はわたらな…」
剣を握りなおしてそこまで言いかけた時、ディンさんの間延びしたような声がかぶさってくる。
「あのー、これ何ですか?」
掌をアレスさんに向けて、不思議そうな顔で訊いてくるディンさん。
アレスさんがその掌を見ると、そこには真っ黒な線で何かの紋章らしい図柄が描かれている。
ハッともう一度竜の額を見るアレスさん。
予想通りというか…その額には、ディンさんの掌と全く同じ左右対称の紋章があったわけで。
アレスさん、笑い声みたいな情けない声を上げて、頭を抱えてしまったのだ。
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弟子入りから、既に二月。
アレスさんはディンさんと稽古を繰り返しながら、自分のミッションに彼女を連れて行って少しずつ経験を積ませていった。
なんともまぁ手っ取り早いことだ、とアレスさんは思う。
稽古と実戦、見事にバランスが取れちゃってるのだ。
勿論、アレスさんは槍なんかうまく使えないものだから、そこら辺は魔戦士か傭兵を引っ張ってきてレクチャーをしてもらう事になる。
丁度よく傭兵団にミスラの槍使いが見つかったので、一通りセオリーを教えてもらった。
結果、ディンさんは大分槍を使いこなすようになって、今はもう手助けはいらくなっていた。彼女自身が考えて使っているのだ。勿論アレスさんもアドバイスはするけど。
ディンさんは急速に力を身に付けていっていると言っていいだろう。師匠がいいと弟子の成長も早いのだ。
掌に出来た紋章は何も変化していない。ディンさんの体調が悪いというわけでもない。
間違っても、そこから腐ったりとかそういうことはなかった。となれば呪いの付与魔法の類ではない。
やっぱりあれは竜との契約…アレスさんは考える。
竜…ディンさんがクィクィルと名付けた、闇の印を持ち、おまけにディンさんにそれをおすそ分けした子竜は、至って穏やかだった。
ほんと、竜騎士が従える普通の聖なる印を持つ竜と変わらない。
竜騎士自体あまりにも少なくて、標準ってのがどんな感じなのかは、アレスさんにはわからないけど。
ただ、額の印を隠すために、ディンさん謹製の十字のバンソウコウが張られている。
印は額に出るものとは限らないので、闇の印を隠しているとは判るまい…という希望というか儚い願いというか。
とりあえずバレてはいないみたい。
どこへ行くにもディンさんの後を着いて回ってる。愛嬌たっぷりのクィクィル君。
勿論戦闘にも協力するし、ディンさんが回復魔法を使えばそれにあわせてヒールブレスなんか吐いてくれるとっても優しい子。
ウィルパナルパさんとラティシアさんは唖然としたものの、ディンさんを襲わないんじゃ何とも始末の仕様がない。
だからとりあえず黙認する事にしたのだけれど…。
やっぱりクィクィル君絡みで何かしら起きないわけはないのだ。
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アレスさん、目の前に出された巨大な槍を見て唖然としていた。
ヴァナ・ディールではランスと呼ばれている類のどでかいヤツ。騎乗用のものとはまた違うのだ。
この種の槍は竜騎士の象徴でもある。
目の前のものはエルヴァーンにはちと短いしタルタルには使えないサイズ。ヒュームやミスラなら何とかなるだろって感じの。
そして…一番問題なのが、その槍が漆黒だってこと。
ここは星の大樹の中。
アレスさん、領事館に「直接話したい事がある」って連絡がきたので、出向いてきたのだ。
賄賂の絆で固く結ばれたクピピさんに取り次いでもらって来て。
そしたら、目の前にこれがあったのである。
これが俺の前に出てくるって事は…やばいぞ。ラーアル団長が聞きつけて送りつけてきたのか?
皮肉のつもりか?
俺そのうち、あのおっさんに消されるかもな。
あ、そう言えば、あの人はラーアル団長と親しいとか言ってたっけ。何とかお目こぼし頂けるよう頼んでもらえないかな。
世界を救う戦いで一緒になったサンドリア人を頭に思い浮かべて、本気で助けを要請するべきか迷ってしまうアレスさん。
「あの…これは?」
そのまま考えがどんどん悪い方向に行ってしまいそうだったから、とりあえず目の前のタルタルに訊いてみる。顔見知りなのだ。
元老院警護隊のタルタルのおっさん。何度か警備関係のお仕事を言い付かってる。
それだけじゃなく、冒険者時代に色々ごちゃごちゃあったのだ。
守護戦士セミ・ラフィーナと喧嘩した所を仲裁してくれたりとか、そのせいで借りを作ってしまった挙句、とんでもない仕事押し付けられたりとか。
タルタルには珍しく、ものすごくおっさん臭い人だ。
「どう言えば納得する?」
腕組みをしたままで、ギロリとアレスさんを睨む。
いきなりそんなこと言われても。
「あー、カウリオリ…多分どういう風に言われても逃げ出したくなると思う」
目を泳がせるアレスさん。
「…アレスよ。お前さん弟子を取ったんだとな? なんでも槍使いだとか」
「やめてくれ。取りたくて取ったんじゃない」
それでもアレスさんは決して嫌がってるわけじゃない。実は教える事が面白くなってきている最中だから。
だから、やめてくれなんて言いつつも、顔は半分にやけていた。
それを見たカウリオリさん、
「で、だ」
一呼吸おいて、またもギロリ。
アレスさん、それに合わせて視線をそらす。
「プレゼントだ」
「…は?」
あまりにも予想外だったんで、そらせていた視線をカウリオリさんに戻した。
「ただし、その弟子にじゃない。お前さんにだ」
「…俺に? あんたが?」
さっぱり訳が解らない。
「どういうことなんだ?」
だから訊いてみたのだけれど、
「わからん」
って答え。
一気にずっこけそうになるアレスさん。
「カウリオリ、あんたも知らないってどういうことだよ!?」
「ふん、実はな…」
話を聞いてるうちに、アレスさん、どんどん青くなってしまった。
まず、ラーアル団長からじゃなかった。そこはひとまず安心。
だけど、連邦政府のごく一部の人間は、アレスさんの弟子が闇竜を飼っていることを知ってたのだ。
勿論いい顔されるわけがない。カウリオリさんが、噂が広まるのをなんとか押しとどめているけど。
セミ・ラフィーナなんかはアレスさんのことを信頼してないから、いい理由とばかりに排斥に掛かるだろうってこと。
外交特権持ちのアレスさんは、通常の手段では追い出せないから。
英雄ってのは、とかく知らない間に敵をたくさん作っていたりするから厄介だ。
で、ここからが意味不明な所。
アレスさんの青くなった顔を塗り替えるように、べたべたと大量の疑問符が貼り付けられた。
数日前、セミ・ラフィーナの何番目かの側近であるミスラが、この槍をカウリオリさんに託した。
「アレスに」という事だったらしい。
それから今日に至るまで、セミ・ラフィーナやその周辺の人たちは、アレスさんのことをまるで気にしないようになってしまった、との事。
「…なんだそりゃ?」
「記憶を消されたというわけではない。お前さんの事はしっかりと覚えておったからな。しかし、今まで彼女らにあったお前さんに対する敵意みたいなものがすっかり抜け落ちていた」
カウリオリさんも首をひねっている。そのままムチウチにでもなってしまいそうなぐらい。
「そりゃ嬉しい事だけど…」
だからと言って、納得できる事じゃない。
今すぐ神子様の部屋の前まで行って問いただしたい所だけれど、呼ばれてもいないのに上に上がったらグババ様に跳び蹴りを食らわせられるに違いないから、一応控えておく。
「どうするんだ?」
カウリオリさんがアレスさんに効く。
「どうもこうも…訳が解らない」
アレスさん、その槍をじっくり観察してみる。本当に漆黒。光を跳ね返さないのだ。
材質は…見た感じ普通のミスリルのはずなんだけど、何故か黒い。魔法銀が何かで硫化したような。
穂先から石突までじっくり見てみると…アレスさんの目が一点で止まった。
刃が成型され始めている所。最近しょっちゅう見ている紋章が刻まれてたりしたもんだから。
それを目に留めてアレスさんはしばらく静止。きっかり三秒後に深いため息を吐いた。
「オーケー、わかった。とりあえず頂いていく」
そう言って立ち上がって槍を肩に担いだ。
「アレス、どういうことだ?」
アレスさん、それには答えず、
「今日は仕事はないんだな?」
それだけを確認して、スタスタと階段の方へ向けて歩き始めた。
「そりゃそうだが…おい?」
「悪い。ちょっと考えたいんだ」
アレスさんは振り返らない。
「そうか…あ、お前さん最近クピピの相手してやってないな? さっきはやたら嬉しそうだったぞ。あまり放っておくとそのうち酷い目にあうと思うが」
「悪い。それもフォロー頼む」
アレスさんは振り返らない。
「むずかしいな。彼女はお前さんと喋ってる時は素直で可愛らしいんだが、俺だとな。まぁ努力はするが」
「悪い。てか、カウリオリは女心についてもっと勉強しろ」
アレスさんは振り返らない。
「お前さんは女心がわかってるってのか? …っておい!?」
既に声の届かない所へ行っちゃった。
カウリオリさん、肩を落とす。そしてぶつくさ。
「クピピの機嫌が悪くなると皆迷惑するんだぞ…お前さん何のために天の塔へ来てるんだよ…彼女の我儘を一身に受けるためだろ? お前さんは英雄なんだからそうする義務があるだろうが」
いやいや、カウリオリさん。それは絶対違うから。
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そのまま石の区の入り口から居住区へ入るアレスさん。
自分の部屋まで歩いていって、ドアを開けようとして…ノックする。
そう、まだディンさんはアレスさんの部屋へ居座っているのだ。
結局本国のゲートハウスに問い合わせはしたのだけれど、答えが返ってこない。
「まぁ、お役所ですから…」と総領事や領事館の鋼鉄銃士のあんちゃんは、さもありなんと頷いているのだけれど、一応役人とは言え臨時雇いで非常勤のアレスさんとしては、税金泥棒をされているような気になる。
だから、アレスさんは税金払ってないんだってば。
「は~い」
ドアの向こうから、フリルの縁取りのエプロンでもつけてそうな、うら若くて可愛らしい声が聞こえた。
それなのに、アレスさんはため息。
何故自分の部屋に入る時にノックせにゃならんのだ?
かといってノック無しで開けた日にゃ、目の前にどんな光景が待ち構えているかわかったもんじゃない。
心臓に悪い事はなるべく避けたほうがいいのだ。
「あー、入っていいか?」
「あ、師匠、いつでもどうぞ~」
…だから、まずい時もあるんだってば。お互いのために。
とりあえず頭を一振りしてドアを空けて部屋に一歩踏み込む。
ボタ。
上からクィクィル君が降ってきた。
アレスさんの頭の上に着地。そのまま丸まってしまう。
「…」
もう気にしないことにしよう。その方が身のためだ。そうだこれが普通なんだ。皆こんな風に生きてるんだ。
いきなり竜が降ってきてムチウチの危機に瀕することなんて、ごく当たり前なんだ。
頭の上に闇竜を載せたまま、わが身の不幸を必死にごまかそうとするアレスさん。
奥から本当にエプロンをつけたディンさんが出てきた。フリル付じゃなかったけど。
アレスさんと頭の上のクィクィル君を交互に見て言ってのける。
「あら、仲がいいんですね?」
もう何も気にしない。気にしたら負けだ。
「これ、使う気があるか?」
そう言って担いできた漆黒の槍をディンさんに差し出す。
「…なんです、この槍?」
「多分、君のために作られたものだ」
「え? 師匠が特注で作ってくれたんですか? プレゼント? うわぁ、ありがとうございます~」
違う!
けれどアレスさんは否定する気も起きなかった。
そして追い討ちが入る。
「あ、でも誕生日のとは別勘定ですよね? 期待してますよ~」
ディンさんは、にっこりとアレスさんに微笑む。
若い娘はハッピーでいいよな。
まぁタカリ自体はアレスさんにとっては大した問題じゃないけど。
喜ぶディンさんを放っておいて、アレスさん、机の上にどかっと腰をおろす。
行儀が悪いけど機嫌も悪い。
そんな乱暴さに驚いたのか、クィクィル君はアレスさんの頭から飛び退いて、台所に戻ったディンさんの方へ行ってしまった。
この槍は…間違いなくディンさんに使ってもらうためのアイテムだ。
どういうマジックアイテムなのか、そして誰が作ったものなのか。その人物は何を狙っているのか。
…謎である。
だけど、アレスさんはとことん実践主義。
データを集めなきゃ始まらないのだ。とりあえず使わせてみて…何か不味い兆候が出たら、その時はすぐに取り上げればいい。
危機管理がなっていないなんて言われるかもしれないけど、それはシミュレーション手法が確立している状態での話だ。
こんな得体の知れない竜騎士絡みのマジックアイテムなんて殆ど例がない。だから予測もしようがない。
実践主義なんて言っておいて、単に頭が回らないだけかもしれないけど。
彼だって一応英雄。世界の謎や魔法については普通の人よりも知ってることは多い。
でもそもそも絶対数が少ない竜騎士、ましてや幻獣である竜の事だ。アレスさんでも多少無理がある。
竜と竜騎士の専門家って言ったら、有名な竜騎士が潰えてしまった現在のヴァナ・ディールでは、それを殺す立場のサンドリア王国王立騎士団団長ラーアルを指す。
だけど実際に「弟子が闇竜と契約しちまった。どうすりゃいい?」なんて訊こうものなら、間違いなくアレスさんとディンさんは王立騎士団の抹殺ブラックリストのトップ10に入ってしまうだろう。
あの銀の総髪のおっさんは容赦がない。
もちろん、ラーアル団長は正しくて。
実際アレスさん達が行おうとしたクィクィル君の最初の扱いのように、「危ない橋は渡らない」のが一番だ。
危機管理の視点からのオーダーのデザインってのはそういう事。
でも、これはアレスさんの直感なのだ。
クィクィル君は何のために現れたのか、そしてこの黒い槍。
ディンさんには契約による悪影響は全く観測されていない。
それどころかディンさんは、クィクィル君によって竜騎士としての道を示され、そして適正もあったおかげでどんどん成長している。
この槍ももしかしたらその類なんじゃないか、とアレスさんは思ったわけだ。
上手く使えば、ディンさんの成長にすごく役立つかもしれない。
しかもアレスさんには、反動はディンさんには行かないだろうという確信もあった。
カウリオリさんの話を聞く限り、このマジックアイテムの反動が災いだとしたら、それはアレスさんに襲い掛かる…と思える。
だから、アレスさんは一安心。
とりあえず自分だったら何とかなるはずだから。
それだけ考えた時に、
「ししょ~、お皿出して置いてくださいね~」
なんて声が台所から聞こえてきた。
朝ご飯はアレスさんが二人分作る事が多いけれど、その代わり晩御飯はディンさんが作る事が多い。
最初は全部やろうとしていたディンさんだけれど、朝に弱いみたいで結局諦めた。
まぁ、バストゥークっ子が作ってくれるご飯だから、アレスさんに文句は無い。
アレスさん、ため息をつくと小さなテーブルの上を片付け始めた。