今の日本の女の眉は、自然の眉ではない。抜いて、形を男の眉のように両端をつり上げて鋭角的に整形してある。その上、鋭角が眉墨でさらに強調されている。
女は、男になったのだ。もう、男は、いらない。少子化は、女性が男になったのだから、当然だ。つまり、女は男に興味があるわけではなく、自分に興味があるのだ。女性雑誌を見れば、わかる。いかに、自分にうっとりできるか。周囲の男性も、いかに自分をうっとりさせてくれるかが選択の基準だ。
それは、ドライな生き方で、砂漠のようだ。女が自分だけを見つめる社会。本来は、女も男もなく、人は皆社会を内在化させて生きてきたはずだ。それが、ない。地域社会がまだ生きていた時代には社会の内在化は周囲から強制された。それが、文化だった。文化が文明に駆逐されようとしている現代、都市住民は刺激と反応の往復運動に酔い、思考を停止している。
渋谷を歩いた。そこには何でもあるように見えた。だが、大切なものがどこにもなかった。われわれが追い求めてきたものが、これだったのか。がっかりする。大衆はそうした現実の原因を他者に求めたがる。常に。だが、代議員を自ら選ぶ社会は、自己責任の社会でもある。いま、おのれのありようを顧みようと意見する声はまだ小さい。だが、このことを強く意識にのぼらせなければ、あすは無いように思えてならない。未来は、自分たちの努力次第で選びとることができるのだ。われわれを縛る専制君主は、いない。だから、望ましい未来を設計し、実現のために努力することが可能なはずだ。
小生は、今の若いひとびとに期待をしている。だから、社会作りに失敗した大人たちの前ですねているのは、もうやめて、しっかりと歩いてほしい。他者を拒絶し戦う男眉よりも、他者と協調し新たなものを生み出すやさしい女眉こそこれからの時代の精神の象徴にふさわしい。