My dear, littel Hero - そして次へのリーピング - 前編

./

ポチャンと団子が水面に叩きつけられる音。
着水したそれは、ほんのちょっと溶け出してそのまま沈んでいく。
そんな音がもう、3、4時間も続いている。
連続というわけではなく、時たま思い出したように響く。

真夜中、鼻の院の脇。魔光草の花の発する青白い光が、ぼんやりと近辺を照らしている。
それだけで雰囲気は充分に怪しい。
その上、一人橋の上に座っているタルタルの女性の白い顔が幽鬼のように浮かび上がって、さらに怪しげだ。
古典的な表現を借りれば、怪しさ大爆発、と言ったところか。

釣りをしているのはネリリさん。
世界を救った英雄の一人であり、ウィンダスの『小さな英雄』と呼ばれる冒険者だ。

竿の先がくいっと引っ張られるのにあわせて、手先を軽く動かす。
でも水の中から現れたのは、小さな錘だけがついた空の釣り針。
スカったようだ。
なんの感情もなしに竿を引き上げると、針を手にとって。
脇の小さなバケツからミリオンコーンの粉とすり潰したミミズを合わせた練り餌を、ほんのちょっと指先でつまんで取り出して、針に練りつけて団子を作る。硬さは丁度耳たぶぐらい。
そしてまた、キャスト。

だいぶ長い時間経っているのに、辺りには釣り上げた魚の姿は一匹もない。
というか、魚を入れるバケツすら用意してないみたい。
なんのために釣りをやっているのだろうか…と本人も思ってたりする。
魚達に餌をあげにでも来たのだろうか。

「…私はなにやってるんだ?」
そう声に出してしまう。
ネリリさんには魚釣りの趣味があるわけじゃない。
趣味ではなく冒険者の嗜み、つまり暇つぶし程度にやっているぐらいで、結果的にそこそこの腕になってるだけ。
それでも、道具はそれなりのものが揃っているし、条件がいい時に本気でかかれば、好物の鮒寿司を仕込めるぐらいは釣れる。
なのに今は、釣り上げる気も無いような感じの釣り。
大体こんな夜中に釣りを楽しみたいのであれば、石の区へ行って肉団子を餌にしてピピラを狙うべきなのだ。
だから本当に意味がない。

今は彼女一人。
ついこの間、一緒に青白い光を浴びながらここに座って竿を振った人のいい男は、もういない。
ネリリさん、誰もいない隣をチラッと見る。
中途半端に長い黒髪のヒューム。
タルタルにとっては巨大な背中を思い出す。
頼りない頼りないなんて言われる彼だけど、それでもネリリさんにとっては大きな背中だった。

「アレス君…」
名前を呼ばれた人間とは正反対の小さな背中から、ネリリさんの声がポツリと漏れる。
寂しげなその声は、魔光草が放つ淡い光の中に消えていった。

./

「カウリオリ!」
真夜中の天の塔の内部に響きわたる大きな声。
ダンダンダンと石畳を蹴り飛ばす音を立てながら、ウィルパナルパさんがカウリオリさんの机の方へ歩いてきた。
「…ウィルパナルパか。どうした?」
残業をしていたらしいカウリオリさん。机の前のぼんやりとした橙色の明かりの下から、ウィルパナルパさんに声を返した。

短い足で急いで走って、ようやく机の前に辿り着いたウィルパナルパさん。
喋りだそうとしたけど、ゲホゴホと咳き込んでしまった。
別に体力の限界でもないだろうし、よほど興奮してたらしい。
「君は知ってたのだな?」
ゼェゼェと息をつきながらも、真剣な顔でカウリオリさんを見た。

一瞬眉を寄せる表情をしたカウリオリさんさん。コイツ大丈夫か?なんて考えてたりもする。
それでもまだ睨まれ続けてるんで、しょうがなく大量の書類にサインをしていた手を止めて、静かにのたまった。
「ようやく気がついたのか? お前さんらしくもない」
「私らしくないというのはどういうことだ?」
「いや、頭が切れていないなとおもっただけだ。さて…」
椅子を動かして、身体もウィルパナルパさんの方を向ける。
「それで、用件は?」

「君はどこから見ていた?」
ウィルパナルパさんは、目的語も何もなしにずばりそのものだけを問いかけた。
「どこから、というのは、どういう意味だね?」
やっぱり伝わらなかったようで、訊き返される。
「アレスという英雄をいつから見ていたか、という事だ。そもそも君はなんなんだ?」
「なんだ、というのは、どういう意味だね?」
今度は形容詞がない問いかけだけど、やっぱり訊き返される。
「アレスはセルビナで例の教えを受けたはずだ。マウラに長く滞在していたわけではないはずだぞ。そもそも君が彼に関わってくるのがおかしい。ずっと君がアレスのバックにいたのか?」
ダンと右足でふみおろして、憤慨したように装うウィルパナルパさん。
さっきの大声をあげて駆け寄ってきたのも、今の表現も、実はカマをかけているだけ。
相手に事の重大さをわかってもらうための演技だ。
だけど、それはやっぱり通じなかったようで。

「お前さんが何を怒っているのかは知らんが…俺とアレスは元々そっち繋がりではないよ」
ウィルパナルパさんの予想外の答えだった。
「…なんだと? だが君がマウラ総督府の命令を受けて英雄の支援をしている事は、我々には周知の事だ。それは間違っているという事か?」
「それは正しい。しかし英雄になる前のアレスとは、ヒドゥンサポーターとして関わっていたわけではないのだよ」
あっけに取られるウィルパナルパさん。

ウィルパナルパさんやラティシアさんのメインの仕事は、英雄を影から支援することである。
でも国から期待されているのは決してそれだけじゃなく、英雄達が国へは隠してしまうような大事な情報をしっかり掴んだり、また他国との情報合戦に負けないために英雄を囲い込んでおく…つまり、猫の鈴の役目も重要な仕事だ。
どっちかっていうと、国としてはそっちの方を期待しているに違いない。
実際、それぞれの英雄は、少なくとも一つ、大概はそれ以上の数の組織の支援を受けている事が普通だ。
エアハルトならばノーグとブルスト、シェルスティンはバストゥーク、ネリリさんはウィンダスとセルビナの詩人、サンドリアの英雄はリュシアン近衛騎士であり、今はエレノア司書官が取って代わっている。
つまり各国家、組織は、現在は協定の関係で実際に戦争をすることができないわけで、それに代わる利権戦争や情報戦争はそれだけ熾烈を極めているわけだ。
でもアレスさんの後ろには、なぜかバストゥークに関わる人間の影は見えなかった。
だからこそ「ウィンダスが彼に関する利権と情報を独占できるように仕向けろ」という院長と博士の命令を受けて、ウィルパナルパさんは彼に近づいたのだ。
カウリオリさんにマウラ総督府の息がかかっているのは確かだったし、彼はアレスさんとも親しかった。
ウィルパナルパさんは、カウリオリさんの本当の姿を院長や博士に知らせることはなく、適当にごまかしながら命令を遂行しているわけだけど…

「聡明なお前さんにしては、珍しくこんがらがっているようだな」
口の端を引きつらせて、カウリオリさんが言った。
「…私はそれ程頭がよいわけではないよ」
ウィルパナルパさんは憮然としてそれに答える。
その反応を聞いて、カウリオリさんは楽しそうに言った。
「ならばヒントを出そう。アレスが最初に連邦首都に来た理由とは何だ?」
「それは…冒険者を選別するための視察任務と銘打った…我々や我々の上司の情報交換のはずだが…?」
「実際にアレスがやった事はなんだ?」

ウィルパナルパさんの頭の中で、彼とラティシアさんが身分を明かして会ったばかりのアレスさんが笑っていた。
いや、そんな光景が見えたような気がする。

そこでやっと気がつく。
「…なるほど」
ハッと顔を上げるウィルパナルパさん。目がしっかり開かれている。
情報の追い討ちをかけるカウリオリさん。
「ちなみにあの槍は、星の神子の周辺…つまり守護戦士のミスラ達に最初に渡されたものらしい。アレスに渡してくれ、と」
「ふむ、そういうことか。バルガの舞台…闇の竜…セミ・ラフィーナ…繋がるな?」
「ああ、繋がるぞ」
真面目腐って頷くカウリオリさんだ。
「同時多発的に起きたあの各国の事件、それぞれ討伐命令が他国の冒険者に対して出された。その中で我が国だけは唯一他の国とは違った理由で命令を発行したわけでな…ヤグード達からその見返りを貰っていなければおかしい」

「…フフフ…ハハハハハ」
ふとウィルパナルパさんが笑い出した。
「そういうことか、いや、私は何を考えていたんだろうな?」
自嘲するように呟く。
「俺も気付いたのはついさっきだ」
カウリオリさんも苦笑する。やっぱり自分に呆れたような感じの笑いだ。
二人で一頻り、気持ち悪く笑った後、
「お前さん、ディンといったか、アレスの弟子に協力するのだろう?」
カウリオリさんがウィルパナルパさんに確認するように訊いた。
「私だけではなく、ラティもそのつもりだ」
まだ笑いながら、ウィルパナルパさんは頷く。
「ならば、サンドリアだな?」
またコクリと頷く。
「一応紹介状を書いておこう。お前さん、まだエレノアには会った事がないな?」
不思議そうな顔になるウィルパナルパさん。エレノア女史が出てくる話なのだろうか?
「エレノアって…彼女か? それは会った事がないが…関係するのか?」
「彼女の王国での役職を忘れたか? 文章を全て握っているのだぞ? 彼女ほど権力を持った人間はそう滅多にいない」
「なるほど。確かに公文書担当の司書という立場の人間は強い」
納得したウィルパナルパさんだったけど、
「しかし普通は、権力を持っているというのは、偉いさん達を指すものだろう。エレノアにしろ、私達にしろ、しがない役人では権力などとは程遠いと思うがね」
カウリオリさんに異議を唱える。
「そりゃ一般に想像される権力とは違うさ。だけどな、俺やお前さん…この業界の人間は知ってるはずだぜ? 何が本当の権力なのかってことをな」
カウリオリさんは一見楽しそうな口調だけど、実際その顔は嫌悪に歪んでいる。
やっぱりウィルパナルパさんも同じような顔になる。
「フン、そんな権力を持っていたとしても、いざ事が起これば国に簡単に見捨てられ消される立場だからな」
ウィルパナルパさんの頭には、多分アレスさんの顔が浮かんでいるのだろう。

「まぁそれはいい。俺が紹介状を書いたほうがいいか? それとも他の人間に頼むか?」
ちょっと考えた後、ウィルパナルパさんは答える。
「…ふむ。なら君にお願いしよう。残念ながら私のような軍師級でしかも冒険者とくれば、得体の知れない人間になってしまうからな。君は一応元老院警護隊の守護戦士だ。私よりも対外的な信頼度は高いだろう」
「わかった。それは書いておこう。ならばこれで話はお終いだな」
書き物に戻ろうとしたカウリオリさん。
だけど、ウィルパナルパさんが真剣な顔になってカウリオリさんを留めた。
「いや、まだ一つ問題は残っている。君は何者だ?」
そしてじっと見つめる。
カウリオリさんも、それに真剣な顔になって見つめ返す。

しばらく静かな時間が流れる。
でも、見つめあう二人の視線は決して静かじゃなかった。
たっぷり草粥が出来るぐらいの時間の後、フンとカウリオリさんが鼻を鳴らした音で、見かけ上の静けさも取り払われる。
「お前さんと同じ、しがない役人だ」
それは多分に自嘲も含まれているのだろう。
「…ならば今はそういうことにしておこう。君がディンに害を為さない限りな」
そう言い捨てて、ウィルパナルパさんはカウリオリさんの机の前を後にした。

./

ネリリさんは目を覚ました直後、あまりにもだらしない格好で自分が眠っていたことに気がついた。
おまけに胸元に汗をぐっしょりかいてる。

結局昨日は、何の理由もなく夜半まで釣りをしていたのだ。
ボウズだったけど。
居住区に帰ってきてそのまま竿を放り投げて、一応手と顔だけ洗って上着を脱いで、そのままベッドにもぐってしまった事を思い出す。
「ん…このままだったか」
なんで自分は昨日帰ってきてすぐに寝ちゃったんだろう?って不思議になる。
そんなだらしない事は基本的にはしないはずなのに。

目やにを取ろうとして手を目にやって…そこで目の周りから耳に向かって塩の線が出来てる事に気がついた。
「私…泣いたのか?」
どれぐらいぶりだろうか、と思う。
子供の頃は泣き虫だったような覚えがあるけど、魔法を学んで冒険者になって…いつのまにか泣く事を忘れていた。
誰かのために泣くのは、本当に久しぶりだろう。
「アレス君が泣かせてくれるなんてね」
ポツリと呟いて、すぐさまバチンと頬を両手で叩く。
そして、顔を洗いにタオルを肩にかけて洗面所へ向かって歩き出した。

「で…なんで貴女が居る?」
ネリリさんの部屋の小さなちゃぶ台には、なぜか焼きたての黒パンとウィンダス風サラダ、そしてゆで卵がきっちり二人分、所狭しと並べられていた。
もともとネリリさんは殆ど自宅で食事をしない。
だから、小さいちゃぶ台でも充分だったんだけど…まさかこんな事態になるとは。

呆れたように自分の向かいに座る若い女性を見るネリリさん。
「ええ、ウィルパナルパさんがしばらくネリリさんについてみたらどうだ?って」
ディンさんも、まださすがにニッコリとしているわけじゃない。
昨日は喧嘩をした人なのだ。
男…というか師匠を取り合ってるわけだ。
そんな相手なんだから、さすがに愛想はよくならないだろう。
不承不承って感じの、ちょっとばかりブスっとした顔。

「あのクソ親父が…」
ラティシアさんに聞こえたらまず間違いなく殺されるような暴言でウィルパナルパさんをこき下ろすと、
「で、これはなんなんだ?」
今度は本当にわからないといった顔になるネリリさん。

「あ、すいません。ウィンダスティーじゃなくてコーヒーなんですけど」
ディンさんはその質問を完全に無視して、錬金術の技を使ったお手製らしい、硝子に銀をメッキした保温ポットの中に入っていたコーヒーを、やっぱり持ち込んだカップの中に注いで。
「はい、どうぞ」
ネリリさんの前に出す。

「…私の質問に答えてくれないか?」
「あ、やっぱりパンとコーヒーとゆで卵ではダメでしたか? サラダは一応ウィンダス風なんですけど…そう言えば師匠も私が住みこむまでは、朝食はタルタルライスと塩引きの鮒だったとか言ってましたね…」
暢気に答えるディンさんに、ネリリさんのこめかみの血管がピクピクと痙攣した。
さすがのディンさんもそれに気がつく。
コーヒーが入ったカップをちゃぶ台の上に置くと、籐の座布団に正座しなおして、俯きながら上目遣いでネリリさんを見直した。
そしてオズオズと声を出す。

「実はネリリさんにお願いがあったのですけれど、見返りとして私に出来る事ってこれぐらいですから…朝食を」
「なにか? 今度は私の弟子になりに来たのか? それでおさんどんをやるって?」
ネリリさんは、嫌そうな顔をしながら目の前で手を振った。
「私は弟子なんか取らないよ」
だけど、ディンさんはの反応はネリリさんの予想外のものだった。
ギッとネリリさんを睨みつけるディンさん。
「…違います。私の師匠はアレス=ウィルマルクただ一人ですから」
静かだけれど、はっきりと意思のこもった声。
ネリリさんはちょっと気圧されてしまう。
「じゃあなんだい?」
タジタジとなりながらも、訊いてみる。
「訊きたい事があったんです」
息を吸い込むディンさん。
そして、一音一音確かめるように質問を口に出した。

「師匠は一体何者なんですか?」

ネリリさんの目が、すうっと細くなる。
「『英雄』って…『世界を救った』って…」
ポツリポツリと、言葉を繋ぐ。ディンさん、周りの人達が話していたことを、結構しっかり聞いていたのだ。
「そう…だけどわからないな」
「なんです?」
「それを知ってどうする?」

今度はディンさんがタジタジとなる番だった。
「そ、それは…一番弟子として…」
「どうやら自分でも明確な理由がないとわかってるようね」
機嫌の悪い声を出すネリリさん。
ディンさんは俯いてしまう。
そんな目の前の少女を見て、ネリリさんは一つため息をついた。
「まぁ知りたい動機がどうであれ、今の貴女に知る資格はないと思うね」
澄ました顔のネリリさんの声を聞いて、カッとディンさんの小さい頭に血が上ってしまって、
「資格ってなんですか!? 私が師匠の弟子だっていうのは資格になりませんか!?」
ガルルルと吼えそうな感じの声を出す。いや、もう既に吼えてるか。
「不足だ。貴女はまだ私達の場所まで辿り着いてない」
「場所っていったいなんですか? 『英雄』って場所なんですか!?」
しかめっ面になるディンさん。
そんなわけのわからない理由で断られても困るのだ。
だけど、
「私は話さない」
ネリリさんの断固たる拒否が飛んでくる。
「そんな…」
ネリリさんはディンさんの泣きそうな顔を無視して天井を見上げると、目を閉じて鼻から息を吸い込む。
そしてディンさんをもう一度見つめた。
「いずれ貴女がアレス君や私達に追いつけば、自然に見えてくることだろう。何があったのかを知るのはその時でも遅くは無い。それに…」
それに、ラオグリムの問題はまだ解決していない。
ネリリさんは首を突っ込むのを止めているけど、今でもエアハルト達は特殊な時の流れる場所でラオグリムのために戦っているだろう。
それが終らなければ、本当の意味で何があったのか、何が起きつつあるのかを語る事は出来ないのだ。

「追いつく…それってどういう?」
不思議そうな顔になるディンさん。
「さあね…さて、用意されたものは一応頂くとしよう」
そう言ってネリリさんは箸に手を伸ばした。

./

食後の一服。
食後のお茶はネリリさんの希望でウィンダスティーになった。
ズズズと音を立ててお茶をすするネリリさんに、コクンと静かに飲むディンさん。
ディンさんは、ネリリさんのお行儀が悪いと、ちょっと眉をひそめたりする。
まだウィンダスの文化に慣れていないから、ご当地風のお茶の飲み方を知らないだけなんだけど。

「そういえば、貴女の竜はどうした?」
ディンさんがクィクィル君を連れてきていない事に気付いたネリリさんが訊いた。
「ああ、今日は寝てますよ…今日って言うか普段から昼寝ばっかりしてるんですけどね」
「竜騎士の竜ってそんなものなの? ずいぶんと怠け者だな」
「他の竜は知りませんけど、クィクィルはそんな感じです」
「食事は?」
「骨付きの羊肉を置いてきました。目が覚めたらかぶりつくと思いますよ」
「ふーん、調理したものを要求してくるわけじゃないんだね。ま、当然か」
「あ、でも師匠が焼いたピピラは好きみたいですよ。私が焼くと食べないんですけど。失礼しちゃいますよね」
尊大な契約相手を思い出して、ちょっとふてくされるディンさん。
でも、今しがた頂いたディンさんの料理は決してまずくは無かったとネリリさんは思う。
アレス君は結構上手だったからな…竜にまでそれと比較されてるのか。押しかけ弟子としては辛い所だ、なんて余計な心配もしてみたりもする。

「…ネリリさん」
湯飲みをちゃぶ台において、ディンさんがおずおずと尋ねた。
「なに? アレス君の事なら私からは話さないっていっただろ? まだ駄々をこねたいわけ?」
「違います!」
やっぱりネリリさんは常に一言多いらしい。特にディンさんには。
だからディンさんが気色ばむのもしょうがないんだろう。

「それじゃなに?」
「あれ…エン系魔法なんですか? 師匠から習った?」
「あれってなに?」
「襲ってきた竜に対して使ったじゃないですか。短剣で刺したら凍った…」
「ああ、あれ」
ネリリさんはぽんと手を叩いて、そしてかなりいやらしい表情になる。
「なに貴女、嫉妬してるのか? アレス君が使っていた技を私が使うのに、貴女は使えないって?」
「そ、そんなわけじゃ…」
明らかに狼狽するディンさん。顔も赤らんでる。
ネリリさんの言ってる事は確かなようだ。
「安心しなさい。あれはエンブリザドじゃない。ただ遅延をかけて、内部で発動するようにした精霊魔法」
「なんでそんな事を?」
「貴女、やっぱり馬鹿だな?」
「馬鹿じゃないです!」
「そのまま外部から精霊力をぶつけたら、あんたも巻き込んだだろ?」
「あ…なるほど」
ぽんと手を叩くディンさん。
それを見て、ネリリさんはしかめっ面になる
「…でも、ナイフの刃渡りも足りないのに一気に切り裂いたりとか」
ディンさんは
「アレは、短剣に仕込んでおいたエアロをタイミングを合わせて発動させただけ。まぁ擬似的なエンエアロとも言うかな? 大量の精霊力を一気に解放する分だけプレキャストなんかのコストが高くなるけど、威力は大きい」
「あ…なるほど」
もう一度手を叩くディンさん。
そう言えば精霊の力を付与した金属を使った武器とか何とか…そんなのがあったはずだ。
それを見て、ネリリさんのしかめっ面は更に厳しくなる。

「まぁいい。私は今日は仕事があるんだ。これから出かける。ああ朝食は美味しかったよ。パンとコーヒーってのは食べ慣れないものだったけど」
そう言って立ち上がるネリリさん。
「ちょっと待ってください、仕事ってなんなんです?」
ディンさんも慌てて立ち上がろうとする。
「…それを聞いてどうするの?」
立ち上がったディンさんの目を見上げるネリリさん。
「私もご一緒させてください」

起きてから何度目のため息だろう。
ネリリさんはもう一度ため息をつく。
「さっき言ってたウィルパナルパの提案か? はぁ…わかった。勝手にするといい」
そう言って背中を向けてドアへ向かって歩き出した。
慌ててそれを追いかけるディンさん。

./

「ええ、うん、そうね…偉いわね」
ディンさんは、とにかくびっくりしてる。
ネリリさんがニコニコしながら子供達の話を聞いてるのだ。
口調までやたら優しい。
…一体どういうことなんだろう?
ディンさんやウィルパナルパさんに対するものとは全然違う。

「だからさー、いなくなっちゃったんだよねー」
「シャニ・レスキヴィちゃんがわるいんだよー」
「そんなことないわよ!ミトナラリナだってやっちゃえっていったわよー」
「だってー、スターオニオンズだんってさいきんナマイキなんだもーん」
キミも充分生意気…ディンさんはポリポリとこめかみを指で掻いている。
その前では、タルタルとミスラの子供達が口々に叫んで、今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうな感じ。

「あー、はいはい。喧嘩をしないでね。大丈夫だから」
ディンさんはもうびっくりしっぱなしだ。
子供達を優しくなだめるネリリさん。
そんなの、ディンさんの予想の遥か遠くを行ってる。
ところが。

「ネリリおばさんがー」
ここで、ビキビキっといつもの音がした。
唇の片方が歪み眉が寄せられ目が細くなる。
子供達もさすがにその表情に気がついたんだろう。
まだその表情が何を意味するのかはわからないし、言った事の何処が悪かったのかもわからない。
でもまぁ、なんというか…子供の勘はすごいのだ。
「ネリリおねえちゃん、おねがいね!」
ミスラの女の子が汗を流しながらそうフォローを入れると、子供達は一気に脱兎のごとくその場から逃げ出した。

チッとネリリさんから舌打が漏れる。
「子供はいつでも残酷だ」
「はぁ…でもしょうがないんじゃないですか?」
「…何がだ?」
「だってネリリさん結構歳いってま…」
「違う!」
相手がディンさんだから、今度は容赦無しに睨みつけるネリリさん。
「依頼のことだよ」
「…これが依頼なんですか? 子供達から?」
ちょっと不思議な顔になるディンさんだ。子供達から依頼を受けるなんて聞いたこともない。
だいたいお金にならないんじゃないだろうか?
ネリリさんがお金に不自由してないってのはわかるけれど、それにしても。
「依頼主は子供達じゃないよ。親の方だ」
ネリリさんが軽く首を振って言う。
「親の方から、放っておくと子供達が危ない事しそうだから、みてやって、って?」
「そういうこと。残念ながら魔法学校出でも、皆が護身や戦闘用の魔法を使えるわけではないからね」
「あ…言われてみればそうですよね。だったら城門の外に出るのは辛いです。子供達を暖かく見守るなんて出来ないですね」
バストゥーク人であるディンさんは、今までぼんやりとウィンダスの人は皆戦闘用魔法のプロフェッショナルだと考えていたのだ。
確かにイメージとしてはそんな感じでもあるが、さすがにそれは無茶苦茶ってもんだろう。
ノーグのような殆どが戦闘員という組織ならともかく、東方の大陸の全ての人がカタナを振り回してるという誤解と一緒だ。

「で、残酷って?」
ディンさんはネリリさんに訊く。
「あの子達が言ってた犬の子供…多分もう生きては居ないだろうから。そういうことを出来るというのは残酷故なんだよな」
「…そうですね」
ディンさんもあっさり答えた。
子供達の依頼というのは、みんなで倉庫裏で飼ってた子犬を探して欲しい、ということだった。
なんでも、別のグループであるスターオニオンズ団とかいうのにその飼ってた子犬を見つけられてしまって、俺達の場所を使うなって喧嘩になって…それで他に隠せる場所も思いつかず、とりあえず城門の外へ放したというのだ。
で、一週間後の両グループの総力戦にまで発展してしまった喧嘩の後に、子犬を迎えにいったら居なくなってた。
それを探して欲しい、ってことなのだ。
ディンさんは不覚にも笑ってしまったものだ。子供達にもグループ同士の対立や縄張り争いがあるなんて。

「珍しいですよね。バストゥークでは犬を飼う事も多いですけど、ウィンダスに来てから犬を飼ってる人なんて見ませんよ」
「貴女やっぱり馬鹿だろ?」
呆れたような顔になるネリリさん。ディンさんに対する定型文が飛び出した。
「馬鹿じゃないです!」
ディンさんも定型文で答える。
「この連邦首都に住んでいる人間を考えてみな。タルタルが犬を散歩させられるか? ミスラは犬を苦手としてるだろ?」
「あ」
一瞬ポカンとするディンさん。
彼女の頭の中に踊ったのは、手綱を握ったまま犬に引きずられるタルタルや、犬と目が合ってパニックに襲われるミスラの姿。
言われてみればそれは確かで。バストゥークでも犬を飼ってるのは、殆どが巨大な身体をもつガルカだった。
ヒュームもあまり犬を飼う事はないようだし。
「すいません。確かに私が馬鹿でした」
ちょっとしょぼくれてしまうディンさんに対して、ネリリさんは尊大に、
「わかればいい」
なんて言ってしまう。
また頬を膨らませてしまうディンさんだけど、
「でも、子犬…見つけられないですよね?」
ちょっと不安そうな声を出した。

子犬が街の外に出てしまったのだったら、まず間違いなく野生に戻れずにのたれ死んでる。
万が一の運のよさで野生に戻ったとしても、連れて帰るのは無理だ。
「依頼としては、子供たちが危険な事をしないように…という事だったからな」
「どうするんです?」
「子供達を納得させればいいだろ? 教育に配慮したやり方でさ」
そういえば師匠も、教育的配慮って言葉を多用してたなぁって思い返すディンさん。
でもさ、師匠はいいんだけど…、
「ネリリさんのどこを取ったら『教育的配慮』なんて言葉が飛び出てくるんだろう…」
「何か言ったか?」
ブルンブルンと首を振るディンさん。

「アレス君が言ってたな…『犬は忘れない』…か」
ネリリさんが、アレスさんの話を思い出す。
「師匠が?」
「ああ、駆け出しの頃の依頼で、なかなか感慨深い依頼だったって」
「どういうのです?」
「ガルカが転生の旅に出て、飼い犬が…あれ?」
「なんです?」
「詳しい事は忘れた。とにかく、犬の首輪を持っていったら依頼主は納得したんじゃなかったかな?」
「…はぁ? さっぱりわかりませんよ」
なにがどうなってどういう風に納得したのか、ディンさんにはさっぱりわからない。
だから、そんな声を出したのだけれど、
「私がやった依頼じゃない。私にだってわかるわけがないだろ!」
ネリリさんからは有無を言わせない怒声が飛んできた。

まぁとにかく、その手法は使える。
天国で暮らしているとか何とか、そんな感じのことで。
子供はすぐに忘れるだろうけど、教育的配慮を考えたら、なにかしらの痕跡を子供達の心に残すべきなのだ。

「本当に教育的配慮考えてるんですね…」
「当たり前なんじゃないの? 次代のヴァナ・ディールを作っていくのはあの子達だぜ」
「次の世代?」
「私は、歳を取ったときに、『私の若かった頃は』なんて愚痴をこぼしたくないんだ。だからそう言わないために、子供達と接する時にはきちんと考える。よりよい時代を作ってもらうためにね」
ディさん、ネリリさんをちょっとだけ見直したもんだ。
ディンさんの周りには少なかったけど、老人達やおじさんたちは事ある毎に「昔はよかった」とぼやくらしい。
でも、次の時代を作っていく子供達は、彼らが育てたわけで。
なんと言うか…ネガティブに『情けは人のためならず』をいってるわけだ。

「依頼をしてきた親に会いに行く。多分子供達のやってる事はお見通しだっただろうし、何かしら知ってるかもしれないから」
そう言うと、スタスタと歩き出してしまうネリリさん。
ディンさんは慌てて彼女を追いかけた。

./

「あらあら、よく来てくれたねぇ」
「こちらのお嬢さんは?」
「弟子なの~? へぇ~若いのにすごいわねぇ。私なんか全然ダメよ~」
「ところでどう? 決まった相手とか居ないの? 実はね~ヒュームの知り合いの息子さんなんだけどね~」
ディンさんはどうも居心地の悪さを感じている。
ヒュームの感覚でいくと完全に少女としか見えない女性が、やたらとおばさん臭い言動をするのだ。
いくら慣れてきたとは言え、こんなにも強烈なのは初めてなので、ディンさんとしては違和感感じまくりで上手く煙に巻くことも出来ない。

「それで…子供達に話は聞いたんだけどな、無理だね、アレは」
渋い顔をして、湯飲みを抱えながらおばさんに説明するネリリさん。
「あら~、やっぱりそうよね~」
やっぱりおばさんも予測してたようだ。
「それでまぁ私としてはな…」
言いかけたネリリさんを遮って
「わかってるわよ~。ネリリちゃんの思う通りにやっちゃってもらっていいわよ~」
朗らかにぽんとネリリさんの肩を叩くおばさん。本当にわかっているのかどうかは謎だけど。
大体、英雄であるところのネリリさんを捕まえて、「ちゃん」呼ばわりである。
「…で、子供達が育ててた子犬は首輪か何か、そういうシンボルをつけてなかったの?」
「首輪ね~そういうのは着けてなかったと思うのよ」
あっさり期待を裏切ってくれる。それじゃネリリさんの思うようにはならない。
やっぱりこのおばさん、わかってないんじゃないのか?
ガキッと固まってしまうネリリさんだった。
「…それじゃ…どうしたものかな?」
幾分情けないような顔になって天井を見上げてしまう。

「あの…私一つアイデアが…」
オズオズとディンさんが片手を上げた。でも肩はすくめたまま。居心地の悪さは相当なものらしい。
でも、ネリリさんはディンさんの方を見ない。天井を見上げながら、眉をひそめるという反応をしただけ。
「ほらほらネリリちゃん、こちらのお嬢さんがいい考えがあるって~」
無視を決め込もうとしたネリリさんの退路を完全に断ってしまうおばさんだった。
渋々ディンさんの方に顔を向けるネリリさん。振り向く様子はギギギとでも音をたてそうな感じ。
「なに? つまらない意見じゃないよね?」
「つまらないかどうかは…ちょっとわかりませんけど」
ディンさんはそう前置きして、
「子供達の心に何かしらの思い出を残したいって事ですよね…だったら…」
アイデアを話し始める。

「そういう感じでどうでしょう?」
「…フン」
ディンさんが喋る事を黙って聞いてたネリリさん。終った所で一つ頷いた。
「あの…どうですか?」
自分がなにかトンチンカンな事を言ってるかもしれないなんて恐れがあるから、ディンさんは控えめに確認を取る。
「わかった。それでいこう」
ネリリさんから肯定の返事が返ってきて、ディンさんはほっと一息。
「じゃ、必要なもの調達しないといけないですよね。ここだとギルドがないんで…競売行ってきます」
まだお茶が半分以上残っているのに、座布団から立ち上がった。
やっぱり一刻も早くここから逃げ出したいらしい。
「あらあら、もう行っちゃうの~? あ、ちょっと待ってね~」
おばさんはディンさんが脱出するより早く、後ろの戸棚から書類らしき束を出してきた。
「これ、見ておいてね~。気に入った人がいたらすぐにでも紹介できるわよ~」
…つまりアレだ、見合い相手の釣り書きの束。たっぷり20人分はいるだろうか。
ディンさん、脱出クエスト完全クリアはならなかったようだ。
この際、スコアは低くてもいいから、とにかく早く脱出しなければならない。
そそくさと書類の束を受け取ると、ぴゅっと頭を下げて外へ駆け出していった。
ネリリさんはディンさんの背中を見て、ため息を一つ。そしてズズズとお茶をすすった。
「さて、ネリリちゃん、あなたの分も用意してあるわよ~」
一人に逃げられてしまったので、当然攻撃ターゲットはネリリさんに移るわけで。
ネリリさんも30秒後には、その場を逃げ出すことになっていた。