ニッポンほどカスタムカーがあふれている国を知らない。大音響を出すマフラーやカーステレオ、周囲に威圧感を与える黒い窓ガラスやつり目にしたヘッドライト、深夜の暴走行為が道徳的に許されないことをだれも教えない。命が惜しいからである。パーツ産業の市場規模はいかほどのものであろうか。欧米はクルマはたいていノーマル仕様である。また、カーステレオの大音響は、無い。運転マナーも概して良い。(アウトバーンで、大型車一番右端をゆっくりと一列になっておとなしく走っている。疑うなら行って見よ。)
ニッポンは、非抑圧民の社会に対するパフォーマンスを甘やかす文化が存在している故に、クルマで日常の抑圧された思いを発散させている社会的階層が存在する。クルマ運転族の多くは非抑圧民である。おおむね非抑圧民は低学歴、低収入であり、社会的地位の低い職業に就いている。社会を操作できる階層とは何段階も離れている。ところが、我が国は表向き平等社会であることになっており、学校でもそうした事実は隠蔽されている。教職員は理想論者にえてしてなりがちであり、それは共産主義者が教職員に多いためもあるが、とにかく実社会の厳しい差別が存在することを教えない。また、教師自身が「世間知らず」の特殊な人種に成り下がっていることに自ら気づかないため、実社会を教えることができず、実社会の準備段階である学校が正常に機能しない。従って子どもに厳しい現実に直面した際の対処の仕方を教えることができない。親もまたグレているため、非差別階層が再生産されてしまう。こうして「クルマ運転族」はいつまでたってもいなくならないのである。即ちクルマ運転族は、親・教師が無能であり志が低いために生まれている。
社会もクルマ運転族の悪行を看過しているばかりか、パーツ産業が勃興していることからも明らかなようにクルマ運転族で商売している階層さえ存在する。一つにはパーツ産業であり、もう一つが自動車産業であることは言うまでもない。自動車メーカーは深夜の暴走行為の果てに電柱に時速120キロで激突して死ぬ17・8歳の未成年たちの血をすすりながら生きているといっていい。一般道で簡単に時速120超が出せる機械を平気で生産・販売できる神経はどこにあるのか?一般道では時速80キロを超えるとリミッターがかかるように設定することはいくらでもできる。高速道に入ればリミッターの上限が120キロに引き上げられるようなカードを料金所で渡すような対策も可能なはずだ。そんな根元的な技術開発ははやらない。それよりも、いかに速いクルマを作るかについてメーカーはやっきになっている。ニッポンのどこにそんな高速道路があるというのか???それは彼らが正常な道徳観を持ち合わせないからである。見て見ぬふり、というのは、悪質である。スバル レガシイB4は、そうした階層をターゲットにしたクルマである。テールランプが黒ずんだ赤である点からして既にそうであり、ノーマルでこの状態であるから、豊富なカスタム・パーツをスバル自ら販売していることもあり、「クルマ運転族」という人種を顧客対象にしていることは明白である。
免許の書き換えのたんびに○ーサツはスピード出すなというが、クルマメーカーにスピードの出ないクルマ作りを訴える動きは聞いたことがない。おそらくケ○サツとメーカーはぐるである。クルマ運転族が違反をしてくれるおかげで取り締まりの成績があがる仕組みになっているので、警○でさえ、クルマ運転族の寄生虫であることに変わりはない。
ここまで書いてきて、私自身がクルマ運転族を心の底から憎んでいるのではないことに気づいてくれただろうか。彼らは加害者であると同時に被害者でもあるのだ。彼らを受け止める愛があれば、クルマ運転族の数は縮小していくだろう。幸せになることが社会に階層が存在することとは無関係である社会であれば、クルマ運転族は生まれない。学校の勉強ができないこと、社会的地位の低い職業に就くことが不幸である、といった誤った価値観が彼らを苦しめ、クルマの形状をグレさせている。