秋の章<5> 有明の月


またいつものように、彼女の許を訪れることもないまま日が過ぎていった。
9月20日頃の有明の月の光にふと目が覚め、
(随分と長い間無沙汰をしてしまったな。
ああ、きっと彼女もきっとこの月を見ていることだろう、あるいは誰か他の男でも来ているのだろうか。)
とあれこれ考えた末、結局いつもの文使いの童だけを供にして彼女の邸を訊ねていく。

門を叩かせるが、しばらくの間叩き続けても返事がない。
仕方なく帰ってきた。



眠れないままに様々な事を思い続けながら横になっていた。
この頃は季節柄だろうか、何かにつけてなんとなく心細く、普段よりしみじみと感じることが多くて思い悩んでばかりいる。

不意に門を叩く音がした。
(おかしなこと、誰かしら?)と思って、近くにいる侍女を起こし尋ねて来させようとしたけれどすぐには起きない。
どうにかこうにか起こしてみても、あちらこちらの物にぶつかって大騒ぎしているうちに叩く音は止んでしまった。

(帰ってしまったのね。
すっかり眠り込んでいるものと思われてしまったかしら、それではまるで私がまるで悩みなどないかのよう・・・。)
(私と同じように有明の月に心を寄せて眠らずにいた人だろうけれど、一体誰だったのかしら?)

やっと起きてきた下仕えの男が
「誰もいませんでしたよ。空耳だったんじゃございませんかね。
まったく、真夜中に面倒なことを・・・、人騒がせなお方たちだ。」
と文句を言って、また寝に行ってしまった。

私はそのまま眠らずにいて、やがて夜が明けてきた。
空を眺めていると、たいそう霧深かったのが次第に明るくなってきたので、この暁起きのことなどを書き付けてみる。

そうしているといつもの童が敦道様の文を届けに来た。
文にはただこのように、

秋 の夜の有明の月の入るまでに やすらひかねて帰りにしかな
(秋の夜の有明の月が沈むまで待ち続けることもできず、帰ってきてしまいました。)

(ああもう、本当に、どれほど残念に思われたことかしら。)
(それでも、やはりこうした折を見過ごされない方なのね。本当にしみじみとした趣のあるあの空を、御覧になっていたんだわ。)

同じ思いでいたことが嬉しく、さっき手習いのように書いていたものをそのまま結び文にして敦道様の所へ届けさせた。



風の音が木の葉を残らず散らしてしまうほどに激しく吹いているのが普段よ り身にしみて感じられる。
大仰に曇った空からほんの気持ちばかりの雨が降ってくるのが、どうしようもなく悲しく思えて、

秋 のうちは 朽ちはてぬべしことわりの時雨にたれか袖はからまし
(秋のうちに私の袖は涙に濡れ、朽ち果ててしまうに違いない。
冬になれば決まって降る時雨の折には誰に袖を借りたらよいのだろう。)

辛いと思っていても、私の心を知る人もない。

草の色までも今まで見ていたのとは違うように色変わりしていき、時雨の季節にはまだ間があるというのにもうその時期が来てしまったような風に苦しげに靡い ているのを見るにつけ、

消 えぬべき 露のわが身は物のみぞあゆぶ草葉に悲しかりける
(今にも消えてしまいそうな露の我が身が危うく思えて、風に靡く草葉につけても悲しみがつのる。)

部屋の奥にも入らず、そのまま端近な所で横になってみる。
眠ることなど少しもできない。

他の人は皆のんびりと眠っているというのに、私は特にこれといった悩みを思うではなく、ただ心乱れてじっと目を覚まし、ひたすらうらめしく思いながら横に なっているうちに、雁がかすかに鳴いた。
人はそれほどまで思わないのだろうけれど、私にはひどく耐え難いものに思われて、

ま どろまで あはれいく夜になりぬらんただ雁が音を聞くわざにして
(まどろむこともなく、ああ、幾夜になるのだろう。ただ雁の声を聞くことを日課として。)

こんなことばかりして夜を明かすよりは、と思い妻戸を押し開けると大空に西へ傾いた月が遠く澄み切って見える。
それに霧がかった空模様、鐘の音、鳥の声が一つに響き合って、過ぎていった時も、今、この先のことも、これほどにあわれに感じられる折はないに違いない。
と、涙に濡れる袖のしずくまでも、しみじみと目に留まり、

わ れならぬ 人もさぞ見ん長月の有明の月にしかじあはれは
(私以外の人もきっとこの月を見て思うことでしょう。
来ぬ人を待ちながら眺める長月の有明の月に比べられる情趣はないものと。)

今まさにこの家の門を叩かせる人がいたなら、どんなに嬉しく思うだろう、いや、一体誰がこのようにして夜を明かすというのか。

よ そにても 同じ心に有明の月をみるとやたれに問はまし
(どこか他の処でも私と同じ心で有明の月を見ている人はいるだろうかと、一体誰に聞けばよいのだろう。)


長い文になってしまいましたが、宮様に御覧いただきたくて・・・。


なるほど見る甲斐のある文だが、これに同じように長々と凝った文を返すのも興がない。
いっそ、彼女がまだ物思いにふけっているうちに素早く返事をするのが面白そうだ。




端近な所でなんとなくぼんやりとしているところに返事の文が届けられた。
あまりに早さに拍子抜けしながら文を開く。

秋 のうちは 朽ちにけるものを人もさはわが袖とのみ思ひけるかな
(私の袖も秋のうちに涙で朽ちてしまったというのに、あなたは自分の袖だけのことと思っていたのですね。)

消えぬべき 露の命と思はずは久しき菊にかかりやはせぬ
(ついにははかなく消えてしまう露の命と思うからこそ、菊の花に長寿の願いを込めるのですよ。)

まどろまで 雲井の雁の音を聞くは心づからのわざにぞありける
(一晩中眠らずに空飛ぶ雁の声を聞いていたのは、あなた自身の心が望んでしたことではありませんか。)

われならぬ 人も有明の空をのみ同じ心にながめけるかな
(私以外の人もこの有明の空だけは同じ心で眺めていてくれていたのですね。)

よそにても 君ばかりこそ月見めと思ひて行きし今朝ぞくやしき
(別の処にいてもあなたはきっとこの有明の月を見ているはずと思って訪ねて行ったのに、
逢うことのできなかった今朝のくやしさときたら・・・。)

あなたの家の門が開かなかったことも、夜がなかなか明けなかったことも、本当に耐え難いほど辛い思いだったのですよ。

とある。

やはり文を差し上げた甲斐はあったというもの。





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