秋の章<3> 石山寺


8月に入り、しばらく彼女に便りもしていないことを思い出す。
小舎人童を呼び出すと、
「先日、あちらのお邸に参りましたところ、近頃は石山寺にお籠もりだとか。
7日程はお寺にいらっしゃるつもりのようですよ。」
と言う。
もう日も暮れてしまっていたので、「明日の朝早く出かけていけよ。」と言いつけ、文を渡す。



日頃の所在無さも少しは紛れるかと思って石山寺まで出かけてきたものの、 住み慣れた都が恋しくなるばかり、仏前で勤行するでもなく、
(こんな風に寺参りばかりしているなんて、昔とは打って変わった我が身の有様だこと。)
と思うにつけてひどく悲しい気持ちになる。
それでも気を取り直してひたすら真面目に御仏にお祈り申し上げていたところ、高欄の下の辺りで人の気配がした。
不思議に思って見下ろすと、いつもの童が立っている。
思いがけない所へやって来たのに心動かされて、
「どうしたの?」と聞くと、敦道様からの文を差し出した。
普段よりも急いで文を開くと、

たいそう信心深くお寺にお籠もりのようですね。
どうして私に何も言わずに出かけてしまったのですか?
仏の道に入る絆しとまでは思ってもらえなくとも、私を後に残していかれたことは辛く思います。

関越えて今日ぞ問ふとや人は知る 思ひ絶えせぬ心づかひを
(逢坂の関を越えて、近江の石山寺にいるあなたに便りをするとは思いましたか?
私の絶えることのないあなたへの愛情をわかってもらえたでしょうか。)

一体、いつそちらを出られるのですか?

とある。
都にいるときでさえ文も間遠なのに、こんな風にわざわざお尋ねになるなんて・・・、おもしろい方。




あ ふみぢは忘れぬなめりと見しものを 関うち越えて問ふ人やたれ
(逢う道は忘れられてしまったものと思っていましたけれど。
近江路を通り逢坂の関を越えてたずねて下さったのはどなたでしょう?)

いつ出るのかとおっしゃいましたわね。
いい加減な気持ちで山に来たのならばすぐにでも帰りますが、そうではありませんから。

山ながら憂きは立つとも 都へはいつか打出の浜は見るべき
(石山にいて辛いことがあったとしても、都へ帰ろうとここを出て打出の浜を見るのはいつのことになるでしょうか。)

という彼女からの返事。
小舎人童に「ご苦労だが、もう一度行って来い。」と文を渡す。

『問う人は誰?』なんてひどい言い方ですね。

たづね行くあふさか山のかひもなく おぼめくばかり忘るべしやは
(逢坂山を越えてたずねていった甲斐もなく、思い出せない振りをされるなんて。
私のことを忘れてしまおうということですか。)

本当に、まったく。

憂きによりひたやごもりと思ふとも あふみのうみは打ち出てを見よ
(辛いことがあってひたすら寺籠りをしているのだとは思いますが、近江の湖、打出の浜に出てみませんか。
そして私に逢う身となって、都に戻ってきてください。)

『辛いことがあるたびに身を投げていれば、深い谷でも浅くなる』とか言うではありませんか。(もう悩むのは充分でしょう?)

彼女からはただ歌ばかり。

関 山のせきとめられぬ涙こそ あふみのうみとながれ出づらめ
(逢坂山の関にも堰き止められない涙が、私自身の代わりに近江の湖へと流れ行くことでしょう。)

さらに、紙の端に小さく、

こ ころみにおのが心もこころみむ いざ都へと来てさそひみよ
(自分の心を試してみましょうか。宮様、ここへ来て、さあ都へと私を誘ってみてはいただけません?)

(彼女が思いもしないような時に、行ってみることが出来れば。)
とは思うけれど、なにぶん不自由な身でそう簡単に遠出するわけにもいかない。



しばらくして都の我が家に戻ってみると、敦道様から文が届けられた。

誘ってみて下さい、なんて言いながら、随分と急いで帰ってきたんですね。

あさましや法の山路に入りさして 都の方へたれさそひけん
(あきれましたよ。仏道を志して山寺に籠もりながら、途中で帰ってきてしまうなんて。
都から誰があなたを誘い出しに行ったのでしょうか。)

お返事はただこのように申し上げる。

山 を出でて冥き途にぞたどりこし 今ひとたびのあふことにより
(山寺を出て煩悩に満ちた人の世に戻ってまいりました。
もう一度あなたにお逢いしたいとの思いから。)



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