乗りたいクルマがない!

 小生は、乗りたいクルマがない。

 どうしてか?どれもダメだからだ。

 小生にとって燃費が至上命題だ。燃費の悪いヤツはどんなに他が良くてもダメ。リッターあたり20km以上走るヤツがいい。少しでも二酸化炭素の排出量を押さえるのだ。ボルボなんかみんなほめるし、小金持ちが条件反射のように買うけれど、あんなグニャグニャのガソリンがぶ飲みグルマのどこがいいのでしょう。アクセルをグッと踏み込んでもなかなか発進しないところが、俺に似ていて最悪。ドイツ車なんか、燃費最悪。ベンツなんかに乗って喜んでいる女性は、地球の敵です。

 次が車高。立体駐車場に収まらない1.55mを超えるヤツはダメだ。

 第3が、最小回転半径だ。5.3mを超えるようなものはダメだ。ここは日本だ。

 第4が、後席中央部にも3点式シートベルトがないヤツはダメだ。できれば前・後席ともプリテンショナーつきがいい。

 第5が、後席にもサイドエアバッグがついていたほうがいい。

 第6が、トランクが小さいのはダメ。できればワゴンがいいが、骨格がフニャフニャしやすいから、やっぱりセダンかハッチバックで。

 第7が、アルファ156のセルスピードみたいな電子マニュアル車か、CVTなどがいい。フツーのATはダメ。だって、大切なガソリンという化石燃料がただの熱として逃げてしまうから。

 第8が椅子がヘニャっとしているのはダメ。日本車はほとんど全滅。やっぱここは畳の国なんだな、と真剣に思う。とにかく、「いい椅子」というものに対するイメージが無いわけ。

 第9が、走りが良くなきゃダメ。つまりは低速域からトルクが出なきゃダメ。馬力はそんなにいらない。小生はアンチ高回転型エンジンなのだ。

 第10。スタイリングにセンスが感じられないとダメ。日本車ってイタリア車と決定的に違うのは、平面的なのだ。幼年時代から町のあちこちに彫刻があり、建物にもレリーフなどが付いており、美術館での模写を比較的自由にさせている彼の国と比べて、我が国は、、、、。美術なんて、街にあってこそ命がある。
 日本は街のデザインがデタラメでやっぱりアジアの国なのだ。グランド・デザインが、ない。都市計画なんて、大学の研究者のお遊びになっちゃってる。イタリアが「立体」の国だと仮定すると、我が国は「浴衣のくに」。ぺたっとした平面的なデザインの国、それが日本。国産車見ていると所詮日本人に立体デザインはできないんだな、と思わせる。それだけにとどまらないものすごく重要な問題を含んでいるような気がする。
 日本人にとってデザインとか、美っていうものは、生活の一部じゃないんだな。「美術館に行く」っていう行為そのものが非日常なのだ。美術品は日常から遠く離れているのだ。だから、日本車のスタイリングっていうのは、どこか、魅力がない。農業でコツコツやる人だけが尊くて、たまにしか働かないけど、時としてものすごくいいセンスの仕事をやる人はちょっと地位が低いのだ。だから、うっとりするような線が引ける人はいるべき場所にいない。「マア、こんなもんだろ。いい形だってことでよろしく。」っていう人がデザイン界のトップになっちゃう。そのカタチが本当にいいかどうかじゃなくて、そのデザインをした人の人柄できまっちゃう面は否定できない。

 第11。CADでクルマをデザインするな。コンピューター好きの奴らは、すぐ省力化とか言って一見いらないもの、いらなく見えるものを省略しちゃう。CDがそうでしょ。2万Hz以上の音は聞こえないからいらないよね、っていうんで作ったのがCDだけど、レコードエンジニアたちのあいだじゃ、CDが世の中に出てきたころから「やっぱり従来のレコードの方が音がいいね。」と言い合っていた。レコードに含まれている3万Hzあたりの高周波を彼らは感じることができたのだ。やっぱりどうせデジタル化するんなら、人間の幸せのためにデジタル化しませんか。だから、CADで引いた曲線ていうのは、なんか、微妙なものがそぎおとされちゃっているような感じがすごくする。官能をCADに導入する研究をしないと、ダメ。

 第12。ワン・プライス大賛成。ディーラーによって、営業マンによってクルマの価格が違うなんて、よくない。客と営業マン、お互いにいらぬ労力を注がなくちゃならない。無駄だ。



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