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| 1974 | キョーコ誕生。 |
| 1998.8 | 大学のプールの時間、突然胸がドキドキして、息苦しくなる。今まで、経験したことがないような苦しさだった。 しばらくしたら、そのドキドキは治まったが、大事をとって、その日のプールの時間は見学することにした。 今にして思えば、これがもしかすると、『パニック障害』の兆候だったのかもしれない。 このプールでの出来事の後は、特に、発作のようなものはなく、時は過ぎていった。 |
| 1999.7 | 夏に、家の近所のプールに出掛けたら、前年のような、発作にみまわれる。でも、このときもすぐに治まり、特に心配はしていなかった。しかし、その頃、運転中にもドキドキと似たような発作みたいなものがあり、やっぱり、すぐにおさまってしまうので、さほど深刻には考えていなかった。この後も、別に発作等はなく、時は過ぎていった。 |
| 2000.5.20 | 忘れもしない、2000年5月20日。この日、私は、友人との遊びの帰り、高速道路を運転していた。 その時、いきなり、ドキドキドキドキ・・・とものすごい発作に見舞われた。あわてて、車をすみっこに止めて、少し落ち着くのを待った。しばらくして、また運転をすると、同じ発作が起きた。そして、また、道路のすみっこに車を止めた。そんなことを、何度か繰り返しているうちに、体の力がすっかり抜けてしまい、頭の中が真っ白になる。なんとか、そこから最寄のサービスエリアまで車で行き、しばらく休んだ。でも、手足の力がすっかり抜けてしまい、またこのような発作がおきることを考えると、すっかり家に帰れる自信を失っていた。結局、自力では家に帰ることが出来ずに、家の者に迎えに来てもらった。 やっと、なんとか、家に辿り着くことができたが、家についても、あの発作が繰り返し、いったい自分の体がどうなってしまったんだろう・・・と思った。その日は、その発作のおかげで体の調子がおかしくなり、一睡も出来なかった。 この日が、私とパニック障害の運命の出会い?である。 |
| 2000.7 | あの、原因不明の発作が『パニック障害』による発作だと分かる。 この発作の原因が分かるまで、本当に苦しい毎日だった。あの、高速道路での出来事の後、大きな病院の内科に行って、心電図とレントゲンを撮ってもらうが、何の異常もなしだった。一応、デパスが処方されたが、全く効き目がなかった。あの発作があって以来、不眠症になるし、車の運転もマトモに出来ないし、とにかくつらかった。 そこで、ネットなどで色々調べていくうちに、この発作はもしかしたら、「自律神経系」のものではないか?というような内容が書いてあり、「自律神経失調症」は「心療内科」に行ってみると良い。と書いてあり、「心療内科」を調べて、受診した。これが一応私の、心療内科(精神科)デビューとなるのでしょうか・・・?。 そこで、下された診断が「パニック障害」でした。初めて聞く病名だった。 ようやく、原因不明の発作の正体も分かり、それに見合った薬も処方され、夜も眠れるようになった。同時に、カウンセリングも受けるようになり、だんだんと症状は改善されていった。 |
| 2000.12 | この頃から、なんだか鬱っぽくなる。パニックの症状はだいぶ改善されては来たが、なぜか分からないけど、何のやる気もなくなってしまうのだ。そんなに深刻には考えていなかったけど、病院の先生に「これはうつ病よ・・・」と言われる。 その頃から、だんだんと、動くことや、仕事に行くことがおっくうになる。今までそんなことなかったのに、なんか辛かった。 |
| 2001.4 | その頃、大失恋をして、「鬱」に拍車がかかる。もう、止まらないって言う感じ。この恋愛に失敗したことが、ただでさえ精神的にきついところにドーンとのしかかった。かなりの心の負担になった。この恋愛の失敗を、私は全部自分にあると思い、責めまくり、もう、終わりだと思った。鬱がかなりひどくなり、「リタリン」が処方される。リタリンも効いてるのかイマイチ分からなかったが、とりあえず仕事は続けていた。不眠もますます酷くなる。パニックも酷くなる。 |
| 2001.6 | とうとう、心身的につらくなり、鬱も酷くなり、どん底常態になり、首吊り自殺をはかる。が、失敗に終わる。 この事を、医者に話したら、別の病院を紹介するから行ってくれ、と言われた。 |
| 2001.7 | 転院する。ここの病院は、混んでいて、先生は話は一応聞いてくれるけど、難しい言葉で説明するので、よく分からなかった。薬も勝手に処方を変えられたりして、ちょっと不満だった。今にして思えば、この医者はあまり良い医者とはいえないなぁ、、、と思う。もし、メンタル系の病院に行きたい人が身近にいたら、この病院だけは勧めないようにしよう。 |
| 2002.4 | 紹介してもらって転院したものの、全然症状が改善されず、死にたくなる。先生に、 「もう、生きていたくないんです・・・」(この時の私はかなりの鬱状態)と言ったら、先生は、「じゃあ、寺にでも行きますか?それともあなたが今一番行きたい場所に行ってみてはどうですか?」だって。 あのね〜、何にもする気力がない私に、そんなこと出来ますかって言うんだよ。ったく・・・。まあ、先生なりに考えてくれたんでしょうけどね・・・。 そこで、知人の紹介もあり、また別の病院に転院する。その頃の私は、どん底状態。まるで先が見える状態じゃなかった。 そこの病院でも、初めに診察してもらった先生とトラブルがあり(本当はこの先生に診てもらうはずじゃなかったのに、手違いでこいつになってしまったのです)、そして、そのことを、この病院を紹介してくれた人に話したら、すぐに先生を変えてもらった。この先生は、話しをとくにかくよく聞いてくれる先生で、性格も面白い先生で、わりと好きだった。 |
| 2003〜2004 | 約2年間、紹介してもらった病院にかかったが、はじめのうちは良かったが、だんだん先生と会話が噛み合わなくなる。症状も、はじめは改善方向だったが、だんだん小康状態になり、症状が全然上向きにならなくなった。このままじゃ、だめだ、と思い、またまた病院を変える決意をする。 |
| 2005.4〜7月 | 今まで行っていた病院も先生も悪くはなかったが、だんだん、先生と話しが噛み合わなくなり、症状もそれ以上回復する事もなくなり、転院を決める。 知り合いの紹介もあり、今はカウンセリングを受けれる病院と、普通のメンタルクリニックと二つ掛け持ちしてます。普通のメンタルクリニックの先生は、俳優の西村雅彦と永島敏行とモト冬樹を3で割ったような顔をしているが、基本的に西村雅彦に似ているので、自分の中で「西村(仮名)先生と呼んでいる(笑)。 まだまだ、通うい始めたばかりなので何とも言えないが、メンタルクリニックでもらってる薬は効いているような気がする。前の病院にかかっていた頃より調子は良い。 カウンセリングを受けたれる病院では、わたしの病名は「心因反応」という病名が下される。 カウンセラーは女の人。最近ちょっといろいろあって、話し合って、もう一度、仕切りなおしと言うことで、カウンセリングをすることになった。まだ、この先どうなるか分からないけど、メンタルクリニックで処方されてる薬は聞いているような気はする。ちょっとずつでも今の状況から少しでも脱却したい、それが今の私の願いです。 |