Liberame Domine - 身体はいつもアージング - 前編

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なぜ彼らは襲ってくるのか。
理由は今までアレスさんやウィルパナルパさん、ディンさんが導き出し、そしてリュシアンさんが補足してくれた情報で全て片付けられる。
だけどまぁそれが判っていても、ウィルパナルパさんとしては自分の運の悪さを呪ってしまうしかない。

ウィルパナルパさんとネリリさんの周りには、夥しい人数のヤグード達。完全に取り囲まれている。
まぁギデアスのど真ん中なんだから、極々当たり前のことではある。
ある者はカタナを構え、ある者は徒手空拳で、またある者は魔法を武器として、彼らに戦いを挑もうとしている。
この場に、魔道士であるウィルパナルパさんやネリリさんを守ってくれる戦士のラティシアさんやディンさんはいない。
黒魔道士二人。

「こう…なんというか…ことごとく運が悪いものだな、私は」
ウィルパナルパさん、ぶつくさ。
ネリリさんから突っ込みが入る。
「ふん、魔法に頼って武術をおろそかにするからこう言うことになるんだよ」
「…ネリリ、それは黒魔道士の台詞ではないな」
「何言ってやがる。死と破壊をもたらす黒魔道士という自覚があるなら、死神らしく戦闘鎌ぐらい使えるようにしておくのがマナーだろうが」
もちろん、そんなマナーはない。

「私は自分の身は守れるからね。アンタは勝手にくたばってな」
ネリリさんは、そういうと短剣を腰から抜き去り、片手に一振りづつ逆手に握って構えた。
前はそんなに沢山携帯してなかったのにな…ネリリさんの腰には、まだ六本ばかり短剣が残ってる。
どれ一つとして同じデザインのものはない。
ウィルパナルパさんはそれを見て呆れてしまう。もはや短剣マニアと言えそうな蒐集っぷりだ。
この間サンドリアで牢獄に入れられた時に奪われた短剣も、リュシアンさん経由で返ってきたし…なんかもう、彼女自身も何振り持っているか把握してないんじゃないだろうか。
「さて…私はどうしたものか」
カタナを持っている相手と戦わなければならないわけで、木製のワンドなんて簡単に真っ二つにされるだろう。
腰を探る…いつも持ち歩いている短剣が一振り。
装飾が華美なものだから、魔道士が腰に吊るしていれば、一見魔力ブースターの役目を持つ短剣に見えるかもしれない。
でも実はこの短剣、本当にただの宝飾品としての価値しかなかったりするのだ。
ラティシアさんにプレゼントした指輪の原型とは反対で、こちらはウィルパナルパさんがラティシアさんの両親から受け取ったものだ。彼女が結婚するときに返そうかと思っている大事なもの。
彼は他に武器を持ってないから、この短剣を受け流しに使ったりもするけど、それは実力差が大きい時だけ。
大事な形見だから、本気の戦闘で使って傷つけるようなことがあってはならない。
でもいくら傷つけたくないとは言え、形見も受け取った本人が死んじゃったら何もならないわけで。
「…ないよりはましだな」
渋々覚悟を決めるウィルパナルパさん。

二人が武器を構えたのを見て取ると、武士道のつもりだったのだろうか、それを待っていたような感じで、ヤグード達が襲い掛かってきた。
普段この場所をうろついているような下っ端ならどうとでもなるかもしれないけれど、こいつら結構強めのヤグード。なんで若い個体が多いギデアスにこれだけのヤツラがいるのか。
まぁとりあえずそんなことはどうでもよくて、詠唱するタイミングがつかめないまま、ウィルパナルパさんはあっという間に壁際に追い込まれている。
遠くから放たれる魔法は殆ど掻き消してしまえるけれど、さすがに何本ものカタナが同時に飛び出してくれば、もう完全に防戦一方。

土の精霊力による見えない装甲ストンスキンが、カタナの猛攻によって徐々に削られていく。
ウィルパナルパさんも頑張っているとは言えるんだけど…やっぱりまともに近接戦闘の訓練を受けていない魔道士。
そして次にカタナが額を掠めたとき、遂にウィルパナルパさんの額が横一文字に軽く切り裂かれて、赤い液体が目に向けて雫を作り始めた。
当然その額の前に位置していた軍師帽子のつばも、ぱっくりと割れている。
「く…」
割れた隙間からヤグード達を睨みつけながら唸るウィルパナルパさんだけど、当然ストンスキンをキャストしなおす時間はない。
というか、そんな風に集中は出来ない。

結局、更に防戦するしかない。
小さなタルタルは、壁際を有効活用するように、タタンと気持ちいいステップの音を響かせてリズムを取りながら横に走る。
次々繰り出されてくるヤグード達のカタナはウィルパナルパさんに到達することなく、岩壁にめり込んでその動きを止めた。
通路の狭い場所では、カタナも上手く使えないだろう、誘い込んでしまえば…って考えは正しかったようだ。
でも…場所の利を活かした防御、そこら辺までは気が回るものの。やっぱりそれだけじゃ限界だ。
徐々に、こちらはまともに短剣を振り回しているネリリさんから、引き離されていく。
さっきまでお互いに五歩しか離れてなかったのに、気がつけばもう三十歩も離れた場所まで離れてしまっている。

「…はぁ、やはり黒魔道士とは所詮こういうものだということか」
まるでアレスさんのようなことを呟く。
バストゥークに行って暗黒魔法をまともに勉強すればよかった、なんて後悔を今更ながらするウィルパナルパさんだ。
結局、ウィンダスの魔道士達は恵まれすぎているのだ。近接戦闘は魔戦士に任せてしまって、自分は常に安全な場所から魔法を行使する、目の院の魔道士はそれだけを教え込まれる。
だけどもう、それに文句を言っても始まらない。
「これは諦めた方がよさそうだ」

目の前に振りかざされるカタナ。
もう反応速度が付いていかず、ウィルパナルパさんのダガーを握った手は上がらない。
振り下ろされてくる刃をスローモーションで見ながら、ウィルパナルパさんは心の中でラティシアさんに謝っていた。

自分の頭の上に到達する…と、そこでスローモーションが途切れ、カタナが下から飛び出てきたナニモノカに一気に弾き飛ばされるのが見えた。
「…!?」
軍師帽子に納まりきらなかったウィルパナルパさんの前髪が、風圧を受けてふわりと上に浮く。
ウィルパナルパさんの時間が、通常の流れに戻った。

目の前に滑り込んできた、自分と同じ体積のもの。

「…カウリ…オリ!?」
ウィルパナルパさんは素っ頓狂な声をあげた。
右手に片刃の手斧、左手に今振り回した戦士剣、白と青の鎖帷子を纏うタルタル。
「諦めが良すぎるのも口の院の魔道士の悪い癖だ」
背中が皮肉っぽい声を発した。

カウリオリ。
元老院警護隊所属の守護戦士のタルタル。一応星の神子の側近のそのまた側近というか…そんな感じのポジションにある。
専門としているのは、片刃の蛮族っぽい手斧と戦士剣の二刀流、そしてニンジュツ。
タルタルのくせに他種族相手のクロスレンジ戦にべらぼうに強いという、はっきり言って相当の異端児である。連邦の役人としては、鼻の院のモンクに並ぶぐらい変な人間。
今着ている鎧は、サンドリア調の青と白の鎖帷子。両耳には骨から削りだした涙型の三角錐という感じのイヤリング。兜は被らず額にヘッドバンドを絞めている。
腰に巻いている帯も、今は鎧の後ろに畳んで挟んであるマントも、その手の効果を持つ魔法の品。
そして、決して外には見せないタルタル流の戦闘魔法。
全ては体力と筋力に劣るタルタルが、戦士をやるために必要なものだ。

「ウィルパナルパっ!?」
ネリリさんが声を上げて目の前の三人のカラス人間を突き飛ばすと、駆け寄ってくる。
彼女の位置からウィルパナルパさんとカウリオリさんの所までは既に道が出来ていた。

カウリオリさんは油断なく周囲のヤグード達に殺気を放って牽制をしていた。
ネリリさんも二人の場所まで辿り着くと、同じように背を向けて構える。

「…なんで君がこんな所に?」
ウィルパナルパさんは後姿に向かって声をかけた。
「その前に例を言ってくれると嬉しいぞ」
「…ああ、そうだな。ありがとう」
「それに前から思ってたんだけどな、一応俺はお前さんより年上だぞ。君ってこたぁないだろう?」
「…」
答えないウィルパナルパさん。
「つまり何か? 連邦においては魔道士の方が格上だってか?」
軽口が続く。
ウィルパナルパさんは、やっぱり答えるつもりもなかった。別にそういう差別意識をもってるわけじゃないけど。
だから、無理矢理話を戻す。
「私の質問に答えてくれないか? 君はいつもそうだ」
「そりゃまぁ…ここは俺の管轄領域だからな。俺がこんな所にいてもおかしくはねぇよ」

ネリリさんが、やっと本題に入ったと思ったらしく、口を挟んできた。
「…つまり、それは私達の推理と認識があたってるってのを肯定してるのかい? なんだっけ? リュシアンだったか、あのキザ野郎が言ってたやつだ」
「おう、リュシアンにも会ったのか。エレノアだけだと思ってたが…ま、なんにせよ、管轄内の平和は守らなけりゃな」
カウリオリさんの答えは飄々としている。

「…今の私とネリリは、君に多大なる不信感を抱いているのだがね? リュシアンの推測が確かなら、君は直接ではないにしろ、アレスの仇のかなり大きな支援者だ。背中から君を襲うかもしれない」
「だけどな、この状況を突破できなけりゃ、俺を殺しても意味がないんじゃないか?」
後ろは振り向かないものの、顎で周辺のヤグード達を指し示すカウリオリさん。

「とりあえず今は助太刀するさ。我らが敬愛する神子様のウィンダス連邦のためにな」
振り向かないで、皮肉っぽく背中で声を発したカウリオリさん。
「…余計なお世話だね。このぐらい私でもやれる」
「そりゃいくらなんでも自分を過信しすぎじゃないか?」
さすがに首だけをちょっと後ろに向けて、ネリリさんを見る。
「アンタ達こそ、いつまでも私達英雄を見くびっている。私達はそんなに未熟か?」
カウリオリさんはそれには答えない。その代わりにニヤリと唇を歪ませただけ。
次いで鎧の隙間から懐に手を突っ込んで、人型に切り抜いた何枚かの紙を指で挟んで取り出した。
すぐさまニンジュツの詠唱に入る。
「フン…」
それを目を寄せてチラリと見たネリリさん、自分も懐から同じような紙の束を取り出して、こちらも詠唱を始めた。

「おいおいおいおいおいおいおい…」
今度はウィルパナルパさんが皮肉っぽく声を上げる番だった。
「ウィルパナルパ、回復と支援はやってくれるよな」
空蝉の術を貼り終えたネリリさんが、有無を言わせない口調と共にウィルパナルパさんの方を見た。
「…この状況、回復魔法を使えるのは私だけだからな。仕方があるまい。しかしヘイストは無理だぞ」
ウィルパナルパさんは、強化魔法を苦手としているのだ。通常の冒険者の黒魔道士の水準でしか使うことが出来ない。
暗黒魔法のこともそうだけど、もし卒業まで学校にいられたら多分大幅に違っただろう。でも、過ぎた事に文句を言ってもしょうがないわけで。
「問題ないだろ。俺も彼女も空蝉使いだ。二人いればなんとでもなる」
思わず、はぁ、とため息をついてしまうウィルパナルパさん。
この場にいるのはウィンダス出身のタルタル三人。なのに回復魔法を使えるのはたった一人。
絶対何か間違ってる。

…あっちは大丈夫だろうかね?
ウィルパナルパさんは、妹のことを考えながら、もう一度深くため息をついた。

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話は一日前に遡る。

ディンさんとしては、ウィンダスのやり様は絶対に許すことが出来ない。
クォン、ミンダルシア両大陸では、多分ただ一人の闇の竜と契約した竜騎士であるディンさんだからこそ、そう思う。
聖なる竜騎士達の竜の生贄…そんな上等なもんじゃない、食い散らかされるために闇竜を孵化させてるなんて、無茶苦茶だ。
そもそも『悪しき印』が浮かび上がった所で、人を襲うようになるとは限らない。結局は竜騎士達の自己満足のためだけに闇竜達は殺されていってるわけだ。

もちろん、聖なる印を持つ竜に悪しき印が浮かび上がることは、竜騎士だったら絶対に看過できない。
だけど…
「自分の相棒を信じられなくなってどうするんですか!?」
ディンさんは目に涙をためて叫んだものだ。
「『悪しき印』って呼ばれてる印が浮かび上がっても、それまで竜と築いてきた絆は消えないでしょう!? だったら竜の事、信じられるはずです! 呼びかけられるはずです! それなのに…」

「ディン…貴女は稀有な存在だからそう言えるのです。悪しき印を持った竜と契約した人間など聞いたことがない」
ラティシアさんが諭すように言ったのだけれど、
「でもクィクィルは人を襲いません!」
結局議論にはならない。堂々巡りだ。
ハァ、と軽くため息をつくラティシアさん。
「いいですか、ディン。私にも、竜騎士がそのような卑怯なやり方を受けれいている理由はわかりますよ」
「ラティシアさん…本気ですか?」
「自分が命を預けるパートナーが人を襲うかもしれない、それによって殺処分される可能性がある…とすれば、いかなる手段を用いてもそれを止めようとするのは、人間の愛情としては当然の事ではないですか?」
「そ、それはそうですけど…でも」
ゴモゴモとまだ反論したいディンさん。
「でも、と言っても、人を襲う確率が少しでもあるならば、それを防ぎたいと思うのは当然でしょう?」
「う…」
ウィルパナルパさんやラティシアさん、ネリリさんから見れば、ディンさんの主張は甘っちょろい理想論でしかない。
悪しき印を持った竜は人を襲いやすいというのは、統計的な事実だからだ。いくら愛情だの信じるだの絆だの叫んだ所で、積み重ねられてきたデータは覆せない。
愛、努力、根性がありさえすればハッピーエンドなんてのは所詮夢物語の世界。

実際、ラストドラグーン・エルパラシオンが竜王ランペールに暇乞いした理由は、戦い続けた結果、彼の竜に悪しき印が浮かび上がってきたことだ。
自分の竜が悪しき竜になってしまう事を恐れて、エルパラシオンは戦うのをやめて隠遁することになった。
エルパラシオンほどの竜騎士でも、自分の竜に悪しき印が浮かびあがるのを恐れる。
自分の竜が闇竜になるのは、普通の場合竜騎士にとっては絶望的なことなのだ。
だからこそ、アレスさんの槍のように、それをキャンセルできる能力をもったマジックアイテムが生まれる。

「でも…それじゃ殺される闇竜の方はどうなんですか!? 希望をもってこの世界に生まれてきた直後に…自分じゃない誰かのために殺されるなんて…そんなの…」
そんな想像をしただけで、感情が高ぶっているディンさんは涙が出てきそうになる。
もし、あの時クィクィル君がギデアスから逃げ出してこなければ…逃げ出してこれなかったら…。
クィクィル君も他の悪しき印を持った竜達と同じように、聖なる竜とその契約者である竜騎士に殺される、『餌』にされる運命を辿っていたはずだ。

「ディン…貴女は本当に優しいのですね」
泣き出しそうになっているディンさんに、ラティシアさんの表情がふっと緩んだ。
でも、それはほんの一瞬。すぐに厳しい顔になる。現実を知るラティシアさんだから。
「しかし、アレス殿のことを忘れてはいけません」
「師匠の…? …!」
目を見開くディンさん。
「思い出したようですね。貴女はアレス殿のためにファブリツィオを討とうとしている。彼とて自分の竜を思う気持ちは貴女と変わらないぐらい強いはずです。そして貴女達冒険者は、生きるために獣人達を殺して回らなければならない」
「あ…う…それは…」
痛いところを突かれてしまって動揺するディンさん。
ラティシアさんは冷静に、
「貴女は紫の竜騎士のことを話す時、これ以上ないくらい殺気に満ち溢れている」
一呼吸おいて続けた。
「それが正しい姿なのです。紫の竜騎士も同じです。自分の大事な存在のために戦うのは、人間の尊厳として一番大事にするべきだ」

「…でも」
ディンさんは反論のしようがない。

自分の前に立つ、自分より頭一つ二つも背が低い、ほぼ同い年の少女。
だけど、彼女が見て経験してきたものは、自分よりも遥かに多く大きい。それが彼女の自信に繋がってるのがわかるから、ディンさんとしては何も言えなくなっちゃうのだ。
それに、ラティシアさんの言葉を否定すれば、それはディンさん自身のアレスさんへの想いを否定することにもなる。

アレスさんの部屋。窓から吹き込んでくる夏の風を頬に感じながら、二人の少女は、もう言葉もなしにただ見つめあう。
少し強い風が入ってきて、ディンさんの黒いポニーテールと、ラティシアさんのプラチナブロンドの前髪を揺らした。

「…ラティ」
二人の会話を、壁際に寄りかかって腕組みをしながら、聞くともなしに聞いていたウィルパナルパさんが声を発する。
「…兄さん」
ラティシアさんはほっとしたようにそちらを振り返った。ディンさんから見れば彼女も自信に満ち溢れていたのだろうけど、やっぱりウィルパナルパさんの言葉が欲しかったのだ。
ラティシアさんの大切なものって、ウィルパナルパさんとの二人の生活。
だから、ウィルパナルパさんには、自分の言った事を肯定して欲しい。
まだまだ少女…少女でいたいのだ。

「ディンにはわかってるのだろう。もう」
「…」
「今君がやるべき事は、ウィンダスの所業を声高らかに糾弾することではない。ディン自身、そしてクィクィルのために、アレスの仇を討つ事だな? 前に私が確認を取っただろう?」
「…そうですけど」
渋々と答えるディンさん。

「まぁギデアスがどういう状況なのか、見ておく必要はある。今までの私達の推論とリュシアンがくれた情報を総合すれば…」
そこで一旦言葉を止める。ラティシアさんが先を促した。
「兄さん、どういうことです?」
「アレスを殺した紫の竜騎士は英雄そのものではないかもしれないが、それに準ずる存在だろう。『獣人を殺した数ランキング・イン・ヴァナディールの竜騎士』ではトップを独走しているはずだ」
一体なんですか、そのランキングは?
「ならばなおの事、闇竜を殺して回らなければならないわけだが…」
「…なるほど」
ウィルパナルパさんの言いたいことに気がつくラティシアさん。
ディンさんはそれを見て怪訝な顔になった。
「なんですか?」
「ですから、ディン。北の地に赴いて闇竜を狩っているだけでは追いつかなくなるのですよ。英雄としての働きを期待されている男が、月に一匹二匹殺しただけでノルマを達成できるとは思えない」
「…あ!」
ディンさんが声を上げる。

「獣人を殺したくなくても殺さなければならない。戦うために竜騎士とその竜は存在するのですから。例え一時的にノルマを達成したところで、手が空いたら、その場で獣人殺戮の依頼が舞い込むでしょうね」
「そーゆー言い方って…」
口を尖らせるディンさん。ちょっと抵抗感を覚えてしまう。
でもまぁ、街の人々から依頼されるクエストの目的自体は、別に獣人を殺すことじゃないけれど、手段としては殺さなければ始まらないものばかり。結果として殆どの依頼は、獣人大虐殺に繋がってしまうわけだ。

「そして、心が綺麗な聖なる竜騎士としては、それを断れないわけだ」
「なんとも厄介な事ですね…」
兄妹そろってため息。
心が綺麗な人間でなければ、聖なる竜と契約できない。そんな心が綺麗な人間が、困っている人々の依頼を断れるとも思えないから。

「だから、多分紫の竜騎士…ファブリツィオはギデアスに現れる」
ウィルパナルパさんの確信を持った言葉に、ディンさんはキッと眉を釣り上げた。
「はい。だったら私は行きますよ。お二人やネリリさんが行かなくても…あ、違います」
「ディン、何が違うのですか?」
怪訝そうな顔になるラティシアさん。
ディンさんは、そんなラティシアさんをギリっと睨みつけると、はっきりと言い放つ。
「私だけが行くんじゃないんです。クィクィルと私が行くんです。師匠に命を救われた私達二人が」
その真面目腐った訂正には、ラティシアさんもウィルパナルパさんも苦笑するしかない。
ただ、壁に立てかけてあったアレスさんの槍が、ディンさんのその言葉に反応して、周囲の光を吸収し闇を広がらせていた。

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再び今日。

クィクィル君が周辺にいる存在達を見渡した。
そして悲しそうに一声鳴く。自分が卵の殻を破った場所、逃げ出した場所、そして置き去りにしてしまった仲間達。

魔法陣の上で、周囲を闇竜に囲まれているラティシアさんとディンさん。その数、七匹。
クィクィル君よりも遥かに大きい、ガルカよりも少し大きくなっているぐらいか、そのぐらいまで成長している闇竜達。
それでもまだまだ子供…ラティシアさんが閉ざされた北の地、そしてネリリさんについてワールーンの祠で過去に見た悪しき印を持った竜に比べれば、半端じゃなく小さい。

青い鎧を着て殆ど両手斧みたいな巨大なハルバードを構えながら、油断なく周辺を見回すラティシアさん。
シルクブラックに赤帯のガンビスンを着て漆黒の槍を構えたディンさんが、背中からラティシアさんに再び声をかけてきた。
「ラティシアさん…」
「ディン…どうしました? ドラゴンスレイヤーの能力を与えられている貴方なら…」
「いえ、そうじゃなくて…」
「は? どういうことです?」
思わず首だけ後ろを振り返ってしまうラティシアさん。
槍を構えたまま竜達の目を睨みつづけていたディンさんは、彼女の脇でホバリングしているクィクィル君と目を合わせた。
「クィー!」
クィクィル君が、もう一度、今度は同意するように鳴く。その声はいつもの愛くるしいものではなく、どこか寂しげ。
「だからなんなのです?」
視線を自分の前に戻して構えを取るラティシアさんが、もう一度訊いた。

「やっぱりそうよね……このコ達…狂ってる。いえ、違う。狂わされたのね」
ディンさんがギリギリと歯を噛み締める音が、ラティシアさんの耳に聞こえてきた。
ラティシアさんは、彼女が歯を食いしばるのなんて見たことがない。正真正銘これが初めてだった。
今までのディンさんは戦闘モードに入ったときには、殺気に満ち溢れた視線を飛ばすだけだった。
その時は激情が抑えられるぐらい、本当に殺気に満ちた目。
だけど、今回のは違う。
相手に対する殺気よりも、自分の不甲斐なさを責めるような…。

「ラティシアさん、やりましょう…このコ達はもう自我を失ってます。これ以上生き続けたらこのコ達が可哀想過ぎます」
一言一言ゆっくりと噛み締めるように発音するディンさん。
それはまるで、バストゥーク製の機械人形が発しそうな、悲哀に満ちた、それでいて単調な音律。

「ディン、説明をお願いします!」
ラティシアさんの叫びが背中から聞こえる。
彼女の声とは正反対に、ディンさんの頭はどんどん冷えていく。いや、自分が感じた答えに冷やされていく。
だから、ポツリポツリとしか答えない。
「…ラティシアさんは、ウィルパナルパさんがいなかったらこうなってたんじゃないですか? 多分ウィルパナルパさんもそうなんですよ」
「ですから、ディン! わかるように説明してください!」
もう一度背中から叫び。

「…闇竜だから人を襲うんじゃないんですよ…本当は闇竜も聖竜も関係ないんですね…」
そこで一つ大きなため息をついた。
「…?」
「…相棒を持てなかった竜が人を襲うんです。聖なる竜は人間や獣人と契約するから人を襲わない…ただそれだけ。だから私と契約しているクィクィルは人を襲わないんです」
「!!」
ラティシアさんが息を飲む。
「このコ達は相棒と契約する機会を奪われてたんです。だからこんな風になってしまった。狂ってしまった」
ディンさんは寂しそうに言うと、漆黒の槍を穂先を下にして構えた。

ディンさんが感じた答え、それは本当は違っているのかもしれない。竜族はアルタナとプロマシアの争いの外で生きる種族だ。真竜達がそうなのだから、彼ら飛竜もそうであると思った方が辻褄が合う。そんな種族が相棒を必要とするのか…神同士の痴話喧嘩の結果生まれた種族である人間や獣人には、本当の所なんてわからないはずなのだ。
だけど、クィクィル君と契約して魂を共有しているディンさんには、自分のその思いつきはあたっていると思える。
根拠のない自信。だけど自分の考えは、例え他の人に対して普遍性を持っていないものでも、自分に対しては常に真実だ。

「だから…このコ達、可哀想だけど…クィクィルが私を失ったらクィクィルもこんな風になってしまう…」

ディンさんの言葉は徐々に強くなっていく。
それに呼応するように、クィクィル君がふわりと頭上に浮き上がった。ディンさんの頭の斜め上でホバリングを繰り返す。
「だから、私は貴方達を殺します」

ディンさんが構えた漆黒の槍が、降り注ぐ光をどんどん吸収していく。広がる闇と共に、槍の中に封じ込められている全ての種類の精霊力が暴れ出す。
炎を噴出したと思えば、次の瞬間には冷気を噴出すのだ。
穂先にはあらゆる精霊力が集まり、渦を巻き始めていた。

それに呼応するように闇竜達が動きを見せ始める。
ブレス…竜の体内に宿る精霊力の発露、その兆候が見え始めた。

「いけない!」
「ひょわぁああ!?」
飛び掛ってくる直前、ラティシアさんがディンさんの首根っこを掴み、魔法陣から離れた通路の方へ走り出す。
自分の巨大なハルバード、そして魔法がかかっている防具だから軽装であるとは言え、自分の背丈よりも大きいディンさんとやっぱり巨大な漆黒の槍をそのまま振り回して駆けて行く、怪力娘のラティシアさん。
「ちょ、何するんですか、ラティシアさん! このコ達は殺してあげないと!」
引っ張られる方は、殆ど宙に浮かびながら抗議の声を上げるけど、
「貴女はバカですか!? 本当に彼らを殺してあげたいのなら、方法を考えなさい!」
遂にラティシアさんにまでバカ呼ばわりされてしまうディンさんだった。
「バカじゃないです!」
そんな否定も、自分より背が小さい女の子に物凄い勢いで引きずられている以上、説得力の欠片もなくむなしく響くだけ。

七匹の竜に同時に襲い掛かれれば、当然ディンさんとラティシアさんはあっけなくやられるわけで、狭い通路に誘導して一対一の状況を作り出そうとしたラティシアさんの作戦は当たっている。
奇しくも、丁度同じ頃ウィルパナルパさんが使っていたのと同じ作戦。だけど彼女達の方は戦士だ。ウィルパナルパさんのように逆に窮地に追い込まれるなんて事は考えられない。

ダッシュでバルガの舞台の入り口に辿り着いたラティシアさんは、掴んでいたディンさんのガンビスンの襟を放した。
どさっとディンさんが土の上に落ちる。
「いったぁ…」
当然クィクィル君もきちんとついて来てくれてる。彼もラティシアさんの作戦には異論はないようだ。むしろ、向こう見ずな相棒を力技で制御してくれたプラチナブロンドの少女に感謝している感じ。

「ラティシアさん、乱暴すぎますよ…」
何の考えもなしに多数の闇竜を相手にする方が乱暴なような気がしないでもないけど。
「行きますよ」
「…はい」
文句を言う事も許されないディンさん。ラティシアさんの声が促す。
ザッと構えを取った二人めがけて、まだ大人になりきれていない闇竜が、それぞれ一匹ずつ魔法陣から跳躍を開始した。

巨大な身体が宙に舞う。距離が長い…二人の場所に到達するまでまだ数秒はかかるだろう。
身構えたディンさんの耳に聞き慣れないメロディが飛び込んできた。
「…え!?」
隣を見れば、ラティシアさんが…歌ってる? 魔法の旋律!?
ラティシアさんは戦士のはずだ。魔法の才能はないと本人が言っていた。ディンさんはきちんと聞いた記憶がある。
巨大なハルバードを左手でホールドしたまま、右手を額の前で握り、親指だけを眉間につけているラティシアさん。
ディンさんはあっけに取られながらラティシアさんを見つめる。今まで見たことがない詠唱のポーズ…とは言っても、詠唱の時の精神集中の方法なんて人それぞれだけど。

ほんの短いメロディ。きっちりと歌い上げると、ラティシアさんは顔の前にあった右手を脇に振り下ろす。
瞬間、ラティシアさんの体からとんでもない量の光の精霊力が放出された。
暴れる光の風は、彼女のドレス調の鎧下のスカートをバサバサとはためかせる。
まるでウィルパナルパさんが古代精霊魔法を使う時に、周囲から魔法力をかき集めるために発生させる精霊力の嵐のようだ。
その中で、ギリと飛び込んで来つつある闇竜を見上げて睨みつけるラティシアさん。

「…な、なんですか、それ!?」
ラティシアさんは睨みつけたまま。
「そんなことはどうでもいいのです! 貴女もその槍を解放しなさい!」
「槍を解放…? …はい!」
その意味も解放の手順も一切無視したラティシアさんの言葉。
だけどディンさんには、なぜかそれが意味している事が全てわかってしまう。

「クィー!」
ディンさんの後ろで叫ぶクィクィル君。
色調を変えつつある構えた槍からは、クィクィル君の声に呼応して、あらゆる精霊力が溢れ出し…数瞬後、暴れる闇の光がディンさんの周囲から放出された。

ラティシアさんが先日この槍を手に取った時に感じた精霊力の異常。それがこの槍の正体そのものと言えるかもしれない。
あらゆる精霊力を持つ竜に対抗するための手段、それはこちらもあらゆる精霊力を持つことだけだ。この槍は闇竜を倒す事に特化した、聖なる竜騎士のための槍。

「ディン!」
「はい! クィクィル!」
上から飛び込んできた二匹の闇竜に、少女達はそれぞれ力を込めた一撃を突き上げる。
直後、
ドカン! ゴオォオォォ!
ディンさんの方から物凄い炸裂音。いや、音じゃない。精霊力の圧迫感。
漆黒の光が溢れ出し続けている。

脇では普通に迎撃の一撃を加えたラティシアさんが、吹き飛ばされそうになっていた。
ディンさんはこれだけ嵐の中でものものともせず、襲い掛かってきた闇竜のつぶらな目を見つめている。

「…これが…アレス殿の槍…聖なる竜騎士のための漆黒のランス…」
嵐の中で目を細めて、迎撃直後の体勢を整えるために後ろに跳躍しながらも、ラティシアさんはポツリと呟いていた。

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再び一日前

「なら、カウリオリの所に行けばいいだろう? 何で私に頼むんだよ!?」
ネリリさんは、もういい加減にしろと言わんばかりに叫ぶ。完全にご機嫌斜めだ。
「しかしだな…ここは英雄の君を立てて」
「ウィルパナルパ、アンタな…」
ため息をつくネリリさん。
目の前のウィルパナルパさんは困った顔だ。だけどこの表情で自分がやりたくないことを他人に押し付けるのは、彼のいつもの事。

「まだ私達を馬鹿にしてるんだな。必要な情報は私達には与えず一方的に私達の得た情報を奪っていく事に何の罪の意識も感じていないって事だろ。やっぱりアンタ達みたいなのとは関わらなければよかった」
「いや、そういうことではなくてだな…」
どう頑張っても自分達『業界人』の悪行を否定する事はできないから、とりあえず話をぼかしておくウィルパナルパさん。
ネリリさんはそんなウィルパナルパさんを見て鼻を鳴らすと、明後日の方向を向いた。
脇を向いたというよりも、顔を背けたというか。
ウィルパナルパさんが、顔を背けた拍子にブンと振り回された赤毛の三つ編みを避けながら訊く。
「どうした?」
「あ…うん。ちょっとな」
言い淀むなんてネリリさんらしくない。だからもうちょっと突っ込む。
例え蛇をつつこうとも、ネリリさんが普段と違うというのは、彼女のお守を仕事にしてるウィルパナルパさんとしては看過できない。

「一体何かね?」
「…アレス君のお父様から手紙が来たよ」

「ほう?」
こりゃまずい。本当に薮蛇だった。隠しておいたヤバイ所に突っ込まれそうだ。
だからウィルパナルパさんとしては疑問系の相槌を打ってしらばっくれるしかない。
「レレレが消えたそうだな?」
「……」
しらばっくれるの、失敗。
さすが英雄だ。的確に急所を突いてくる。
「アンタやラティシアはそのことを知っていたな?」
「……」
答えないウィルパナルパさんだ。
「なぜ私に教えなかった?」
いつもと違って、ネリリさんの質問に怒りの色はない。普段だったら怒り狂って詰め寄ってくるだろうに。

だからウィルパナルパさんも比較的冷静に頭をめぐらせる。
「あー……」
一生懸命ごまかすためにはどうしたらいいか、唸りながら考えていると。
「…なんか答えてくれよ」
ネリリさんの、やっぱりまた普段と違った…もしかしたら泣き出す寸前の表情だろうか、ウィルパナルパさんは彼女が涙を流す所を見たことがないから確信は持てないけど、とにかく眉が八の字になりつつある表情で見つめられて、少したじろいでしまった。
さっきまで冷静だった頭の回転は、いきなり軸がズレはじめて、スケールの大きい味噌擂り運動を始めてしまう。
「あー、うー…」
当然、考えがまとまるはずもなく。
考えるのを諦めて、ハァとため息をついたウィルパナルパさん。一応二番目ぐらいの本音を話すことにする。

「それを知ったら、君はディンの事を放り出してセルビナに行くと思ったからだ」
「ハハハ、そりゃ違いないよ。私にとってはディンよりもレレレの方が大事だ」
否定しないネリリさんだ。でも、その笑いにはいつものような人を馬鹿にした響きや声の強さはない。
「君が知ってしまったからには我々にはそれを止める事は出来ない。しかし、その前にディンのためにやってはくれないかな?」
再度の依頼。結局英雄である彼女でなければ出来ない…いや、ウィルパナルパさんとラティシアさんには出来ない事だ。
「実はさ…手紙の主は、アンタと同じ事を私に頼んできたんだよ」
「アレスの父親がか?」
ウィルパナルパさんの声が疑問に満ちた。
英雄達の身辺調査はかなり早いうちに行われていて、ウィルパナルパさんのみならず、業界人なら、そこら辺の情報は大抵手に入れている。英雄に関わる人間の基礎知識とも言えるかもしれない。
で、アレスさんの父親はそういうことに首を突っ込んでくる人間とは聞いていない。まるで業界人みたいに振舞う錬金術ギルドの師範なんて…。
だけど、ネリリさんは首を振った。
「さぁ? 後ろに誰がいないとも言い切れない」
「そうか…」
誰だ、誰がいる? ウィルパナルパさんは必死に頭をめぐらせる。
もしかしたらディンに直接害を与える人間かもしれないし、それだけじゃなくファブリツィオの支援に回るかもしれないな。自分達がやっていることを天の塔に告げ口されるかもしれない…そうなったら我々兄妹の生活は破滅だ。危ないのはカウリオリだな…あの男、得体が知れなさ過ぎる。大体アレスの漆黒の槍を持ち込んだのはあいつだぞ。そうでなくてもなるべく安全な人間が背後にいて欲しい所だが。最悪、バストゥーク政府が関与してくる可能性も否定できない。なにせ相手…アレスの父親は錬金術ギルドの参謀・…え?

「…ちょっと待ってくれ!」
何かがトリガーになって暴走しかけた自分の思考を必死に留める。
「どうしたんだ?」
黙り込んだ挙句いきなり叫んだウィルパナルパさんが目の前にいるのだから、ネリリさんが不思議そうな顔になってもしょうがない所だ。
目の前のウィルパナルパさんは、目が血走っていて、今までネリリさんが見たこともないような悲惨な顔。冷や汗がウィルパナルパさんの額を伝い、目尻で涙腺から出た塩水と合流して、眼窩に入っていった。

「おい、ウィルパナルパ、大丈夫か!?」
動きを止めてしまったウィルパナルパさんの肩を揺するネリリさん。
「そうか…」
ウィルパナルパさんは考える。
錬金術の秘術…最近発見されたと言う「記憶の残滓」とやらを用いて、本来なら赤魔道士が行う武具に対する魔法付加を、コストはかかるものの、より効果的に行う…そんな技術があったはず。
たしかネリリの短剣にも、いくつかそういうのがあったな。
漆黒の槍は『業』のキャンセルの魔法?の力を持っていると思われる。だったら出所として一番怪しいのは錬金術ギルドじゃないか。
そして…アレスとディン…二人とも錬金術ギルドに関わる人間だ。

「おい、どうしたんだよ、ウィルパナルパ!?」
ネリリさんが、ガクガクと肩を揺さぶっているのに、やっと気がついたウィルパナルパさん。
「ああ…いや、なんでもない」
そう答えると、
「まぁいずれにせよ、ギデアスに頼む…アレスのためにディンを助けてやってくれ」
それだけを言い残して、スタスタと歩いていってしまった。

「なんだっていうんだ…?」
残されたネリリさんは呟くだけだった。

./

更に前前日。

でかい豪勢な机に肘をついて、顔の前で指を組むエレノア女史。
目の前には一人のミスラ。
蒼銀のおかっぱの髪に草色の裾の短いワンピース。細い腰回りを円形の石がついたロープで軽く縛り、服の上に藍で染めた革製のブレスト鎧と肩当。腰には狩人の印である短剣と、短めの諸刃の直剣。さすがに首輪はつけてない。
どう見ても普通のミスラの狩人って感じなんだけど、どこかが違う。
雰囲気というか…なんだろう?

「んで? これ以上スリやるのは気に食わないんだけどな。どーにかなんねーのか?」
そのミスラは、正真正銘飽き飽きしたような声を出した。ミスラの例に漏れずその共通語はいささか乱暴に聞こえる。
「大体さ、きちんとした身分の人間がアンタに宛てた書状盗んだんだぜ? 『業界人』以外にばれたら私はウィンダスでもお尋ね者だ」
もうホント、いい加減にして欲しいって感じ。

すると、机の脇に立っていたやたら色気のあるエルヴァーンの男が、にこっとする。
浅黒い肌に、エレノア女史とお揃いの白い長髪。
やっぱりエルヴァーンって美形が多いんだな…エルヴァーンに比べれば遥かに背が低いミスラは男を見上げながら感心する。
多分、その顔だけで何人もの御婦人を虜にできるんだろーな、なんて。
「ああ、大丈夫。それはテオフィルの手の者の仕業にしてある」
ところが出てきた声が表す所は、百戦錬磨の政争を勝ち抜いてきたらしい酷い答えだ。

「…それ、リュシアンさんが思いついたのかい?」
「エレノアに、そういう汚い発想ができると思うか?」
リュシアンさんが真面目腐った顔で身体の前で両手を広げて見せた。
ククク…と笑いながら肯定するミスラ。
「違いないな」
「こら、そこの二人、聞こえてるぞ」
当然ながら、エレノア女史からは抗議の声が入る。
聞こえてて当然。彼女は、すぐ側のでかい執務机に両肘を突いて渋い顔の前で指を組んでいるんだから。
「いやぁ、俺達は君のことを誉めてるんだよ?」
「旦那さんの言う通りだ」
二人は間髪を入れず反応して、
「まだ旦那ではない!」
顔を赤らめて更に瞬間的に反応するエレノア女史。その反応速度は神業クラス。さすがに叙任こそ受けなかったものの、歴戦のナイトだ。

「「……」」
机の前でエルヴァーンとミスラが顔を見合わせる。んで、どちらも呆れたような顔。
「時間の問題だろ? もう充分ラブラブじゃんか」
「うむ、俺はそう思ってるんだけどね…彼女の方はそれを認めようとしないんだよな。彼女にラブラブな状態であることを認めさせるにはどうしたらいいか、知恵を貸してくれないか?」
「第三者に判断させりゃいいんじゃないか? 客観的な視点が複数あれば、それは統計的な事実にはなるだろ? いくらエレノアでも否定できないはずさ」
「なるほど! 君、頭いいな」
ポンと手を叩くリュシアンさん。
「そんな恥知らずな真似ができるか!?」
勝手に話を勧める二人に、またもエレノアさんの抗議が入る。
だけど、元から業界人である所の二人は構わない。こんな所で新参者を気にするようなタマじゃ、業界人はやってらんないのだ。
「ああ、ほらアレだ。ファピナナは?」
「彼女からはもうお墨付きを貰ってるんだ」
「へぇ? んじゃ大丈夫なんじゃねーか?」
「いい加減にしろ! 私にこれ以上恥をかかせるつもりか!?」
「…既に充分恥かいてると思うけどな?」
ミスラはチラリとリュシアンさんの方を見たら、
「うんうん。それに恥ずかしがる事はないよ。まぁ恥じらいの顔も乙女チックでなかなか新鮮でいいね」
イケメンエルヴァーンは、その白い髪を揺らしながらしっかりと頷いていた。
もう乙女チックな恥じらいどころか、どす黒くなりつつあるエレノア女史の顔。おまけにプルプルと震えながら組んだ指に血管を浮かびあがらせていた。

「で、話を戻そう」
リュシアンさんの口調が切り替わる。
その声に呼応して、残りの二人の顔も一気に真剣になった。
どうしてこう…この人達は切り替えが早いのか。周りに人がいたら着いていけないって文句を言う所だ。
「ファブリツィオの情報はかなり管制が厳しいのは知っての通り。俺も探してるんだけどな、テオフィルもなかなか捕まらん」
さっきまでとは違い、多少イラついた声。
「バカ王子達はどうなのだ?」
エレノア女史、主君を指してなんつー言い草だ。
リュシアンさんは、フンと鼻を鳴らす。
「エレノア、君の家の仕事が騎士団じゃなくてよかったな?」

「で、他の組織の動向を掴んで、そこから導き出していくのが手っ取り早いだろうって俺とエレノアは考えたんだけど」
「そりゃそうさね…だけど、もうスリはやんねーぞ?」
「コネがあるのは?」
リュシアンさん、エレノア女史の方を見る。
ちょっと逡巡した後、
「…スクラッパーか」
ハァとため息をつきながら、エレノア女史はポツリと漏らした。
「他には?」
「悪かったな。どうせ私は新参者の業界人だ。だいたいリュシアン、貴方の方がコネクションはあるだろう?」
「とは言ってもなぁ、あの親父さん、結構引きこもっててな…ラリネーも今は誰もいないし」
親父さん、つまりサンドリアの英雄の事だ。

リュシアンさんが、エレノア女史にはわからないように、チラッと蒼銀髪のミスラの娘の方を見る。
『君の方は?』って感じだろうか。
でも、彼女はちょっと口をとがらせただけ。

「りょーかい。ならいいさ。私はスクラッパーに接触する。あの二人は業界人じゃないけどな…まぁ知らない所で私らは出し抜かれてるぐらいだから問題ないか」
かったるそうなミスラと、
「そういうことだろうな…口の院の二人にはそっぽ向かれてしまったし、俺はテオフィル周辺…クルリラ団長とトリオン王子の逢瀬でも覗き見てるか」
やけに楽しそうなリュシアンさん。
思わずガクンと顎を落としてしまうエレノア女史だ。
「…どういうことよ?」
気が抜けて、口調も他の人間を気にしない時のものになっちゃってる。
「うん、あの二人のじれったさは最早芸術の粋だからね。きっとエレノアをその気にさせるテクニックのヒントが含まれているだろう」

もうエレノア女史としても、色ボケの元婚約者にはかまっちゃられない。
「…となると、私は文官系か…しかし、サルヴァー宰相はそもそも『業界』の存在を知らないとは思うんだが」
頭痛がしてきた。
文官の最高位、宰相である所のサルヴァー氏は、その性格の嫌らしさから文官、特に女性陣には嫌われている。文官ではないけど、侍従官系の女の子達も似たような感じだ。
過去にセクハラでもやらかしたんだろうか?

「というわけで、司書官」
ズザザっとエレノア女史の机の前に二人が並んで、一人はサンドリア形式、もう一人はウィンダス形式の敬礼をしてみせる。
「ああ、頼む」
一応ボスである所のエレノア女史が、頷くわけだ。
かっこいい。女司令官だ。

./

公文書担当司書官執務室の豪華なドアを閉めたリュシアンさん、ミスラに向かって中庭の方を顎で指して、勝手に歩いていく。
ミスラもそれに逆らわず、そのまま着いていった。

夏の強い日差しが射す中庭。冬に養生して春にはしっかり綺麗な花を咲かせた植物達が、今は強い緑をもって、辺り一面を埋め尽くしている。
力がある伸び方なのにしっかりと美観を失わない、色とりどりの花が咲く春よりも鮮やかな緑を広がらせていて一層美しく見えるのは、もうこれは完全に庭師の腕だ。
さすがに故王妃のお気に入りだった庭師だけはある。
ミスラの娘は、辺りを見回して感動したようだった。

「さて…」
中庭を見渡せる場所に立っていた石の柱に寄りかかるリュシアンさん。そのまま腕を組む。
彼もさすがに平時だけあって鎧を着ていない。近衛騎士の赤い制服だけだ。武器も、腰に艶やかな装飾を施したレイピアを下げてるだけ。
一応近衛騎士なんだから日常のドラギーユ城の内部の警備が彼の仕事なんだけど、戦争時でもないのに貴族達が行き来する城の中を鎧姿で警備するのは、美観上あまりよろしくないからだ。
王立騎士団と神殿騎士団は、こういう中庭のような王族と貴族のための空間には入ってこれない。だから鎧姿で城内にいてもそれほど気にならないんだけど、さすがにVIPの警護が仕事の近衛騎士は別。

ミスラもリュシアンさんの脇に歩いていくと、こちらも石壁に寄りかかって腕を組んだ。
リュシアンさんの背丈はミスラの一倍半以上も大きいから、見た感じデコヒコになるのは仕方がない。
ボソリと本当に聞こえないような声で、リュシアンさんが喋りだす。
「ノーグは?」
「何も言ってきてない。コゲツとは一月前の連絡が最後だ」
ミスラの娘の声も、本当にささやき声だ。
「欲求不満にならないか?」
リュシアンさんは声を抑えながらもニヤリとして、
「…蹴るぞ?」
結果、ギロリと睨んできたミスラに軽く肩をすくめる。
「痛いのは嫌だな…全部じゃなくても、ある程度はノーグも掴んでいるはずだ」
「そりゃそうさ。私やコゲツ以外にも首領から仕事を受けてるやつはいるだろうしな」
「それなのに未だに君に連絡がないということは、ファブリツィオ関係にはエアハルトは関与してこないということの証明だと思っていいのか?」
ミスラの方も肩をすくめた。
「さぁ? 私に訊かれても困るね…一応コゲツに連絡は取るが」
「『小さな英雄』の方は、もろにどっぷり浸かってるみたいなんだけど?」
「ああ、アンタ会ったんだっけ? そりゃアレだ。『出向英雄』の問題だからだろ?」
「ふむ、あの娘の考えてる事はわからん。俺に対してはやたら喧しかったが、まぁまだ子供だからな。若い娘は元気でいいね」
顎をさすりながら、喧しかったネリリさんを思い出すリュシアンさん。
だけど、ミスラの娘の方はいかぶしげな顔になった。
「いやちょい待て、小さな英雄はかなりの年増だぞ?」
「…は?」
一瞬ぽかんとするイケメン。
「三十路には余裕で突入してたはずだ」
「…ウソだろ?」
だめだ、いい顔が台無しになってる。
「マジ」
「……」
「リュシアンさん、アンタもしかして、ファピナナも若いとか思ってんじゃないだろうな?」
「…よもや彼女まで三十路ってことはないよな?」
恐る恐る訊いてみたものの、
「いんや。小さな英雄ほどじゃないけどな。そりゃもうしっかりと」
「……」
エルヴァーンのイケメンは、もう絶句するしかない。

しばらく呆けてみたものの、何とか気を取り直す。
「で、もう一方だが…接触するって言っても、しょっちゅう会ってるんだよな?」
目的語は出さずに、殆ど断言みたいな感じで言い切っちゃうリュシアンさん。
これにはミスラも驚いたようだ。
「リュシアンさん、なんでアンタ…?」
「俺が知らないことがあるとでも? ブルストを除けば俺は最古参なんだけど? エレノアの亡くなったお父様からエージェントごと受け継いでからもう何年になるか…とりあえず俺は今でもほぼ全ての情報をリアルタイムに得ている」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」
「…あっそ。ならウィンダスの英雄の年齢ぐらい知っておけよ」
「……」
少し優位に立ったと思ったら、また引き離されてしまった。
男って弱いねぇ。

「ま、それはいいとして」
また気を取り直す。リュシアンさんの精神的ダメージの回復力は、なかなか素晴らしいようだ。
「…これは多分彼女らも既に知っていると思うが」
リュシアンさんが上半身を折り曲げて、今度は絶対に聞かれないようにコソコソと耳打ち。
「ねえさん達が?」
ミスラの娘の方もコソコソ。
「ああ」
軽く頷いておいて、
「既に『闇に響く歌声』は消えている。つい三日前だったそうだ」

ミスラは、ピクリと動きを止めて、
「…そうか」
そして、ハァとため息をつく。
「あの爺さんは、結構好きだったんだがな」
石の天井を見上げる。その表情はもう慣れたのか、それともまだ慣れないのか、微妙な所だ。

「直接の原因は?」
「そりゃ俺にはわからないよ…俺だってあの爺さんは好きだったんだよな。最後のお別れが出来なかったのが悔やまれる」
「どうすんだ? イザシオは新人冒険者には手を出さないだろ?」
そう、彼はあくまで求められたらおせっかいな振りをして教えを与えるだけ。
積極的に自分の所へ来させることはない。
「彼な、バストゥークの老人ネットワークに協力を依頼したらしいよ」
「…げぇ」
思いっきり嫌な顔…嫌と言うよりもうんざりとした顔になる蒼髪のミスラ。
「知ってるのかい?」
「…ネットワークの存在は知ってるし、何人かのメンバも知ってる。アレだ、スクラッパーの先生もあそこのメンバだ」
かつて色々と助けられて、そして色々と振り回された人だ。
「サンドリアの方はどうするんだい? 誰がイザシオの元へいざなう事になるんだい?」
「さてね…冒険者達ももうそこら辺は自立するべきじゃないかな? ベテランも多いんだ。新人にも情報は行くだろう…老人ネットワークも基本はそうらしい。よっぽどダメなヤツじゃなけりゃ老人達のお世話にはならないんじゃないかな」
「…そうか」
ほっとしたような、新人が苦労しなくて残念のような…。
「ま、とりあえず彼女達にはよろしく言っておいてくれ。んでさっきの質問だけど、最後に会ったのはいつかな? 当然エレノアが知らないところでしょっちゅう会ってるんだろう?」
別にそのことを責めるでもなく、再び訊くリュシアンさん。
「ん、1週間ちょい前に会ってる。その時はアレスの件の直後だったけどな」
「ああそうだ、あそこの…名前はなんと言ったか…『遅れてきた天才』と『闇なき暗黒』」
リュシアンさんは思い出そうとして、石の壁と屋根の間に覗く、青い空に積み重なった入道雲を見上げた。
「『エヴリィパス』と『ダークレス・ダークネス』…?」
聞き慣れない呼び名だ。だけど、程なくしてミスラはそれが誰を指しているのか思い当たる。
「…ああ、なるほど。オノレとクィラ・リキゥだ」
「ああ、そんな名前だったか。どうかな? 彼らは『英雄』の素質あるかい?」
「いんや、向いてない。あの二人が持ってるモチベーションの質はねえさん達と一緒だな」
「ふーん…」
自分で訊いておいて、興味がなさそうに答えるリュシアンさんだ。
ミスラの方としてはその態度はちょっとむかつくんだけど、面倒くさいんで話を先に進める事にした。
「今回のファブリツィオの一件は全てコゲツに伝えていいのか?」
「ああ。ただコゲツ氏も承知はしてるだろうが…ノーグには彼らが独自に掴んだ以上の情報は伝えないで欲しい。特にアレスとテオフィルについては」
「まぁ私らとしちゃ首領には知られない方がいいこともあるよな…で? リュシアンさんはエレノア抜きで私に依頼したいことがあるから、こうやって話してるんだろ?」
本題だ。前置きが長すぎるぜこの人…娘は心の中で悪態をつく。
おまけに本題の方は一瞬で終っちゃうのだ。

「口の院の二人の支援、頼めるかな?」
「…マウラ総督府の下請けと似たようなことやれって? なんのためにだい?」
「そりゃアレだ、スクラッパーに訊いてみてくれ」
「は?」
「多分な、彼女達も俺と同じ事考えてると思うぜ。多分コゲツ氏も同様だ」
それはなんとなく納得できなくはないところだ。
このミスラとしては、ノーグの首領やエレノア女史、そして目の前の近衛騎士に逆らってでも、スクラッパーにの味方をするのに躊躇いはない。
とりあえず本人達に確認を取って、彼女達がもし本当にそう考えているなら喜んで従うところだ。
「そっか。んでもまぁ、ねえさん達はのろまな私達業界人とは違うからな、多分もう動き出してると思うぜ…んじゃ」
壁から背を離して、外へ歩いていこうとするミスラ。
二、三歩歩いた所で立ち止まって、まだひんやりとしている石壁に、格好つけて寄りかかっている(多分暑いのが嫌で涼を取ってるだけなんだよな?)リュシアンさんを振り返る。
「私らさぁ…悪人だよな?」
「何を今更」
リュシアンさんは、軽く笑っただけだった。