我が国の建築は発狂してはいないか。言葉は悪いがそう申し上げたい。
まず、町並みの景観に統一性がない。それが景観に乱雑な印象を与えている。アジアの国だから仕方ないのかも知れない。しかし、おかしいのは、アジア起源である密教を我が国の国民の多くが信じており、曼陀羅が幾何学的で色彩も統一性があるのに、あるいは、神道のヒノキ造りの社殿のすがすがしいシンプルな美しさとは裏腹に、町は恐ろしいまでに混沌と喧噪の限りをつくしていることだ。
我が国の人々にとって「現世は仮のもの」という意識が強いのだろう。それで仮の世界を構築するのだろう。我が国はバーチャル・リアリティーの国である。我が国の建築は、仮寓であるが故に機能やコストが優先される。外観を他者と調和させるよう配慮しても利益には直結しないが安価に建築すればカネが浮くから外観の優雅さは二の次になる。想像を絶するまでの拝金主義が横行し、施主はそうしてもうけたカネでベンツに乗って品の無い運転をし町を歩けばたばこを投げ捨てる。バーチャルな世界だ、何をしたって構わない。
バーチャルで倫理が無い日本にも信仰はある。我が国は農業国だから土地信仰がある。かつては土地は生態系の一部としてコメを生みだしていたからそこから収穫されるコメの金額に見合った額でしか取り引きされなかった。高値で買えば生産力を上回ってしまい、損するからである。
ところが土地の神様は生産することをある時から止めた。止めてどうしたかというと、人に自分の価値の点付けをまかせた。土地は換金作物を生産しなくなったが故に価値基準を失い、たががはずれたように投資の対象になって堕落した。今は日本中にこの堕落した神々が居る。まだ一部に健康な神が生き残ってコメを生む一方で共同体とそれをつなぎとめる祭を維持している。しかし都市部では土地は神どころか悪魔のように人々の心をむしばんでいる。これは悪の宗教と言い切ってもいい。悪魔が復活することを銀行も土地持ちも夢見ている。彼らは悪魔の手先・小悪魔である。そもそも信仰の道に生きる者にとって偶像はなんでもいい。発泡スチロールでできていても、ありがたければいい。土地は偶像であるが故に信じられないくらいの投機が起きる。
その悪魔の上に建つ建築が悪くないはずがない。建築資金のほとんどは土地に吸収されてしまう。建築は低コストでそれ自体の見た目がよければいい。へたに周囲との調和を重視すると地味で売れない建築になってしまう。躯体の耐久性は外からはわからないから、まじめに造れば100年持つ鉄筋コンクリートが高い土地の上に建つやつは30年でだめになる。マンションはあぶない。だまされたことがわかるまでに30年かかる。
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