『敢闘言 さらば偽善者たち』日垣 隆、株式会社文藝春秋(文春文庫)、2002年、東京  日垣隆さんのコラム集。短い文章ばかりなので、読み始めの段階では少々物足りなかったが(1つの題目について、もっと多量の文書を読みたいということ)、読み進めていくにつれて、これでOKと感じてきた。  日垣さん独特の語り口で書かれたコラム群は、あいかわらず圧倒的で、喧嘩腰で、そして優しくて、面白かった。特に印象深かったものを選んで、以下に記した。 (2002年04月20日読了) p.68 そもそもこの10年、例えば家電を定価で買っている人を私は見たことがない。「同じものなら安く」と消費者の大群が望むこの激流は、つまり品質に不安がなくなり、なおかつ買い手がより賢明になってきたことのあかしでもある。 →品質についての不安か・・・。消費者は、食品についてどのように思っているのだろうか。O157や雪印乳業、狂牛病の事件を通して、不安は以前よりも増している。現代のマス・プロダクトに業界が追いついていないためだ。しかし、テレビなどで得られる「手作り」「天然」志向と、マス・プロダクトの品質管理体制は微妙に相反する。どっちが望みなんだ、消費者よ!(クレーム減らしてくれ!) p.71 ショーペンハウエル先生は『読書について』(邦訳は岩波文庫)の中で、こう断言する。「読んだことをいっさい忘れまいと思うのは、食べたものをすべて体内にとどめたいと願うものだ」。 →俺は貧乏性なので、ついつい読んでいる本まるごと知識にしてみたいと思ってしまう。しかし、このように開き直ってしまうと、楽になる。 p.72 探したい資料を見つけるのに60秒以上をかけるのは莫迦らしいと思える。 →同感。俺は高校ぐらいから、探し物が見つからないという体験がほとんどない(自分なりの方法で整理を実施できているのか、探すほどのモノがたくさんないのか・・・)。会社で情報整理する際には、「60秒」を意識しよう。 p.125 葬儀のとき、遺された2人の子と奥さんの放心した顔を見た。そのとき、私たちは間違っていたのではないか、と沼沢さんに問うた。死に急いではいけない、と私は思うようになった。 →この文章には、ジーンとさせられた。家族を持つ男の言葉だ。私の父は、どのような気持ちで死を迎えたのであろうか。 p.144 衣食住の「住」に尋常ならざる投資を強いる「日本」では、しの土建国家的な豊かさを「日本の貧しさ」が支えている、だから家屋崩壊時には脆弱さが露呈する →これを読んだときに、一瞬だけ「貧しくても、いいじゃないか」と軽く考えてしまった。しかし、それって俺が働いている意味を若干否定することになるぞ。今より貧しくなったら、充分に祖母の看病を母は行なえるのか? 今の俺んちの経済状況って、もしかしたらギリギリと違うのか? こんな時に、再び大地震が関西を襲ったら、実家はどうなるのか? 俺は四国の地で、今までのように働けるのか? p.149 極端な話、あの逆はちょっと考えられないのである。100人の女装した男が舞台で踊り抱き合い、2500人の客席の96%を占める男たちが幕間にブロマイドを買いに走る、という図は私だって想像したくない。 →ワハハハ。日垣さんが宝塚を話題にしてくれたのが、嬉しかった。 p.157 先日、北朝鮮は日本にコメの供給支援を要請してきた。あの国に震度4程度の地震がきたら、鉄柱もなくコンクリートだけで建てた住宅棟に壊滅的被害が出るのは疑いない。そうしたら事態への心の準備が日本にも求められている。延命に手を貸すか、安楽死を見守るのか。これも悪魔的な選択だ。 →俺の“理想”は「安楽死を見守る」ことだ。 p.229 各国の安全保障は何より国益のためにあるはずだが、臆面もなく言えば国益とは富国強兵にほかならないのではないか。どれを本当に全否定できるのだろうか。 →我が意を得たり、と思った。国益を無視した外交はありえない。日本人全体が、このことをもっと自覚しなければならない。