「青春の門」は一言で表すと、主人公伊吹信介をはじめとした周りの人物が織り成す人間賛歌であると言える。福岡の筑豊地方で育った信介が、東京の大学に入学し友人達との様々な問題や「自分は一体何者なのか。またこの先何をすべきか」といったアイデンティティに関わる問題に悩み苦しみ成長してゆく過程を描いた一大巨編である。昭和四十四年に週刊現代で「第一部筑豊篇」が発表されて以来、平成五年の「第八部風雲篇」まで二十年以上の歳月を経ているのにもかかわらず未完のままであり、これほどまでに完結を待ち望む作品もそうは無いと思われる。
当初、作者五木寛之の構想では、「青春の門」は全十二部・二十四巻からなる超大作巨編を目標とされていた。「されていた」と過去形にしたのは、昭和四十四年の初出から今まで長い年月を重ねているのにもかかわらず、未だ完結されていないがため、未完の大作となってしまう可能性が考えられるからである。作者である五木が、この作品は人生の大きな部分をしめるライフワークの一つであると考えているのは間違えないだろうし、読者である我々の目から見ても、「青春の門」を完結させないことには何か胸につかえるものがあるという気持ちが沸々と湧き上がるということもまた事実であろう。というのも、昨今の五木寛之のある種悟りを開いたかのような神懸り的なエッセイを鑑みるに、「我々を単純に心の奥からドキドキさせてくれる作品はもう発表されないのだろうか」といった一抹の不安を多少なりとも感じてしまうからである。昭和七年生まれ、まだまだ「老いてなお盛ん」といえどこれだけの巨編を締めくくることのできるバイタリティがまだ作者の中に残っているのか、主人公である信介と再びシンクロし、我々の心を揺さぶらせるような終幕を見せてくれるのか、私を含めた読者のやきもきに少しでも早く応えてもらいたいものである。