冬の章<1> 手枕の袖


十月の十日頃、彼女の許を訪れた。
奥まったところは暗くて恐ろしげなので、部屋の端の方に横になり、話をする。
彼女の受け応えが心にかなうものなので嬉しく思い、様々に話し続けるうちに月は雲に隠れ、時雨れてきた。
わざわざ、情趣の限りを尽くして作り上げたかのような風情に、彼女は感情を高ぶらせているのか、寒気でもするように体を震わせている。
(世間ではこの人をどうしようもない女のように言うが、妙なことだな。
ここに、こんな風にしている様子はとてもそのようには・・・)
愛しさのつのるままに思いも乱れ、寝入ろうとする彼女を揺り起こして、

時 雨にも露にもあてで寝たる夜を あやしくぬるる手枕の袖
(時雨にも夜露にも当てずに眠ったのに、不思議にも濡れてしまうことですね、互いに交わした手枕の袖が。)

と言うが、彼女は何もかもよくわからない様子で返事もせずに黙り込んでいる。
月の光に照らされながらただ涙を落とす、その様子に胸をつかれて、
「どうして返事をしてくださらないのです?
つまらない歌など聞かせて、嫌な気分にさせてしまいましたか。可哀そうに。」
と言うと、
「どういうわけか気持ちが乱れるばかりで・・・、御歌が耳に留まらなかったわけではないのです。
どうか、御覧になっていてくださいな。私が『手枕の袖』を忘れることがあるかどうか。」
と、冗談めかして言い紛らす。
しみじみとした夜の風情もこんな風に語り合ううちに過ぎていった。

帰ってからも、
(あの人には頼りにする男性などいないのだ)
と気がかりで、
『今どうしていますか?』と文をやると、返事に、

今 朝の間に今は消ぬらん 夢ばかりぬると見えつる手枕の袖
(今朝の間にもう涙も乾いてしまったことでしょうね。
夢のように儚い仮寝に濡れただけの手枕の袖ですもの。)

とある。
『忘れません。』と言った言葉通りに『手枕の袖』を詠み込んでくるところが可愛らしい。

夢 ばかり涙にぬると見つらめど 臥しぞわづらふ手枕の袖
(あなたは夢のように儚い涙と思っているようですが、寝るのにも困るほどにぐっしょりと濡れてしまっているのですよ、私の手枕の袖は。)





先日の夜以来、敦道様のお心が少し変わられたのだろうか、私のことを何かと気にかけてくださる様子でしばしばこちらへいらっしゃる。

そして、しみじみとおっしゃるには、

「こんな風に、たいそう所在なく物思いに沈んで過ごしているのなら、特にこうしようと思い定めていると言うわけではありませんが、とりあえず私の邸に来ま せんか。世間の人も私がこちらに通うことを不都合なことのように言っているそうですしね。
時折通ってくるぐらいならば人目に立つこともそうないでしょうが、それでも聞き辛いことをいうような人も出てくることでしょう。
それに、たびたびあなたと逢えずに帰らねばならなかった、あの時のどうしようもない気持ちを思い出すと・・・、『私のことなど人並みにも思っては下さらな いのだ』と、あなたとのお付き合いを考え直すようなこともありましたが、私が古風な性分だからでしょうか、きっぱりと縁を切ってしまうのも悲しく思えて。
かといって、こうしてこちらに来てばかり、というわけにもいかないのですよ。
本当に誰かの耳に入って、こちらに来ることを止められるようなことになれば、『空行く月』のように、あなたとの仲も隔たってしまうことでしょう。
だから、もしあなたがいつもおっしゃるように、所在なく過ごしているというのなら私の邸に来てはくれませんか。
『北の方』と呼ばれる人はいますが、別に不都合なことはありませんよ。
もともと私はこうした忍び歩きさえ不似合いな性分だからでしょうか、人目につかないところで女房と忍び逢うようなこともしませんし、勤行をするときでさえ ただ一人でいるのですよ。
そんな私と同じ心で語り合ってくれるあなたがいたなら心慰むこともあろうかと、思っています。」

(本当に今更そんな宮仕えなど・・・いままで経験したこともないのに・・・できるものかしら・・・)
(以前にお話を頂いた一の宮家への出仕の事もお断りしたほどなのに・・・、そうかといって、世を捨て山に籠もろうにも、道案内となってくれる人もいない。 こうして毎日を過ごしていても、明けぬ夜の煩悩の中に彷徨っているような心地がするばかり。
そんな私につまらない誘いをかけてくる男も多いので、私のことをひどい女のように世間の人は言うのだろう。)
(・・・けれど、宮様以外に頼る人などいない・・・。
ああ、それならいっそ宮様のおっしゃるとおりにしてみようかしら。
『北の方』は別棟に離れて住んでおいでで、日頃の宮様のお世話は万事乳母が取り仕切っていると言うことだし、公然と人目に立つように振舞うというのならと もかく、しかるべき所にそっと隠れ住んでいる分にはどうということもないだろうし。
そう、それに私が浮気な女だと言う濡れ衣だけは、少なくとも晴らせるはず。)

そう考えて、

「何事につけてもただ自分以外のの力を頼りに暮らす日々のつれづれの慰めとなるのは、宮様がたまにでもこうしていらしてくださることですから、『どんなこ とでもおっしゃるままに』と思いますけれど、離れていてさえ見苦しいことのように世間の人は言うのですから、まして宮様のお邸に上がったりすれば、やはり 噂は本当だったのかと思われることでしょう。それが、心苦しくて。」
と申し上げると、
「そんなことですか、私のことはとやかく言われるかもしれないが、見苦しいなどと思う人はいませんよ。
ちゃんと人目に立たない部屋を用意しておきますから。」
などと頼もしげにおっしゃって、夜更けにお帰りになった。

格子を上げたまま一人で端近なところに横になっていても、
(どうしたものだろう・・・。)
(物笑いになるだろうか・・・。)
と様々な思いが頭を巡る。
そうしているうちに宮様より文が届く。

露 結ぶ道のまにまに朝ぼらけ ぬれてぞきつる手枕の袖
(露の置いた道をたどって帰るうちに夜は明け、露ばかりでなく涙にも濡れてしまったのですよ、私の手枕の袖は。)

『手枕の袖』。
こんなちょっとした事を忘れずにいてくださるのがとても嬉しい。

道 芝の露におきゐる人により わが手枕の袖もかわかず
(道草の露のように朝早く起きて、私を置いて帰ってしまったあなたのせいで、私の手枕の袖も涙にぬれ乾くことはありません。)




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