店で若い女の店員に注文したり、電車内での女のおしゃべり(ケータイ含む)が気にならないか?小生は大いに気になる。
鼻にかかったような声
声は声帯から出てのどや口腔、鼻腔で共鳴して初めて音声になる。一般にこれまでの日本人は、舌やその前側(唇により近い部分)を主に使用して日本語を発音してきたが、最近の女は口腔の奥を広げ、逆に口先をすぼめるようにして発音しているようだ。また、空気の多くはこれまでは口から出ていたが、女たちは鼻から抜いている割合が高いようだ。そして、口の開きが小さくなる傾向にある。そのため、「何々しています」の「ます」が「モァス」に近くなって発音されている。
こうしたべたべたした未熟な発音は、服装ともマッチしている。掌が隠れるような長い袖のセーターや、だぶだぶの服、シャツを出して着るなどの行動は、自分がまだ精神的に成熟したくないサインである。一方で栄養がいいので体の成熟度はばっちりだ。したがってセックスは一人前にできる。しかも「ラブラブ」で「Hする」んだという。そうした言葉で恋愛やセックスが表現されるようになった背景には、恋愛の商品化や記号化があるのだろう。このことについては本論から若干逸脱するので後日別記する。とにかく、そうしたアンバランスを何とも思わない。(男もだよ!毛糸の帽子をかぶるな、バカヤロー)
「シ」の音がおかしいぞ
ケータイの「モシモシ」が変だ
亡国の言葉から本当の亡国へ
最近の若い女の間に鼻にかかったような、甘ったれた声がものすごい勢いで増殖中だ。発音も不明瞭だ。仲間内の会話だけならがまんしてやってもいい。だが、店員の中にそうしたしゃべり方をし、その発音でこちらに日本語を伝達しようとするふてぶてしい者がいる。これは一種の押しつけであり、小生がそのような発音の日本語を認めていないにもかかわらず、無理矢理コミュニケーションしてくる。思わず「そういうしゃべり方をしないでくれないか」と言いそうになってしまう。なぜなら、言葉とは、他者へ何らかの情報を伝達する手段であり、ある一定の範囲の発音を使用して理解させるべきものだからである。小生は彼女らの発音が日本語の発音の範囲を逸脱したものと考えている。しかも意図的に。小生は彼女たちの「言葉あそび」あるいは「発音あそび」に情報の受け手として加わりたくない。
帰国子女に多かった「シ」の音が強い女がこれまた増殖中だ。これは英語の"sh"から影響さたと考えられるが、「わたし」が「わたシュ」になったり、「しました」が「シュマシュタ」になっている。どうも最近の若いやつらの音楽を聞いているとヴォーカルはおしなべてこれが日本人かと耳を疑うものばかりだ。サザンオールスターズあたりから始まったのだろうが、マァ、英語のような発音だ。「何々して、」という発音が「何々シツェー」となったり、「俺はおしまいだ」が「オルゥエ ォワァ オシェマイ ズァア」に変化している。ファッションでしているうちはいいが、そのうち身も心もアメリカの属国と化してしまうのではないか。(いや、政治家の挙動を見ていると実際のところもう属国だが。)
携帯電話に出るときの応答がおかしい。ふつうは「もしもし」と言うべきなのだが若い連中は「モシモシィェ」とやる。(どうぞこのとおり発音してみてほしい。その異常さに気づく人もいるだろう。)しかも、このときの「シ」は日本語の「し」ではなく英語の"sh"に近いかまったく同等である。
私は古い概念にとらわれているのだろうか。私は右翼ではない。ただ日本が好きなだけだ。この国の美しい自然。勤勉で、多くは純朴な人々。謙譲の美徳。そうした既に地球上の多くの国で失われてしまったものがまだ残っていると信じたい。しかし、今若い連中の言葉あそびを止めさせないと、国を誤るような気がしている。選挙の無関心、政治の混乱も根は同じような気さえする。この国はどこへゆくのだろうか。心配である。
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