森に響く哀しい声


1.おじいさんのこと

我が家の裏手は小高い山になっていて森林や茂みがどこまでも続いている。
殆どが杉とブナの森だ。
梅雨ともなると緑の密度がとても濃い。

車で10分ほど山に登ると、こぢんまりした静かな湿原もあり、反対側の斜面は村のスキー場になっている。
熊や狐、たぬきやテンなど多くの動物たちが生息している。

実はこの森には一人のおじいさんが住んでいる。
山の斜面にできたほら穴を利用して、丸太を巧みに組みあげたステキな家で、たった独りで住んでいるのだ。
誰もが羨む静かでウッディーな暮らし。

そしておそらく彼のことは誰も知らない。
ふとしたはずみで、彼の存在というものにわたしだけが気づいた。

というのは、ある日わたしが森の中で、おじいさんの小瓶を拾ったことがきっかけで、偶然知り合うことができたのだ。
今思えば、わたしはラッキーだったに違いない。
でも、おじいさんはどう思っているんだろ・・・?

さて、おじいさんと瓶について話そう。
おじいさんと瓶はとても強く結びついた間柄だ。
へその緒で結ばれた母体と胎児の関係といっても言い過ぎではない。
瓶はおじいさんにとって、生きがいであり、命なのである。

梅雨もそろそろ後半にさしかかっている。
おじいさんの仕事もなんだかとても忙しいそう。
夜、寝る前に犬の散歩に出かけると、すぐにわかる。
おじいさんが解き放ったあの子達の声が、一定間隔で山々にこだまするからだ。
(あ〜きょうもやってますね。ご苦労様です)わたしは胸の中でつぶやく。

おじいさんの仕事。
それはとても興味深い仕事だ。
今の季節、それは毎晩10時ころから始まる。


2.仕事のこと

おじいさんは、沢山の瓶と暮らしている。
どれくらい沢山なのか?と言われると定かではない。
おじいさんの家のひとつの壁から、大小さまざまな瓶たちが無限に生まれてくるからだ。

さて、その瓶を使っておじいさんは何をしているかというと・・・、
一言でいうならば・・・、
ある種の生き物を解き放っている。

その瓶というのは、一見して透明で、なにも入っていないように見える普通の瓶。どこをどうみても空っぽだ。
ところがどっこいひとつの瓶には一匹ずつ、必ずある生き物が入っているのだ。

夜の10時過ぎ、おじいさんは両手一ぱいの瓶を外に持ち出すと、一つずつ蓋を開けては、丁寧にその子たちを山に放す。それがおじいさんの仕事。

みんな嬉しそうに高い声をあげて飛び立っていく。
その声は一晩中森に響き渡る。
姿は見えないが、声だけはだれにでも聞く事ができる。
哀しげなそして少しだけ嬉しげな声が「ヒュ〜〜ン・・・ヒュ〜〜〜ン・・・」と幾重にも重なって、夜の山々にこだまする。

普段、おじいさんがその生き物を解き放つと、瓶はたちまちおじいさんの手から手品のように消えてしまう仕組みになっている。
なので家の中に瓶が溜まることはない。
ところが、たまたまわたしが湿原からの帰り道に、大きなブナの木の下で見つけた小瓶は、めったにない欠陥品だった。
蓋がビッチリ閉まっていたし、おじいさん曰く 「こいつは生きておらんのさ」。
(味噌汁に入ったアサリもときどき開かないやつがある。どうやらそれだったらしい)

ある日おじいさんが散歩にでかけたときに、偶然ポケットに入れておいた欠陥品を落としてしまった。
で、わたしがそれを拾ってお届けしたってわけだ。



3.生き物のこと

さて、その生き物について、かつておじいさんに尋ねたことがある。

「あの子たちは森でなにをしているのかしら?」

「食べているんだよ」とおじいさん。

「・・・えっと、それは虫とかをですかね?」

「いいや、森が吐き出したものたちをだ」

森が吐き出したもの?
森はいったい何を吐き出しておるの???

「森には沢山の雨が降るじゃろ」

「はい、今の時期に降る雨はたいした量です」

「その雨には何が溶けておると思う?」

「えっと、もしかして人間が出した排気ガスとかのことですか?」

「人間が出しておるものはそれだけではなかろ、」

「え、んん〜〜、まぁ〜〜、そぉねぇ???」

「それはな、つまり哀しみとか、憎しみとか、怒りとか、憤りとかのことじゃよ」

「そんなものをこの森の木々がいちいち吸い上げて、そして吐き出しているんですか?」

「森の本来の役目じゃ」

「辛い役目ですね・・・(というかマズそう)」

「そして森が吐き出したオリのようなカスを、最後にこの子たちが食らうわけじゃ」

「だからこんなに哀しい声を出すのね」



4.生き物くん・その姿

実は、わたしはおじいさんに瓶を一つ頂いたことがある。

中に入っている生き物を見たいと言ったら、おじいさんが壁からでてきたばかりの瓶をひとつ、わたしに持たせてくれた。
でも貰ったはいいが、中は透明で一見して何もいない。

おじいさん曰く、
「よいか、今夜は天気もよさそうだし雲もさほど出ないじゃろ。
 月が出て、天ちゅうにさしかかったら空に瓶をかざしてゆっくり蓋をあけるんじゃ。
 忘れてはいけないのは、中の子がフッと飛び出す瞬間に、
 月の光を通して瓶の口のあたりをしっかと見ておるんじゃぞ」

その夜、わたしは瓶の中の(生き物くん)を目の当たりにすることになる。

体長は8cmくらい。
淡いレモン色。
頭とおぼしきあたりはピンポン玉のように丸くなっていて、白く発光している。
胴体というか頭から繋がっているシッポらしきものは気体状のものでできていて、うまいこと頭にくっついて動く。
ちっぽけなキント雲とも言えなくもない。
そして生き物くんは瓶からフッと飛び出すと、とたんに妖怪「一反もめん」のようにひらひらと空中をさまよい始めた。
そして「ヒュ〜〜〜ゥ」と高い産声をひとつあげると、森のほうへ吸い寄せられるように消えてしまった。
ほんの数秒のできごと。

彼の声を間近で聞いたので、哀しみが骨の中までしみわたった。

涙が出た。





5.おじいさんの好きなもの

わたしは湿原に行く時、たいてい冷蔵庫の中に残っているおやつをポケットにねじ込んでいく。

それはチョコレートの欠片だったり、食べかけのクッキーだったり。

おじいさんの瓶を拾った日。その日はたまたま手作りドーナツだった。

わたしのドーナツはよもぎ入り。
タネによもぎの湯がいたものを細かく刻んで入れ、油で揚げて粉砂糖をたっぷりかけてある。
わたしはその日、お昼に食べたドーナツの残りを小さなビニール袋に入れ、麦茶といっしょにリュックに詰めこんで湿原を訪れていた。

おじいさんの家を訪れたとき、ちょうど3時過ぎだったので、わたしたちはいっしょにドーナツを1個ずつ食べた。

おじいさんはそれは美味しそうにあっという間に1個のドーナツを平らげると、わたしの手に残っていた半分のドーナツを物欲しげにじっと見ている。

「あ、どうぞ、よかったらこれも食べてくださいな」わたしは食べかけの半分をおじいさんに差し出した。

「ほんとに、いいのかい?」

「勿論ですよ。わたし昼にも食べましたし」

おじいさんはニコ〜と微笑むと、わたしの残した半分のドーナツを、こんどは大切そうにかなりの時間をかけて食べた。

「こんど来るときは、もっと沢山もってきますから」とわたしが言うと、おじいさんは満足そうに肯いた。

そして、帰り際、おじいさんは言った。

「さて、困ったぞ、お礼になにをあげよう?」

それからしばらくしてのことだ、
わたしはおじいさんに瓶をひとつ頂いたのだ。