天空まで達しそうな跳躍と、その後の落下。
聖なる竜騎士は、勢いに任せて邪竜の背に巨大な槍を突き刺した。
響き渡る竜の悲鳴……断末魔。
そのまま倒れこむ竜の背を蹴り飛ばし、再び跳躍。スタッと鮮やかに雪の上に着地する。
ドオォオンと盛大な音を立てて、悪しき印を持った竜は雪原に倒れ臥した。
辺りには地面に降り積もっていた粉雪が舞い上がって、幻想的な光の屈折を作り出す。

自らの槍を見て、何が気に入らなかったのか目を細める聖なる竜騎士。
槍を振ると、白い氷雪に紫がかった竜の血が飛び散る。
「……これで今月のノルマは達成か……これ以上俺が殺さなければの話だが」

そう言い捨てると、帰還の魔法が込められた呪符を空に放り投げ、紫の鎧を身に纏った聖なる竜騎士はその場から消え去っていた。


一方……その封じられた北の大地に程近い国、サンドリアでは。
「なんでそんなに無防備で考え無しなんだ!? 正真正銘のバカだな!」
「バカじゃないです!」
アレスさんを巡る女二人、ディンさんとネリリさんの争いが、ウィンダスを離れても行われていたわけで。
隣では当然、ウィルパナルパさんが耳をふさぎながら、渋い顔を隠そうともしていなかった。
竜騎士の本場であると同時に、当代きってのドラゴンスレイヤーが強い影響力を持つ国だから、闇竜であるクィクィル君はウィンダスでお留守番。はっきり言ってここに来たら彼の命の保証はない。
だもんで、この場にいる人間でその喧嘩を止められるのは、ウィルパナルパさんだけなのだ。
だけど、ウィルパナルパさんはもう何も言わない。言った所で返り討ちにあうのは見え見えだから。
つまり、この状況、二匹の怪獣は野放しだ。

なんでネリリさんが怒っているかと言えば。
ディンさんはマヌケの中の大マヌケって感じで……ウィルパナルパさんから預けられていたサンドリアの公文書担当司書官への書状を、街中で掏られてしまったから。
いや、どっちかって言えば、そんな大事なものをディンさんに預けてしまったウィルパナルパさんが悪いんだけど。
ネリリさんとしては、やっぱり恋敵(?)であるところのディンさんの方に怒りを向けたいのだ。
実際の責任の所在なんかどうでもよくて、それが攻撃の材料に使えるとなれば、恋敵(やっぱり?)に罪を被せたがる。
女性ってのは本当に厄介だ。


その場にいないラティシアさんはどうしてるかと言うと、両手に書類を抱えて、商業の中心南区と、官公庁や技術職が集まる北区を結ぶ門の下を歩いていたりする。
北サンドリアの在サンドリアのウィンダス領事館で、出張旅費の部分清算を行っていたのだ。
普通のベテランクラスの冒険者達と違い、ウィルパナルパさんとラティシアさんは個人財産をあまり持ってない。
何でかって言えば、それはサラリーマンだから。
一部の冒険者……つまりベテランになるまで冒険者を続けているような連中は、まぁ例外もいるにしろ、大抵はものすごく金持ちだ。
それに対して、基本給プラス危険手当てプラス戦闘手当て、という形でサラリーを貰っている役人はかなり貧乏。
こうやって頻繁に清算を行って、常にある程度の現金か、すぐに換金可能な宝石を身に着けていないと、いざという時に身動きが取れなくなったりする。
なにせ冒険者をやっていると、予想もつかない時に大金が必要な事態が結構起こるから。

ラティシアさんが一緒にやることになってからというもの、ウィルパナルパさんはこの手の会計をすっかり妹に任せてしまっている。
もともと向いてないといえば、その通りだったし。

手には書類、今は街中にいるからだろう、鎧や鎧下という格好じゃなくて。
トップは白いブラウスに紅花で染めた黄色の厚手の木綿のベスト、ボトムはブラウンの上等なバックスキンのロングスカートという服装のラティシアさんだ。
特徴的な薄いプラチナブロンドは、後ろ上で軽く束ねて大き目の黄銅のバレッタで留めている。
足だけちょっと特殊で、あまり優雅さを感じさせない頑丈でゴツイ革製のブーツ。
それでも武器の類は何も帯びていないし、結構お金がかかってそうで尚且つセンスのいい今の格好だけを見れば、どこぞの両家のお嬢さんが花嫁修業にどこかのギルドで事務でもやっている、頑丈なブーツは作業場で怪我をしないためのものなのかもしれない…ってな想像をするのが妥当な所だ。
……と言うのはウィンダス人やバストゥーク人の考え方で、サンドリア人は決してそうは思うまい。
サンドリア人にとっての花嫁修業とは、ちゃらんぽらんに遊んでドレスで着飾って日々を楽しく過ごすことなのだ。

だからラティシアさんは、今この場所では注目の的である。
なにせそんなハイソっぽい少女が、ドレスで着飾ったりお供をつれたりしないで、書類を抱えて街中を歩いているのである。
もともと世襲制で女性も多かった官界なら別だけど、下々の世界では男尊女卑がまだまだ通じるのがサンドリアという国である。
南サンドリアの競売前は人も多いし、もの珍しそうな顔で、彼女をじろじろと見る人達の多い事多い事。
男性はその殆どがほけ~と見とれてしまうし、女性は同じように見とれてしまう人と嫉妬が顔に出てしまう二種類。
ラティシアさん、そんな視線をものともせずに颯爽と三人がまっている居住区に向かって歩いていた。

居住区に程近い噴水の側で、ラティシアさんはふと足を止める。
幾人かの人達が露店を開いているのだ。
ここらへんの常設の露店は、各地の名産を扱っていることが多いのだけれど、常設の店の他にも、工作がある程度たまったら店を出す連中もいる。
大抵は、ギルドに銘入りのモノを買い取ってもらえない下っ端ギルド員が出しているのだけれど。たまにはびっくりするぐらい上等なセンスのいいものを見つけたりすることができたりするのだ。
ラティシアさん、そんな露店の一つを覗き込んだ。

「いらっしゃい」
白髪を後ろで束ねたお爺さんのエルヴァーンが愛想よく挨拶してくれた。
お爺さんの前にはゴザが広げられ、その上に何枚かのビロード。さらにその上には質素だけどデザインのいい黄銅や銀製品のアクセサリが並べられていた。
指輪だけじゃなく、髪飾りやトルク、黒い革のベルトに銀のオブジェをつけたチョーカー等等。
なかなか可愛らしいデザインの物が多い。
とてもじゃないけど、目の前の白髪のお爺さんが作ったものとは思えないような…なんとも少女チックな。
なぜか、上等の革と銀で丁寧に作られたらしい犬の首輪…?らしきモノがおいてあったのは気になる所だけど。
(これが女物のアクセサリと一緒に売ってるのは、どういうことなのでしょう? 女性が身に付けるものにしては……?)
首をかしげるラティシアさん。

ゴザの一番前には、バストゥーク風と思しき名前が書かれた小さな看板が立てられている。
ということは、バストゥークの職人が作ったものだろうか?
「これ、バストゥークから運んできたのですか?」
「それは俺の銘でして。ずっと昔にバストゥークの彫金ギルドで修行した時に親方から貰ったもんですわ」
「はぁ……そうですか」
そう言いながら、しげしげと並べてあるアクセサリを眺めるプラチナブロンドの少女。
この間の誕生日がきっかけで、こんな可愛らしいアクセサリにも興味が湧いてきたのだ。
もともと服は品がよくシンプルなものを好んでいたせいもあって、アクセサリにはあまり興味がなかったのにね。

その老エルヴァーン、ビロードの上を丹念に見回しているラティシアさんの指に目を留めた。
「なかなかいい感じの指輪ですな?」
ラティシアさんの左中指には、ウィルパナルパさんから贈られた指輪が収まっている。
「……ええ。兄からのプレゼントなんです。失われたお母様の指輪のイメージを引き継いだとか」
品物に目を這わせながら、少女は適当に答えていたのだけれど…
「ほう……そのデザイン、俺の元同僚が作りそうなものなんですけどな」
そこでやっとラティシアさんは顔を上げた。
「あ、実際に作ったのはバストゥークの錬金術ギルドの師範です」
「そんじゃ俺の知り合いかもしれませんな」
楽しそうに目を細めたお爺さん。
「銘がリン……」
そこまで言いかけた時に、
「こんにちは~」
可愛らしい声がかぶさってきた。
見れば居住区の方から歩いてくる……
「おお、来たな。どうだい?」
「お世話になってます~」
ふにゃと微笑む……タルタル女性? ちょっと驚くラティシアさん。
もちろんこのご時世、どこにどういう種族の人間がいようが、それは驚く事じゃない。
実際ラティシアさんだって、ヒュームなのにウィンダスに居住権を持ち、おまけに非正規扱いとは言え役人をやっている。
でも、サンドリアでタルタルの女性……どこかでバカ王子の悪い噂を聞いたような気がしますね……アレス殿はその噂を聞いたとき苦笑していましたが、あれはどういう意味だったのでしょう?

ちょっと考え込んでしまったラティシアさんの方に軽く手を上げながら、エルヴァーンのお爺さんはタルタル女性の方に向き直った。
「今日はどうしたよ?」
老エルヴァーンは、このタルタル女性と何度も顔を合わせているのだろう、ラティシアさんに対したような丁寧な言葉遣いじゃなく、老人っぽい気のいい口調になっていた。
「あ、私の買い物ですよ~。おじさんのすっかり気に入っちゃったんですよね~。あの水晶球もいいかんじでしたよ~」
(水晶球? そんなもの一体何に……?)
ラティシアさんの疑問は膨らむ。
そのタルタル女性はチュニックを着て、フードは下ろしている。腰には短剣。
おかっぱに整えた銀の髪の後ろの髷には、数個の星型に切り出したペリドットが金の鎖で櫛に結び付けられた髪飾りが光っていた。
一見しただけじゃ、どのような人間なのか想像がつかない。
「そりゃ嬉しい事を言ってくれるもんだね。何を探してるんだい?」
「えーとですね、プレゼントなんですけど……エルヴァーンの男女のペア製品って、どういうのが普通なんです?」

(……ぺ、ペアグッズ?)
ラティシアさんの唇が妙な形に歪む。引きつっているというか、そんな感じ。
そんなセンスのないものを贈られて喜ぶ人間が、まだ世界にいるのですか……世界は広い。
難しい顔をになって、ため息をつきながら首を振る少女。
(しかし……兄さんとのペアのものなら……)
否定しつつもそんなことを考えていたりする。やっぱりどっかおかしい少女だ。

「ふーむ、どんぐらいの身分のお方達だい?」
「一人は結構身分の高い文官で一人は近衛騎士です~」
「ああ、あのお方かい。そりゃお嬢ちゃんも選ぶのに気合がはいるね」
「そんな……お嬢さんだなんて~」
微笑みながらも顔を赤らめるタルタル女性。

隣でラティシアさんの唇が、またも妙な形に歪む。引きつっているというか、そんな感じ。
一応ウィンダスに長いこと住んでる身としては、タルタル女性の年齢の判別は付けやすい。
そりゃヒュームやエルヴァーン、ミスラほどには明確じゃないし、年齢による見た目の変化は殆どないのだけれど、長年付き合ってみれば、肌なんかで大体見当がつけられるようになる。
さて、そんな目の肥えた(?)ラティシアさんが判別するに……このタルタル女性は三十路か、そこら辺だ。
サンドリアに住むエルヴァーンにはただの少女にしか見えなくても、とてもじゃないが「お嬢ちゃん」じゃない。
正真正銘「お嬢ちゃん」なラティシアさんとしては、年増がお嬢ちゃんと呼ばれれば、自分がけなされたわけじゃないのにムカッとしてしまう。
そんなムカッと来た自分に気付き、
(ハァ……我ながら、女性とは恐ろしいものですね……)
自分の心がささくれだったのに、自分自身で反省するラティシアさん。

下を向いてため息をついたラティシアさんに、声がかかった。
「もしかして、ウィンダスの方でいらっしゃいます~?」
顔をやってみれば、ほにゃと微笑むタルタルの女性。
「そうですが…なぜ?」
「私もウィンダス人ですからね~。『お嬢さんって歳じゃないだろ!』って思ってませんでした?」
まるでウフフと笑い出さんばかりの、面白そうな笑顔。
「え、あ、う、な……」
心を見透かされたようでドギマギしてしまうのは、明らかに修行不足の証拠だ。
「これでも占い師ですから、人の表情を読むのは得意なんです」
「せ、占術師ですか……」
ウィンダスでは、割と世間に認められたポピュラーな仕事だ。そもそも星の神子だって占い師の親玉みたいなもの。
「今は色々な所を旅しながら……バストゥークとジュノにいることも多いので。もしよかったら来てくださいね~」
そう言って、ご丁寧にもネームカードを渡してくれた。
そこに書かれているのは、名前と……あっけに取られるラティシアさん。
「『英雄』の相談に応じます……!?」
呆然としたまま、目の前のニコニコしているタルタル女性を見詰めていた。


さて、そんなラティシアさんが居住区に借りた部屋に帰ってきてみれば。
「……え?」
ぽかんと口を開けてしまう。
部屋がもぬけの殻だったから。

「いったい……?」
元々ネリリさんは別の部屋を借りてるし、ディンさんはアレスさんの権利を引き継いで借りられるようになった……と言うか無断で権利を使ってる。
だから、この部屋にある荷物はウィルパナルパさんとラティシアさんのものだけなのが妥当な所なんだけど、ラティシアさんが領事館に出て行く前には、みんなこの部屋に荷物を突っ込んでいた。
同衾するわけでもあるまいに、なんでそうしたのかはわからない。
で、そのおびただしい荷物がしっかりと残されていたわけ。
「誰かの部屋にでも行ったのですかね?」
そう思って、ネリリさんの部屋とディンさんの部屋をノックしてみたけれど、返事はない。
おかしい。再び自分達の部屋の前に戻ってみたラティシアさん。
「……? ……!」
中から人の気配だ。
もちろん慣れ親しんだ兄のものでもなければ、やかましいネリリさんやディンさんのものでもない。

ザッと音を立てて、ラティシアさんの靴の頑丈な革の底が、居住区の石畳を踏みしめた。
頭が急速に冷えあがる。
丸腰だ。魔法の才能は全くないことにしてきたラティシアさん、かなり不利だ。
一応格闘の心得もあるけれど、モンクではないしモンクの修行をした事もないラティシアさんは、正直同じぐらいの強さの人間と武器なしで渡りあえる自信はなかった。
(街中とは言え剣ぐらい帯びているべきだった……)
悔しがるけど、今はもう遅い。

ジリジリと背筋が焼け付くような感覚。
戦闘者としてこの感覚は嫌いじゃないけど、だからといって感覚を楽しめない状況もある。今がまさにその状況。
ゆっくりと一定の速度でドアノブに手を差し伸べる。
触れた時にカタリと音を立ててしまっただろうか。
ほんの少しの音に、自分の肌が毛羽立ち、冷や汗が吹き出るのがわかる。

このままドアノブに触れた手を震えさせてしまっては、気付かれる事必至。てか、多分もう気付かれてる。
一気に行くしかないと判断する。
ウィルパナルパさんがいない状況……ラティシアさんは精神的に最弱である。

ガチャリとドアノブを回して、一気に部屋に転がり込む。
案の定、黒い剣がラティシアさんめがけて降り下ろされてきた。
「ぐ……」
首を少しだけ無理な方向に曲げ、なんとか刃を回避して、そのまま滑り込んだ。
勢いよく転がってその反動で起き上がることにする。体勢を整えるのにはそれが一番早い。
足を踏ん張って立とうとすると、バックスキンのスカートが空気を孕んでぶわっと広がる。
絵になりそうな動きの中で、なんとかラティシアさんは立ち上がった。
目は既に侵入者を睨みつけている。

……侵入者はエルヴァーン。
とりあえず紫の鎧を着てランスを持ってるなんてことはないので件の竜騎士ではないのは確定。
黒装束、顔は頭巾で隠している。耳がピンとしてるのが可愛らしい。それに黒い短めの諸刃の片手剣が右手に。
「何者だ?」
誰何の声をかける。ラティシアさんとしては当然、返答があるとは思っていない。

ところがぎっちょん。
「エレノア司書官に訊くんだな」
「……はぁ!?」
答えが返ってきちゃったものだから、ラティシアさんは盛大にマヌケな声をあげてしまった。

そんな傍から見たらおちゃらけにしか見えない状況もその一瞬で終わり。
再度切りかかってくる黒装束。
とっさに脇に手を伸ばして、目に留まっていた部屋の中に放置されていた武器を手に引き寄せる。
手にしたのは、アレスさんの漆黒の槍。

ラティシアさんは両手斧を一番得意としているだけあって、ハルバードはよく使うのだけれど、この手の槍は苦手。おまけに狭い場所では巨大な武器ほど不利だ。
「く……」
ガキン
派手な金属の音で鼓膜がダメージを負ったけど、なんとか初撃を体の右側に弾き飛ばす。
だけど勢いを殺しきれずに、たたらを踏んで大きく腰を落とす羽目になってしまった。

当然隙はできているから、黒装束は一歩踏み込んで、そのままの勢いを活かして、半分しゃがんでいるラティシアさんめがけて左足で蹴りを入れてこようとする。
(いける……!)
攻撃を受けるラティシアさんは既にそれを読んでいた。

たとえ格闘の技術では劣っていても、本物のクロスレンジの肉弾戦になった時、自分より身長の高いディンさんを楽々担ぎ上げた怪力娘は、その威力を最大限に発揮する。
槍をすぐに手放して、右肘と右膝で相手の足を防御する姿勢。自分に向かってくるエルヴァーンの足を軽くブロックし、弾きとば……さずに挟み込んで潰しにかかった。

勢いを殺され体勢が思いっきり不安定になった黒装束は倒れこみ、そして声にならない悲鳴をあげる。
この体勢ならば体重差もネガティブな要素にはならない。純粋な力だけが活きる。
メキっと音を立てて、エルヴァーンの脛の骨がひしゃげた。
それを確認するなり、ラティシアさんは抱え込んでいた黒装束の足を放して、転がった漆黒の槍へ向けて跳ぶ。

(間に合うか……!?)
不安が頭をよぎったけれど、そのまま助走付き前方宙返りの要領で槍の側へ飛び込んで、回転。
一瞬後には、しっかりと漆黒の槍を抱える体勢になっていた。
またもスカートが膨らんで、そしてまたふわりとすぼまる。
黒装束の方も飛びずさって離れ、一応剣を構えていた。
当然足を庇っているから、まともには動けないだろう。
(これでイーブンかそれ以上に持ち込めましたね……)
心の中では盛大に安堵のため息をつくラティシアさんだけど、勿論それは表に出してはいけない。
とりあえず、男の方に先制攻撃の権利はなくなった。となれば一段落。

「さて……」
なので、質問タイム。
「今度はもう少し詳しく答えてもらえますか? つまるところエレノア司書官の指示を受けてきたと言いたいのでしょうが、どうせならば官姓名と所属を述べていただけると非常に助かる」
さっきは、期待していなかったのに応えてもらえたわけで……勿論ブラフの可能性は非常に大きいわけだけれど。
今度も期待しないで訊いてみれば、
「これ以上答える義理はない。既に目的は達した」
やっと模範的な侵入者の回答が返ってきて、ラティシアさんはなんだか安心してしまった。
「わかりました。では」
コクリと頷き、そのまま漆黒の槍を構えて、
「死んでください」
飛び出していく。槍のチャージは数ある武器の中でも最大の速度と威力を発揮する。
冒険者のレンタル用に確保してある居住区の部屋は大概かなり大きくて、実際この部屋も大きいからできる芸当だ。

ところが、その漆黒の穂先が黒装束の胸に到達する寸前、エルヴァーンの男はその場から消え去っていた。
槍が空を切り、通過していった殺意を嘲笑うように、床に呪符がふわりと落ちた。
「……それだけの時間を与えてしまいましたからね。予想は出来ていましたが」
情報を引き出せる可能性を優先したのだ。

「……!?」
そこでやっと自らが手にした槍の異常な感触に気が付く。
初撃を防御した時よりも、明確な殺意をもって行ったチャージの時の方が軽く、手に吸い付いてくるような……それに精霊力が暴れだしてる。
「これは……これがアレス殿の槍?」
そう呟いた直後には、槍は元の重さを取り戻し、精霊力の暴れも一瞬で消え去っていた。
「な……!?」
驚愕の表情になる。マジックアイテムであることはわかっていたけど。

「今はやりのことは置いておいて、とにかく……!」
エレノア女史の名前が出てきた以上、例えブラフだとしても、そっちをあたるのが妥当だろう。
彼女が絡んできている以上、『業界人』である所のウィルパナルパさん、『英雄』のネリリさんは関わってきてもおかしくないわけで。
拉致された可能性が一番高いんじゃないだろうか。

とりあえず、得体の知れない槍を壁に立てかけると、自分の荷物の中からサブ武器として持ち歩いている黒い戦士剣を腰に帯びた。
本当に拉致されたんなら、鎧を着ている時間なんて惜しい。
鎧を着ていないとなれば、両手斧を持っていくのも、目立って目撃報告が出るという点でまずい。
それに、もし戦闘になるとしたら部屋の中が予想される。槍のように突く動作ならまだしも、超巨大な両手斧を振り回すのは無理だ。
戦闘で自分の不利な状況を作るのは、ごめんこうむりたい。
自分が使えて持ち歩いてる中では、武器にするには心もとない短剣を除けば、このバスタードソードが一番のクロスレンジ向け。

かくして、プラチナブロンドの少女は、事務でもやってそうなハイソを思わせる格好のまま黒い戦士剣を腰に帯びて、外へ駆け出していったわけだ。
本人気付いてないけど、例え戦士剣でもそんな格好してちゃ、両手斧背負ってるのと同じぐらい目立つだろうにね。
どこか抜けているラティシアさんだった。


その時、やっとウィルパナルパさんは目を覚ました。
バッと飛んで一気に立ち上がる。
どういうことだ? 三人揃ってウィルパナルパさんの部屋にいたはず。
魔法力も感じなかったのに、気がついたら気を失っていた……妙な言い方だけどそんな感じ。
身体をひねりながら自分の身体を見回してチェックする。大丈夫。異常はなさそうだ。
とは言え、もちろん腰には愛用の魔力増幅の機能をもったワンドはないし、お守り代わりの短剣もない。
「武器はさすがにないだろうな……そうだ、ディンとネリリは無事か!?」
辺りを見回す。ちょっと離れた場所にディンさんとネリリさんが安らかに寝息を立てていた。
安心してため息をつくウィルパナルパさん。
やっぱり二人とも武器は帯びてない。
ネリリさんがいつも腰に吊るしている、魔力増幅の機能を持っていたり、魔力が封じ込められていたりする数本の短剣すら、今は見当たらない。
ウィルパナルパさんのワンドや短剣と違って、そっちは相当高価で希少なものばかりだ。ネリリさんが起きたら怒り狂うだろう。
ハァ……と肩を落とすウィルパナルパさん。
今度は安心からのため息じゃなく、この後騒がしい事態になる事を予想してのため息だ。

それにしても。
「ここは一体どこなのだ?」
彼にもわからない。薄暗い石造りの部屋の中。目の前には鉄格子。
「デジョンデジョン~ エスケップ~」
もちろん、状況がわかるまでは実際にキャストしたりなんかはしないけれど、わけのわからない状態におかれてしまって、思わず力なく歌い始めてしまったウィルパナルパさんだった。


勢い込んでドラギーユ城の前に走り込んできたラティシアさん。
さて、どうやって中に入ろうか? 思案してみるけど、いいアイデアは中々出てこない。
この際強行突破……いやいや、捕まって連邦の役人だと知られたら、それこそ一大事だ。
難しい顔で石の城を睨みつけていたラティシアさんに、
「あ、来ましたね~」
と、朗らかな声がかかった。
そちらに目線を向けてみれば、先程のタルタルの女性がたたずんでいるのを発見できたりする。
さっきと同じように、ほにゃと微笑んだそのタルタル。
反対にラティシアさんは警戒を強めてしまうわけで。
(そもそも『英雄』に関わる話……この女性、本当の意味での『英雄』のことを言っているのか……それとも普通の意味なのか。微妙ですね……)
「どうして貴女が?」
慎重に問いただしてみる。

ところが、答えはあっさりと……しかも予想外。
「貴女がここに用があるって占いで出たんですよ~。お手伝いの準備してきました」
さっきの侵入者と言い、このタルタル女性と言い、何がどうなっているのやら?
そもそも占いって、なにをどう占ったらそうなるというのか?
眉を寄せて油断なく考え込むラティシアさん。
そんな彼女の警戒を解くように、タルタル女性は一枚の折りたたんだ紙を懐から取り出して差し出した。
「これを見せれば、エレノアの部屋に通してもらえますから」
だけど、ますます警戒させてしまっただけ。
(この女性、明らかに『英雄』の意味がわかっている……)
「……私が誰なのか、私がどういう状況にあるのかを知っているのですか?」
ずばり突いてきたタルタル女性に対し、やっぱりどうしようもなく不信感を抱く。
当然と言えば当然。
だけど、澄まし顔で、
「占い師ですからね~」
と返されれば、占いによって国政が決まるウィンダスの人間としては、言う言葉がない。
「さ、どうぞ~」
ラティシアさんも相当ちっこい(小柄で可愛らしいと言って下さい!)のだけれど、タルタルはタルタル。
腰の辺りに差し出されたレターを若干屈んで受け取る……まさか触れた途端に発動する呪いではないだろう、と思って。
やっぱり爆発もなにも起きず、ラティシアさんはその紙を開く事に成功した。
そこに記されていたのは、エレノア女史のサインが入った信任状、言ってしまえば王城の通行手形だ。
「これは一体?」
「私のものです」
「貴女の……? ファピ……」
「いえ、いいんですよ」
信任状の対象として書かれている名前を読み上げようとしたラティシアさんに、首を振るタルタル。
いや、よくないんだけどね。だけどここでそれを言っても始まらない。
だから、
「一つだけ質問してもよろしいですか?」
役人として、確認しておかなければならない事。
「なんでしょう?」
「貴女はウィンダス連邦の人間として私に協力するのですか?」
もしそうだとしたら、この女性の正体はウィルパナルパさんとラティシアさんと同じ、多分他の院が雇った『業界人』ということになる。
「いえ、今の私はウィンダスとは全く関係ないですから。それじゃ~」
簡単に答えて、りっくりっくと走っていってしまったタルタル女性。

未だ半ば呆然としているラティシアさんだ。
だけど、呆然としていても何も始まらないし、終らない。
罠にはまるのを覚悟で、その手形を使うことにした。


……あまりにも上手く行き過ぎてる。
目の前には、エレノア公文書担当司書官の執務室。
レターを示した途端、門番はあっさりとこの場所へ案内してきてくれた。
腰に吊るした黒い戦士剣を、改められる事も取り上げられる事もなかった。
どっかとんでもない所へ連れて行かれるかもしれないとも覚悟していたラティシアさんだったけど、拍子抜けもいい所だ。

「エレノア司書官、お客様をお連れしました」
下っ端の文官らしい品のいいロマンスグレーの男性エルヴァーンが、ドアをノックした。
中からは、
「はい、お約束を頂いています。お通してください」
やや低めで格好いい女性の声が返ってきた。

(アポがあった……? 別人と勘違いしているのでしょうか?)
別人、つまりこの信任状の本当の持ち主、あのタルタル女性だと思っている可能性もまだある。
考えをめぐらせながら、ドアを開く文官のお爺さんの後ろで、腰の戦士剣を確認するラティシアさん。
ドアの向こうには、白い髪をしたエルヴァーンの女性が立派な執務机の向こうで腕を組んで待ち構えているのが見えた。
高官の制服という意味だろうか、サンドリアの略礼服を着て、悠然と椅子に深く腰掛けている。
ラティシアさんを見ても驚いた様子はない。つまり『約束』の相手はラティシアさんだということになる。
いつでも剣を抜けるよう気をつけながら、ラティシアさんはゆっくりと部屋の中に入っていく。
「それではごゆっくり」
後ろでは、お爺さんがドアをしめて立ち去っていく音が響いていた。


音が消えてしばらく経って、やっと目の前のエルヴァーン女性が口を開く。
「よく来てくれた。はじめまして。魔戦士ラティシア……いや、口の院の下働きコンビの片割れ」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。エレノア司書官……いえ、業界の雰囲気を読めぬ新参者」
……最初の挨拶にしては、どっちもおっかなすぎる。
交わした視線が、バチバチっと音を立てそうだ。

「用件はお分かりのはずだと思いますが」
睨みつけるラティシアさんに、エレノア女史は笑わずに眉を寄せて肩をすくめた。
「こちらも貴官に会いたかったのだが……そちらの用件とは私には全く想像がつかないな」
明らかにすっとぼけ……白々しいにも程がある。
だって彼女が来るってわかってたんだから。
これで、先程の黒装束はエレノア女史の手の者だと確信できたラティシアさんだ。
「単刀直入にいきましょう。兄をどこへやった?」
「さて? いなくなったのはウィルパナルパ殿だけではないはず。ディン殿とネリリ殿もいないのでは?」
今度は面白そうな顔でとぼけるエレノア女史。しかしまぁわざとだろうけど語るに落ちてる。
「……兄をどこへやったのです?」
もう一度同じ事を繰り返すラティシアさん。
そんな目の前の少女を見て、エレノア女史は多少失望したような表情になった。
「貴官もスクラッパーの二人と同じか。基本的に自分の一番大事な人のことしか見えていない」
「……それが悪いことですか?」
「いや、なにも……ただ、それでは我々のような仕事には向かないだろう?」
「私は兄に従ってただ仕事をこなすだけです。事の是非など考えた事もない」
「ウィルパナルパ殿は変わって来ているようだぞ? 独立を考えているのではないか?」
「兄さんが? 馬鹿らしい。そのような事など……」
くだらない話だと切って捨てようとしたラティシアさんだったけど、
「『出向英雄』と『小さな英雄』に強い影響を受けているようだな」
エレノア女史の台詞で、ピタリと止まってしまう。

眉をゆがめたけれど、一瞬の後、ハァとため息をつくラティシアさん。
「……本当の所を言えば、私は貴殿に好意をもっていたのです。少なくとも、ブルストのような国を救うために英雄を作り出すなどど薄気味悪い願いを持った輩に比べれば、あなたのやっている事は本当の意味で英雄を助けることでしたから」
政府の高官が仕掛けたサンドリアの英雄の娘と王族との見合い話は、ラティシアさんも勿論知っている。エレノア女史は英雄のために、それを全力で阻止したはずだ。
「それはまたずいぶん高い評価だ。私が英雄とその家族を救ったのは、非常に個人的な動機でしかない」
半分自嘲のような返答だったけど、ラティシアさんはそれを無視する。
「ところが、このような行動を取るとは……曲がりなりにも誇り高きサンドリアの高官がするべきこととは思えない」
「私は別に高官ではないし、サンドリアの人間が皆誇り高いかと言えば、それは間違いだろう。先程の評価と同じく、外から見ている人間の勝手な思い込みが作り出した幻想だ」
またも茶化したような返答。

プチプチと血管が切れる音が響き始めた。
(落ち着け、落ち着きなさいラティシア。今やるべき事はそうではないでしょう)
ラティシアさん、必死に自分をなだめる。
「……なにが狙いですか?」
これ以上惑わされていはいけない。ラティシアさんは決意して、話を一気に先に勧めた。
なにか狙いがあるからこそ、ウィルパナルパさん達を拉致したはず。
ところが、
「さて、なにを狙ったらいいものか」
目の前の司書官からは、もういい加減にして欲しいぐらいすっとぼけた、しかも最高に馬鹿にしたような返答が返ってきて。
プラチナブロンドが赤銅色に染まってしまうぐらい、頭に血が上ったラティシアさんだ。

ラティシアさんがエレノア女史をぎりっと睨みつけた。
既に腰に帯びた戦士剣の柄に手をかけている。
狸に付き合っている時間はない。そもそも、時間稼ぎのための言葉遊びの可能性もある。それを許すわけにはいかないのだ。
ならば実力行使……単にキレただけとも言う。

「ラティシア殿、貴官の得意としている武器は巨大な斧だったと記憶しているが?」
エレノア女史は、ラティシアさんの厳しい視線を避けるように場違いな話を出した。
「今の斧はあまりに巨大すぎるので、おいてきました」
もう絶対に挑発には乗らない、そんな決意が顔に出ている少女。まぁもう充分、挑発にノリにノリまくっているわけだけど。
「ほう?」
「……貴女は誤解している。私は戦士です。得意とは言えないまでも充分に扱える」
その証拠に先程も漆黒の槍を充分に使って見せた。
厳しい顔のまま、腰を落とし始めるラティシアさん。

「戦士か……ならばこそ私と剣で渡り合うのは無謀というものではないか?」
エレノア女史が立ち上がった。武官のものに比べ裾が長く、床までまで届きそうな紅色の略礼服がふわりと揺れる。軽い足取りで壁の方まで歩いていって、そこにかけられていた一振りの騎士剣に手を伸ばした。

ラティシアさんがさせまいとして、ダンっと一歩踏み込もうとする。
ところが……
「!?」
その場で動けなくなってしまったラティシアさん。
強烈な視線がエレノア女史から飛んできたのだ。
エレノア女史はラティシアさんを睨みつつ手を伸ばして、騎士剣を手にとってしまった。

昇りきっていた頭の血が、一気に下降する。
それは一言で言えば恐怖。目の前のエルヴァーンの女性から放たれた視線に込められた力は、ラティシアさんが今まで経験したものの中でもトップクラス。
「ふ、ふん、私は正規の訓練を受けた武官であり、尚且つ冒険者として様々な戦闘の経験を積んでいる」
殺気の塊を受けて動けなくなってしまった自分をごまかすかのように、言い放つ。
「文官の貴殿が私に対して何ができるというのです?」
だけど、
「知らなかったのか? 私も元冒険者なのだが」
「な!?」
そんな答えが返ってきて、驚愕してしまったわけで。

「こう見えても騎士見習い扱いで冒険者をやっていたのだ。家督の問題上、叙任を受ける事はできないが、訓練過程は正規の騎士と一緒であったし、その後冒険者として実戦経験を積んだ」
「ナイト……!?」
戦士のアイデンティティが数多くの武器を扱う事であるとすれば、騎士のそれは戦士とは対照的に剣と盾に拘る在り様だ。
おまけに型をこなすだけのお遊び武官とも違う。勿論全ての武官が武術よりも政治を楽しむと限るわけではないけど、彼女は元冒険者なのだ。ことサバイバビリティ……つまり負けないことに関しては、騎士団でずっとすごしている騎士よりも、冒険者の方が遥かに上だ。
しかもあの殺気、確実に自分よりも強いことははっきりしている。
つまり、ラティシアさん、今の状況では勝ち目が薄い。
巨大な戦斧やハルバードを使えば、どんな強いと言われている相手にも勝つ自信はある。
でも、今手元にあるのはただの戦士剣。

「……くっ」
だけど、引くわけには行かない。
なんたってウィルパナルパさんが危ないのだ。
「いいでしょう。ならば……やりましょうか?」
覚悟を決めて、鞘から戦士剣を抜き放った。
ディンさんが使ってるアレスの槍とは色調が違うけれど、こちらも黒い刀身。
柄を持った右手を後ろに振って、黒い剣の腹を目の位置に、剣先を相手に向けて水平に構える。
そして左手は狙い定めのサポートのために、剣の先端の腹へ軽く添えた。
彼女の戦闘技術の師である元老院警護隊のタルタルから教わった、突きの構えだ。

剣における突きは、作用点が斬撃のように広くなく一転に集中するために、最大限の速度と威力を発揮できる技だ。
弱点は、外したときの姿勢の崩れが大きく、リカバリに時間がかかること。
軽量なレイピアやフルーレならばその姿勢の崩れも起きないから突きを主体にもできるけど、今ラティシアさんが構えているのは、超重量級の戦士剣。確実に身体の重心を戻すまでのラグタイムが存在する。
相手も相当な使い手であることがわかってる。リカバリする時間なんてありようもない。
だったら、いっそのこと自分が繰り出せる最速で最高威力の技を用いるしかない。一撃必殺。
そう考えて、突きを選択したラティシアさんだ。

エレノア女史はそんなラティシアさんを見て、
「ふ……なるほど。なかなかのものだ」
そんな風に呟く。
こちらは構えを取らず、剣先を床に向けているだけ。

エレノア女史の部屋は広い。
でかい執務机が鎮座してるのに、戦士剣ならば二人が打ち合うだけのスペースは充分にある。
お互い動きもとらず、その姿勢で部屋の空気の密度だけを上げていく。
だけど、実際に緊張度合いを増しているのは、ラティシアさんだけだった。
エレノア女史の方は、再三放たれるラティシアさんからの殺気を、軽く受け流しているだけ。

動く。
ラティシアさんの裂帛の気合が炸裂。
もちろんエレノア女史も動く。

……と二本の剣がお互い触れ合って大きな音を立てる、その瞬間。

ピタリと二人の動きが止まった。
お互いに寸止めのような格好になる。
ラティシアさんの剣は相手の喉から腕一本分手前、そしてエレノア女史の剣はそれを弾き飛ばす拳一つ分手前。
そこできちんと止まっている。


先に口を開いたのはエレノア女史。
「ラティシア殿、貴官の手のものか?」
「まさか。私は兄以外に頼ることは絶対にない。エレノア司書官、貴殿こそ」
「……ならば大体想像がついた。すまんな。こちらの客のようだ」
剣撃の姿勢を留めたまま、ヒュームの少女とエルヴァーンの女性はそんな会話を交わす。

ざっと姿勢を解いて、二人がドアを見つめた瞬間、
バンとドアが蹴り飛ばされて、その後ろから5人のエルヴァーンの男達が姿をあらわした。
ずだだだと金属靴の音を立てて、盗賊もかくやと部屋に乱入してくる。

「エレノア・ディシェレ書記官……よくもリュシアン様に……貴様のせいで!」
先頭に立っていたスケイルメイルをつけた髪の長い男が、エレノア女史に向かって剣を突きつける。
「やはりそのことか。はぁ……よくよくお前達も暇なことだな」
突きつけられた方は、呆れたようにため息をつくだけ。
「エレノア女史、説明願いたい。これはどういうことですか?」
ラティシアさん、先程まで質問先の本人に向けていた剣の刀身を自分の肩に載せて、いかぶしげな目をしてエレノア女史を見つめた。
「ああ、こいつらの言っているリュシアンというのはだな……こいつらの主人であり、ついでについ先日まで私の婚約者だった男だ」
「……は? 今なんと?」
「だから婚約者だったのだ。ずっと昔からのな。ちなみにそいつは近衛騎士……知っているだろう? 『業界人』だよ」
「あのリュシアン近衛騎士ですか?」
やはりそのリュシアンですか。ラティシアさんは頷く。でも、エレノア女史はリュシアン近衛騎士とは敵対関係にあると聞いている……と言うか、傍から見ている限りそういう状況にしか見えないのだけれど。
「たしか貴殿が、リュシアン近衛騎士が支援していた『英雄』を奪ったのでは?」
「その通りだ」
「……婚約者?」
「つい最近、めでたく婚約解消というはこびになった」
「……ハァ?」
さっぱりわからない。『業界』では犬猿の仲と噂される二人が…奪った奪われたはともかくとして……元婚約者?

「そうだ! 貴様はリュシアン様の顔に泥を塗ったのだぞ!」
「そうだそうだ!」
「もうお婿にいけないんだぞ!」
「ああ、おいたわしやリュシアン様!」
「女だったら責任を取れー!」
置き去りにされていた男達が『俺達は侵入者だぞ! こっちを見ろ!』と言わんばかりに口々に声をあげる。どうやって責任を取れと言うんだろう?
ところが、エレノア女史は冷たい目で一瞥しただけ。
「……な、なんだその目は!?」
先頭に立っていた白い髪の男が、再び剣を突きつけた。
でも、さっきに比べ腰が引けてる。
「……いや、なんでもない」
呆れたように呟くエレノア女史。正真正銘呆れてるのか。
「これは格が違いますね」
ラティシアさんも、やっぱり呆れたように一人ごちる。先程彼女の視線を一人で受けたのだ。そのおっかなさは身にしみてわかってる。目の前の男達が、あの視線に対抗できるとは思えない。
「なんだと!? って……お前は誰だ?」
激昂しかけた男達だったけど、そこでやっとラティシアさんという存在が場違いであることに気付いたようだ。
ここは一応サンドリア。しかも王城。
なんでヒュームの、育ちが良さそうな格好をしてるくせに戦士剣をもった、しかも年端の行かない、おまけに洗濯板がこんな所にいるのか?
「洗濯板は関係ないでしょう?」

「エレノア司書官とは直接関わりのない人間ですよ。仕事でここに来ているだけですから」
剣の腹で肩を叩きながら、面倒くさそうに答えるラティシアさん。
「ならば黙って見ていろ」
構ってられんとばかりに、再び剣をエレノア女史にむける。
彼女の方も、やる気はないけどやらなきゃならんだろ、ってな感じになって、既に先程と同じように視線を男達に向けている。

「エレノア女史、私も手助けしたほうがよろしいですか?」
ただ見ているのがつまらないラティシアさんとしては、そう声をかけてみる。
「そうだな、ウィンダス所属であるところの貴官が介入してくれると、その後の事務処理ともみ消しが非常に楽になりそうだ」
「……」
呆れたもんである。ラティシアさんをウィンダスから送り込まれたテロリストに仕立てて、これから行う乱暴狼藉の罪をひっ被せると言っているのだ。
勿論、顔は笑っているので、本気でない事はわかるのだけれど。

「殺してはいけないのですね? 全く厄介な……」
確認を取ったラティシアさんを、ギロリと睨みつける複数の男達の視線。
「黙って見ていることが出来ないならば、お前にも容赦はしない………え?」
エレノア女史の言葉を、やっと理解できたのか?
確認するようにラティシアさんの白いブラウスの丸い襟に留められた国章と階級章を見つけて、目を点にした。
「そ、それは……」
さっき領事館に手続きをしていた時につけていて、そのまま外し忘れたもの。
ウィルパナルパさんは軍師の制服だけど、基本的に私服役人であるラティシアさんとしては、出頭時ぐらい付けてなきゃ怒られるのだ。
「う、ウィンダスぅ?」
はい、ウィンダスです。一応魔戦士ですよ。
やばい、それは国際問題だ! と男が叫びそうになった所で、エレノア女史が一気に動く。
「な!?」
男達がそっちを向いたのにあわせて、ラティシアさんも動く。
「な……なん……グフっ」
可哀想なエルヴァーンは、悲鳴すら言い終えられなかった。

ラティシアさん、剣の腹で一発頭を殴り一人を昏倒させ、もう一人のみぞおちを頑丈な革製ブーツで蹴り飛ばした。
バックスキンのロングスカートがふわりと広がって、上半身のすっきりとした黄色のベストとのコントラストが、なかなか可愛らしくて様になってる。
エレノア女史の方は、剣の柄でみぞおち突きが一回、右ひじを後頭部に落としたのが一回、左ひざで、その……なんだ、急所を蹴り上げたのが一回。
こちらは大人の女性の魅力を見せ付けるかのように、あくまでも優雅。ひらりと赤い長い裾がスッと元の位置に戻る。
たった一呼吸の間に、5人の男達は床に伸びてしまったわけで。
まぁ、女性を侮るとこういう結末になると男達は身をもって知ったわけだから、次からは気をつけてもらいたいものだ。


「さて、ラティシア殿、もう一度仕切りなおすか?」
今の出来事がなかったのように、話を元に戻そうとするエレノア女史。
床に男達が転がってるのは、もう視界に入れてないみたいだ。
「いや、それは……」
まさかそんな所に話が戻ってくるとは思わなかったから、一瞬躊躇したラティシアさん。
だけど、答え切る前に、
「なにをやっているんだ、お前達は!?」
バンとドアが開けられて、部屋の中に怒声がとどろき渡った。
いい男……長い白髪の浅黒い肌のエルヴァーン。

ずかずかと部屋の中に入ってこようとして、
「うぉわ!」
ナニモノカにけっ躓く。派手にこけそうになるものの、なんとか体勢を取り戻して、
「……あん?」
足元に積み重なっている鎧姿の男達を見回す。
「ああ、なんだ。もう終ってたのか」
その言葉はもう苦笑だ。

「やっと来たわね……リュシアン」
またもや闖入者、しかも容姿も動きもやたら派手な人で、ちょっと状況についていけないラティシアさん。ああ、この人がリュシアン近衛騎士ですか。ぼんやりとそんな風に考える。
「やあエレノア、すまなかったね」
軽く手をあげてにこやかに謝る。
さわやかーな青年だ。声がまたいい……色気のある声というのだろうか。
そんな好青年に、呆れたように腰に手を当てて口を尖らせるエレノア女史。
「謝るより先にやることがあるでしょ? 貴方ね、ちょっとは自覚しなさいよ」

……あれ?
ラティシアさん、首をかしげる。

「ああ、ごめんな。こいつらにはよく聞かせておくよ。しかし、君がこの程度の連中に負けるわけはないだろう?」
襲ってきたこいつらは、おそらく彼の部下か、一族の郎党か、とにかく近衛騎士たる彼の影響下にある男達なのだろう。心酔する上司(主君?)を振った女だから……そりゃ殴りたくもなるわな。
床にのびてる男達を、軽く足蹴にするリュシアン近衛騎士。
「そういう問題じゃないわよ!」
エレノア女史は声を荒げた。伸びてる男の腹を、こちらはえらいキツク蹴り飛ばした。
ウグっとうめき声が上がってけど、もちろん蹴った方はそんなこと気にしない。
「私がどういう思いしてると思ってるのよ!?」

やっぱりなにか変だ……何が変?
ラティシアさんは、何がおかしいのかを必死に考える。

「で、どうするのよ? 私はもう嫌よ? ご婦人方からの嫉妬なら、まだ受け流し様があるけど……まさか男連中に因縁つけられるなんて」
「そんなこと言われてもな。まぁ君を信じてるから」
にこやかーに、ぽんとエレノア女史の肩を叩く……しつこいようだが、水も滴りそうないい男。
「うるさい! もう言いくるめられないわよ!」
叩かれた方はお冠だ。

(……え!?)
一瞬叫び声が出そうになってしまって、慌てて抑えるラティシアさん。
違和感の正体にやっと気がついたのだ。
ちょっと待ってください……誰ですか貴女?
なんでそんな女らしい口調なのですか?
仮にもサンドリア王国の公文書を握るエレノア女史ですよ?

さて、そんな戸惑っているラティシアさんに、リュシアンさんが近づいた。
騎士らしく優雅に一礼をして、ご挨拶。
「ラティシア君、君には初めてお目にかかるかな。もちろんお互いに名前は知っているし、今更自己紹介でもないだろうが」
「……私の顔を知っているのですか?」
名前を呼ばれたことで、ちょっと驚くラティシアさん。
だけど、驚かれることは予想していたようで、
「いや顔を見たのは初めてだよ? しかし大体の所狭い『業界』だからね。想像はつくだろう」
なんでもないように答えるリュシアンさんだ。女慣れしてると言ってもいい。

「それにしても……貴方はいったい……?」
思っていたことが口に出てしまう。
「どういうことだい? 君と同じ、ただの『業界人』だけどね」
「ああ……すいません。そういうことではなく。ずいぶんと仲睦まじいようでらっしゃるので」
「ラティシア殿、それは誤解だ」
後ろで声を上げるエレノア女史……さっきまでクールだった女性が、そういう風に叫んでることが、仲がいいってことなのですよ。
一応クールを装った声にしようと必死のようだけど、失敗しているのは明白。
「ああ、そりゃ勿論。仲がいいといけないかい?」
背後からの文句は気にしないリュシアンさん。
「睦まじくなんかないわよ!」
ラティシアさんもそれに習って、エレノア女史の抗議は無視だ。
「……『業界』では、エレノア女史が貴殿を失脚させたという話になっていますし……てっきり……」
言い淀む。つまり犬猿の仲と噂される二人だから、憎みあってるのだろうと。
「そりゃあ大きな誤解だ」
「しかし、婚約解消したとも…」
大げさな素振りで顔をしかめるリュシアンさんに、ラティシアさんは困惑してしまう。
「ああ、実際解消したよ?」
「あなたは怒ってないのですか?」
「どうして俺が怒るんだい?」
「何故怒らないんです? 婚約を解消されたのでしょう? だからこそ、あなたの部下達は」
「だって俺がお願いしたことだからな」
「……は? 婚約解消……エレノア女史が解消したのでは?」
「二人でやったことさ」
「……へ?」
さっぱりわからないラティシアさんだ。大人の世界って……いったい?
そんな少女を見て、リュシアンさんは嬉しそう。
「実はな……昔からの婚約とは言っても、エレノアは叙勲を受けずに成人前から冒険者をやっていて外をほっつき歩いていたからな。婚約者としてはあまり付き合いが長くないわけだ」
「……なにが言いたいのです?」
「つまりだね、『親の決めた事とは言え、納得できないことはしたくない。きちんと恋人づきあいして、それから婚約をやり直そう! しっかりラブラブになろう!』と、俺が提案したのさ」

ポカンと口を開けてしまったラティシアさん。
若い娘がそんなだらしのない表情をしてはいけない。
「だって、やっぱり燃え上がる恋がしたいからな」
少女は完全に動きを止めてしまう。
も、燃え上がる恋……こ、恋ですか!?
「リュシアン、貴方ね。若い子にそんな恥ずかしい事言わないでよ!」
いい加減自分の文句は二人に聞いてもらえないとわかっているのに、顔を赤らめて怒鳴るエレノア女史。
「そうそう、君の可愛いファピナナ君にも、お願いをしておいた」
「な!?」
「『君には申し訳ないが、エレノアは俺が貰う』ってね」
「……バカ!」
「返事は『あの人は本当は可愛い人ですから、どうかよろしくお願いします』だったよ」
「な、なんでそんなことを! ファピナナも!」
今度は顔を赤らめる所ではない。真っ赤になって叫ぶエレノア女史。

……不気味だ。はっきり言って不気味だ。
エレノア女史ともあろう人間が、さっきまでの迫力はどこへいったのだ?
とことん気圧されてたラティシアさんとしては、とてもじゃないが信じられない。
なんなのだ、この人は? あまりにもギャップが激しすぎる。まだまだ少女のラティシアさんが抱くのはそんな感想だ。

新しく『業界』に参入してきたエレノア女史は、旧来から『業界』に身を置く人間達が強い脅威を感じるほどのやり手だ、という印象が強かった。
それに対してリュシアン近衛騎士は、エレノア女史に支援している英雄を奪われた能無し、という評価が、業界内では広まりつつある。

しかし、リュシアン近衛騎士という『業界人』は、そのエレノア女史を完全に手玉にとっている。
本気で怒らせているかと言えば、そうではないし。
ギリギリを見極めながら、お互いに不快にならないように会話をしながら、それをコミュニケーションとして楽しんでいるのだ。
(……実は本当に恐ろしいのはこの人なのかもしれない)
ラティシアさんは心に刻んでおくことにする。


得体の知れない恐怖に似たような感情を覚えたラティシアさんを尻目に、リュシアンさんは、さっきまでのふざけたような態度を打ち切って、真剣な顔になった。
「さて、そろそろ行こうか?」
彼はくるっと、ラティシアさんとエレノア女史に背を向けた。
「それがいいだろう。いつまでもバカな会話をしているわけにはいかないな」
エレノアさんも、いきなり真剣な顔にもドル。口調も元通りだ。
どうやら、リュシアンさんもエレノア女史も、あの口調や、彼が言う『ラブラブ』な態度は、あくまでその状況に応じたコミュニケーションと割り切っているようだ。

でも、ラティシアさんとしては、いきなりそれだけを言われてもさっぱりわからない。
「行くとは?」
いきなりそれだけを言われてもわからない。
「もちろん、君の兄上と『出向英雄』の弟子、そして『小さな英雄』の所だよ」
「!?」
そうだ、それが本題だった。
次から次へとわけのわからない事態が積み重なって、ここに来た理由をすっかり忘れていた、いや、忘れさせられていたラティシアさんだった。
厳しい顔になるラティシアさん。
「ということは、やはり貴殿らが?」
最愛の兄を拉致したのは、こいつらか?
ところが、意外な答えが返ってくる。
「まさか? 我々『業界人』は、直接は干渉しあわないのがルールだろ?」
そんなルールは聞いた事がない。だけど実際、直接戦う事はなかった。
『英雄』への干渉、囲い込み、そのような事では戦うけれど、直接剣を交えた事はないし、なにより顔を合わせることも滅多にない。
あくまで、国や自分の利益のために英雄を利用するのが彼らの戦いだからだ。
というか、もし直接戦闘を行うのであれば、今ごろ『業界人』は殆どいなくなっちゃってるはず。なにせ、猛者ぞろい。そんな事態になったら、どちらかが死ななければ戦闘は終らないから、どんどん『業界人』の人口は減っていく。

「ならば、誰が兄さんを……いや、なぜあなた方がそれを知ってる?」
そう、誰がやったにせよ、彼女達がそれを知っている、それが問題でもある。
ギリっと歯を鳴らす音が返ってきた。目の前で背を向けているエルヴァーンの男からだ。
「そのルールを破ったヤツがいるからだ」
後ろにいるエレノア女史からも声が飛んでくる。
「それで私は貴官に来てもらったのだ。私の手の者が、貴官らの持っていた私への紹介状を手に入れてね……それを見て画策したのだ。これはよい機会だと」
じゃあ、なにか? ディンさんが紹介状を掏られたのは、別に彼女の落ち度じゃなかったって。
(……ですが、本人には言わないでおきましょう。いい薬です。これに懲りて少しは大人になってくれるとよいのですが)

「タルタルの占い師に会わなかったか? 私達が彼女に、貴殿がここに来るように仕向けてくれと頼んだのだよ。私が直接コンタクトを取ったら、貴官は来なかっただろうからな」
やっと納得するラティシアさん。
(そういうことですか。さっきのタルタル女性、エレノア司書官かリュシアン近衛騎士の実働の人間なのかもしれませんね。占いなどとは……よくも謀ってくれたものですね)
「拉致した男には君も会っただろうがね、エレノアの名前を騙っていなかったかい?」
黒装束の男の事だとわかる。
「既にあの男は始末してある。そのバックにいる男は、どうやら俺達が邪魔なようでね。サンドリアの官界から俺達を追い出したいらしくてたまらないらしい」
(バックにいる男?)

「さて、グズグズしてはいられない。さっさと行くぞ」
リュシアンさんが外へ歩き出す。
「あの……この男達は?」
未だに伸びているお間抜けな5人の襲撃者達。ラティシアさんは自分でやっておきながら可哀想に思えてきてしまってしょうがない。
「ほっとけ。目を覚ましたら勝手に帰るはずさ。エレノアは適当に外をぶらついていてくれ。目を覚ましたこいつらをもう一度ぶちのめされたら、いくらなんでもな」
リュシアンさんも可哀想に思ったようだ。
そのまま外へ歩いていくリュシアンさん。
ラティシアさんは慌てて彼を追う。

さて、一人部屋に残ったエレノア女史は、深くため息をついたのだった。
そして、人知れず涙を流す。
「まさか、スクラッパーのみならず、他の人間にまであのような動揺した態度を見られてしまうとは……一生の不覚だ」
涙がちょちょぎれそうで、る~る~る~なんて歌が、エレノア女史の耳の中には響き始めていたのだった。