外伝の外伝そのに - 消える男 - 後編

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結局その日の夕方から、あたし達四人はレレレのおじさんと一緒に、セルビナ門前で戦闘を重ねる若い冒険者達の手助けをして回った。
オノレとクィラ・リキゥの修行の時にも、サポートジョブの教えを受けるためにセルビナに一週間ほど滞在していたことがあった、
あたしとリンツはその時にある程度の雰囲気はわかっていたから、街の門とアウトポストの間、時には海岸の方まで走り回りながら、いくつかのパーティのピンチを助けていった。
あたしとリンツだけじゃなく、オノレやクィラ・リキゥですら、ここらへんのゴブリンとタイマンを張って負けるようなことはない。
つまり、ここで修行している若い冒険者達は、本当の本当に駆け出しなのだ。
だから二手に分かれて効率よく全体をカバーする事が出来た。
この二手に分かれる方法を提案したのはレレレのおじさん。さすがにセルビナ警備隊のまとめ役を長い間やっていただけあって、あたし達みたいなそこそこ強い素人じゃない人間の使い方をよくわかっているみたい。

パチパチと薪がはぜる音が星空に響いている。セルビナの街の入り口を見渡せるアウトポストの前で、あたし達は焚き火をしていた。
だいぶ喧騒も薄くなってきている。レレレのおじさんは、若い子達だからこそ夜は危険だというアドバイスをふれて回っているらしい。
ゴブリン族は一般的に夜行性と言われていて、夜間の方が目が利く。
それでも若い子達は素直に言う事を聞かなかったみたいだけど、大抵一度痛い目にあうとその後は素直に言う事を聞くようになるらしい。
レレレのおじさん曰く、
「そりゃワシとて昔はそうだったさ。ベテランの言う事なんざ余計な事だと思っとったからな。だから死なん程度に痛い目を見せた方がいい。その方が身体で覚えるもんだ」
だそうだ。

「それにしても…人が多いですねぇ。セルビナ警備隊がいるわけがわかりましたよ」
リンツが焚き火に長い串に刺したポポト芋をかざしながら、レレレのおじさんに話し掛けていた。
レレレのおじさんの目があるから、さすがにあたしはリンツの膝の上に座ってるわけにはいかなくて。
脇に座って彼の身体に寄りかかってる。
まぁこの程度の甘え方なら恥と外聞を引き換えにしてもいいかなって思う。もはや開き直っているあたしである。
脇ではクィラ・リキゥもオノレにグッタリと身体を預けている事だし…。

「ふむ」
レレレのおじさんだけが一人で腰を下ろして、パイプをふかしながらくつろいでいる。
「もともとサンドリアとバストゥーク両方から数多くの冒険者が集まってくる土地だ。なにしろここで集団戦闘をはじめて経験するヤツばかりだからな。だから喧嘩も絶えないのさ」
なるほど。エルヴァーンに他の種族を見下す輩が多いのは確かだし、バストゥークだって工業技術の導入を拒むサンドリアを馬鹿にする人間が多い。喧嘩も起ころうというものだ。
「しかしな、最近はずいぶんと減ったもんだよ」
レレレのおじさんはため息をつきながら肩をすくめて見せた。
「新しく冒険者になる人達が減ってるんですか?」
あたしが訊いてみる。
でも、バストゥークの街中を見る限り中古の武器や鎧の回転は悪くないようだし、決して減っているわけじゃないと思うんだけど。

「いや冒険者の絶対数は減ってはおらんよ。なんでも若い連中の憧れの職業ナンバーワンのようだぞ」
…なんだってまた、こんなヤクザな商売に憧れるのだろう? 堅実に生きた方が身のためよね。
「それなら何でなんでだろ?」
リンツが芋を手元に寄せて皮をちょっと剥きながらボソリと呟く。って、あんた本当に考えてるの?
「バストゥークの心変わりかもしらんな。好意的に考えればガルカ達に配慮したのだろうが」
「あぁ…コロロカの洞門かぁ」
バストゥークの街は天然の要塞のような形になっていて、空から見ると山の中身をくり抜いた場所に存在しているように見える。
その岩山を削って街を拡大していこうというプロジェクトは昔からあったようで、その一環としてツェールン鉱山があるのだけれど、丁度その入り口からゼプウェル島に続く海底トンネルがあって、それをコロロカの洞門と呼んでいる。
その昔、ゼプウェル島を追われたガルカ達は、コロロカの洞門を抜けてクォン大陸へ出てきたそうだ。
どうやら冒険者の修行の場所が、ここバルクルム砂丘からコロロカの洞門に移っているらしい。

「心変わりかぁ…あのおじいさん、元タブナジアの騎士なんだっけ?」
あたしに確認を求めてくるリンツ。
かと言って、あたしもリンツ以上にそんなこと知ってるわけがない。だからあたしもその視線をそのままレレレのおじさんにパスする。
この人が知らないわけはないわよね。
「イザシオか? そう言われてはいるな。サンドリアとしては自国の冒険者をなるべくここに送り込みたいさな」
その理由は冒険者によるコンクェストだ。バストゥークとサンドリアの領地争いが盛んなこのエリアは重要ポイント。
「だからサンドリアは元属国の騎士であるイザシオに金を出してここに居させているわけだが…」
国による冒険者登録の初期講習の時にサポジョブの教えを与えておけば、こんな所に人が集まるわけはない。
つまりサポジョブの教えという餌で、冒険者達を釣っているわけだ。
あたしとリンツはそんなお役目をやっているイザシオ爺自身が嫌で彼のお世話にはならなかった。
でもイザシオ爺も素直に国のいいなりになる人ではないらしく、バストゥークの冒険者にも隔てなくサポジョブの教えを与えている。
サンドリアとしてはそれは困ったことなのだけれど、バストゥークとの複雑な利害関係の結果黙認せざるをえなかったようだ。

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あたしの後ろからシュシュシュ~なんて音が聞こえてきた。
最後にボンと軽い音がして、
「お兄さま、これどうぞ」
クィラ・リキゥがリンツァイスに、小さなブリキのカップに入った作りたてのバターを渡していた。
「ありがとう」
リンツがカップを受け取って指を突っ込んで、その指を口元に運ぼうとした。味見だろう。
もちろんあたしがそれを見過ごすはずもない。すかさず立ち上がってリンツの指をペロっと舐めて横取り。
クィラ・リキゥはそんなあたしの無作法を見て、ほんのちょっと顔をしかめたのだけれど、
「うん、美味しいわ」
あたしの感想を聞いて嬉しそうに微笑んでくれた。
今日の朝絞ったというセルビナミルクと目の前の綺麗な海から取れた塩で作った、新鮮なバターだ。
作りおきしていたのと違って、柔らかいし香りもいい。脂肪だということを感じさせないふんわりとした舌触り。
うーん、普段あたしやリンツはパンにはバターをつけないけど、こういうのだったらいいかも。

クィラ・リキゥはクリスタルによる調理を最近勉強しているらしい。
オノレとクィラ・リキゥは、今でも先生の私塾の一室に間借りしているのだけれど(一応居住区にも部屋は確保はしてるみたい)、最近はクィラ・リキゥが食事一切を取り仕切っているらしい。
どうもなんというか…彼女にとっては先生は自分の師匠であると同時に、舅みたいな存在でもあるらしくて。
もともとソロロもツェイラも自宅からの通いだから、そんなクィラ・リキゥの行動に嫉妬を覚えてしまうような人間はいない。
だから私塾での生活は、割と上手くいっているのだろう…とあたしは思ってる。
実際ソロロとツェイラ、そして先生から不満なんて聞こえてこないから。

「あ、レレレさんもどうですか?」
リンツが他に刺していた串をレレレのおじさんの方に渡す。
「うむ、もらおうか」
「こちらもどうぞ」
クィラ・リキゥがにっこりとカップを勧めた。そのまま一本串を取ってオノレに渡す。
「オノレ、皮を剥いてくださらない? 熱くて火傷しそうですわ」
「ほいほい、わかった」
…ラブラブよね。ケッと悪態の一つもつきたくなるぐらいだ。

そんな様子をみて、レレレのおじさんはスッと目を細めた。
「どうかなさいましたか?」
「どうしはりました?」
若い二人がそれに気づいたらししい。
あたしはニヤケそうになる顔を抑えながら、まぜっかえしてみる。
「そんなラブラブなのを見せられれば誰だって目を瞑りたくなるわよ」
真っ赤になるクィラ・リキゥだけれど、レレレのおじさんは軽く首を振った。
「いや…君達、ビルルホルルの後継者だと言っていたが、どこの国の冒険者だい?」
「え?」
「二人ともバストゥークなまりが殆どない。少なくともバストゥークで生まれ育ったわけではなさそうだ」
クィラ・リキゥは純粋なミスラなまりだし、オノレに至ってはタルタルなまりとサンドリアなまりのミックスという、とても変に聞こえるなまりで共通語を喋る。
「ビルルホルルの塾の特殊性は理解しておるつもりだ。あの男とは知り合いなもんでな」
実はビルルホルル一門には純粋なバストゥーク人は殆ど居ない。
先生の私塾は、最初から有事の際にはウィンダス向けにバストゥークの人質となることが条件で設置の認可が出されていて。
ウィンダスに深く関わりを持つ…つまり人質の価値がある人間しか入れないことになっている。
「フェムヨノノ師は特殊としても、普通あの私塾の人間は冒険者…バストゥーク所属の冒険者にはなれんのではないか?」

歌い手の目の前の二人は、ちょっとだけ顔を見合わせる。
そしてどうしたもんか、というような表情で詩人に向かい合った。
「一応二人ともウィンダス出身で、ウィンダス所属なんやけど…」
「今はバストゥークで暮らしていますの」
レレレのおじさんは片眉をくいっと引き上げる。
「…ほう?」

「なんと説明したらいいか…」
オノレはポリポリと頬を掻く。
「ウィンダスの英雄を知ってらっしゃいますやろ?」
驚いてあたし達の方を見るレレレのおじさん。やっぱりまだ誤解は解けてないのだろうか?
「…別にあたし達が教えたわけじゃないですよ」
「実は僕はその英雄のおかげでウィンダスを追われた人間でしてな…ま、それで先生の所にお世話になってますのや」
なんか更に誤解を生みそうな言い方よね?
レレレのおじさんは、やっぱりこっちをジロッと見てくる。
思わずすぐ隣のリンツの顔を見て、助けを求めてしまうあたし…情けないけど。
「オノレはねぇ、もともと連邦政府の幹部達に将来を見込まれて、それでビルルホルル先生の所へ修行へ来ていたんですよねぇ。だけど英雄のおかげで彼は必要なくなっちゃったみたいで」
ウィンダスに縁を持つ人間なら口に出しにくい事をズバっと言ってしまうリンツ。
リンツ自身はウィンダスとは全く関係ないから言えるのだろう。強いていえばあたしを通じて関係があるというだけ。
「ふむ。なるほど。耳の院から就学資金が出ていたのかね?」
「あ、いえ。目の院からもです。けど…」
慌てて補足するあたしだけど、やっぱり最後までは言いにくい。
「口の院が噛んでいないわけはない、と?」
「…そういうことです」
「なるほど。あの娘はシャントットやアジドマルジドのお気に入りだからな。だったらあの娘の方を取るだろう。あの師弟の影響力はすごいからな。おおかた星の神子も深く考えずに聞き入れたんだろうな」
レレレのおじさんはそう納得すると、腰の脇につけていた…なんだろ? 乾燥した大きな木の実の殻のようなものを取り出した。
「それはなんです?」
あたしが訊いてみると、
「ああ、手製の楽器だよ」
明快な答えが返ってきた。
見れば、その殻には金属製の何本かの細長い板が差し込まれている。
彼が両親指の先でその金属の板を弾くと、貧相な見た目からは想像もつかない綺麗な音がポロポロとこぼれだした。
金属の板が発した音を、球形の木の実の殻が作り出す空間で増幅させているのだろう。
リンツが感心したように唸る。
「へぇ…そんな楽器があるんですねぇ」
「おもちゃみたいなものだがね。南方の大陸に伝わる楽器だそうだよ。カリンバと言ったかな。竪琴の代わりにでも使おうかと思ってね。余分な鉄板を貰ってこしらえてみたんだ」
そう断りを入れると、詩人はメロディを歌いだした。

夜の砂丘に響き渡っていく、軽く綺麗な音色の伴奏としっとりとした歌声。
この人の歌声は普段喋っている声とは全然違って…正直に言って、あたしは本当に驚いてしまった。
老人っぽい喋り方とは全然違う、艶のある、それでいてしっとりと心に染み渡ってくる歌声。
夜想曲が得意だというのは、この声に由来するのだろう。

「あ…これ」
オノレがポツリと呟く。
「ウィンダスの歌ですわね。タルタル達の民謡でしたかしら?」
「ああ、戦後の比較的新しいものなんやけど…旅にあるタルタルがサルタバルタの緑の草原を懐かしむ歌や」
…ふーん。
あたしは正真正銘バストゥーク生まれのバストゥーク育ちだから、両親か先生、それかソロロぐらいを通じてしかウィンダスの民謡なんて知る機会はない。
その四人は歌なんて嗜まないから、実際の所あたしは殆どタルタル民謡なんて聴いたことがなかった。
リンツもその歌は知らなかったようで、目を丸くしながら聞いていた。
歌の歌詞はタルタル古語だったからあたしには少しわかるけれど、リンツにはさっぱりわからないだろう。
でも、レレレのおじさんの歌声にはパワーがあるみたいで、故郷を懐かしむ想いはすごく強く伝わってきた。
それは歌詞がわからないリンツにもしっかり伝わったのだと思う。

しばらくの後、演奏は止んで、レレレのおじさんはフゥとため息をついた。
パチパチと拍手をするオノレとクィラ・リキゥ。
「こりゃ素晴らしい歌や」
「おもわず涙が出てしまいそうになりましたわ」

「レレレ様はウィンダスに長く滞在したことがあるのですね?」
これだけウィンダスへの郷愁をあおる事ができる歌を歌えるぐらいだ。きっとレレレのおじさんはウィンダスに強い思い入れがあるのだろう。
ところが、目の前の詩人、あっさりと首を振ってしまった。
「いや、ワシはウィンダスには殆ど滞在した事がないのだがね…そもそも郷愁の歌を歌うために、その土地を深く愛している必要は全くないのだ」

…え?
ポカンとしてしまうあたし達四人。
一瞬の後、リンツが慌て始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それじゃ感動を与えるなんて出来ないんじゃないですかねぇ?」
彫金士であるリンツも、歌い手と同じ…あまりいい印象を与える言葉じゃないけど一応クリエーターだ。おまけに自分の想いを作品に込めることがコイツの信条。
それとは全く違う主張が飛び出てきたわけで。
でも、レレレのおじさんは両手を広げて微笑んだだけだった。
「実際、ウィンダス出身のこの二人は感動してくれておるようだぞ」
若い二人の方へ顎をしゃくる。

「そら感動しましたよ…せやけど、あなたさん、詩人でっしゃろ?」
「そのような事を言われては、何か私、悲しい気持ちになってしまいますの」
オノレとクィラ・リキゥはちょっと寂しいような顔をして言った。
まぁあたしにだって気持ちはわからなくもない。

ところが突拍子もない質問が、詩人からクィラ・リキゥに飛んだのだった。
「お嬢さん、あなたは恋に憧れるかい?」
レレレのおじさんがそう言った途端に、ミスラの少女の顔はぼんっと真っ赤になってしまった。
そして俯く。
「いえ…あの…私達一応…その…夫婦なのです。ですから…もう憧れというのは」
今度は問い掛けた詩人の方が驚く番だった。
「き、君達はまだそれ程の年齢ではないと思うが」
「はぁ。一応幼馴染でして。まぁ奨学金が打ち切られたのがきっかけで…そやな、駆け落ち同然みたいなもので。二人とも半人前ですが、そこそこ幸せに暮らしてますわ」
割合淡々と述べるオノレ。
その横で、ミスラの少女が真っ赤な顔をしてエルヴァーン魔道士をぽかぽか殴っていた。
あたしとリンツは、そんな二人を見ていたら思わずニヤリとしてしまう。
あ~あ、若いっていいわよね。

「なるほど。それで先程の話に結びつくわけかね。駆け落ちしてバストゥークに住んでる、と」
「ええ、そういうことで。こらクィラ・リキゥ、痛いやないか」
「だってだって…人前で言う事ではないでしょう!?」
真っ赤になって良人を怒鳴りつける少女。
レレレのおじさんは思わず微笑んでしまう。それはあたし達も同じ。
「なるほど。では憧れももうないか…例えばだな、恋の歌を歌うとする」
一頻り笑った後に、まじめな顔をして若い二人連れを見た。
「はい」
つられて二人も、真顔になって詩人を見返す。
「ところが、歌う私としては、その歌を歌っている時に恋のことを考えてはいないのだ」
「…?」
「私が考えるのは、いい歌を歌う事であり、自身が詞に酔ってしまってはいけない。なにせお客さんに聞いてもらわなきゃならんわけだからな。聴衆が詞に酔い恋をすばらしいものだと思わせるように仕向けなければならんのだ」

ところが、ミスラの少女は慌てたように詩人を遮るように言った。
「で、でも…それじゃ悲しくありませんか? 歌っているはずのあなたが心を込められないなんて」
「心は込めているさ。いい歌を歌いたい、というな」
「でも…」
「『歌は心、されど歌い手の心に意味はなし』 それは吟遊詩人たる私の誇りだ。私自身の勝手な想いを歌に込めてはいけない。それが歌の目指す所なのだな」

「…はぁ?」
「…なるほど」
あたし達からは二種類の反応が返った。
いまいち納得できないようなクィラ・リキゥとリンツだったけど、あたしとオノレは、なんだか理解できたような気になってしまったのだ。
「フェム、どういうことさ? 何を納得してるの?」
「そうね、納得したっていうのとは反対なんだけど…」
「へ? 僕にはさっぱりわからないよ」
また首をひねるリンツ。まぁあたしの言ったことは矛盾してる。
「そうね…オノレ、あんた説明できる? どうしてあたし達がわかったような気になるのかって」
「なんで僕が。これはねえさんの役目とちゃいますか?」
「それも修行のうちよ。この間のレポート間違ったんだから、これはペナルティ」
「う…」
渋々認めたオノレは、リンツの方ではなく、クィラ・リキゥとレレレのおじさんの方を向いて喋り始める。
「つまり、僕ら魔道士と歌い手の意識というのは正反対なんやな…だからこそ僕らにはわかる、というか」
「ほう?」
「魔道士にとって、魔法によって世界に形をあらわした結果、それ自体には意味はないんや。魔法を用いる過程で自分が何を考えたかが重要なんですな」
「ふむふむ」
年老いた吟遊詩人は若い魔道士の言葉にいちいち相槌を打っている。
「何のために魔法を知り、そして何のためにその魔法を行使したか、どういう理由があってその魔法を選んだのか、そういう所に意味があるんや。ところがレレレさんは、歌は聴衆の心を動かすという結果こそに意味があるといわはる」

「つまり魔法と歌とは逆なんや。魔道士は常に自分自身を向いていて、魔法は他者に対して向いていない、自分の思考と向かい合うための手段…そういうことや」
そこまで独白して、ちょっと恥ずかしくなったのか、
「ハハハ…魔道士ってのは、ほんとワガママやな」
オノレは笑いながら肩をすくませた。そして同意を求めるようにあたしの方を見る。
「そうね…多分それで正解。だからこそあたし達は逆の発想を理解できるのよ。お互いに視点が違うだけってことがわかる」
あたしは微笑みながら、それに返答した。
「どうです?」
そして、レレレのおじさんに問い掛ける。

レレレのおじさんは、楽しそうにそれを聞いてくれた。
「まぁそういうことだ。いやいや、なかなか面白いもんだな。ビルルホルルの弟子達は」
ほっとしていると、
「しかし、例えば先程の話のウィンダスの英雄、あの娘はどちらかと言えばワシに近いぞ」
やっぱり楽しそうに反論が返ってきた。
「そうなんですか?」

「あの娘が言う事には、『物事の裏を見ようとするな、それは危険な行為だ。理由や動機は不要。魔法が生み出した結果とそれが自分達にどう影響を与えるのか、それだけを考えればいい』、だそうだ」
「うーん…」
まぁ言ってる事はわかる。
けど…どうなんだろう、ってあたしは考えちゃうのだ。
あたしも昔はそんな考え方をしていたような気もする。けどちょっと前にブルストの一件とか…その…リンツとの事とか色々あって、結局自問自答しつづけることが自分の成長を促すとわかったのだ。
多分立場の違いもあるのだろう。あたし達は魔法研究者で、英雄達は魔法の行使者だ。
そりゃあたし達だって魔法を使うし、英雄達も魔法を開発したりする。
でも、その目的が違うんじゃないかな?

リンツは脇でまだ唸ってる。
どうにも同じ「モノを作り出す人間」として、レレレのおじさんの考えが納得いかないみたいだ。
クィラ・リキゥの方は納得してくれたみたいだ。一応彼女もまだ日は浅いと言え魔法の研究者なのだから、当然といえば当然かもしれない。

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丁度その時、夜になっても断続的に剣撃の音が聞こえてきていた門の前あたりから悲鳴が上がった。
ざっとそれぞれの武器を掴むあたし達だったけど、オノレが、
「いや、僕とクィラ・リキゥで行きますわ。ねえさん達はここに居てください」
そう言って、彼自身のパートナーの肩を叩くと駆け出していった。

あたしとリンツは上げかけた腰を再び砂の上に落とす。
「フェムヨノノ師、大丈夫なのか?」
一応昼間に若い二人の活躍を見ているとは言え、まだ心配そうなレレレのおじさん。
それにはリンツが答えた。
「まぁ大丈夫だよねぇ? あの二人だって僕らやレレレさんから見ればまだ駆け出しだけどさぁ。さすがにこんな所で…それにこれも教育だよねぇ?」
「…なんであたしに訊くのよ?」
ジロリと睨み返すあたしだ。
そりゃ確かにあたしはあの子達の姉弟子だけど、あんただって師匠扱いされてるんだから、一方的にあたしに投げないでよ。
だってさぁ…とでもいいたげな視線が返ってきたけど、レレレのおじさんはそんなあたし達の様子には興味がないみたい。
「ふむ、そういうことか…ならば任せてみるか」
「ありがとうございます」
一応そうお礼を言っておく。

ブルストさんは二人が駆け出していった方から目を外して、空を見上げる。
そしてその視線を保ったまま、あたし達に訊いてきた。
「彼らにはワシの本当の依頼は伝えてあるのか?」
「…いえ、まだです」
「アレスのことは聞いたよ」
「…なんです?」
そらきた。やっぱりこの人も『業界』の存在を知る人なのだ。

そしたらレレレのおじさんは夜空を見上げたまま、ため息をついた。
「アレスの弟子はどうなんだ?」
『業界』を知っている人間相手だと油断も隙もあったもんじゃない。なんであたし達のやったことが筒抜けなのよ?
「…彼女のこと、どこで聞いたんですか?」
「コンシュタットの魔女」
事もなげに答えてくれた。錬金術ギルドの老婆アズィマさんの通り名だ…アレスの弟子は錬金術ギルドのメンバーであるし、アレス自身の父親であるウィルマルク師範は錬金術ギルドの参謀にあたる人だ。伝わって当然かもしれない。

あたしはリンツと軽く視線を合わせてため息をついた。そして答える。
「さぁ…あたし達も弟子入り後の彼女に直接会ったわけではないですから」
それは本当の事だ。
「ふん」
ちっと舌打ちをして、ふと寂しそうになるレレレのおじさん。
だけど気を取り直したように、
「まぁいい。ワシもな、君達に看取ってもらいたいと…アレスの事を聞いた時にそう思ったのだ」
なんて言い出した。
今度はあたしとリンツが舌打ちをする番になっちゃったわけで。
「あのねぇ…レレレさん」
「あたし達は葬儀屋じゃないですよ」
幾分怒りを込めてあたし達は抗議する。

この人のあたし達に対する依頼。
それは、もうすぐ自分が消える、その時にスクラッパーに側にいて欲しいというものだった。

レレレのおじさんは、あたし達の憤りを気にした様子もない。
「ハハハ、そりゃそうだ。大丈夫、別にその後荼毘に付してくれなんていうつもりはない。手間はかけさせんよ」
「そういうことを言ってるんじゃないですよ!」
「なんで…レレレさんの仲間だっているんでしょ? 僕らは今回会うまで、あなたの仲間じゃなかったんだしさぁ」
「そうですよ。今まで一緒にやってこられたお仲間もたくさんいらっしゃるはずです。なんであたし達なんですか?」
まくし立てたあたし達に、レレレのおじさんは意外な言葉で返してきた。
「スクラッパーは英雄を解き放つ者だって、ノーグでは有名らしいじゃないか?」
「な…!?」
あっけに取られるあたしとリンツ。

その原因となった人物に考えが及ぶに至って、またもやあたし達から舌打ちが出た。
「…イー・キノエかぁ。なんだかなぁ」
「あの子は…全くもう…」
もうぼやくしかないあたし達だ。
ブルストの一件が片付いた半年後ぐらいに、あたし達はイー・キノエから『業界』の存在について知らされた。
彼女が元ノーグの人間で、エレノアがそれを知らないことも。
あたし達にとってみればそれは衝撃だったのだけれど、彼女の入れ知恵がなかったら、自分達も気付かないうちに業界に引きずりこまれていたかもしれないから、防衛策が出来たってことで一応感謝はしてる。

そういえば、アレスの一件の後に会った時、彼女がやたらニヤニヤしてたことを思い出す。
彼女がいつもニヤニヤしてると言えば、それは全くその通りだし、それまでなんだけど。
あの子は…今度会ったら説教しておかなきゃ。人の名前勝手に広めるな、ってね。
「それにバストゥークでもな。アレスの件はルシウスやシドの依頼だったんだろ?」
「ええ、まぁ…そっちでも宣伝されてるんですか?」
「冒険者とは関係のない役人連中まで少しずつ広まってるのは確かだな」
ハァ、とため息の二重奏。あたしとリンツだ。

「しかしワシは正確には『英雄』ではないのだがね。そんなワシでも解き放ってくれるのか?」
解き放つとかなんとか…そんな事を生業にしてるつもりはないんだけどね。あたし達は死神じゃないんだから。
でもまぁ、成り行きとは言え依頼されてしまったことだ。立場上ルシウス補佐官を経由してきた依頼を先生が断ることはまず出来ない。
それに…
「あたし達にとっては一緒ですよ。あなたも英雄です」
「僕らがどんなに頑張っても辿り着けない所に辿り着いてるんですよ。それが英雄です」
「辿り着けない所?」
「人の心を動かすという能力を持っているってことですねぇ」
そう、彼ら英雄とあたし達一般人の最大の違いは、人の心を動かすことができるかどうか、という点にある。

ところが、レレレのおじさんにはそれが上手く伝わらないようだ。
「ワシがか? 歌の話か?」
「もちろん歌もそうですけどねぇ…それだけじゃなく冒険者としてのあなた全部ひっくるめて、かなぁ?」
あとは自嘲含みの説明だ。
「スクラッパーなんておだてられても、あたし達にはそれが出来ない。逆説的かもしれないけど、だからこそのスクラッパーなんですよ」
あたしはレレレのおじさんに微笑んで見せる。
あたしのこの微笑みは、嫉妬の表情に見えるだろうか? それとも諦めの表情に見えるだろうか?
「…いまいちわからん」
納得できないご様子。
「セルビナ警備隊をやるという事に対して、あなたが僕達と違う種類の人間だからこそ、賛同する冒険者達が集まってきてくれたと思うんですよねぇ。違いますか?」
「それがあたし達とレレレさんの違いですね。人の心を動かすことができるってそういう事です」
「…ふむ」
腕組みをするレレレのおじさん。

この話題が出た以上、あたし達の方もこのタイミングで本題を出した方がいいみたいだ。
チラッと横のリンツを見上げてから、切り出した。
「アレスの一件をどこまでご存知です?」」
「ん?」
「先に言っておきますが、誤解しないで欲しいんですけど、あたし達は『業界人』じゃありません」
「それは前に聞いたが…だからなんだね?」
少しの逡巡の後に…
「その…あたし達が今動いているのは、アレス・ウィルマルクとその仲間を救うためです」
意を決してあたしははっきりと口にした。
「ルシウスの依頼でか?」

「もうその依頼は果たしました。僕らは国の命令を受けてるわけでもないし、世界をよい方向に導きたいわけじゃないんですよねぇ」
「あたし達は自分達のために好き勝手やるだけです」
あたしとリンツの否定の声は、レレレのおじさんに届いただろうか?

「まぁいい…それで?」
「レレレさん、あなたは英雄達の記録をお持ちですね?」
あたしの言葉に反応して、レレレのおじさんの目がキロっとトカゲみたいに動いたのが見えた。

そう、これがあたし達が仕事を受けた理由。
あたし達は元々彼に会う事にしていたのだ。
世界で最も中途半端な魔道士アレスと聖なる竜騎士ファブリツィオ。それだけじゃなくエアハルトやシェルスティンなど幾人かの『英雄』達を題材にした詩。
レレレのおじさんは彼らと非常に強いコネクションがあり、彼らの活躍を事細かに叙事詩として書き綴っていたのだ。吟遊詩人の本能というか…さぞかし面白いドラマティックな歌になっているのだろう。
でも、レレレのおじさんは結局今までそれを歌う事はなかった。

で、今あたし達にはその詩が必要なのだ。
『英雄』には関わり合いになりたくないけど…それでもあたし達は見てしまった以上、関わらなければいけない。
厄介事が空から降ってきたっていうのがぴったりの表現かもしれない。

「実際にはどうする? 救うとはどういうことかね? そもそもどういう状況にあるのだ?」
レレレのおじさんは腕組みをしながら難しい顔になった。
「…聞いてもらって賛同してもらえるなら、それが一番いいんですけど」
あたしとリンツは顔を見合わせて、あたし達が考えているプランについての説明を始めた。

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一週間の間、あたし達はレレレのおじさんと一緒にセルビナ警備隊を続けた。
時間はどんどん過ぎていく。
彼が世界から消える時が刻一刻と近づいていく。

頻繁に顔を出すベテランの冒険者達。
チョコボで門前に乗り付けては、レレレのおじさんや集まってきた他のベテラン達と冗談を飛ばし合い、酒を飲んで酔っ払ったまま砂丘に駆け出していって、若い冒険者達の手助けをする。
彼らは長く滞在することもなく、一日後には別れの挨拶をしてまた駆け出していった。
きっと忙しいのだろう。
彼らが去る度に、レレレのおじさんは寂しそうな顔で去っていく人達の後ろ姿を見つめていた。
それはきっと去る方も一緒なんじゃないかって思う。
彼らの去り際の別れの挨拶は、絶対にレレレのおじさんがこの世界から消えることを知っているとわかるものだったから。
それでも吟遊詩人の方も駆けつけたベテラン達も、湿った顔は絶対に見せなかった。

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そして…最後の朝。
前日にそれを伝えられていたあたし達。朝日が昇って少ししか経っていないのに既に灼熱に変わりつつある砂の上で、レレレのおじさんに対面していた。
オノレとクィラ・リキゥには、あたしとリンツが話して、ここにいさせている。
この子達に見せたいもの、経験させておいた方がいいものって、つまりこれなのだ。

明日には、代わりにセルビナ警備隊をやってくれるベテランの冒険者が来るそうだ。でもレレレのおじさんは、その人には会いたくないらしい。
どうして…なんだろう?

「さて…これが望みの品だったな?」
あたし達に対面したレレレのおじさんが懐から取り出して、あたしに渡したモノ。
「フェムヨノノ師、これで満足かな?」
糸で綴られた黄ばみかけている紙の束…英雄達の戦いの軌跡の歌。

あたしはそれを受け取って、だけど開く事はなく、革一枚を被せた表紙をしばらく見つめていた。
それはリンツも一緒。無表情のまま表紙を眺めてる。
これだけ、この一束の紙だけが、この詩人がこの世界に居た証拠になるのだろうか? そんなことを考えながら。
「どうしたね?」
そんなあたし達を不思議に思ったのか、レレレのおじさんは声をかけてきた。
それでやっと、あたしは表紙から目を離すことに成功した。

「…別に満足も何もないですよ。オノレが言いましたよね。歌と魔法は正反対だって」
歌はその結果に意味があるのに対して、魔法はそれを行使する過程に意味がある。
「あたしは魔道士です。だからあたしは、ここで過ごしたこと、そしてあなたに会えた事、お話できた事、あなたの歌を聴いて感動した事、そういう事に意味があるんだと思ってます。これは確かにあたし達に必要なものですけど…でも結果なんですよ」
あたしの真剣な言い方に、レレレのおじさんは笑ってくれた…ように思う。

「ならば…これでおしまいかな?」
「そうですねぇ」
リンツはそう返事をしておいて、一応あたしの方を見る。
「ええ、ありがとうございました。ほら、オノレとクィラ・リキゥも」
後ろに回って、若い二人のケツをひっぱたくあたし。
…ハシタナイなんて言わないで。

「ああ、そやな…ありがとうございました」
「とても楽しかったですわ」
二人がニッコリとレレレのおじさんに微笑む。
それを見て、レレレのおじさんの方も微笑んだように見えた。

「ではな、ビルルホルルの弟子達…ああ、そうだ。最後にお願いがあるのだが」
「なんです?」
「ウィンダスの英雄…ネリリに私が消えたということを知らせてもらえないだろうか?」
にこやかに無茶苦茶な事を言う。ちょっとさすがにそれは…
もちろん、リンツが口を尖らせて抗議する。
「それは…やっぱりご自分で言うべきなんじゃないですかねぇ? ここ数日来てたベテランの人達にはご自分で説明したんでしょ?」
ところが、レレレのおじさんからは
「スクラッパーへの依頼だ。最後のなのな。聞いてくれたっていいだろう? ワシの大事な詩の対価としては充分じゃないか」
拗ねたような声が返ってきただけ。まるでだだっこみたいな。
その一声だけで、このおじさんは今までのイメージをガラっと崩し、実は子供っぽいというイメージをあたし達与える事に成功したようだ。
「はぁ…わかりましたよ。承りました」
「伝えますから」
あたし達は、完全にレレレのおじさんにノックアウトされてしまったわけで。
まぁしょうがないだろう。それだけのものを頂いたのだ。
でも…
「彼女に伝えてどうするんです?」
それが引っかかった。ある意味邪悪とも言える願望…そんなのが含まれているような気がする。
「もちろんフェムヨノノ師の想像通りになってくれると嬉しいがね。別に強制するわけではないが」
…やっぱり。そういうことね。
もしかしたら、この人は『英雄』でありながら『業界人』という稀有な存在なのかもしれない。
この世界がよくなることを祈って、冒険者達に働きかけてきたのだ。
その結果がセルビナ警備隊なのかもしれない。

残したものは、あたしの手の中にあるこの詩だけじゃなく、ここで修行をした全ての冒険者達、その多くの人達こそが、彼のこの世界に残したものなんじゃないかって。
あたしは彼と一緒に過ごした数日間こそに意味がある、ってさっき彼に言った。
あたし達だけじゃなく、彼と触れ合った人みんながそう思ってるんじゃないかな?
なんだかそんな気がした。

リンツが再び視線を落としていた紙の束から顔を上げた。そして詩人に問い掛ける。
「一つだけ教えてください。どうして明日あなたの代わりに来る人に会わないんですか?」
それに対して、軽く鼻を鳴らすレレレのおじさん。
「なにかおかしいですか?」
少々鼻白ばむリンツ。
当然。今のはあたしも頭にきた。笑われるような質問じゃないのに、そんな態度をされるなんて。
「そう怒るな、スクラッパー」
それは無理な相談!
だけど…レレレのおじさんの笑いは自嘲だと、あたしはふと気付いた。
彼が空を見上げてポツリと漏らしたからだ。
「…泣きたくないからだよ」
その顔は、発した言葉とは対照的に泣きそうな顔だった。

そんな表情も一瞬だけ。ブルンと頭を一振りすると、
「最後に一曲だけ」
レレレのおじさんは竪琴を構え、指を弦の上に這わせていく。
ごつい指先からは信じられないような、繊細な音色がこぼれだしていた。
それに載る歌声も、この数日聴いていたのより、さらに極上のもの。
弦が泣き、歌が泣く。

現象としてはただの音波にすぎないかもしれない。だけど確実にそれ以上のパワーをもった歌と竪琴の音が、灼熱によって発生する陽炎を揺らし、砂の上に広がっていく。
すぐそこの海岸から聞こえてくる波の音。それすらもまるで計算され尽くした伴奏のように心地よく歌声と交じり合っていく。
彼自身が強く否定した自らの想いを込めた歌、最後の歌は…その『想いが込められた歌』だった。

たしかに、歌としては他人に聴かせるために歌うものにくらべたら数段劣っているかもしれない。
彼はこんな歌を歌ってしまった自分を否定するだろうけど、でも、あたしは最後の歌がこれでよかったんだと思う。
だって、あたしの心にも、彼の思いが伝わってきたんだもの。
やっぱり、あたし達は彼らには敵わない。
人の心を動かす、ただの歌声でそんな事ができるなんて思ってもみなかった。

./

アルペジオがゆったりとリタルダンドしていき、最後の和音が全ての指で同時に弾かれる。そこで指と歌は止まった。
レレレのおじさんは、ゆっくりとこちらを振り返る。
軽く拍手をするあたし達…たった四人の拍手。あたし達は彼の歌に応えられただろうか?
彼は…微笑んでくれた。

「それじゃな…」
おじさんはそう言うと、強烈な日差しが降り注ぐ砂の上にしゃがみこんだ。

あたし達は黙ってそれを見てる。
数瞬後、金髪の髭のおじさんはその場から消え去っていた。
後には、彼がここにいたという事の証明のように、砂の上にしっかりと足跡が残っているだけ。
あたし達はしばらくそこから動けない。その足跡をずっと見つめていた。

「ねえさん…僕はこういうの初めてなんやけど」
オノレが口を開く。
「なに?」
「寂しいもんやな、って」
「そう…ね」
あたしとしては、そう答えるしかない。
見れば、クィラ・リキゥはオノレに寄り添って涙を堪えていた。
オノレがやっぱり寂しそうな顔をして、そんなパートナーの頭をポンポンと叩いている。
自らの寂しさとパートナーへの愛情、そんなモノが見え隠れする光景だ。
それが余計に彼らを寂しそうに見せている。
これも去っていった吟遊詩人の最後の歌の効果なのかもしれない。あれは呪歌じゃない。けど、たしかにあたし達四人の心を振るわせる効果を持っていた。

./

この間のアレスと言い、レレレのおじさんと言い…なんなんだろうと思う。
彼らは、あたし達がどんなに頑張っても理解できない世界の理を知っていて、そしてあたし達の前から消えていく。

ゴウと風が吹き始めた。
砂が舞い散って、新たな風紋を作り出す。
彼の足跡も、だんだん消えていく。

「フェム…僕らに期待されてることってこれかな?」
消えていく彼らを見守るのがあたし達に期待されてること?
「…違うと思いたいわね」
そんなのは正直真っ平だ。こんなのはできるだけ見たくない。
それに、あたし達とは直接関係のない人が消えるのを見守るって…どういう意味があるのかしら?

「でもさ、レレレのおじさんは僕らに詩を残していったよねぇ? 僕らはそれを受け取ったんだ」
「そりゃ…だって今回はあたし達が」
「確かに今回はそうだったかもしれない。でも、アレスさんも僕らにお願いしていったことがあるよね?」
そう言えば、ウィルマルクさんのことをよろしく頼むって言ってた。そして多分彼の弟子のことも。
「消えていく彼らってさ、何か想いを残したいんじゃないかなぁ? でも彼ら自身にはそれができない。だから僕らに頼むんだ…そんな気がするんだよねぇ」
遠くの白い砂の山を見るリンツ。

彼らに出来なくて、あたし達にできること?
なんだろう? …多分リンツ自身もわかってないに違いない。
でもその言葉が心に引っかかるのは確かだ。

./

風が止んで、波の音が再び蘇ってくる。
遥かに高い空には、照りつける太陽と白い雲。
先程までの彼が消えた空間はもうなく、今はいつものバルクルム砂丘だ。
でも、あたし達四人は、一人の吟遊詩人が消えたその場所から動けないでいた。