外伝の外伝そのさん - 消える女 - 前編
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あたしとリンツは、当然と言えば当然だけど、誰がドアを叩いたのかさっぱり見当もつかなかった。
どうしてかって言えば、正直な話、まさかここまで来るとは思ってなかったのよ。
錬金術ギルドのウィルマルク師範に頼んで罠を張ったのはよかったんだけど…引っかかり方が悪すぎた。
口先に針がかからずに飲み込まれてしまったという感じかもしれない。これは針を取り出すのに苦労しそう。
どうせね…自業自得って言ってもらっても構わないわよ。
まだドアのノックは断続的に続いていた。
「はーい…ちょっと待っててください」
あたしは椅子から飛び降りると、ドアの前へ行き、鍵を開けて開く。
そこから飛び込んできた声。
「失礼、フェムヨノノ師とリンツァイス師範がここにいらっしゃると聞いてきたのですが?」
茶色い三角帽子と、そこからこぼれた赤くて長い三つ編み。綺麗な青い上着、黒地のストライプのパンタロン。そして腰には数本の短剣。
そんな、タルタルの女性が入り口の前にいた。
「えーと…あたしがフェムヨノノですけど…?」
こんな知り合いは、あたしにはいない。どこの人だろう?
「…なるほど」
いきなり、先程の畏まった口調とは全然違うふてぶてしい声になった女性。
「…スクラッパーでいいんだな?」
「!!」
直後、作業台の前に座っていたリンツがガタリと音を立てて立ち上がり、脇にあった剣を手に取った。
あたしも瞬間的に後ろに飛び退いて、右手は既に印を結ぶ寸前の構えを取っている。
ところが。
そのタルタル女性は、あれ、どうした?って感じで、真剣な顔になったあたし達を見る。
「…いや、貴女達を襲う意図は全くないが…一体?」
本当にわからないようだけど…。
「フェム!」
「わかってるわよ」
後ろからリンツが声をかけてきた通り、まだ油断しないあたし達だ。
「失礼ですけど…お名前と、あたし達に何の用があっていらしたのか、先に仰っていただけます?」
慎重に一言づつ。
「ああ…そうか…そうだよな」
なんか納得してくれたようなんだけど。
帽子をとるタルタル女性。そのまま頭を一振りすると、太く編まれた赤毛の三つ編みも一緒に揺れる。
そして、あたしに向かってこう告げた。
「ウィンダスのネリリだ。アレス君とレレレの最期を聞きに来た」
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あたしの名前はフェムヨノノ。種族はタルタル、性別は女性。
職業は一応…中堅どころの冒険者。赤魔道士を生業としている。
バストゥーク生まれのバストゥーク育ち。私塾で魔法を学んで魔道士になった。
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あたしは、机をダンと叩いて叫ぶ。
「だーかーらー! この場合、ターゲットとなる関数は多峰性であることが予想されるわけでしょ!? 初期値の選択が一番重要なファクターじゃない!?」
負けずにオノレもダンと机に手をついた。
「ねえさん、重要なファクターだからこそ偏り持たせた状態で判別するべきや!」
こ…このー、わからずや!
「じゃあ、評価はどうするのよ!? やり様ないじゃない! そんな論文目の院で採択されると思ってるの? 選択式アンケートでも取る? 誰を相手に!? 前から言ってるでしょ? エリートを基準にした評価はするなって!」
どうだ!? ここまで言えば…
ところが。
「冒険者登録直後の講習がありますやろ! あの講習を受けるのは素人やけど、それ以前に最低限の知識を叩き込まれるはずや! その人達を基準にすれば、この実験通りの結果が出ないわけがあらへん!」
主張自体は間違っているけど、論理的には正しい言葉が返ってきて。
「あ…う…」
あたしは黙らされてしまう。
「勝負ありだね…フェムヨノノ、とりあえずやらせてみようじゃないか」
ジャッジが下りた。先生が半分諦めたように息を吐く。
「先生!?」
あたしは抗議するのだけれど、
「まぁこれも勉強さ」
先生は軽く肩をすくめた仕草をする。そのままオノレの方に向き直って言った。
「いいかい、オノレ君? とりあえずやってみるといい。後でデータを見せてくれ。その後の判断はボクがする」
「おおきに、先生! 講習所に段取りつけてきますわ!」
オノレは立ち上がって部屋から駆け出していった。
恨みがましく先生を見るあたし。
オノレの主張の筋道は、論理的な観点だけを取り出してみれば正しくて、だからあたしは論破されてしまったわけで…弟弟子から論破されて悔しくないわけがない。
もちろん、いい結果が出ないことはあたしと先生にはわかってる。
「先生…いいんですか?」
「さっきも言ったとおり、これも勉強のうちさ。データを見ていくうちに自分の間違いに気付くよ。その過程も重要なんだ」
「そうですけど…」
渋るあたしに、先生はニヤリとしてみせた。
「だって、フェムヨノノも昔はあんなこと言ってたよ?」
あ…今そんなことを言わなくても…
「そ、それは…若気の至りって…」
あたしは赤くなって縮こまってしまう。
で、そんなあたし達に、
「ハン、バカらしい…魔法はあんた達研究者が使うもんじゃない。冒険者が使うもんだ。あんた達くだらんことやってるんだな?」
馬鹿にしたような声がかかった。
「ちょ、な!?」
いきり立つあたしだったけど、先生は冷静に一言。
「だけど、その冒険者への教授にはボクらの研究の成果が大幅に入ってるんだよ?」
「そ、そりゃそうだが…」
黙らせてしまう。
あたし達のディスカッションを、くだらないと切って捨てようとしたその人。
ウィンダスの『小さな英雄』ネリリさんだ。
あたしが今日はちょっと外せない用があるって言ったのに、だったら付いていく、興味がある、だなんて言っておいて、これだ。
人を馬鹿にしてるとしか思えない。
ガチャリとドアが開けられ…
「お茶にしませんか?」
可愛らしいミスラの少女、この私塾の末弟子であるクィラ・リキゥが顔を出した。
両手には、ウィンダス民芸風の焼き物の茶碗を載せた、これまたウィンダス民芸風の塗りのお盆を抱えてる。当然茶碗の中身はウィンダスティーだろう。
「ソロロお姉さまとツェイラお姉さまが、お客様へお茶をお運びするようにと…」
「あ、うん。ありがと」
先生とあたしには、それぞれの茶碗を。そしてネリリさんの前にはお客様用の茶碗を置く。
そして残り一つの彼女専用の茶碗を床において、さっきまでオノレが座っていた籐で編まれた座布団の上に正座した。
お茶を一度上品に啜ると、あたしと先生の方を見る。
「すいません。オノレ…聞き分けがなくて」
「あなたが謝ることじゃないわ…まぁいい経験になるかも。あなたはどう思ってるの?」
あたしも啜ってから答える。
「オノレの今回のですか? そうですね…オノレがおかしいのはわかります。でもどうしたら有効な手法になるのか…アイデアがまだ私には」
さすがだ。やっぱり研究者としてもクィラ・リキゥはオノレの上をいってるような気がする。
オノレも天才と言われてるけど…このミスラの少女はさらに…。
「それにしても…」
クィラ・リキゥは茶碗を下ろすと、キッとネリリさんの方を睨みつけた。
「私、この方は許せませんわ。同席を許すオノレの気が知れません」
「な、なんだい…?」
自分の半分ぐらいの年齢の少女に睨みつけられて、ちょっと怯えるネリリさん。
あなた、一応英雄なんじゃないの?
「ウィンダスからオノレと私を追い出しておいて、のほほんと顔を出すなんて…」
そのクィラ・リキゥの声を聞いて、英雄のはずの人はぽかんとした表情になってしまう。
思わず口から出てきた言葉は、まったく意表を突かれたといった感じの疑問形。
「追い出した? 私がか?」
あら、本当に知らなかったのかしら、この英雄の人。
「……」
更に強く睨みつける少女。
あたしは先生に何か言ってもらおうと、そちらを見たのだけれど。
あたしの視線には気付かない振りをして、お茶を啜っている先生だ。我関せず…かしら。
しょうがないので、あたしが説明をすることになってしまう。
あ〜あ、こんな説明ばかりしてるから、あたしとリンツはそっちの人だと思われちゃうのよね。
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オノレは元々、ウィンダスの魔法学校である耳の院から特別奨学金を受けて、このビルルホルル先生の私塾に留学生として来ていたのだ。
次代のウィンダスを引っ張っていくエリート…つまり『英雄』を作り出すという耳の院と他の院の思惑。その計画の対象として丁度良かったのが、ウィンダス国民のエルヴァーンという特殊な立場であるオノレだったのだ。
移民が進んでいる現在、ウィンダスだからと言って、タルタルとミスラだけが住んでいるわけではない。他の種族もたくさんいる。
オノレが次代のリーダーになれば、そういう他種族の移民達の支持を取り付けることができるわけだ。
そんな感じでオノレは留学生をやっていたのだけれど…オノレよりも条件のいい、更に既に完成してしまってる『英雄』がひょっこりと出てきてしまったものだから、それ以上オノレを大金をかけて養成する必要はなくなっちゃって。
結局オノレは奨学金を取り消されビザも停止されてしまった。しょうがないから冒険者になって、ここバストゥークの住民として勉強を続けているというわけだ。
実質的にはウィンダスを追い出されたも同然。
もちろん冒険者としての籍はまだウィンダスなのだけれど、オノレと彼の伴侶であるクィラ・リキゥは、ウィンダスに帰るつもりはこれっぽっちもないみたい。
で、その既に完成している英雄というのが、このネリリさん。
ウィンダスの政府各機関における幹部候補の人材育成は、今までは、魔法学校を有する耳の院が一手に担ってきた。
だから耳の院の影響力は大きくて、それを疎ましく思った口の院が、次代のリーダーは耳の院の影響を受けていない人間にしたいなぁと企てたのが発端。
ウィンダスの冒険者は基本的に口の院の管理下にある。その冒険者の中から一人選んで、自分の所の下っ端職員に支援させて、それで『英雄』に仕立て上げた。
結果、星の神子やその周辺からも絶大な信頼を受け、尚且つ口の院の幹部…つまり院長と博士とも付き合いがいい、一人の『英雄』が誕生したわけだ。
口の院にとっては、次代のリーダーとしてこれほど理想的な人間はいないだろう。
…というのが、あたし達の推測した事の次第。当たらずとも遠からじって所じゃないかな?
つまり次世代のリーダー育成という政争において、口の院は耳の院に勝利したということになる。
オノレはそのとばっちりを食ったというわけなのよね。
そんな事を端折りながら説明していくと、見る見るうちにネリリさんは青ざめていってしまった。
「…う、嘘だろ?」
「本当ですよ…まぁあなたには直接の責任はありませんけどね」
オノレへの奨学金がストップされた直接の理由は彼女だけれど、彼女の意思がそれに介在しているわけじゃない。
だから、彼女には責任はない。
「それでネリリさん、そんなことはどうでもよくて」
とりあえずお茶を飲んで事情を説明して、それが終ったわけだ…そこからが本題。
あたしはオズオズと切り出す。
「お姉さま、それは!」
それと同時にクィラ・リキゥが嫌そうな顔をしたのだけれど、彼女には軽く微笑んでおいて、先を続ける。
「アレスの事をお話する前に、あたし達に依頼を果たさせていただけませんか?」
ネリリさんがいかぶしげな表情になったのが丸わかり。
「どういうことだ?」
「セルビナ…どうせあなたも行くつもりだったのでしょ?」
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ネリリさんがチャーターしたテレポ屋…要するに各所に点在する不思議な岩まで移動することを可能とするテレポの魔法を使って、冒険者達の移動を助けることをアルバイトにしている冒険者…を使ってデムの岩まで飛んできたあたし達は、そこからセルビナを目指した。
セルビナはあたしとリンツの行動圏内とは言え、こんなに短時間で来られることは早々ない。
あたし達は『彼』の最期を一緒に見届けたオノレとクィラ・リキゥを伴って、セルビナにくる事にしたのだ。
夕方に出発。スポンとデムまで行ってしまって、そこから更に時間短縮のためにチョコボ。
あたしとリンツはチョコボがあまり好きじゃないから嫌だったんだけど…しょうがない。
このウィンダスの英雄、せっかちなのかなんなのか。
というわけで、闇の中に浮かび上がるセルビナの門を見たところで、あたし達はチョコボを止めた。
「さーて…」
ここはセルビナの門の前。
ストンと音を立ててチョコボから降りたネリリさんが、そんな声を出しながら、腰に手を上げて夜空を見上げる。
背筋を伸ばしているのだろうか。
「ふぅ…あたし達が気付いている事には当然気がついていますよね?」
あたしも慣れないチョコボから降り立って声を出す。
ネリリさんが空を見たので、あたしは足元を見た。
闇の中に、月と星の輝きに照らされて白い光を放つ砂の丘が浮かび上がっている。
この砂丘に巣食うゴブリン達は夜目が効く。というか夜の方が目がいいと言っていい。
なので、結局ここら辺を修行の場にしている駆け出しの冒険者達は、夜はあまり戦いたがらない。
彼…『闇に響く歌声』もそれをわかってて、若い冒険者達を注意して回っていたのだ。
その教えがだいぶ普及しているんだろう。
それにゴブリン達とは違って、あたし達のような種族は基本的に夜行性じゃない。
夜は寝る。それが一番いいのだ。
(まぁあたしみたいな本を読んで徹夜する人間が言えることじゃないけどね)
結果、周辺には剣戟の音は聞こえず、あたし達の遥か後ろにいたとしても、チョコボが砂を踏みしめる音は当然聞こえてくる。
「どうする? 私一人でも六人ぐらいなら問題ないぜ?」
ネリリさんが、あたしを見て問い掛けてきた。
…やっぱりあたしってどこ行ってもリーダー扱いなの?
ふてくされたくなるような考えを抱きながら、あたしは答える。
「ネリリさん、あなたの敵とは限りませんよ?」
「は? 自分で言うのもなんだがな、私は英雄だよ? もちろん狙われるのは私だろ?」
「あなたが来た時に見せた通り、あたし達…少なくともあたしとリンツは襲われる理由があります」
「スクラッパーだからねぇ…」
リンツもため息をつく。
今までもブルストに襲われるわ、エアハルトに襲われるわ、まぁ一応あたし達は『英雄の敵』なんだからしょうがない。
「…なるほど。それで貴女達は」
納得してもらえたようだ。
首を揺らして後ろを見るネリリさん。
首の揺れに応じて、高い帽子の先がゆらゆらと揺れる。
ウィルパナルパさんがかぶってる軍師の正式な制帽とは全然違う、どちらかといえばみすぼらしい帽子だ。
だけど、なんでだろう? すごく黒魔道士って感じ。
着ている青いコートも、キュートなパンタロンも、黒魔道士らしさを感じさせる。
…腰にぶら下げている大量の短剣は、ちょっと違うような気がするけど。
「ま、いいさ。同行してるんだ。協力はする」
ネリリさんは、首だけじゃなく身体ごと後ろを振り返る。
「まだ誰の敵と決まったわけでもないけどねぇ」
リンツも胸元を留める紐を一段外して首を回転させると、次にウォーミングアップだと言わんばかりに肩を回し始めた。
今のリンツは、革鎧すら着ていない。
あたしが着ているのと色違いの服。当然あたしが拵えたものだ。ガンビスンに近い感じの鎧代わりにもなる厚手の。
左肩には、リンツの手によるスクラッパーの紋章を透かし彫りにしたシルバーのプレートが、肩部鎧みたいな感じで付いてる。
服の地の色は、あたしの赤に対して、リンツのはくすんだ灰色。
リンツが肩を回すたびにシルバーのプレートが月光を反射して、白い砂の上に鈍い光線をばら撒く。
つまり、こちらはもう気付いているぞ、やるんならやるぞ、ってことの意思証明。
ネリリさんは、そんなリンツを見て、
「なるほど。貴女達はアーティファクトは持たないからな」
なんてことを言っていた。
エアハルトやこのネリリさん、そしてアレスが着ていた曰く付きの装備一式。英雄の証明。
ならばこの服が、『英雄』ではないあたし達の証明だ。
「ねえさん、どうします?」
「お姉さま?」
オノレとクィラ・リキゥがあたしに訊いてくる…やっぱりあたしに訊くのね?
オノレは灰色のスケイル鎧一式。腰にレイピア。
クィラ・リキゥは、バストゥーク鋼鉄銃士隊の制式鎧一式に、背中に漆黒の巨大な両手剣。
ただし、その二人の鎧には鋼鉄銃士隊の部隊章もバストゥークの国紋も階級章もなく、ビルルホルル私塾の紋章だけがある。
砂丘にいるというのに二人は金属鎧のフル装備。(今日のあたしの部分鎧は革モノだ…砂丘だもの)
今は夜だから寒いけど、朝になれば灼熱。
ついこの間セルビナに来たときは、二人とももっと涼しい格好だった。
ビルルホルル私塾の紋章入りの濃いブルーのローブの胸元を開けて、同じく濃いブルーに染めた革鎧をつけて。
ペアルックみたいにお揃いで着ていたのだ。
どうやらこの二人…というか多分クィラ・リキゥは、私達は暑さにはめっぽう強いんだ! おまけに魔道士なのに鎧も着るぞ! と言いたいらしい。
いかにも黒魔道士っぽい格好をしているネリリさんに対するあてつけなんだろうか?
ひょろひょろ揺れるネリリさんの帽子の先っぽを見てしまうあたし。
「そりゃあやるわよ…あんた達は下がってていいわよ?」
あたしもネリリさんとリンツに習って軽く首を回して戦闘準備をしながら、二人に答えた。
「え? どうしてや?」
オノレが意外そうに訊いてくるのだけれど、それにはリンツが答えた。
「二人は敵を作らない方がいいからねぇ」
「そんな!? お兄さま!」
クィラ・リキゥは叫ぶように言ったけど、あたしは首を振った。
「それにこの連中、スクラッパーかウィンダスの英雄に用事があるのよ? あんた達に相手させちゃ、お客さんに申し訳が立たないもの」
あたしは肩をすくめて笑って見せる。
「ねえさん! 僕らだってスクラッパーの弟子なんや!」
弟子とか何とか…無茶苦茶なことを言って食い下がろうとする若い二人だったけど、
「なら、師匠の言う事は素直に聞きなさいよ」
そう言い捨てて、あたしとリンツは、既に複数人数が砂を踏みしめる音が聞こえる方向に向かって歩いていたネリリさんを追いかけた。
振り向かなくても、背中のオノレとクィラ・リキゥがふてくされている表情をしているのが感じ取れる。
それが微笑ましてくて、歩きながら目を合わせて笑いあったあたし達だ。
ネリリさんが立ち止まった所へ、あたし達は追いつく。
「弟子への説教は済んだのかい?」
ネリリさんが振り返って、面白くもなさそうにあたしを見つめてきた。
「弟子に取った覚えはないですよ。あの二人が勝手に言ってるだけです」
「あの二人の師匠はビルルホルル先生で、フェムが姉弟子って言うだけだからさぁ…スクラッパーの弟子とかなんとか言われてもねぇ」
あたしとリンツが口々に言う。事実はその通りなんだけどな。
「ふん…まぁいいさ。お出ましだ」
月明かりに照らされた人影が、砂の山の間から見え始める。
一人、二人…合計六人。
種族はヒュームとエルヴァーン、ガルカの混合編成、武器も様々着けている鎧も様々。
「冒険者だな。たちが悪い」
ネリリさんも確認したのか、ボソリと呟く。
国やノーグのような組織の直属の連中より、雇われた冒険者の方がよっぽど扱いに困るというのは、あたしも同意する所だ。
目の前に現れた六人から目をそらさないまま、ネリリさんは自分の腰をまさぐった。
そして、右手に一本、左手に一本、大型のナイフを共に逆手に取った。
「…あのぉ」
リンツが、こちらも腰の戦士剣の柄に手をかけながら、ネリリさんに声をかけた。
「なんだい?」
「えーと…」
オズオズとしたリンツの口調が、あたしに疑問を代弁してくれってお願いしてくるのがわかる。
まぁ戦士のコイツが黒魔道士に言ったら、刺のあるように受け取られてしまわれることもあるだろう。
「はいはい、わかったわよ。ネリリさん、どうして短剣を?」
しょうがないって感じであたしが訊いたのだけれど、
「私はアレス君の、魔道士サポ前衛論の体現者だ。フェムヨノノ師はサポートに回ってくれ」
そのまま懐に手を突っ込んで、文字の書かれた紙製の人形を何枚も取り出した。
「「…了解」」
あたしとリンツはそう答えるしかない。
あたしの剣は、あたしとリンツを守るためのものだ。
だけどネリリさんのそれは、同じ魔道士の剣でも、あたしのとは違った役割を持っているものらしい。
別に口を出すつもりもないけどね。
あたしは再び、砂の上をゆっくりと近づいてきている六人の冒険者に眼をやる。
騎士盾と戦士剣を持つガルカが一人、両手剣を持つエルヴァーンの男が一人、他のはヒュームで、槍を持つ男が一人、片手斧を両手に持つ男が一人、長いカタナを持つ男が一人、そして…最後の一人は厳めしい黒い鎧を着込んだ、両手剣を持つ男だ。
全員が金属鎧を着て、刃を持った武器を手にしているところをみると、どうやら全員が戦士…というかクロスレンジでの戦いを好む連中じゃないかしら。
ビルルホルル先生やクィラ・リキゥみたいな魔道士上がりの人間もいることは否定できないけど、とりあえずそう考えておいて問題はなさそう。
ネリリさんがチラッとこちらを見る。
そうですか、わかりましたよ…って方法はそれしか思いつかないのだけれど。
ネリリさんの詠唱が始まる。
それと同時に、六人…いや、黒い鎧の男を除いた五人が、それぞれ武器を抜き放ち、こちらへ向けて走り始めた。
えーと…今のセオリー…あ、目の前に実例がいるわね。
「フェムヨノノ師!」
勢いをつけて走りこんでくる五人から目をそらさずに、ネリリさんがあたしに向かって叫ぶ。
「わかってます!」
だから、あたしも叫び返す。バカにしないでよね。
瞬間的に詠唱を終らせるあたし。元々とんでもなく短い旋律を持った魔法だ。
五人の頭上で光が弾けた。
赤魔道士のアイデンティティたる光の弱体魔法に、三次元空間ベクトルをかけあわせたもの。
ディアガと呼ばれる、一定範囲に存在する物体を脆くさせるように発動させる魔法だ。
幾人かの戦士達の回りに浮かび上がっていた幻影が、きらめきながら消えていく。
やっぱり、目くらましの分身を作り出すニンジュツ空蝉を使ってたのね。
どうも最近大流行だ…アホかとも言いたくなるぐらい。
それと同時にネリリさんとリンツが、やっぱり相手に向かって走り始めた。
リンツはいつも通り、あたしのフルーレと同じ紋章を刻んだバランサーを柄につけた戦士剣とバックラー。
どうやら黒い鎧の男は様子見らしいから、(ネリリさんが本当にクロスレンジで戦うつもりなら)あたしが一人、リンツとネリリさんはは二人づつを相手にすれば事足りる。
とは言え、当然それは危険な発想で。
だからあたしは後退しながら、まだ腰に収まったままのフルーレの柄を左手で握って魔力を通すと、土の精霊力で足を止める魔法バインドと、動きをのろくするグラビデの魔法を、槍を持ったヒューム、カタナの男に連射する。
騎士盾と戦士剣のナイトらしきガルカには、声帯付近の空気の振動を止めて詠唱不可の状態にするサイレスをぶち込む。
だいぶ離れていたから、赤魔道士のファストキャストをもってすれば、手順さえ間違えなければそのタスクを終了する時間には全く問題がない。
あたしがバックアップに回るとして、リンツとネリリさんに一人ずつ。
リンツはともかくとして…ネリリさんは。
あたしは戦闘モードに頭を切り替え、二手先、三手先を読み始めた。
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ところがあたしの先読みは意味がなかったようで、事は全く問題なく運んでしまった。
リンツはほんの数度剣を交わしただけで、ナイトのガルカの顔面に剣の腹をぶち当て、気絶させて沈めた。
タイマンにおいて魔法を封じられたナイトは、いかに永遠の扉を開く怪しげな教団の加護を受けているとは言え、教団の妄信的信者じゃない敵に対しては戦士と同等の能力しか持たない。
リンツは、次いで足止めの魔法が解けて向かってきた、槍を持ったヒュームの男と対峙に入る。
ネリリさんは、両手剣の男に黒魔道士の持つ一番詠唱が短い、強烈な電撃で瞬間的に肉体機能を強制停止させる魔法スタンをぶち込み、その隙に大きな短剣を相手の喉元に放り投げる。
それだけで、黒魔道士は紙兵の幻影の守りを一枚も失う事無く、両手剣の戦士を物言わぬ塊にしてしまった。
そして、グラビデの影響で足を引きずって追いついてきたカタナを持った男と対峙。
…強い。
正規の剣術の訓練を受けていて、こと我流剣術が多い冒険者相手を相手にしたタイマンでは無敵を誇るリンツが、この状況で強いのは当たり前だ。
ところが、獣人を相手にすることはあるとは言え、基本的には人型ではないモンスターを相手にしていて、対人戦を苦手としているはずのまっとうな冒険者ネリリさん。
彼女も相手をほぼ無力化して一気に殺している。
しかも彼女は、近接戦闘を専門としていない、というかその対極にある黒魔導士なのだ。
あたしはカタナの男に向けた再度のバインドを準備していたものだから、それには少し驚いてしまう。
だけど、彼らには魔道士がいない。勝負は決まったようなものなのだ。
兎角、戦士は魔道士、特に付与魔法の使い手を甘く見がちだ。
最初にあたしに襲い掛かってこなかったのが、その証拠。
それは甘すぎる考えだって思い知らせてやるのが、意地悪で捻くれた性格になることを宿命付けられた、全ての赤魔道士が果たすべき役目だ。
リンツの相手、槍を持った男が動き始めると同時に、あたしは一連の付与魔法を立て続けに詠唱していく。
リンツの動きを早くするヘイスト、相手の動きを遅くするスロウ、相手を麻痺させるパライズ、相手の視覚機能を奪うブライン。
相手が、あたしを残した厄介さに気がついてこちらを襲おうとしても、リンツがそれを許さない。
当然だ、対峙しているのと別の相手に気を向けた途端、敗北は決定するのだから。
甘い…甘すぎる。
最後にリンツが、槍使いの苦し紛れの一撃を掻い潜り、ゼロ間合いまで滑り込む。
そのまま勢いをつけた剣の柄で相手の喉を強打。
ゴフっと呼吸困難に陥る前兆の呼吸が夜の砂丘に響き渡った。
それで終り、男は、
「テメェ…ボゥ…」
と、潰された喉から搾り出すように呪詛を吐くと、そのまま仰向けに倒れてしまう。
「何考えてるんだかなぁ…全然戦術がなっちゃいないよねぇ」
リンツが剣を鞘に戻しながら、ボソリと呆れたように呟いた。
さて…『英雄』さんの方はどうかしら?
と思ったら、やっぱりもう既にそっちも終っていたようだ。
ただし、『英雄』の前には、リンツの前とは違って…人間だったものが二体。
「リンツァイス君、貴方、どうして殺らなかった?」
後ろ腰のバックから取り出したボロ布で三本の巨大なナイフを拭きながら、ネリリさんがリンツに問い掛ける。
しばらく顎をなでたリンツ。
「うーん…タイミング、かなぁ?」
こっちを見ながら言った。まぁそうじゃないかな。
でも、ネリリさんは『ハァ、なんだそりゃ!?』とでもいいたげな顔をしただけ。
あたしとリンツはそんな彼女を見て、クスリと笑いあう。
後ろからオノレとクィラ・リキゥが走ってきた。
「ねえさん、にいさん!」「お姉さま、お兄さま!」
叫びながら砂の上を駆け寄ってくる二人…なんかちょっとヘン。
夏の太陽とかウフフとかアハハとかそんなにこやかな状況が似合いそうな台詞なのに…実際は夜の砂の上の戦闘後。
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「へぇ? やっとか」
…違う、戦闘後じゃない。まだ終ってないわよね。
聞こえてきた意外に若そうな声の方に身体を向けて、駆けてきた二人の前を腕で遮る。タルタルの小さな手だから遮れないけど。
最後に残っていた男が、こちらへゆっくりと歩いてくるのを、あたし達は見守る。
その男は黒くてごつい鎧を着ていた。
兜は悪魔の頭部でも模っているのだろうか、角が生え、口は禍禍しいまでに開かれている。
兜だけじゃなく鎧の装飾も、とてもじゃないけどあまり言い趣味とはいえない。
「あなた…暗黒騎士ですね?」
あたしの斜め後ろにいたクィラ・リキゥが声を発した。
同類はわかるのかしら?
男は少女の質問には答えず、倒れた四人…二人と二体を見下ろした。
ため息をついて、そのまま声を出す。
「所詮こいつらはど素人だ。ウィンダスの英雄やエアハルトが殺せなかったヤツらを相手にしたら無理なのはわかってたんだよ」
なるほど。英雄やエアハルトの名前が出るわけね…まぁ当然かな。
この連中にあたし達の素性が知られてなければ、襲われる事もないだろうし。
でも、こいつらはあたし達とネリリさん、両方に用事があったって事なのよね。
それはちょっと意外だ。
「ならさ、どうして止めなかったのさ?」
口調は静かだけど、リンツの顔は厳しい。
当たり前だ。あたし達と彼らに実力の違いがあるとわかってて、それで止めもしなかったのだから。
実質的には、この男が連中を殺したも同じだ。
あたしとリンツは、もはや人を殺す事に罪悪感はない。
さっきリンツは命を奪うまではしなかったけれど、それはさっきアイツが言った通り、単にタイミングだけの問題だ。
お互いに害が降りかかるか、お互いの大事な人に影響が及ぶのであれば、例えどんな人が死のうがそれを阻止する。それを邪魔する人間には容赦しない。
自分達が最低の人間なのはわかってる。でも奇麗事を言うつもりはないのだ。
ブルストが言った、お互いのことしか考えられない、それは確かだ。
ギリと睨みつけるあたしとリンツの脇で、クィラ・リキゥとオノレが動いた。
若い二人は顔を見合わせる。それも一瞬の間、頷くと少女が一歩前に進み出た。
オノレもそれを黙って見てる。
「ちょ…?」
「お姉さま…私に」
ミスラの少女は疑問を発したあたしを見て、真剣な顔になった。
『私に』って、どういうことよ?
「クィラ・リキゥ?」
「え? どうしたのさ?」
あたしは戸惑う。リンツも彼女が何を考えているのかわからないみたい。
そんなあたし達の疑問は、それまで涼しい顔をしていたネリリさんが代弁してくれた。
「…なんだよ? 『英雄』が喧嘩売られてるんだぜ? あんたみたいなお子様が口を出すもんじゃないよ」
そのまま自分が前に出て行こうとしたのだけれど…クィラ・リキゥが両手に持った剣を横に振ってネリリさんの行く手をふさいだ。
いくらミスラがタルタルの次に小柄な種族で、操る両手剣がヒュームやエルヴァーンのそれよりも短くても、タルタル一人の足を止めるには充分な大きさ。
「おい、何の真似だ?」
機嫌が悪くなるネリリさん。声を荒げて。そのまま体の前の剣を押しのけ前に進んで行こうとする。
だけど少女が纏う白い鎧の背中から返ってきた、殆ど憎しみにも似た声が、ネリリさんの動きを止めさせた。
「『英雄』…ですか? 自分達のやったことが、私達『英雄』ではない人間にどれだけの影響を与えるかをおわかりにならない方に、そんな呼び名は不適切ですわ」
「…な」
ネリリさんは言いかけて絶句してしまう。
あたしとリンツは眉を顰めたんだけど、それでもネリリさんを庇う事はしない。
だって、あたし達は『英雄』でもないし『業界人』でもないからだ。
「ほぅ? なかなか殺気のこもった声を出すじゃないか」
クィラ・リキゥの声を聞いて一瞬楽しげだった黒い鎧の男。だけど、その声はすぐに怒りを含んだものへ変わる。
「しかしね、ミスラの少女の暗黒騎士ときたもんだ…ちゃんちゃらおかしいわな。大体こんなちびっこが何の業を抱えられるっていうんだろうな?」
黒い鎧と兜…禍禍しさを感じさせるプレート一式を纏うヒュームの男。
そのの前に立つ、こちらはバストゥークの鋼鉄銃士の制式なフルプレート一式を着込んだ、本当に小さいミスラ少女。
鎧だけが不釣合いなんじゃなく、下段で構える巨大な両手剣も彼女には不釣合い。
だけど、少女ははっきりとした口調で断言する。
「貴方は業を甘く考えすぎていらっしゃいますわね。暗黒騎士という能力が、どれだけ力のない人を救うのかもご存知ないのです」
「フン、暗黒騎士なんてものはなぁ、そんな上等なもんじゃねぇんだよ。殺し殺され、そんなんだ。お嬢ちゃんのようなのは、さっさと消えてしまえよ」
男は肩に担いでいた大剣を、脇に構える。
「やはり、闇の力というものがわかっていないのですね…先生が仰っていたことはこのことなのでしょうか…」
クィラ・リキゥも、構えは下段のまま、すり足でやや足を開いた。
一動作で身体をそのまま横にして、垂らした剣先とは反対側の身体を相手に向ける。
それは、普通の迎撃の構えとは違う。
通常、巨大な両手剣同士の戦いで迎撃を重視した構えと言えば、上段かそれに近い脇での構えだ。それらの構えは、相手の攻撃をすぐに払い落とし、そのまま攻撃に移ることを狙える。
だけど、今クィラ・リキゥが取っている身体を横にした下段の構えは、どちらかと言えば自分の一撃を叩き込むために剣筋の柔軟性を持たせたもので、相手の攻撃を防ぐための構えに比べれば、単純に速度で比較した場合遥かに劣る。
だけど、彼女はこの構えを選んだ。
一触即発。
あたし達…リンツもオノレも、そしてクィラ・リキゥに黙らされたネリリさんも、じっとそれを見つめる。
着けている鎧から判断するに、相手は『英雄』かそれに準じるレベルの人間だ。
一つ間違っただけで簡単に死ねる。
手を出した方がいい、止めた方がいい、それはわかってる。
妹弟子のクロスレンジでの戦闘の実力は、まだあたし達には未知数だ。
唯一オノレだけがそれを知っている…ううん、知らないのかも。
オノレの体術や剣技の実力は、本当に大した事はない。このエルヴァーンの少年は全ての種類の魔法を操る魔道士なのだから、それは当然の事だ。
だから当然、剣術において遥か先を行っている自分の伴侶の実力がどの程度のものなのか、レベルが下の人間にはわからないのだ。
なのに、オノレは何も言わず真剣な顔でクィラ・リキゥと黒い鎧の男の立会いを見つめていた。
その表情は自信とも取れる。
でも、あたしとリンツは、オノレみたいにはクィラ・リキゥのことを信頼できない。
…信頼できないってのはちょっと違う。そう、心配なのだ。
なんと言ってもあたしの大事な妹弟子だもの。
静寂は、少女の歌によって破られた。
砂の上に響き渡るあまり耳慣れない旋律。クィラ・リキゥが剣を下段に構えたまま、歌い始めたのだ。
それと共に、黒い鎧の男も声を上げる。こちらは魔法じゃなかったけど。
「そんなもん使わせるわけがねーだろーがよ!」
黒い鎧の男は、左足で砂を蹴る。
男の背中を始点としてスタートした巨大な剣の振りが、一気にクィラ・リキゥの頭上へ達し、その小さく可憐で上品に微笑む顔を潰しにかかろうとする。
「!!」
あたしは息を飲む。思わず手で目を覆ってしまいそうになったぐらい。
だけど、オノレはしっかりと目を見開いて、彼女の動きを見ていた。
そして、この少年の直感と信頼は間違っていない。
少女は…黒い暗黒騎士の頭上からの一撃を、ほんの少し右へのステップで避けていたのだ。
しかも魔法の詠唱を続けたまま。
極々最小限の動き、半歩もない。たったそれだけで英雄の剣撃を無効化してしまった少女。
勢い余った黒い大剣の先端が砂の上に力を失って落ちる。
そしてまた、すぐに元の位置へ足を戻す。
「!?」
黒い男は、声を出せないまま驚愕の表情になる。そこが一瞬の隙だった。
クィラ・リキゥが旋律を歌いきったのだ。
闇が男の体を包み込む。
「んなのは!」
気合を上げた男。それに伴い闇は掻き消される。だけどクィラ・リキゥはなんの焦りも見せなかった。
既に男の手はおぼつかず、砂の上に刺さった自分の剣を取り上げる時間は、熟練のあたし達が見ると、先程の初撃の踏み込みと振り下ろしに比べて遥かに遅くなっている。
全然精彩がない。
「く…!?」
また同じ姿勢に戻るヒュームの男と、さらに歌い始めるミスラの少女。
「させるか!」
またも袈裟切りで挑みかかるのに、クィラ・リキゥは、さっきよりも更に余裕でそれを避けてしまう。
またも男の周りに闇が広がり、
「…魔女…か!?」
足をもつれさせて倒れそうになる男が、愕然としたような目で叫びを上げる。
先程までは全然見えなかった、怯えのようなもの…それが男の顔には浮かんでいた。
「…闇の力を有効活用もしない輩が、よく吼えますね」
対して、クィラ・リキゥはどんどん冷静になっていく。
「最初はアブゾデック、次はアブゾアジル…」
後ろから見ているだけのあたしが、ポツリと呟く。
アブゾデックは器用さ、アブゾアジルは機敏さ、肉体によってもたらされるそれぞれの能力を奪い取り我が物にしてしまう吸収の暗黒魔法。
暗黒魔法を使ったり片手間に研究している人間は数多いだろうけど、両大陸でほぼ唯一その研究を専門としているビルルホルル先生とクィラ・リキゥの、まさに真骨頂だ。
「なんで…?」
疑問を発したあたしに、リンツが、え?っていう顔をする。
「先生のと同じぐらい…威力があるわ」
あたしは、喉の奥からその言葉を搾り出した。
「そう言えば…」
リンツもごくりと喉を鳴らす。
あたし達はかつて、先生が吸収魔法を使ってクゥダフ達と戦ったのを見てしまっている。
目を背けたくなるような狂気の宴。その時は吸収魔法って呪われた魔法だ…なんて弟子のくせに感じてしまったのだ。
でも、今目の前で少女が繰り出した吸収魔法は先生のそれと同等、なのに一片の狂気も見えない。
闇に飲まれなくても暗黒魔法が使える、暗黒騎士として戦える、それを証明するかのように、彼女の動きは自信に満ちて静かだ。
ビルルホルルの末弟子の少女クィラ・リキゥが選んだ戦い方は、まるで澄んだ水のような、そんな…。
負の感情を全く感じさせず、それでいて強力な暗黒の力を操る。
それがクィラ・リキゥという少女だ。
「そんな…アブゾースト以外のアブゾなんざ意味がない魔法だろうが!?」
黒い鎧を鳴らしながら、暗黒騎士の男は立ち上がれずに突いていた膝を上げる。
今度こそ決めるつもりなのだろう。息を荒くしてその巨大な両手剣を、剣先を上に向けたまま身体の脇に構えた。
だけど、その目の前で睨みつけられているミスラの少女は、今まで一度も剣を振っていないのだ。
それどころか、下段の横の構えすら解いてない。
本当にただ、ステップを踏んで避け、魔法を二つ使っただけ。
「貴方は恵まれた肉体を持つ故に、暗黒魔法の魔法の真価に気がついていないだけです。力なき者を守るのが、剣と暗黒魔法なのですから」
暗黒騎士は、クィラ・リキゥの言葉に憎々しげに反応する。
「ふ、フン、暗黒騎士は力が全てだろ?
「…」
「た、タルタルやミスラなんぞに暗黒騎士がつとまるわけがない」
すうっとミスラの少女の目が細くなった。そのまま冷たい声で言い放つ。
「では、その『英雄』の身をもって、自らの思考と現実認識が誤っていたことを実感してください」
彼は英雄じゃない。だけど英雄に準ずる存在だ。あたし達とは違う。
その言葉が出た時私の横でネリリさんが身を固くしたのが、あたしにはわかった。
「……」
リンツもそれに気がついたのか、ネリリさんの方を見た。
そうしてる間にも、ただオノレだけがクィラ・リキゥから目を離さない。
カチャリと音を立てて、少女はまたも下段で巨大な両手剣を握りなおす。
もう一人の暗黒騎士は、こちらも両手を両手剣を胴の脇に構えたまま、だけど先程までの魔法だけじゃなく、クィラ・リキゥの冷たい視線にも晒されて、ふてぶてしさが消えていた。
「嬢ちゃん、もしかして『闇なき暗黒』…」
「その呼び名を口にされるのは不快ですわ!」
暗黒騎士の不用意な言葉が決め手となった。
クィラ・リキゥは、冷たい表情のまま叫ぶ。そして…
ズザっ!
少女の右足が砂を蹴る。
クィラ・リキゥは、下段の構えのまま、砂の上だというのにほぼすり足の状態で一気に距離を詰める。
慣れてない人間が見たら、瞬間移動したようにしか見えない速度だ。
そして、闇の力でほぼ無力化された相手に、闇の力で強化された自分の力をぶつける。
少女が左足を相手の方向に滑らせたのと同時に、手にした剣が砂の上を走り、次の瞬間には大きく跳ね上がった。
禍々しい角をつけた悪魔を模った漆黒の兜が宙を舞い、その下から少女と同じ色…金色の髪が現れた。
./
…勝負あったわね。
今あたし達の目に映っているのは、左上に剣を振りぬいた形で静止している少女、そして兜を飛ばされた無防備な前頭部を巨大な剣の腹で殴りつけられ、昏倒した暗黒騎士の男だった。
やっと、身じろぎ一つせず、声を上げる事もなかったオノレが動く。
スタスタと自分の伴侶の側へ歩き出していた。
ホウとため息をつくあたしとリンツ。目を合わせて軽く微笑みあう。
よくやったと、末の妹弟子を誉めてあげたいわよね。
正直言って心配だったけど、クィラ・リキゥを一番心配しているオノレが、彼女のやる事を認めたのだから、あたし達がどうこう言うことじゃなかった。
オノレが信じた通り、きちんとクィラ・リキゥは勝ってみせた。
しかも同じ暗黒騎士を相手にして、その上、暗黒騎士の力を使ってだ。
「『闇なき暗黒』…そうか、『闇に響く歌声』、そして『闇の竜騎士』」
ネリリさんがポツリと呟いた。
「闇があってもなくても一緒か…いや違うな。元々闇の力は負の力なんてのは間違って…そりゃそうだよな。力を使うのは人間だ」
「え?」
あたしは彼女の言葉が何を意味しているかがわからなかったから、訊き返してしまう。
「あ、いや、我々が闇の力って呼んでるのは、一体何なんだろうなとな。世間がどう呼ぼうが、結局はそれは勝手イメージに基づいたものにすぎない」
「はぁ…」
なるほど、クィラ・リキゥは『闇なき暗黒』って呼ばれているけれど、実際には忌み嫌われている暗黒騎士の力を使っている。
しかも、闇に呑まれた暗黒、つまり先生や目の前で昏倒している男と同じかそれ以上の強さの力だ。
能力の違いはどこにもない。
闇に呑まれたとか闇を克服した、なんて普通の人が善悪の基準で判断するようなことは、現象を見たものではなくイメージでの判断に過ぎない。
暗黒騎士の力、竜騎士の力、そして吟遊詩人の力。
彼女達の呼び名が指しているものが、負のイメージだろうが、その負のイメージを強い意志で追い払った正のイメージだろうが、実態は何も変わりがない。
ただの能力、それだけだ。
納得しかけて、あたしは更に訊き返ちゃう。
「…って、闇の竜騎士って、アレスの弟子ですか?」
「そうだ、確か貴女達がディンをアレス君の所にやったと聞いてるけどな」
ネリリさんは、あたしとリンツを順々に見る。
「そうですけ…」
リンツが肯定しようとしたけど、ネリリさんは既に返事には興味がないようだった。
「私達人間は、闇は負の力と言っているけど、でも結局それは独り善がりなイメージに基づく決め付け発想でしかないのか」
あぁ…そういうこと? つまりアレスの弟子のあの子が選んだ道は間違ってないって、ネリリさんは『英雄』である自分と比較して彼女を見ている。
光の女神アルタナの尖兵とも言える存在…『英雄』として彼女とその仲間は今まで戦ってきた。
プロマシアによって創られた獣人を駆逐し、獣人たちを統べる存在である王を闇の力から解き放つという戦いだった。
だから、本当は彼女達が一番、闇が悪であると思い込みたいんじゃないかなって思う。自分がやってきた事を肯定するために。
もし光の力が正義ではなく闇の力が悪でなかったら、彼女達のやってきた事はなんだったんだって事になっちゃうから。
彼女達にとって、闇の力は悪の力でなければならない。
…『英雄』がそう思い込もうとしている故に、『闇の力』と言われている暗黒騎士の能力を振るう『闇なき暗黒騎士』クィラ・リキゥという少女は『英雄』を嫌う。
でも今、ネリリさんはしっかりと、闇の力がなんであるのかを認識したのだろう。
今はもうこの世界から消えてしまったアレスが思っていたことは、まだこの世界に残っているネリリさんにも受け継がれている。
で、昏倒してる男…どうしよう?
「さーて、縛り上げちゃう?」
試しに冗談ぽく笑顔で言ってみたあたしだったけど。
「フェム。なに楽しそうに言ってるのさ?」
リンツの冷静な突っ込みが入った。
冗談で言ったつもりなのに…あたしはちょっと慌てて弁解する。
「べ、別に楽しくなんかないわよ!?」
でも、
「ねえさん…楽しそうにしか見えないんやけど」
「そうですわね…お姉さま、少し浮かれてらっしゃいません?」
オノレとクィラ・リキゥからも、そんな突っ込みが入ってしまった
「ち、ちがう! あたしは!」
弁解も通じず、あたしは必死になってしまうのだけれど、
ネリリさんはちらっとリンツを哀れむような目で見た後、
「はいはい、フェムヨノノ師の性的趣味なんざどうでもいいから、さっさとこいつ引きずって中に入るぞ」
そんなことをのたまった。
…ゼツボーに落ちてしまうあたしだ。