詠心(うたごころ)

 

再会。

あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る(額田王)
むらさきの匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋めやも(大海人皇子)

 この歌はこっそりとやり取りされたものではなくて、宴会の時にみんなの前で発表されたものだそうです。
だから、不倫とか、三角関係とか言う感じじゃなくて、もっと軽いノリなのかなとは思うんだけど、『人妻ゆゑに』のところはやっぱりちょっとドキッとしてしまうよね。同窓会の帰り道、昔付き合ってた人と駅まで二人っきりで歩いたりして、彼は相変わらずカッコ良くて、別れ際に、『君がまだ独身だったら良かったのに。』みたいなことを言われたりする。そんな感じ。
ま、それ以上の何事も無く、二人とも家に帰ったらしっかりそれぞれの家庭でパパやママをやってたりするんだろうけど。

 


 

情緒過多

その心あまりてことば足らず。(紀貫之 古今集・仮名序より)

これは、あの『土佐日記』の作者、紀貫之が在原業平の歌を評した文です。
よーするに、気持ちが先行しすぎて、言葉にすると何が何だかはっきりしないということです。長所と短所はひとつのもので、はっきりしないところが風情があって良い、とも言えるのですが、自分で読んでこんな感じかな、と思ったことを人様に読んでもらえる文章で表現しようすると、さて困った、ということになります。
歌の訳の部分があんまり説明的に長くなると、うっとおしいかな、とも思いますし。
本音を言うと、『月やあらぬ・・・』なんて、訳しないで雰囲気でわかってもらうほうがいいんじゃないかな、なんて悩んだりしてました。失恋して、思い出の場所に一人でいる時の気持ち、わざわざ言葉にしなくてもわかる人が多い、と思うのですが。

 


 

辞世の句。

おもしろきことのなきよをおもしろく(高杉晋作)

高杉晋作って幕末の志士の中では比較的影が薄いんですよね。
私は、幕末のことも彼のこともそれほど詳しくないんだけど、彼は、この歌を残して死んでしまった時って確か30歳の手前ぐらいだったと思う。死因は結核だったかな。坂本竜馬みたいに暗殺されたわけじゃないし、沖田総司みたいに美形だったわけでもない。でも、こういう言葉を残して死ねる人っていいなと思います。
この世、つまり人生って面白くないもんなのです、基本的には。それはちゃんとわかった上で、自分はどうしたいのか、を追及していく姿勢。
私も、忘れたくないです。

 


 

まじめな人って・・・。

夜をこめて鶏のそら音ははかるとも世に逢ふ坂の関はゆるさじ(清少納言)
逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけて待つとか(藤原行成)


これは、枕草子の中に出てくるやり取り。
『夜をこめて』の歌は百人一首の中にも入ってるんで知ってる人もいると思います。『一晩中、口説いたって私はOKしないわよ(笑)』みたいな意味ですね。それに対しての返歌がとんでもない。『口説かれなくても、いつでもOKな女のくせに。』って、あなた、藤原行成といえば三蹟の一人で、藤原道長を支えた能吏で、すっごく生真面目な人のはずでは・・・。
言い慣れない人が女性に対して冗談を言おうとすると、セクハラまがいになってしまうといういい例かもしれませんね。清少納言とはもともと親しかったんで許してもらえたみたいだけど、相手が紫式部みたいなタイプだったら日記にひどい事を書かれたかもしれません。

 


 

恋の思い出。

家にありし櫃にかぎさしをさめてし恋の奴のつかみかかりて(穂積皇子)

家の物置にしまっとくんですね、恋の思い出を、しっかり鍵をかけて。
だけど、それが何かの拍子に暴れ出す。
厄介です。
じゃあ、捨ててしまえばいいんじゃないかと言われるかもしれませんが、そんな簡単に割り切れる思い出ならこんなややこしいしまい込み方はしませんよね。
忘れたくない、けど、思い出すのは辛い・・・。
失恋の悲しみを詠った歌はよくありますが、こういう複雑な心理は意外とないんじゃないかなと思ったので印象に残っています。
穂積皇子の相手は但馬皇女。
彼女は人妻だった上に早逝してしまったので、穂積は自分の無力さとか運命の残酷さとかいろいろな思いが心の中に渦巻いて、それが一生心の中から消える事はなかったのだろうと思います。


 

                      

 

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