外伝の外伝そのさん - 消える女 - 後編
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「さて…あんた、名前は?」
あたしは目の前の座っているヒュームの男に問い掛ける。
こっちは立ったまま、向こうは座っているけど、ヒュームとタルタルの背の高さの違いを考えれば、高所から見下ろして威圧感を与えられるわけもない。
元『闇に響く歌声』が借りていた部屋。
湿気を含んだ海からの冷たい風が、ガラス戸もない窓から吹き込んでくる、木造の粗末な小屋だ。
金色の短髪でいかめしい黒い鎧を着たうら若いヒュームの男が、床に直接胡座をかいて、壁に寄りかかっている。
当然、後ろ手にされて縄で縛られ……だーかーらー、あたしの趣味ってわけじゃないわよ!?
まぁ英雄に準ずる能力を持つ男だ。縄なんて意味がないだろうけど。
戒めの魔法をかけておくような大げさな話でもないから。
そう、さっきのクィラ・リキゥに打ち負かされた男。
鎧と同じくごつごつとした兜を脱いだ所から出てきた顔は、物凄い美形だったのだ。
爽やかそうな好青年。ニヤリと笑った日には、口元から覗く白い歯がフラッシュを放つに違いない。
これがどうして暗黒騎士なのよ?
「…名前は?って訊いてんのよ」
幾分機嫌が悪そうな声で繰り返すあたし。もちろん別に機嫌が悪いわけじゃなく、ただの演技だ。
あたしの後ろではレレレのおじさんのモノだった木のベンチとテーブルに、リンツ、オノレ、クィラ・リキゥ、そしてネリリさんが座っている。
「ハァ…悪の組織みたいだねぇ、僕らって」
冗談めかしたため息をつくリンツに対して、猫少女クィラ・リキゥはさっきのあたしのよりも機嫌が悪そうな声を発した。
「お兄さま、実際このウィンダスの英雄は悪の組織の人間ですわ」
「…おい、クィラ・リキゥ!」
オノレがさすがに嗜めるのだけれど、
「なんですのオノレ? 黙っていてくださらない?」
「あ、いや、僕はその…」
撃墜されるオノレ。
もちろん、妻に対抗できる夫なんて、この世には存在しないのだ。
どんなに普段威張ろうとしてみた所で、自分の奥さんが言う事に逆らえはしない。
リンツはそんな若い二人を見て、楽しそうに肩を軽くすくめる。
あたしとナタリアという二人を抱えているリンツは、今のオノレの状況をしっかりと把握しているということ…なのかしら。
でも、それに強い反応を示したのは言われた本人のネリリさんではなく、暗黒騎士の方だった。
ネリリさんはちょっと眉を寄せて機嫌悪そうにしただけだったのだけれど、金短髪の男の方は驚いたように目を丸くしたのだ。
「ウィンダスの英雄って…このお嬢ちゃんが、あのネリリか?」
「お、お嬢ちゃん!?」
素っ頓狂な声を上げたのは言われたネリリさんだ。
「あ、貴方とは…あ、会った事がないけどな、うちのリンクシェルに繋がりがある人か?」
明らかに狼狽した口調で返すネリリさん。
ええはい、いいですよ。この歳になってお嬢さんって呼ばれたんだから、しっかり狼狽して上げてください。
えーと…。
リンクシェルっていうのは、冒険者同士で組織する互助グループのようなものだ。
数人の小さなものから、伝説の幻獣達を狩り立てることを目的とした巨大なものまで、目的や規模は様々。
リンクシェル同士の繋がりもあるから、何かしらの繋がりがあるのかもしれないってことだろう。
「あんたの所とは特殊な時の流れる場所で一緒にやったことがあるよ…あんたは既にドロップアウトしてたけどな、話は聞いてる」
「そうか…私はさっぱり顔を出してなかったからな。エアハルトはラオグリムのためにまだ頑張ってるか」
感慨深げに過去の仲間のことを思い出しているのだろう。
一応そこら辺の話は、あたしだってスカイリッパー、今はウィッシュイーカーと呼ばれている仲間を通じて知ってることだ。
「で、名前は?」
あたしは話を打ち切らせる。
幾分晴れやかな顔になった暗黒騎士の男は、やはり暗黒騎士の癖に神聖魔法のフラッシュを歯から放ってくれた。
「ボウイって名乗っている」
…は? なんかよくわからない発音が出てきた。
「…お子様って名乗るなんて変わってるわね?
さっきは爽やかだったのに、いきなり怒り出す暗黒騎士。
「違う! ボーイじゃねぇ、ボウィーだ!」
…ごめん、まだよくわからない。あたしとリンツは首をかしげる。
オノレとクィラ・リキゥは納得した様子。
「ねえさん、バストゥーク風の発音にしたらボヴィーって所や」
「ああ…なるほどね」
綴りをなんとか想像できたあたし。
「け、だからバスの田舎もんはな…」
バス…バストゥークのことか。
口を歪めた短髪の男だけれど、リンツが、え?って感じで訊き返した。
「でもさ、あなたもバストゥークの人間だよね? バストゥーク古語のなまりがあるし。何で名前をジュノ風の発音にしてるのさ?」
「俺は今はジュノの人間だ! 田舎の人間と一緒にするな!」
やっぱりわけのわからない怒り方をするボウイとやら。
「ま、いいわ。そんなことは重要じゃないし…あたしが何を言いたいのかわかってるわよね?」
当然訊きたいのは、彼とその仲間にこの仕事を依頼したヤツが誰かって事。
他の生きてる連中は、とりあえずセルビナまで引っ張ってきて、そこに寝かせてある。
襲ってきた時の様子を見れば、この男がボス、もしくはこの男だけが依頼を受けて、他の仲間を探したんだろう、という事はわかる。
そういう場合、他の連中が事の真相、つまり『英雄』と『業界人』にまつわる話を知っているとは思えないから、放置しておいたのだ。
用があるのは、コイツだけ。
じろりとあたしが睨みつける横で、リンツは同じように男を覗き込む。
オノレとクィラ・リキゥは、こちらには顔を向けてない。
ネリリさんは天井を見上げて、考え込むような…それとも、レレレのおじさんが暮らしていた部屋の匂いに浸ろうとしているのか…そんな表情だ。
「は? あんたの言いたい事なんてさっぱりわからねぇよ」
ピクリとあたしのこめかみは引きつっただろう。
「小難しい理屈を並べ立ててわけのわからんことをやってる魔道士なんざ信用ならねぇ…俺達身体を張ってる戦士の役にも…」
ムカムカムカときていたあたしだったけど、後ろからとんでもない冷気が放出されたのに気づいて、振り返る。
ネリリさんだ。
やっぱり魔道士、それは否定しないと収まらないわよね。
黒魔道士は皮肉たっぷりの表情になっていた。
「フン、負けた奴が、その最たる原因の魔法を否定するなんて、呆れるね」
「ハァァあ!?」
口と眉と…いや、顔全体を引きつらせながら、男はいきなり叫んだわけで。
ちょっとびっくりしてしまうあたし達。
「…何よ?」
ジロッと見つめてやると、
「別に魔法は否定してねぇ! 俺だって魔法ぐらい使うぜ!」
自信満々にのたまってみせる、少女に負けた暗黒騎士。
後ろ手に縛られたまま、モゴモゴっと詠唱する。
え? 短い? 最速詠唱を誇る赤魔道士のあの魔法に匹敵する速さ…え、このメロディって…。
そしたら、一瞬の後、リンツが、
「うわぁ!?」
と叫んだかと思うと、またすぐに、
「あれぇ!?」
もう一度素っ頓狂に叫ぶ。
「どうしたのよ?」
「一瞬視界が真っ白になったと思ったら、またすぐに戻ってさ」
目が見えなくなって、すぐに戻った?
「ねえさん、それって…」
オノレが聞いてくる。彼は全ての魔法を扱うことをウリにする魔法研究者だ。
あたしはそれに頷き返した。
冗談で言ってたけど、まさか本当にフラッシュ…? 強力な、例の教団ご推薦の光を一瞬だけ相手に宿らせ、視覚を奪う神聖魔法だ。
でも、暗黒騎士が神聖魔法?
「驚いたか!?」
得意顔になってネリリさんの方を向いたボウイだったけど、
「サポナの暗黒だって?…サイッテーだな」
「はぁあああ!? カッコいい俺様に向かって何てことを! 大体テメー、何で黒が空蝉使ってるんだよ!?」
あたし達にはなんだかよくわからない会話だ。多分『英雄』達特有の法則の話なんだろう。
だから、とりあえず放っておく事にする。
結局の所、『暗黒』騎士も『聖』騎士の能力を使う。
能力は能力、ただそれだけの事だ。
さて、あたしは目線を意識を男に向けて、ジロッと睨みつける。
「本題、ごまかそうったってそうはいかないわよ」
高い位置から見下ろす視点、交渉を有利に運ぶための威圧感。
とは言っても、結局あたしはタルタルだから、縛られて座っている男よりもほんのちょっと高くなるだけだけど。
「なんだよ?」
ふてぶてしく見上げてくるボウイ。
よし、少しは成功だ。
「……依頼主は誰?」
あたしはもったいぶって呼吸をためてからから、厳かにその質問を発した。
リンツとネリリさんも、さっきまでの緩んだ(?)雰囲気を瞬時に消して、一転した厳しい表情でボウイ某を見ている。
事は、ただ単に冒険者たるあたしとリンツ、そしてネリリさんが襲われたという話じゃない。
『英雄』と『業界人だと思われてる』人間が襲われたのだ。
口をつぐんだまま、何も発しないボウイ。
ここで口を出してはダメだ。じっと見つめつづけるあたし達。
オノレと…というか、クィラ・リキゥはそっぽを向いていたけど。こっちの話には割り込まないように念を押しておいたからだ。
クリスタルの調理法だったら、クッキーが十回ぐらい焼きあがってしまうぐらいの時間が経過した。
いい加減緊張に耐え切れなくなったのか、ボウイがやっと声を出す。
だけど、それはあたし達にとっては予想外の質問返しだった。
「…アレス・ウィルマルクは知っているな?」
ボウイはジロリとこちらを見ながら、ボソリと訊いてきたのだ。
「アレス君がどうかしたか?」
最初に反応したのは、あたしやリンツじゃなくネリリさん。
ああ、そっか。ここ一番って曲面でアレスと一緒にやったんだから、当たり前か。
続けて目の前の縛られた男は、今度はニヤリとして再び質問で返してくる。
「それなら、『闇に響く歌声』とアレスの関係は?」
え、関係って…。
リンツがこめかみをポリポリ掻きながら答える。
「ただ単に、アレスさんはここセルビナで『例の試練』を受けたってのじゃないのかなぁ?」
まぁそれが順当な所だ。
「アレスさんが若いって事は割と後発組だったんだろうからさぁ、その時にもうレレレのおじさんがここに居着いていたとしても不思議はないよねぇ」
「まぁそうだな。それならもう一つ」
得意そうな顔になるボウイ。
「何よ、まだ訊き足りないわけ? その前にあたし達が訊いてるんだから答えなさいよ!」
今度は本当に機嫌が悪くなってるあたしだ。
「マウラとセルビナの関係は? 『闇に響く歌声』は何をやっていた?」
「!!」
あたしとリンツは息を飲む。
ネリリさんは、絶句。
オノレとクィラ・リキゥはよくわからず…というか、とりあえずこの子達は直接は関係ないことだから放っておくとして。
…そういうことなのね。
「つまりさぁ」
言いにくそうに、だけど口にするリンツ。
「『選別』と『育成』を『共有財産』として『利用』することを『促進』するための協力体制ってことだよねぇ?」
コクリと頷くあたしとネリリさん。
「とりあえず『闇の王』の問題は、可及的速やかに解決を図らなきゃならない、三国共通の危機だったってことよね」
「とても自国だけで、『選別』『育成』やってたんじゃ間に合わないわけでさぁ」
「そこでレレレみたいなのが活躍するってわけだな。マウラとセルビナ、両方が持っている英雄候補の情報を各国政府に対してガラス張りにして共有するために」
あたし達は口々に納得する。
「お互いに確保している人材を財産として共有化する…そのために、セルビナとマウラ両方にサポジョブを教えられる人間を置き、三国でその情報を共有する」
「レレレのおじさんは、その情報を流す存在だったということかなぁ。イザシオ爺はタブナジアの騎士…サンドリア以外の国には直接関係ない人だから、サンドリアの都合がいいように『例の試練』を受けに来た新米冒険者の情報を隠蔽する可能性もあるよねぇ」
「だから、バストゥークとウィンダスがサンドリアを牽制するために、隠れ蓑としてセルビナ警備隊を結成させて、イザシオ爺を監視させた」
「聞けば聞くほど嫌になってくる話だね…レレレのことだけどさ」
「つまりアレかぁ、僕らはレレレのおじさんが書き残した、報告されてないかもしれない『英雄達の詩』を持ってる」
それが公開されることによって、不利益をこうむる、もしくは不利益でないにしろ、利益が減る人達。
つまり、
「君の依頼主は、『英雄』達の情報を他に漏らしたくない、国の指令を受けて動く『業界人』かぁ」
そういうこと。
でももう一つ絞り込みできるわね。
「しかもそれによってイザシオ爺が得た情報を独占できる立場…サンドリアの人だねぇ」
そう、それがコイツの依頼主、あたし達を始末して利益を得られる人間の条件だ。
「…テオフィルって野郎か」
ネリリさんがギリと歯を鳴らして憎々しげに呟いた。
ボウイはニヤリとして、
「俺は何も言ってないぜ。依頼主の名前を明かすなんざ、仁義に反するだろ」
まぁなんというか、無言の肯定…をした。
もうここまで来てしまえば、あたしやリンツは驚かない。
ある程度予想がついていた名前だ。あたし達だって無能じゃないんだから。
テオフィル…サンドリアの神殿騎士団に所属するエルヴァーン。
神殿騎士団らしくあたしの同業、つまり赤魔道士だと聞いている。
そして勿論『業界人』だ。
ネリリさんは、腕を組んで一頻り考え込んだ後、キッと視線を上げる。
「で? 貴方はどうしてそんな依頼を受けた? その言い方だと、テオフィルの正体、レレレやアレス君が何をやったのか、そしてここにいるスクラッパーのことも全部知ってるってことだよな?」
即時にあっけらかんと返ってきた答え。
「あぁ。俺は『英雄』になりたいんだ」
後ろの猫耳少女から、冷気と怒気が入り混じった魔法力が発散され始める。
いやまぁ、確かに絶句モノだ。
少なくともあたし達やネリリさん、そして『英雄』という存在が何であるか、どうやって『英雄』が作られたのかを知っている人間にとっては、唖然とする願望でしかない。
とは言え、彼らまっとうな冒険者にとって『英雄』になる事は、一番大きい目標であることは確かなのだ。
納得できなくは…ない。
「どうしたら、俺もあんた達の仲間に入れる?」
今までとはちょっと違った真剣な口調でネリリさんに聞くボウイ。
だけど、訊かれた方はため息混じりだ。
「…関わらないほうがいいよ、あの種類の連中にはね」
「どういうことだ?」
「もし貴方が『英雄』になりたいんだったらな。よほどの幸運がなければ、たちのいい『業界人』には出会わない」
ふむふむ。
「つまりネリリさんは、たちのいい『業界人』に当たった、よほどの幸運者ってことですか?」
あたしは素直に訊いてみたんだけど、黒魔道士には睨まれただけだった。
「誰かに道を聞いてそれを辿るならば、それは『英雄』とは言えないだろう?」
とくとくと説教をする小さな英雄。
「まず、貴方がこの英雄嫌いの少女に負けた理由をじっくりと考えてみればいい」
なんともまぁ、命を狙われた人間に対して親切なものだ。
もっとも、普通の冒険者というのはそんなものなのかもしれないわね。
「…なら、嬢ちゃん」
ちょっと考えた後に、暗黒騎士は、もう一人の暗黒騎士に問い掛ける。
「なんですの? 今度は本当に殺されたいのですか?」
「いやいや、ビルルホルル師は、暗黒魔法の使い方について本か何か書いてるのかい?」
え? それって…つまり、
クィラ・リキゥは、じろりとボウイを睨みつけながらも、冷静に答える。
「新しく正しいものは、常に迫害されます」
「…なんだって?」
「先生はウィンダス流では異端ですので本はないのですが…バストゥークの工務省の研究紀要や、ウィンダスの目の院が発行している学術雑誌には、数多く論文が入ってるかと」
暗黒魔法の研究を専門としているために、どちらかと言えばウィンダスの本筋の魔法研究者達からは疎まれているのが先生なので、単一の本を出せるほど地位的余裕がないのだ。
「ただし、工務省の魔法研究関係の資料は、ルシウス補佐官かそのオブザーバしか閲覧できないものも多いですから、あなたは見られないでしょう。私に頼っても無駄ですよ?」
「別にあんた達を頼る必要なんかねぇよ。ルシウスに直接頼めばいいだけだ」
「そうですか、ならご自由に」
その言葉とは裏腹に、ビキリと音を立てて、ミスラの少女のこめかみの血管はブチ切れたはずだ。
…ま、いいわ。
英雄に準ずる存在なら、ルシウス補佐官と信頼関係があってもおかしくはないのだ。
「で、どうするの?」
「なにがだ?」
「あたしはあんたを放り出すつもりはないわよ?」
さすがに命を狙われてそのままってのは、お人好し過ぎる。
ネリリさんは別になんとも思ってないみたいだけど、何らかのペナルティを払わせなければいけない。
もちろんネリリさんがいなければ劣勢に立たされていたかもしれない。
クィラ・リキゥにしても、相手が自分と同じ暗黒騎士、でも魔道士として修行をしたことがない相手だからこそ勝てたのだ。
ところが、ボウイは素っ頓狂な声を出す。
「はぁ? そのまま放り出してくれるだろ?」
「…なによ、それ」
この状況がわかっているの?
あたしが怪訝な顔をするや否や、ボウイはいきなり立ち上がった。
「なによ!? それ!?」
思わず叫んでしまう。だってだって…固く縛っておいたはずなのに。
リンツとネリリさんが顔色を変えて、オノレとクィラ・リキゥもダッとベンチから立ち上がる。
「甘いって事さ!」
後ろ手に縛られている時から持っていたらしい、帰還の魔法をプレキャストしてある呪符。
ボウイがピッと札を横に放り投げると、札はまるで意思を持ってるかのようにひらりと彼の頭上に上って…
そして、何もなくなった床にふわりと落ちる。
ムッカー!!
「あったまにくるわね!」
あたしは怒りを抑えられずに叫んでしまう。
ところがリンツは涼しい顔。
オノレとクィラ・リキゥも気にしてないみたい。
ネリリさんは言わずもがな。
きっとこういう御都合主義な展開に慣れているのだろう。
「フェム〜。別にいいじゃんかぁ?」
あたしの歪んだ顔を見たリンツが、呆れ顔半分笑顔半分の顔で諭してくる。
「リンツ! あたし達が虚仮にされたってことなのよ!? わかってる」
「でも、情報くれたじゃないかぁ。こっちは誰も傷ついてないんだし、悪い状況じゃないよ」
「う…」
そ、そりゃ確かに、テオフィルやレレレのおじさん、そしてアレスとマウラの繋がりが浮かび上がってきたから、こっちにとっては一応プラスだった。
けどさ…
まだ納得していないあたしが言い返そうとした時、
「行ったか…」
「「!!」」
なに!?
粗末な小屋の入り口の板戸の隙間から、そんな声が飛び込んできた。
「誰だ!?」
リンツのモードが切り替わり、壁に立てかけていた剣の柄を握る。
オノレ、クィラ・リキゥの二人も既に厳しい顔になっている。二人とも魔法の詠唱に入れる体勢だ。
勿論あたしも、右手を印を切る直前まで動かしている。
どうしよ、狭い小屋の中で戦うためには…魔法で速攻片付けるのが一番。
オノレとクィラ・リキゥもそのつもりになってるはず。
ところがネリリさんは、横に伸びた耳をピクリと動かしただけで、戦闘体勢に入ろうとはしない。
その理由は。
「…大丈夫だ。私の知ってる人間だよ。そして多分貴女達も知ってる」
知ってる人? どういうこと…もしかして。
「入ってきな。ただし、こっちは私達と同じ強さのが四人いるよ。変な考えは起こさないことだね」
穏やかに、だけど幾分緊張した声で、戸口に向かって呼びかけるネリリさん。
古びた木の戸を音も立てずに開いたのは、エルヴァーンの男。
エルヴァーンの年齢はあたしにはよくわからないけど、少なくともオノレよりも年上。
というか、オノレぐらいの年齢の子供がいてもおかしくないぐらい。
ネリリさんは彼の姿を視認すると、皮肉気に口の端を多少歪ませた。
…やっぱりね。
「ネリリ…遅かったな」
この男がサンドリアの英雄…なのだろう、多分。
中途半端に長い黒髪を総髪にして後ろで縛り、髭を生やしている。
格好は緑色で腹を出したベストと、同色の膨らんだズボン、そして両腰に巨大なナイフを吊るしている。
「イニャス…」
それが彼の名前だろうか、呼ばれた壮年のエルヴァーンは、ジロリとネリリさんの腰のあたりを見つめた。
男と同じく、というか、それ以上に大量のナイフがぶら下がっている
「まだアレスのたわごとの布教活動をやっていたのか?」
たわごとって、魔道士サポ前衛論のことなのかしら。
「ふん、そんなものは私の勝手だろう」
ネリリさんは面白くなさそう。
「貴方がレレレの後をやってくれてたんだってな?」
代りの人が来るって、レレレのおじさんは言ってた。この人がそうなんだろうか。
『闇に響く歌声』が消えてから一週間程度。この人がやってくれていたってことだ。
「ネリリが来たからもう終りだ。俺はジュノに戻る」
「そっか…エアハルトによろしく伝えておいてくれ。それと貴方の奥さんと娘さんにも」
「ああ、それじゃあな」
「え…ちょ…」
あたしは思わず声を出してしまう。
この人は、あたしやリンツには直接関係のない人だ。
だけど、一時的にとは言えレレレのおじさんの後継をやっていた人が、しかも同じリンクシェルの仲間であるはずネリリさんとたったそれだけを話しただけで、目の前から消えてしまう。
いったいどういうことよ!?
あたしの軽い憤りが伝わったのか、イニャスさんは、あたしとリンツの方に向き直った。
「…フェムヨノノ師とリンツァイス師範だな?」
見つめられて名前を問われる
「え、あ…」
「そうです」
あたしが戸惑ってるうちに、リンツが答えてしまった。
「話は聞いている。レレレの最後をよく見取ってくれた。俺からも礼を言う」
さっきのネリリさんとの会話はぶっきらぼうに聞こえたけれど、あたし達に向かっては礼儀がいい人らしい。
「いえ、あたし達は…その…」
「僕らはレレレのおじさんから依頼を受けて、それを果たしただけです」
リンツがきっぱりと、でもにこやかに断言する。
それにつられたのだろうか、サンドリアの英雄も顔をふっと緩める。
「そうか。しかし彼の仲間として言わせてくれ。ありがとう」
「…」
顔を見合わせるあたしとリンツ。
まぁお礼を言われても困るだけだけど、嬉しくないという事もない。
ところが、男はそれだけを言ってすぐに身を翻す。
「じゃあな」
戸に手をかけて出て行こうとするエルヴァーンに、ネリリさんは思い出したように訊いた。
「そうだ。ファブリツィオっての、覚えているかい?」
え? その話が出るの?
ちょっとびっくりとするあたしとリンツ。このネリリさんという人は、『英雄』のくせにどこまで知っているのだろうか。
しばらく顎をなでさすった後、男はつまらなそうに答えた。
「竜騎士のガキだろ? そう言えばアイツはセルビナ出身だったな。レレレと仲が良かった」
「ああ、レレレの事は彼からも聞いたんだ」
「そうか、アイツがどうかしたか?」
平然とそんな答えが返ってきたから、ネリリさんは愕然としたようだ。
あっけに取られた様子が、表情にありありと出てる。
「…知らないのか?」
「何をだ?」
苦虫を噛み潰したような、エルヴァーンのおじさん。
「なら、エレノアという女は?」
ネリリさんからの再びの質問に、今度は驚いた様子。
「…知ってるんだな?」
「俺は、お前がその名前を知っていることに驚いてるぞ」
「知らない事はない。魔道士だからな」
済ました顔で返答するネリリさん。
一瞬の後、クククと苦笑の声が響きだす。
サンドリアの英雄が笑っているのだ。
「いやいや、ネリリよ、それは一般人に向かってしか通用しない台詞だろうが。冒険者が魔道士が万能じゃないことを知らないわけがない」
まだ笑いつづける男に対して、ネリリさんは今度は憮然とした顔になってしまった。
「街の人達は、魔道士の英雄は万能だと思ってるぜ」
「ああ、そういやアレスもそんな愚痴をたれてたな。『いっそのこと万能だったらどれだけ楽か』とかな…ククク」
…笑い事じゃない。
「エレノア司書官は俺の、というか俺の娘の恩人だな…リュシアン近衛騎士もそうだ。お前が何か知ってようが、それには俺は関わらないぜ」
そこまで言って、イニャスさんはネリリさんをじっと見つめる。
数瞬の後、視線をそらして、
「『英雄』同士で敵対するのはバカらしいだろ」
…毒されてるわね。この男。
「ネリリ」
もう声をかける対象にも振り向かないサンドリアの英雄。
「『じゃあな』」
最後にそれだけを言うと、粗末な木戸を開けたまま外に歩いていった。
「ああ。『じゃあな』」
海からの冷たい風が吹き込んでくる戸口に向けて、ネリリさんはポツリと返事の返ってこない呟きを口にしていた。
『じゃあな』か…
思わずリンツの方を見てしまうあたしだ。当然リンツもあたしの目を見てきた。
その言葉に隠された英雄達の想い。それがあたし達の心にも突き刺さってくる。
./
「それじゃねえさん、にいさん、行って来ますわ」
「お姉さま、お兄さま、くれぐれも『英雄』に篭絡される事のないよう」
「はいはい」
「気をつけてねぇ」
「わかっとります」
若い二人は、朝日が照りつける砂浜へ向かって駆け出していく。
この間レレレのおじさんと一緒にやった事の続きだ。
ついこの間まで、オノレもクィラ・リキゥもあたし達に見守られる立場だったのに、今は新米冒険者を守る側になっている。
レレレのおじさんがやってきた事。常に若い冒険者を見守る事。
セルビナ警備隊の創設者レレレのおじさんは、バストゥークとウィンダスから出されたイザシオ爺の監視や見所のある新米の情報集めなんて、本当はやってなかったんじゃないかなって思う。
だからといって、彼はサンドリア政府の味方ってわけでもなく…多分冒険者達の味方なのだ。
風を入れるために戸を開け放したままにして、あたしはテーブルに戻った。
そこにはリンツとネリリさんがいる。
オノレとクィラ・リキゥを外に出したのは、『スクラッパー』として『小さな英雄』と話したいことがあったからだ。
潮の香りと、あたし達の前にそれぞれあるウィンダスティーの香りが混じりあって、少しわびしい気持ちになる。
ここはいつも暑いけれど、そろそろ夏も終り、次の季節に移る気配が風に乗っている。
湿気が真夏とはちょっと違う感じだ。
「あの暗黒騎士の少女を見たおかげだ…」
「「…?」」
ポツリと呟くネリリさん。
あたしとリンツは彼女が何を言っているのかがわからず、揃って首をかしげる。
「いや…なんだかな…私は小さな英雄で間違ってないと思ったんだよ」
「「…?」」
まだわからない。
あたしとリンツの首の傾きは、もうちょっと大きくなる。
「闇の力も人々を救えるんじゃないか…何を恐れる必要もない。ラオグリムとの戦いで私が感じた事は間違っちゃいない」
「「…はぁ」」
そう頷くしかないあたし達だ。
「まぁいいさ…」
ネリリさんはそう言って、ベンチの上に足を組みなおす。
レレレのおじさんが使っていた家具だから、当然ヒュームサイズ。
普段からヒュームサイズに慣れているあたしはともかくとして、ネリリさんにはちょっと辛い。
「で、だ」
テーブルの向こうの黒魔道士は、あたしとリンツに顔を向ける。
「なんです?」
「私がわからないのは、どうしてアレス君のお父様があたしに頼んできたのか、ってことだ」
ギロリと睨みつけてくるネリリさん。
「おまけにファブリツィオまで同じことを言う」
ファブリツィオって、たしか件の竜騎士のことよね。
「同じことって?」
「…セルビナ警備隊を継げってな」
「あぁ…なるほど」
「『アレス君のお父さん』? …あ、ウィルマルク師範の事かぁ」
「ウィルマルク師範に頼んだのはあたし達ですから…」
「そうなのか?」
「ええ、あたし達の名前で出すよりもね…それに」
「なんだい?」
ピクっと片眉を吊り上げたネリリさん。
「アレスも同じ事をあなたに望んでいたと思いますよ。レレレの叔父さんだけじゃなくてね」
「……」
テーブルを挟んで座っている小さな英雄は、両目をまんまるくしたかと思うと、いきなりうつむいて、ふっと微笑んだように見えた。
つられてあたしとリンツも微笑んでしまう。
それにしても…。
聖なる竜騎士がレレレのおじさんの希望を伝えた?
…どういうこと?
リンツと二人でそんな視線を交わしていると。
「話は聞かせてもらった! そりゃ違うぜ!」
ドアがバンと開けられて、意気揚揚とした若い女性の声が飛び込んできた。
ハッハッハッハ! なんて笑い声でも聞こえてしまいそうな登場の仕方だ。
ネリリさんといい、サンドリアの英雄といい、この娘といい。
今回は何でこうもドアの向こうから現れる人達ばかりなの!?
「…あんたねー」
「ハァ…いきなり現れるにも程があるんじゃないかなぁ?」
あたしとリンツは、やっぱり同時に頭痛に襲われてしまったわけで。
ネリリさんは、まだノックがあったからよかった。今度はいきなりだもの。
「丁度良かった。会ったら文句言おうと思ってたのよ。あたし達のこと触れ回りすぎよ?」
「そうだよ…僕らにその気はないって」
逆光が作り出す猫の耳を持った人影に向かって、あたしとリンツは文句を言う。
「誰だ?」
突然の乱入者に一瞬身構えたようなネリリさんだったけど、あたし達の様子を見て、敵対者じゃないことは感じたようだ。
「あー、すぐ行くから気にしなくていいよ。私ゃこの人達の舎弟だ」
お気楽な答え方をする人影。頭の上の耳の影が、ピクリピクリと動いている。
この子の耳がそういう動き方するのは、楽しんでいる時だ。まったく…人を出汁にして楽しむなんて。
「舎弟って、そんな言い方しないで! まるであたし達がやばい人みたいじゃない」
だけど、そんな文句も彼女にはてんで効かない。軽く肩をすくめられただけで簡単に回避されてしまうのだ。
「…で、違うって何さ? あ、入ったら?」
リンツが促したんだけど、彼女はそのまま砂浜の夕焼けの逆光を浴びたまま立っている。
「口の院の二人だけが、ねえさん達と同じじゃないって事だよ」
「他に誰が? …まさか」
「その通り。リュシアンさんも同じ事考えたんだな…まぁ私が頼まれたのは口の院の二人を支援してくれって事だったんだが」
ピクリと反応するネリリさん。名前に反応したのだろうか?
「へぇー。ってことは、エレノアさんは蚊帳の外?」
「リュシアンさんは、エレノアには徐々に慣らさせていくつもりみたいだ。まだエレノアはそんなに図太くないしな…ねえさん達の手元にあるのは?」
「『闇に響く歌声』が書き残した英雄達の歌。それと老人ネットワークの全面的な協力。特にウィルマルク師範とアズィマ師範のね」
あたしはきっちりと答える。この子には隠したってしょうがないから。
「…なるほど、そりゃ強力だ。了解。なら私は早速ウィンダスへ行くからさ」
背を向けて走り出そうとする人影。なんともあわただしい事だ。
「え? チョコボでバストゥークまで行ってから飛空挺じゃないの?」
ここセルビナからウィンダスの首都までは結構長い道のりだから、少しぐらい休んでいったって、そう罰はあたらないはず。
そう言ってあたしは彼女を留めたのだけれど、
「いや、メアに直接飛ぶ。テレポしてくれる人にはもう当たりつけてるんだ。待たせちゃ悪いからな」
すげないお返事だ。まぁついこの間も会ってるんだから、別に旧交を温めるってわけでもない。
「あのさぁ、舎弟って言うんなら、お土産ぐらい持ってきてもいいよねぇ?」
恨めしそうなリンツ。寂しいのかもしれない。
そしたら、ポーンと小さい麻の袋が投げ込まれてきた。
「ほい、サンドリアティーのファーストフラッシュ。ちょっと遅かったかもしれないが、香りは閉じ込めてあるから大丈夫だろ。エレノアご推薦だ」
その言葉を最後に、ミスラ特有の軽い足取りで走り去っていく音が聞こえてきた。
「はぁ…あの子も忙しいのね」
「お茶ぐらい飲んでいったっていいのにさぁ…」
リンツはつまらなそうだ。
あたしがキャッチした麻袋を開けてみれば、そこには硝子の小瓶。
中には、綺麗によじれたかなり大きいコヨリみたいな…つまり見るからに質の高いサンドリアティーのお茶の葉が入ってる。
「ま、一段落ついたら顔出すでしょ。お茶淹れ直すわ…ネリリさんはサンドリアティーは大丈夫ですか?」
瓶を窓の方にかざして、お茶の葉の色を見てたあたしは、ふと気付いてネリリさんの方を見た。
そこには…ポカンとしているタルタル女性が一人。
「あの…大丈夫ですか? 突然ですいませんでしたね」
「あのミスラは一体…というより、貴女達は…」
そこでネリリさんの顔が引き締まって、厳しい目つきであたし達を見つめてきた。
「スクラッパーは国の命令を受けて動くヒドゥンサポーターなのか?」
…も、いい加減にして欲しいわね。
隣でリンツが深くため息をついてる。
「僕達はその反対ですってば。国や世界の事なんか考えないで、自分勝手に動くのがスクラッパーなんです」
「何度同じ言い訳を繰り返せばいいのかしら?」
あたしも肩を落としてため息をついた。
だけど、ネリリさん、まだ厳しい顔のまま。
「…んじゃ、貴女達の目的を教えてくれないか? ルシウスとも関係ない所で動いている、おまけに…レレレの詩を持ってるだと?」
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あたしはリンツと目を合わせる…一瞬で合意に達しちゃった。
「アレス=ウィルマルクの弟子だけが、彼がこの世界にいた証拠じゃないですから…かと言って『英雄』がなしてきた事を喧伝するのも、無用の混乱を招くだけです」
「…その通りだ」
少し逡巡して、それからネリリさんは頷いた。流石に英雄さんは自分が為した事の意味と影響をわかっていらっしゃる…これは皮肉よ?
「だから、僕らがやろうとしてることってごく簡単な事なんですよ…『英雄達の詩』をこの世界に広めていく事。もちろん、名前はぼかしてね」
リンツは、そこで一旦言葉を区切る。
「そしてアレスさん…希代の赤魔道士がどれだけ街の人達のために戦ってきたのか、それをバストゥークの人々にわかってもら……」
「それは危険だ!」
リンツが言い終わらないうちに、ネリリさんが叫んでそれを止めてしまった。
「危険って、何がです?」
「貴女達も言っただろ!? 英雄のやってきた事は、一般の人達に伝えてはいけないんだ! そんな事をしたら、世界は混乱に…だから、私達は何も伝えずに…」
「だから名前や具体的な所はぼかして…あくまで、歌として、ですよ」
「しかし……」
納得できなさそうなネリリさん。
「でもさネリリさん」
リンツが言葉を繋ぐ。
「普通の人達が英雄譚を語り継ぐからこそ、次代の英雄になろうとする人達が生まれるのも確かですよねぇ?」
この世界、この時代の冒険者達は、クリスタル戦争の英雄譚を聞かされている。
エアハルトだって、このネリリさんだって、そんな英雄譚がない世界だったら、きっと英雄になるほど冒険者を続けていなかっただろう。
「う……」
黙ってしまったネリリさんだった。
「そして、あなたがこれからやるべきこともありますよね?」
「…何をやれって?」
「別に強制するわけじゃないですけどね…あなた、消えようと思ってませんか?」
「……」
答えないネリリさん。ってことは、やっぱりこの人、消えるつもりなんだ。
「…まさか、あたし達に見取って欲しいなんて、言いませんよね?」
「何の話だ?」
訊き返してきたものだから、あたしは少しほっとする。
「あたし達に一方的に押し付けていくんですか? レレレのおじさんがこの世界にいた証拠を伝えていく事を」
「レレレがこの世界にいた証拠だって?」
あたしの言葉に面食らったようなネリリさん。
「だってそうでしょう?」
あたしは澄まして言う。
「ネリリさん、あなたが消えてしまうのであれば、最後に稀代の吟遊詩人の願を聞いたあたし達がやらなきゃいけない。その能力もないのに」
「あたしとリンツは、アレスやレレレのおじさん…消えてしまった彼らは、何かの想いをこの世界に残していきたかったんだと考えました」
「レレレのおじさんは、確かにバストゥークとウィンダスのミッションを受けた、ただの冒険者だったのかもしれないけどさ」
「……」
元英雄候補…ただの冒険者だったはずのレレレのおじさんは、いつの間にか各国政府が用意していた『ストーリー』から外れてしまった。
彼自身が強すぎたのか、コントロールが効かなくなったのか…そんな所なのだろう。
だから、彼の『シナリオ』は変更され、こんなセルビナ警備隊のようなミッションを出され、それを遂行せざるを得なくなった。
「でも、彼はセルビナ警備隊を、ただのミッション、そして政府の隠れ蓑では終らせなかったんですよね」
「セルビナ警備隊と、そしてレレレのおじさんがやってきた事は、新米冒険者にこの世界のことを教えて、仲間と協力して戦う術を教えて、そしてこの世界の素晴らしさを教えたっていうことです」
それは、この世界を愛し、この世界に生きる人達を愛するという、彼自身の想いを伝えるということなんだと思う。
「あなた達英雄は、あたし達みたいな一般の人間の心を動かす力を持ってるんですよ。なのにそれはその場限り、後には残らない…なぜなら」
「一般人の僕らは、それが出来る能力を持ってないからです。人の心を動かせない僕らは、同じ理由で人の想いを受け継いで語ることも出来ないんですよねぇ」
そう、人の心を動かすのは、英雄やその立場に立った人達だからこそ出来る。
あたし達みたいな、自分勝手に冒険をするだけ、世界の存亡なんか関係ないなんて人間は、人々の心に響くような言葉は歌えない。
「だからあたし達は仲介役をするんですよ。英雄達の想いを繋ぎ止め、蒐集し、そして織り直してまた次の時代の英雄に渡す…」
「…『スクラッパー』か」
あたしとリンツは、コクリと頷く。
紙切れ束の蒐集者、銀鉄の再生者…街の人々から与えられたその称号。まぁそれはそれで気に入ってる。
でもさ、せっかくスクラッパーなんだからさ、本や貴金属じゃなくたってスクラップしたっていいわよね?
「だから、あたし達には英雄が必要なんです。あたし達だけじゃ想いは繋げられない」
そう、あたし達のような英雄以外の冒険者が存在するためには、英雄の存在が必要なのだ。
「最後に、レレレのおじさんが最後に望んでいたことを、伝えます」
あたしは息をすうっと吸って、そして目の前の英雄を見つめた。
伝えるべき事は二つ。
「まず、一つは自分が消えたことを、あたし達があなたに伝えて欲しい、ということ」
コクリと頷くネリリさん。
「これは、あたし達がウィルマルクさんを通じて、あなたに知らせました。問題ないですね?」
確認するあたし。
レレレのおじさんの、最後の仕事の依頼。もう契約履行の確認は本人とは出来ない。
だから、彼女に対して、あたし達はきちんと仕事をしたんだよ、って伝えておく。
…確かに、消えてしまった人間との契約の終了の確認には、全く意味がないことだ。
実際にはやらなくたってよかった。でも…
「そして二つ目。もう先ほどから話をしてますけど……改めて面と向かって伝えます」
ネリリさんが姿勢を正した。
「『闇に響く歌声』は、あなたにセルビナ警備隊を継いで欲しい、と」
真剣な顔でこちらを見つめていたネリリさん。
彼女の眉は歪んでいって、そして数瞬後には、晴れやかな顔になっていた。
「ああ……確かに伝えられたよ」
よかった。これでレレレのおじさんの依頼を果たすことができた。
「だけどな、私にはわからないんだ。レレレのような政府の犬みたいになれって? 英雄も所詮そんなもんだって? 私には消えることを許さないって?」
「それは違…」」
「フェム」
言いかけたあたしをリンツが遮る。
そっか…そうよね。ネリリさんだってわかってる。
『闇に響く歌声』は惨めなものじゃなかった。彼自身の想いで、彼自身の理想で、この世界に生きた人。
「まったく…」
目の前のタルタルの女性の、寄せられた髪と同じ赤毛の眉はだんだん八の字になっていき…口も歪んでいく。
「レレレはどこまで勝手なんだ…」
遂には、塩を含んだ水が頬を伝って、ぽたりと彼女の青いローブの胸に落ちた。
「グスっ…私の気持ちなんて完全に無視してさ…ずっとそうだった」
嗚咽がどんどん激しくなっていく。
「自分は勝手に消えておいて…ヒック」
あたし達には、かける言葉を見つけられない。
彼女達『英雄』やその『支援者』達は、何を思って、この世界で生き、そして消えていくのだろうか。
その時、粗末な部屋の開け放した窓から、潮風と共に子供の歌声が飛び込んできた。
「!? これは…レレレの…」
「そうですよ。一人の少年が彼の歌を歌っているんです」
あたしはにっこりと笑ってみせる。
書き残した英雄の詩ではないけれど、レレレのおじさんが書いて歌ったものだ。
このセルビナという町に、希望を持って乗り込んでくる新米冒険者達と、逗留するベテラン冒険者達の交流をやさしい言葉で紡いだ詩。
伴奏楽器としてハープの爪弾きを想定しているのか、とても優しいメロディ。
しばらく懐かしむように聴き惚れていたネリリさんは、ふと気がついたように呟く。
「そうか…レレレはあたし一人のものじゃないんだな……この町に生きたセルビナ警備隊、いや…この町を愛している人達のものなのか」
気がつけば、涙が彼女の頬を伝っていた。
./
件の聖なる竜騎士が、レレレのおじさんの歌を聴きながら生まれ育った町の門の前で、笑顔で手を振るネリリさんに背を向けて、バストゥークに向かって歩き始めた。
「お姉さま、やっぱり私は英雄の事は好きになれません」
ぶすっとした表情で、クィラ・リキゥが文句を言う。
そんな表情もまた少女らしくて愛らしいのだ。
思わず苦笑してしまうあたし。
「でもさ、レレレのおじさんのことは気に入ってたじゃない?」
やっぱりリンツも笑いながら、ミスラの少女を混ぜっ返す。
「お兄さま! あの方は英雄ではありません! 英雄ではないから素晴らしい歌を歌えるのですよ!」
「おいおい、クィラ・リキゥ……」
嗜めようとするオノレだったけど、
「オノレは黙っていてください!」
睨まれて萎縮してしまう。
本当にこの二人は面白い。あたしとリンツが声をたてて笑ってしまったものだから、クィラ・リキゥは、ますますむきになってしまうのだった。
『闇に響く歌声』を一番よく知っている『小さな英雄』が、この町と彼の守りたかったものを守っていく事を願って、あたし達は陽射しが照りつける砂丘に足跡を残していった。
風がすぐにかき消してしまう足跡だけど、消えてしまう前に、誰かに見付けてもらえることを祈りながら。