Liberame Domine - 想いはいつもネバーエンディング - 後編
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真夜中、カザムに向かう飛空艇のデッキ。
アレスさんが殺された場所。
すらっと伸びた長身、黒いポニーテールが吹き付ける夏の終りの風を受けてはためく。
魔法がかかっていることが一目でわかるシルクブラックのガンビスン、
両肩に付けられた真紅のリボン。
風雨を経た木の床について右手で支える、巨大な漆黒の槍。
そして、美少女と言ってもいい、白い頬。
傍らには、緑色の鱗を持った小さな飛竜。
少女は、一言口にする。
「まだ、その子は生きていたんですね?」
彼女の問いには答えずに、ポツリと紫の鎧を着た男が声を発した。
「……一度訊きたかった。だからお前を呼び出した」
「何ですか?」
淡々と無表情で構えたまま、少女はそれでも応える。
「その槍の名前を知っているか?」
「名前なんか必要ないですよ……これは私ディンがアレスにもらった『アレスの漆黒の槍』です」
決然とした意思を言葉に込める少女。
聖なる竜騎士は、ふっと嘲笑のような顔になって顔を背けた。
「違う。それは『ファブリツィオの漆黒の槍』なんだよ」
「あなたの……どういうことですか?」
一瞬あっけに取られたディンさんだったけど、気を取り直してファブリツィオを見つなおす。
「こいつ、俺の竜だ」
その先には、前よりも黒さをました一匹の子竜。クィクィル君とそう変わりない大きさ、
もちろん今更紹介してもらうまでもない。今までなんどもやりあった竜騎士同士だから。
だけど、この聖なる竜騎士が竜を紹介するということ自体に驚いてしまうディンさんだ。
今まで名前を呼ぶのも聞いていたし、ファブリツィオが彼の竜をとても大事にしているのも知っている。
「それがどう……え!?」
ディンさんが、何かに気がついたように軽く叫び、そしてみるみる顔が青ざめていく。
彼女だけじゃない、彼女の竜の顔も厳しくなっていった。
彼女達、青ざめる理由なんて、もうとっくにわかってた。
だけど、思いっきり無視して気がつかないようにしていただけ。
「最初から、その槍はこいつを救うために、解き放つために作られたものだからな」
その事実を、紫の竜騎士が簡単に口に出す。
英雄『候補』ファブリツィオの竜。
歴史の中で竜騎士が『英雄』となるためには欠かせないことが一つある。それはその竜騎士が契約している竜が『聖なる竜』であることだ。
光と称されるアルタナ諸国の軍勢である、人間達の中の英雄なんだから、そりゃそうだ。
「この場合、解き放つという意味は二つあってな?」
かすかにニヤリとしてみせるファブリツィオ。
だから、そうならなかった場合。
口に出したくない、黒の竜騎士の思い。
「いざという時に自分の竜を殺すための……?」
「その通りだ」
ビンゴ。
「アルタナ諸国には、聖なる竜騎士しかいらない」
一般の冒険者なら、意図的に耳を塞いでしまう事実を、ファブリツィオは淡々と口にする。
「なんでそうなのかは、俺にはわからん。とにかく『英雄』はすべからくアルタナの加護を受ける種族の人間でなければ……いや、アルタナというと正確には違うが」
なにか、もぞもぞと言い直すファブリツィオ。英雄でなければ知り得ない、そして知ってはいけない『何か』なんだろう。
「いや、そんなことはもうどうでもいい。自分が『この世界』に踊らされてるのもわかってる。俺は意図的に英雄であろうとしたわけではないし、そのつもりもない。だがな」
ひと呼吸おいて、つなげる。
「俺はこいつを失うわけにはいかないんだ!」
ディンさんの印象では、戦闘以外で初めて声を荒げたような聖なる竜騎士だった。
ディンさんにだって失ってきたものはある。
というか、師匠で恋の相手(一応そういう事にしておこう)を目の前にいる人間に殺されたのだ。
「アルタナ諸国にいられないなら近東の国に亡命する手もありますよ?」
ディンさんは提案するけど、
「お前にはそれが本当にできるか?」
「う……それは」
問い返されれば、言葉に詰まってしまう。こちらに生活の基盤がある以上、並大抵の覚悟じゃ移民なんてできない。
「おまけにあそこの国にだってバカ王子は出没するわ、四カ国会議は開かれるわ、連邦の黒い悪魔は暴れ放題だわ、今の所黒い悪魔には見逃してもらってはいるが……亡命の意味なんざない」
心底あきれたようなファブリツィオの声。
というわけで、アトルガン皇国への移民案は却下である。
「でもちょっと待ってください! クィクィルは闇竜ですけど……こうやって生きてます!」
「それは幸運だっただけだ」
「違います! 私が『竜騎士』で師匠が師匠だからです!」
心外だとばかりに、声を荒げるディンさん。
ぶつかる視線と視線。
「もう一度言う。その槍はお前とお前の竜には必要のないものだ。既に闇竜なのだからな」
ひと呼吸おいて、そして紫の竜騎士は願いを口にした。
「……俺とこいつのために渡してはくれないか?」
決意するディンさん。
決意してしまえば、口に出すのは案外簡単だったのかもしれない。
「これは私のエゴです……けど、やっぱり「師匠の槍」を渡すわけにはいかないんです。あれは私とクィクィルのものです」
たとえ自分がどんなに悪者になろうが、自分が勝手に呼んでるだけだろうが、自分の中でアレスの名前のつけられた槍を渡すことだけはできない。
消えてしまうのならまだわかる。
でも、自分以外の人間がアレスの槍を使うのは、女として許せない。
そういうことだ。
「そうか……」
紫の鎧がすうと息を吸い込む。
そして放たれる、飛空挺のデッキだけではなくカザムや連邦首都まで届きそうな大声。
「ミカンたーん!!」
……本当に声が届いちゃったら恥ずかしい。
「……!?」
当然あっけに取られるディンさんとクィクィル君。
ところが、そんな二人を無視してゴウと音を立てて、いきなり暴れだす風。
飛空挺が飛ぶ上空だから、もちろん風はすごい。
だけどこれは単なる風じゃない。すべての精霊力を内包した物理的な力を持つ風だ。
まるで古代精霊魔法の詠唱の時のような……周りの精霊力を吸い上げるようなアクション。
「!?」
ハッと気づいたディンさんが相棒を振り返る。
クィクィル君の顔つきが、癒されるような可愛らしいものではなく厳しくなっていた。
ディンさんは、もう一度聖なる竜騎士の竜の方に目をやれば。
メタモルフォーゼとも言えるような、まるで合体。
竜騎士と竜、二人の存在が希薄になり、その存在感を融合させていく。
ラストドラグーン・エルパラシオンの紫の鎧が、徐々に黒く染まっていく。
既にほぼ闇竜となっている、『聖なる』竜。
故に、ラストドラグーンのアーティファクトは黒色、いや闇色へ変化していく。
既にほとんど実体があるとは思えないような声で、ファブリツィオがディンさんに問いかけた。
「竜剣と呼ばれる能力を知っているか?」
風に乗って頭に響くような、そんな声。
ディンさんは答えない代わりに、漆黒の槍を構えを厳しくする。すぐにでも対応できるようにしておかなければ何が飛んでくるかわからない。
「知らないのか? 竜騎士が竜を取り込み自分の力とする。竜の力との融合だ」
「取り込むって……」
「竜との融合。こいつと出会った時も同じ事件が起きていたな。ましてや今のこいつはほとんど闇竜。シラヌスの野郎と同じ結果になるかもしれんがな……竜化散があっても使うつもりもないが」
ラストドラグーンの紫の鎧が、漆黒を強くしていく。
その変化は足下から始まり、だんだん上に。
最後には竜の頭をかたどった兜に達し、目の部分だけを残して、全てが漆黒になる。
そして背中には彼の竜の翼を大きくしたような、漆黒の翼がうっすらと現れ始めた。
その姿を見て泣きそうになってしまうディンさん。
「聖なる竜騎士って……」
とてもじゃないが聖なる竜騎士なんかには見えない。まるで暗黒騎士が纏う鎧のような禍々しさ。
それは決して、闇竜となりつつある子竜を取り込んだから禍々しいわけじゃない。
竜騎士の存在そのもの、いや『聖なる』竜騎士という存在に対する『人間』の認識が、禍々しいのだ。
『聖なる』『英雄』に期待する人間たちの心の禍々しさを、結果的に英雄となってしまったこの竜騎士と竜が受け止めている。
闇竜と同化した竜騎士。
ディンさんは知る由もないのだけれど、『英雄』であるファブリツィオは知っている。
知っているというか、目の前で見ている。
人間たちの愚かさを。
シラヌスというラーアル王立騎士団長の友人。竜騎士。
ファブリツィオが彼の竜と出会った時、既に闇竜に取り付かれていたシラヌスは、ファブリツィオが孵化させた子竜の血を浴び、完全な竜となろうとした。
目の前で自分が孵化させた子竜を斬りつけられたファブリツィオは、二度とこんなことがないように、彼の竜を守っていくことを決意している。
だから、
「ミカンたん、いいんだ」
自分の体の中にいて悲しそうな声を上げているもう一人の自分、相棒に呼びかける。
相棒と一体となるのなら闇竜になるのも怖くはない。それで死ぬことになっても、殺されても惜しくはない。
ファブリツィオが漆黒の槍を欲するのは、竜を一人で逝かせたくないからだ。
竜が闇竜になってしまった時、もしファブリツィオ自身が人間の形を保っていれば、殺されるのは竜だけ。
ラーアル団長のような輩は、どうあっても竜だけを殺そうとするだろう。
だから、彼は漆黒の槍を欲する。
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既に、デッキに人はいない。いや、今この機上の存在は『四人』だけ。
ファブリツィオから呼び出しがあった時、ディンさんは師匠が殺された時の状況の二の舞をさけるため、黒魔道士であるウィルパナルパさんに相談した。
そして、ウィルパナルパさんが手に入れてきた、某連邦の黒い悪魔お手製によるマジックアイテム。
強制デジョンの効果を持つ水鉄砲である。
いかなるベテラン冒険者と言えど、こればっかりは抵抗しようがないわけで。凶悪なアイテムである。
離陸直後のディンさんは、水鉄砲を片手に船内を歩き回り、物陰から不意打ちしまくりである。
この時ほど、サポシーフかサポ忍にしておけばよかったと思ったことはない。
んで、艱難辛苦を経て乗客をすべて各々のベッドに送り届けた。というか排除した。
「夜なんだからゆっくり休むのは当然」なんて自分に言い訳しながら。
その後、例によって上空から近づいてきたファブリツィオをデッキで待ち構えていたわけである。
操舵手を失っても、ある程度のオートパイロットが働いているのだろうか、飛空挺はカザムを目指す。
もちろん、前と同じように無事に不時着して着水できるかなんて、この二人には知ったこっちゃない。
死ぬか生きるかだから。
「さて、始めようか」
今までの、ほんのちょっとくだけた口調とは打って変わって、英雄らしく厳かにのたまうファブリツィオと竜。
巨大なランスを頭の上でぶんぶん振り回しながら、一歩を踏み出した。
そして、そのまま勢いをつけて槍を突き出す。
言葉にすればたったそれだけなのに、実際に見たらまさに鬼神と思えちゃう、ファブリツィオの踏み込みと一撃。
竜騎士が使う伝説の槍は、まるでうねるようにディンさんめがけて伸びてくる。
軌道が直線ではないのだ。いや物理的には直線なのかもしれないが、世界の都合で直線ではない防御不可能な軌道を取っているように見える。伝説の槍と言われこの一撃を見れば、納得せざるを得ない。
多分全ての平行世界で何人が所持しているのかも定かではない、伝説の槍。
ファブリツィオに取っては、漆黒の槍の方がよっぽど欲しいのだけれど、それはそれとして、その槍は超一級品だ。
かちっと奥歯を噛み締め、ディンさんのスイッチが入った。
『右、反応が遅いぞ。その構えは敵の体勢によっては防御には向いていないことがあるから、対策を考えなきゃな』
それと共に聞こえるアレスさんの声。勿論台詞の長さの分だけ時間がかかる再生を頭の中でしていたわけじゃなくて。そんな事してたらとっくに殺されている。一瞬のイメージだ。
「く……っ!」
穂先を下にして柄を上げるディンさん独特の構えから、漆黒の槍の穂先は、絡み付くようにうねる軌道を描く伝説の槍を、なんとかはじくために動き出す。
考えておいた防御用の対策、弱点でもある漆黒の槍のリーチの長さを反対に活かして、半分の所を中心にして、回転させるような動きを取る。
ガキーンと強烈な音をたてて、伝説の槍と漆黒の槍が反発するようにはじけ跳ぶ。
初撃はなんとかかわす事ができた。
自分の目で見て、突剣を主体とするアレスさんとはいえ竜騎士の突きに負けてしまったのは、しょうがないかもしれないとディンさんは思う。
そのまま体勢が崩れた所に、ファブリツィオの連撃がきた。
今のファブリツィオは人間ではなく竜との融合体であるわけだから、当然能力も竜に近いものになっている。
その一撃一撃が、竜のブレスのようなものだ。
一撃目は炎、二撃目は水……といったように、六つの精霊力をそれぞれ纏った六連撃。
ディンさんは、必死になってその攻撃を弾き返している。
槍同士が触れ合った瞬間、漆黒の槍は水、雷と色を変えて対抗していた。漆黒の槍の能力である。
ファブリツィオの突きに載せられる精霊力はキャンセルされていく。
とはいえ、物理的な槍の攻撃が弱まるわけじゃない。
ディンさんはもう必死だ。
ダンダンダンとファブリツィオがデッキの木の板を踏み込む音をたよりに、細やかな反応をしていく。
猛烈な六連撃、ディンさんはなんとか耐えきった。
ディンさんが全て防ぎきったのが意外だったのか、それとも予想通りだったのか、一瞬ファブリツィオは目を細める。
そして短く行きを吐き出すとともにスッと左足を後ろに下げた。
何を考えているのか、今までにない動き。
「……!」
ディンさんはその時こそチャンスだと……とりあえず思った。
右利きのファブリツィオは突きの時には当然左足が前になる。左足を後ろに下げたという事は、次の体勢を立て直すということ、そんな風に考えた。
ならばこちらの初撃として一つ意外な攻撃を見せてやろう、みたいな連撃を防ぎきった自信を持って調子に乗っちゃったわけである。
アレスさんやネリリさんが言う所の少ない脳みそで、必死に敵の攻撃の先を読みながら対応して来たのである。
猛攻を防ぎきった後だから、そう勘違いしてもしょうがない。
稽古の時にラティシアさんが両手剣を使って出した技の事を思い出す。
腰だめに突きを放ち、敵の直前で軌道を変え、払う技だ。
ディンさんは目を見開き、腰だめのまま右足の強烈な力でデッキを蹴る。
それとともにクィクィル君がブレスの準備を始める。
一瞬距離を詰め、最後に回転するように体を動かし、払う……はずだった。
軌道を変えたはずの槍は、既に払う場所に待機していたファブリツィオの伝説の槍によって阻まれ、
「え!?」
ディンさんが阻まれた事を認識した瞬間には、伝説の槍はまるで意志を持っているように回転し、ディンさんは顎を柄で弾き跳ばされていた。
ディンさんは放物線を描いて後ろに吹っ飛んでいく。
おまけに、ほぼ闇竜と化しているファブリツィオの竜に対して、闇竜であるクィクィル君のブレスはほとんど効果がなくなってしまう。
「クィ!」と勢いよく放たれたはずのブレスも、漆黒に染まっている禍々しい鎧から発生した鱗の幻影のようなものが、完全に防いでしまう。
ブレスが放たれた事ですら気にしていなかったんだろうファブリツィオは、ディンさんを弾き跳ばした回転をそのまま脇にずらし、ついでにクィクィル君も弾き跳ばした。
「クィー!?」
情けない声を上げて、吹っ飛んでいくクィクィル君。デッキにボトと落ちたディンさんにボワンと命中。
「あぅっ!」「キュー」
二人の悲鳴がユニゾンである。
『はぁ……余計な事考えるからそうなるんだよ……ディンは両手棍持たせても突きをやろうとするから槍を持たせたのに、これじゃ意味がないじゃないか』
アレスさんのため息混じりの声が、ディンさんの頭の中に響く。
「どうした? 槍は突く武器だぞ?」
ファブリツィオが幾分面白そうに、でも眉をひそめながらディンさんに声をかけた。
その背中では、黒い竜の翼がワサワサとざわめいている。
「この翼の色をを見ればわかるだろう。闇竜のブレスなど、今のミカンたんには意味がない」
既にファブリツィオの声は、人間のものではないものの、その言葉にはいくらかの寂しさを感じることができる。
「闇の竜騎士コンビに対して見れば、今のミカンたんは最強だからな」
「く……」
苦しそうにしながらも、ディンさんとクィクィル君は立ち上がる。
それを見て、嬉しそうにファブリツィオの背中の翼が伸び上った。実際には音はしないけど、まるでワサワサと音を立てているような、恐ろしげな動き。
ディアボロスの翼に似ているけど、それさえ今の聖なる竜騎士の翼の禍々しさには及ばないだろう。
「それなら……」
もう一度構えを取ったディンさん。正攻法で勝負するしかないと覚悟した。
今ある能力で何とか打ち倒さなければならないと、右足でファブリツィオに飛び込んでいった。
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だけど、あっという間に衝角の根元まで追い込まれてしまったディンさんだった。
勢いよく飛び込んだものの、最初の一撃を防御されてから、防戦一方に立たされている。
「後がない、どうしよう」
ディンさんの形のいい眉毛が、歪んでいく。
後三歩後ろに下がれば、船首の壁に背が当たってしまう。そうなったらスペースがないから槍を振れなくなる。
従ってここがディンさんが下がれる一番後ろ。
十分なスペースを必要とするのは、槍や両手棍、両手斧などのポールウェポンの最大の弱点。
そもそも室内戦にはとことん向いていない武器なのだ。今回はまぁ二人とも槍だからハンデは同じとして。
「クィー」と叫ぶクィクィル君。
ディンさんの意識が後ろの壁を確認するために逸れた隙の三連撃を察知して、ディンさんに教えたのだ。
音を聞かずとも、スピリットリンクの経験がある事によってある程度の感覚共有がなされている二人だから、ディンさんも最低限のロスタイムで反応できる。
「んっ!?」
半身をひねる。
なんとか避ける。だけど避けた場所には、腕に結んでいた赤いリボンがはためいて残っていた。
最後の一撃がアレスさんの赤の部分を引き継いだリボンをかすめ、そしてかすっただけで引き千切る。
「アッ!?」
またも大きな隙ができてしまうディンさん。当然ファブリツィオはそれを逃さない。
「大車輪!」
ファブリツィオの人間ではなくなった声がヒーローものよろしく叫ぶ。彼も『英雄』なんだからオッケーだろう。
一気に弾き跳ばされるディンさん。
宙を飛んだまますごい勢いで壁にぶち当たり、そのまま高くなった外郭の柵を乗り越え、虚空に落ちていく。
「クィー!?」と叫ぶクィクィル君の声が響いたものの、ディンさんはなんとか船の外郭の手すりに捕まることができた。
漆黒の槍は落とさないように右手でしっかり握る。
「槍で突く以外の技をするのならば、このぐらいの技を出してみろ」
落ち着いた声が、上からディンさんにふってくる。
ファブリツィオはディンさんが落ちていかないように、微妙に加減していたのだろう。
落とされそうになっているピンチの時なのに、ディンさんは目に飛び込んできた水平線の縁がオレンジに染まりつつある光景を見てしまった。
時間が一瞬止まってしまったような。
「……キレイ」
思わず口にする。
闇の世界が光の世界に変りつつある瞬間。
闇だった天空が群青へとグラデーションを描く。少し時間が経てば、今度はオレンジから青へのグラデーションが見られるのだろう。
考えてみれば、光と闇に明確な区別などない。空と同じようにグラデーションである。
もちろん時間が止まったと思ったのはディンさんの頭の中だけ。
現実的には、奇麗な払暁の空に見とれている場合じゃないわけで。
「く…クィクィル!」
叫べば相棒の竜が飛んできてくれる。
クィクィル君がぶら下がり状態のディンさんの足をはじき飛ばしてくれたから、ディンさんは反動をつけて舳先に飛び上がった。
「ほっ……!!」
飛び上がってみれば、すぐ目の前に迫ってきているファブリツィオ。当たり前だ。
スーパージャンプでとりあえず距離を稼ぐしかない。
瞬間的にクィクィル君との魂の接続路の流れを強化して、竜の魂のエネルギーを引き出し、足に集中する。
足場にしたデッキの板が抉れるぐらいの力を込め、空への跳躍。
奇麗な放物線を描き船尾に着地。これで距離を稼ぐ事はできる。
再び構えを取って、舳先から見つめてくるファブリツィオを牽制する。
だけど辛そうな顔だ。
「レベルの違いがわかっただろう?」
ファブリツィオが、ディンさんとクィクィル君にとどめをさすために、つかつかと反対側まで歩き始めた。
「法則に支配されない、この世界のネイティブな住人ならばいざ知らず……」
言い回しこそ他の人達とは違うが、ウィルパナルパさんのような存在と自分との違いには気づいている。
「我々にとって75は本当にただの最低限だ。そこにすらたどり着いていないお前が俺の相手になるわけがない」
ギリとディンさんの歯が鳴り、二の腕の半分ちぎれた赤いリボンが、ディンさんの悔しさを表すように、風にはためく。
「……どうすれば」
相手の攻撃の精霊力は無効化できるけど、こちらのブレスも効かない。となれば実力だけの勝負。
今更だけど実力の違いは大きい。おまけに相手は竜剣だとかで竜と融合している。
ファブリツィオが今跳んでこないのは、確実にディンさんを仕留められる自身があるから、わざとゆっくり歩み寄ってきているだけなのだ。
「……どうすれば、師匠の敵を」
絶望しかけていたディンさんは、その自分の頭の中に他者の意識が語りかけてきたことに感づいてしまった。
だから、その他者の名前を叫んでしまう。
「クィクィル!?」
初めてである。
クィクィル君と意識がなんとなく通じるというというのは、最早当たり前になっている。
だけど、彼が明確な言葉として感じられる意思表現を彼女に注ぐのは、今までなかった。
「闇竜を倒すのに必要なものをキミにあげるよ……って、どういう?」
ディンさんにはわからない。
まごまごしているうちにクィクィル君はディンさんの頭上に舞い上がり、闇竜らしい黒い光を放ち始める。
「クィクィル……?」
戸惑うディンさん。だけど、ふと気づく。
「……!! やめてクィクィル!!」
闇竜を倒すために必要なもの。
それを理解したディンさんは叫ぶ。
クィクィル君の放つ光の色が、変り始めているのだ。
漆黒の光だけだったものに、少しずつ白い光が混じり始めている。
「やめてよ! クィクィル! お願い! そんな事したら」
涙目になってしまうディンさん。
『だって、ボクだってアレスに救われたんだ』
光を放ち続けるクィクィル君が、優しい目になってディンさんを見下ろした。
『アレスの敵を討つのはボクとキミの二人でだろ?』
そう告げると、クィクィル君はディンさんめがけてダイブ。
「クィクィル!」
叫ぶディンさんと頭をゴッツンコすることもなく、クィクィル君はディンさんの胸に吸い込まれていく。
強烈な竜巻のようなエネルギーが、ディンさんを包んで爆発した。
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船尾に発生した竜巻。
「ふん、あの二人も竜剣か」
船の中程までで歩みを止めたファブリツィオがつぶやく。
竜巻の中では、ディンさんが半分中に浮いたようになっている。
漆黒の髪が、徐々に金髪になっていく。
漆黒のガンビスンが、徐々に白色になっていく。
漆黒の槍が、徐々に白金の光を放ち始める。
そして、ディンさんの背中にはまばゆいばかりの真珠色の竜の翼が表れはじめた。
「クッ、面白い。そうくるか」
ディンさんの変化の様子をみたファブリツィオは、顔を引きつらせるように笑う。
クィクィル君が取った選択。
闇竜と化したファブリツィオとその竜には、同じく闇竜であるディンさんとクィクィル君のドラゴンキラーは通用しない。
倒すためには『普通』の竜騎士の能力を持つしかない。
だから、クィクィル君が聖なる竜になって、闇竜に対するドラゴンキラーを手に入れればいい。
シュウウウと音をたてて、ディンさんを取り巻いていた竜巻がほどけていく。
聖なる竜騎士として、聖なる竜と融合したディンさん。
槍だけならともかく、髪やアレスさんのガンビスンの色も変わっている.
全ての色を混ぜると、白になるか黒になるか。その二つだ。
白も黒も、全ての色が混ざった、実際には同じものにすぎない。
ただ、光そのものか、光によって照らされるものか、その違いがあるだけだ。
「クィクィル……」
変ってしまった自分の体と装備を見ながら、つぶやくディンさん。
『クィー』
体の内から聞こえてくる優しい声。そして暖かい感情。
だけどそれは、聖なる竜になったから優しくて暖かいいんじゃない。
アレスという同じ恩人を持ち、その環境で育まれてきた二人の絆が、優しくて暖かいのだ。
「うん、いこうね。師匠の敵を討つために」
それもまた、体の中にいる相棒への言葉だ。
白金のポニーテールを揺らしてキッと顔を上げて、ファブリツィオを睨みつけるディンさん。
ゆっくりと、デッキ中央に向かって歩み始める。
「よかろう」
口元を面白そうにゆがめながらも、厳かにのたまいながら、ファブリツィオもデッキ中央を目指す。
闇色のファブリツィオ、白金のディン。
共に竜の翼を生やした二人が、空を飛ぶ船の甲板で対峙する。
「ふむ、光と闇の逆転の戦いか。まるで『英雄』の話のようだ」
闇竜になりかけた聖なる竜とその竜騎士が皮肉まじりにのたまう。
「違います。この戦いは単なる宝物の奪い合い、そして復讐、それだけです」
聖なる竜に自らなった闇竜とその竜騎士が淡々と事実を告げる。
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自分の胸をめがけて迫ってくる、ファブリツィオの伝説の槍。
走馬灯よろしく、スローモーションに移る。
ディンさんの槍の穂先が、迎撃をするために動き出す。
ガツーンと音を立てて、伝説の槍がほんの少し軌道を外す。
信じられないというファブリツィオの顔を、一瞬で視認するディンさん。
『アレスに教わっただろ? このまま反撃の突きだ!』
クィクィル君の言葉に後押しされ、ディンさんの右足がデッキを強く蹴る。
完全にはファブリツィオの突きを外せていない。伝説の槍の穂先は、まだ顔の斜め前に迫ってくる。
自分の踏み込みで体は前に押し出されているから、ファブリツィオの突きの速度は二倍。
「にゃっろぉおおおおおお!」
ディンさんらしからぬ裂帛の気合いとともに、首を左にふりながら、そこからもう一段踏み込む。
顔の横を伝説の槍がかすめ、白い頬に走る赤い筋。
外れた自分の突きと、迫り来る穂先を、目を見開いて見つめるファブリツィオ。
純白の漆黒の槍が、闇色になった紫の鎧の胸に吸い込まれていく……。
二人を中心にして全ての精霊力、エネルギーの奔流が渦を巻いて爆発する。
その光の中で、二人、いや四人が弾き跳ばされていた。
暗黒色の翼は消え、闇色の鎧は紫に戻り、体の中から表れた黒い竜は、緑の竜に戻る。
真珠色の翼は消え、白色の鎧は黒に戻り、体の中から表れた白い竜は、緑の竜に戻る。
結局、人にとってその在り方は変えようがない。元通りだ。
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日が差し込み始める。
本格的な朝を待つ、飛空挺のデッキ。
朝の風が吹き、黒に戻った一房の髪が赤い筋が走った白い頬を軽く撫でる。
ディンさんが横たわったファブリツィオを見下ろしていた。
「これが敵討ちです」
生真面目に言ったディンさんを見上げながら、笑い出す英雄。
「何がおかしいのですか?」
「いや……この笑いは皮肉だよ」
皮肉と言われてカッとしかけたディンさんだったけど、彼の胸を見て気分を落ち着けた。
ファブリツィオの胸の上には、ぐったりとした彼の竜が乗っている。
どこまでも一緒に行くつもりなのだ、この二人は。
口を歪ませたまま、ファブリツィオは自分を打ち負かした闇の竜騎士に言う。
「最後は聖なる竜になったようだが……お前らはやっぱり闇の竜騎士と闇竜だよ。英雄の助けになることはしないで、自分の復讐を完遂することを選んだんだからな」
そのファブリツィオの言葉は、確かに正しい。
『正義』の側にいる人間ならば、自分を犠牲にして英雄を助ける『べき』だし、復讐なんてくだらないと諌められ改心する『はず』なのだ。
「……そうですね」
ディンさんもそれはわかっている。だから肯定する。
「でも私は闇の竜騎士でいいと思います。その方がよっぽど人間らしいと思いますよ」
はっきりと告げるディンさん。
「だから、私はずっと闇の竜騎士です」
「……なるほど、それもまた英雄と言えるかもしれん。英雄とは人間だからな」
少し微笑みながら、ディンさんがうなずく。
ディンさんも気がついたのはたった今だ。『英雄』ってなんなのか、アレスさんがなぜ『英雄』なのか。
そして、自分も『英雄』であることに気がついた。
わかってしまえば単純な話。
「そうか……とりあえず消えるとしよう」
既にファブリツィオの姿は、差し込みつつある光の中で半分透けてきている。
「『アレスの漆黒の槍』を持つ者よ、私と私の竜を解き放ってくれた事に感謝する」
ファブリツィオを見送る事もなく、ディンさんは振り返る。
「ええ、『また会いましょう』」
そのまま後ろ姿で、認めなければならない言葉を自分に言い含めるようにつぶやく。
消えつつあるファブリツィオにはもう興味を失ったように歩き出し、ぐったりとしているクィクィル君の側にしゃがみ込んだ。
クィクィル君はもう…あと少ししか持たないだろう。
契約相手であるディンさんには、それがはっきりわかった。
パスを通じて生命力を送り込んでみても、エネルギーの流れが途中で消え去ってしまう。
つまり、クィクィル君とこの世界の繋がり自体が、だんだん薄くなっていってるのだ。
「クィクィル…貴方はね、師匠の所へ行くの。だから寂しくない」
クィクィル君の鱗を撫でながら、ぽつぽつと語りかけるディンさん。
「…これからは師匠が焼いたお魚も食べられるし…最近クィクィルは海産物不足してたものね…なにより師匠は貴方の命を救ってくれた人なのよ、ゆっくりすごせるわよ…ね?」
ディンさんの白い手の甲の上に、ぴちゃんと水滴が落ちる。
くぅ〜、とクィクィル君の鳴く声が聞こえる。
二人の力を合わせて師匠の敵を討った。そしてクィクィルは師匠の所へ行く。
だからクィクィルは寂しくなんか…ない。
そう強く思いこんでいなければ、ディンさんの心は張り裂けそうなのだ。
他の竜騎士に比べれば短い期間なのはわかっている。
だけど、実感として相棒として過ごした日々はとても長かったように感じるのだ。
お互いにアレスさんに助けられ、アレスさんと楽しい時を過ごした。
アレスさんがいなくなってからは、二人で支え合って生きた。
彼女と彼の人生には、共有していた想いがある。
アレスさんがいたからこそ、この二人は相棒だったのだ。
透き通っていくクィクィル君。
「クィクィル、ありがと……」
もう、泣いてしまってほとんどしゃべれないディンさんだから、最後にそれだけを口にする。
手のひらに伝わってくる愛しい鱗の感触がだんだん薄れていき、
「くぃ〜」
最期の声が響いた。
竜のちょっと高めの体温の余韻が、手のひらから消えていった。
「……っ!」
その実感は、酷く切ない。
そしてもう一つ。世界から消えるものがある。
傍らに置いていた、漆黒の槍。そう、今はもう漆黒に戻っている。
それが黒い光の粒子となって、空に舞い上がりつつあった。
「いや…消えないで!」
ディンさんは叫ぶ。
慌てて手を伸ばすも、すでに殆どが黒い光になっている。
ディンさんの手は、そのまま光を素通りし地面についてしまった。
黒い光の粒子は、まるで夜行草が放つ光のように、舞い上がっていく。
「そんな…」
既に、頬を伝う涙の筋は枝分かれして川になっている。
呆然と黒い粒子が消えていく空を見上げる。
アレスさんとクィクィル君が、確かに世界にいたという証。
『アレスの漆黒の槍』
その巨大な槍が、黒い粒子になって空に舞う。
光を吸収する、綺麗な黒い光の粒。
「ラティシアさん…冒険者は次々と消えていく、って言いましたよね?」
一言ずつ区切って、今ここにいない友人に呼びかける。
「だけど…師匠がいなくなっても、ネリリさんがいなくなっても、まだ私はここにいます」
この世界から消えたアレスさんと、自分の前からは消えてしまったネリリさん。
「クィクィルもいなくなったし、漆黒の槍も消えました…けれど、まだ私はここにいます」
もう戻ってこない三人で暮らした日々。師匠からのプレゼント。
「いつか私も消えるかもしれない…だけど今だけは、私はここにいます」
英雄である故に、いつかは来る日。
でもその日がくるまでは、ディンさんは確かにこの世界に存在し続けるのだ。
「だって、師匠やクィクィル、ネリリさんの事を伝えられるのは、今は私しかいないから」
「ヒック…ヒック……うぁああぁああああああ……」
他に誰もいなくなって、やっと嗚咽の声を出す事ができた。なんて皮肉な話だろう。
南国の島に向かう飛空挺のデッキに、少女の声が響いていた。
./
カツーンカツーンと石畳に金属の靴の音が響く。
夕日が差し込むサンドリア城内。既にオレンジに染まっている部分はだいぶ少なくなり、闇が半日ぶりにその勢力圏を拡大しようとしている。
奥へ向かって歩いていた一人の神殿騎士は、曲がり角の前に立っている一人のミスラの女性に気付く。
歩みを止めた。
「よっ」
軽く手を上げるミスラ女性。その顔は夕日の逆光ではっきりとは見えない。
「あいにくと、そんな下品な挨拶が似合う場所ではない。それに貴君とは面識がないのだが」
「語るに落ちてるな。なんで逆光で私の顔が見える?」
「目がいいだけだ」
「…あんたも業界人だからな、私のことぐらい知ってんだろ? そして今私が何をしようとしてるかも簡単に想像がつくよな?」
「…エレノア卿も下らん真似をするものだな」
神殿騎士は、ふっと吹き出すような声を出す。
ミスラはそれが癇に障ったようだ。口を尖らせて抗議をする。
「いんや、こりゃ別にエレノアの命令じゃないぜ。ここまでやるなんて考えてもいない。大体エレノアは私自身が業界人であることを知らない」
「フッ…所詮エレノア卿は女性だからな。未だに貴君を雇っているだけと思っているのか。貴君の本当の所属も知らずに」
「むしろ『エレノア』のあり方としてはその方が正しいのさ。あんたがどうこう言う問題じゃないね。最近はパートナーも出来たからフォローしてくれる人間もいる。まぁリュシアンさんは私のことを知ってるんだがな」
「まぁいい。ならばノーグか?」
「それも違う。言っとくが、今の私はノーグの管理下にはない。あくまでコゲツと協力しているだけだ」
「ならばなんだという?」
ミスラの答えが意外だったのか、神殿騎士は眉をひそめながら問いかける。
腰に手を当て考えた後、にやりとしながら答えた。
「んー……まぁ、強いていうならスクラッパー…かな?」
「例のバストゥークの連中か? 下らんな。いくらお題目を述べようが、貴君を使って英雄を思い通りに動かそうとしているだけに過ぎないではないか」
「ちょい待ちな。スクラッパーはそんなこと考えちゃいない。これは命令じゃない。スクラッパーの舎弟である私が、自分の理想を貫こうとしているだけだ」
「…舎弟だと? それはまたとっぴな話だな」
「つーわけで、悪いけど死んでもらうよ。あんたに私怨はないが…」
そこまで言葉を発して、ミスラ女性はピタリと止まった。その目にははっきりと怒りの炎が映し出されていた。
「いや違う。私怨ありまくりだ。ねえさんとにいちゃんにちょっかい出そうとするヤツを、私は絶対に許さない。あんたはそれをやっちまったからな」
「…スクラッパーにちょっかい? 俺は彼女達になにかをした覚えはないが」
そう言いながらも、神殿騎士は腰に下げていた騎士剣をすらりと抜き放つ。
「俺もむざむざ得体の知れない女に殺されるわけにはいかんからな」
「いい覚悟だ。それでこそヒドゥンサポーターだよ」
ミスラ女性も、両腰からそれぞれ短めの片手剣と大き目のナイフを引き抜いた。
./
『世界で最も中途半端な魔道士』
そう刻まれた墓の前に、一人の女性が立っていた。
黒く長い髪をポニーテールにして束ね、黒と赤の服を着ている。
彼女の前の墓石は、既に削りだされてからかなりの月日が経っているのだろう。風化の跡が少しだけ見える。
「…いいのか?」
その女性の後ろからタルタルの男性らしきピッチの声がかかる。
「いいってどういうことですか?」
ディンさんは後ろを振り返った。
「君にも仲間はいるだろう? その人達はどうするんだ?」
無表情のウィルパナルパさんと、その後ろのラティシアさん。
ディンさんは背が更に伸びて、今はその顔には少女らしさは見えない。まさに美人と言った風になっている。
だけど、ウィルパナルパさんとラティシアさんは、全く変わった様子が見えなかった。
服もウィルパナルパさんは部隊章のない軍師コート、ラティシアさんはグレーのシャツに長い黒のスカート、腰にダガー。
ちっとも変わってない。そのままだ。
「ええ…仲間達にはもう会ってきたんですよ。でもやっぱり…」
「…どうだ? アレスに追いついたのか?」
「師匠って…やっぱりすごかったんですね」
ニッコリ笑うディンさん。
三人の間に和んだ空気が流れる。
「師匠は…最期はグスタベルグの荒野の夜明けだったそうです」
「…誰が?」
「フェムヨノノ師とリンツァイス師範が」
「そうか」
「でも、私はここです。やっぱり」
ディンさんはそう言って、もう一度、ひねくれた文句が刻まれた墓石を、目を細めてみる。
「『漆黒の槍』、貴女と会えてよかった」
ラティシアさんがディンさんに手を伸ばす。
「ええ、私も」
「ほら、にいさんも」
妹に促されて、
「ああ…ディン、アレスと君に会えてよかった」
その言葉に、ディンさんの眉が歪む。
こぼれそうになる涙をあふれる直前で止めて、彼女はまた微笑んだ。
「私、信じてるんです。想いはきっと残る。私の仲間達だけじゃない。ウィルパナルパさんとラティシアさん、貴方達が…残してくれる」
「残念だな、我々はそのような立場にはない。例え残したくてもな」
「もう、意地悪ですよね」
ディンさんはもう殆ど泣き笑い。
「確かに貴方達には無理でした。昔フェムヨノノ師もそれは無理だと笑ってました…でも今は出来るって信じてますよ」
「……ディン」
ウィルパナルパさん、確かにそんなことをするのは今まで無理だと思っていた。
でも、最近……ごく最近、出来るような気にもなっている。
「システムの更新があったんですよ。私はそれを待ってたんです」
ディンさんはわけのわからないことを言う。
「状況によっては、またこの世界に戻ってこれるかもしれない。いえ、戻ってきたいとは思ってます」
「?」
「でも、その時には多分『ディン』という存在は消えてしまっていて、新しい私になるんじゃないかって」
「どういうことだ?」
この世界の『住人』である所のウィルパナルパさんとラティシアさんには理解できない事。
だから、ディンさんは軽く首を振る。
「でも、貴方たちには『ディン』に込められた想いを残してほしかったんですよね……アハハ、なんか自己顕示欲みたい」
自分で自分の言葉に笑ってしまうディンさん。
「それじゃ…」
「ああ」
ウィルパナルパさんが頷くと、ツウと涙を一筋こぼしたラティシアさんと一緒に、ディンさんに背を向けてその場から立ち去った。
森の区の爽やかに湿った風が、ディンさんの髪を揺らし、一房の黒髪を頬に落とす。
その落ちた房を右手で耳にかけて、ディンさんは空を見上げた。
「師匠…今はなにやってるんでしょうね? 私は師匠に追いついて…多分追い越しちゃいましたよ」
女性は、一歩前に踏み出し軽くターンをした。
墓石に背を向け…そして座り込む。
数瞬の後、英雄『漆黒の槍』と呼ばれた一人の少女の身体は、この世界から消えていた。
./
./
ウィルパナルパさんとラティシアさんがその場所を去ったしばらくの後、
「そりゃ声かけなきゃ俺には気づかないよなぁ」
駆け出しの冒険者の格好をした一人の男が、物陰から出てきた。
男は面白そうに、目の前の墓石を見る。
「こりゃどういうシステムになってるんだ? わけが分からん」
ポリポリと頬をかきながら、しばらく考え込むんだけど、
「オーケー、まぁいいさ」
結構あっさりと諦めちゃう。くるりと墓石には背を向けてしまった。そのまま歩き出す。
「さて始めますか。あの子が戻ってきたらもう一度弟子にしなきゃならんのだから、悠長にはやってられなさそうだ。まずはHQの肉食ってチェーン狙いか」
オニオンソードを肩に担いで鼻歌を歌いながら、男は街の入り口に向かって歩いていった。