日記

マイルーム
今日起きてから部屋を片づけた。
別にそれほど散らかってるわけではないが、最近はこまめに掃除している。一人暮らしの部屋はちょっと油断するといつのまにかモノが散乱しているという状態になる。くわえたばこで読み散らかした本をしまい、服を整理し、きれいな教科書を棚にもどす。ここで灰が床に落ちたのでそれを拾う。
ほんの10分くらいできれいになった。
ユニットバスは先週きれいにしたのでまだまだいけそうだ。

しかしきれい好きになったものだと、自分ながらに思う。以前は散らかすだけ散らかして、限界にきたところではじめてまじめに片づける、というのが普通だったのだが。
そうしておつかれ様のコーヒーを一杯のみ、バイトに行った。
深夜4時。疲れた体で家につくと、そこではきれいな部屋が迎えてくれた。今日もおつかれ、ゆっくりやすんで、とでも言うかのように。きっとそうなのだろう。
ああ疲れた。よし、あしたもがんばるか。
そんな言葉が自然な空間。
ああ疲れた。もういやだ、こんな生活。
とはならない。
今日散らかしたモノは今日片づける。そしてまたモノが散らかるだろう。
それでいい。また片づけるから。
その緊張感の中での生活が自分にこの部屋を片づけさせるのだろう。
自分とはどんなときでも離れられないものだ。だからだろうか、いつの間にか自分のいる場所が自分を映すようになってしまった。
2002年10月26日 04時40分26秒

カンパリ
先日カンパリというリキュールをオレンジジュースで割って飲んだ。赤い色をした酒だが、オレンジジュースを入れるとちょうどその中間くらいの色になる。
カンパリの甘みと苦さをオレンジジュースの酸味がほどよく中和して非常に飲みやすい。
飲みやすいのでよく飲む。飲むからたばこが吸いたくなる。たばこを吸うから部屋が煙だらけになる。寒いから窓は開けない。
息が苦しくなる。
喘息の気配を感じる。
だから気分転換に散歩をした。外の空気が吸いたくなった。
夜はもうほんとに寒くなったものだ。
冬の香りがする。けして嫌いなにおいじゃない。せつなく暖かいにおいだ。ぶらぶらと近所を歩いていても誰ひとりとして人に会わない。まだ夜の12時なのにもかかわらず。みんな巣にこもっているようだ。
寒いからか、と思った。たしか夏は誰かしらいた気がする。たしかに寒い。でも気持ちのいい寒さだと思うが。現にこうして散歩してる自分が居る。
そんなことを考えながら歩いていると、やっと人に会った。手にコンビニの手提げ袋を持ったカップルだった。二人ともラフな服装だ。手には缶コーヒー。多分ホットだとおもうが、それを二人で交互に飲んでいる。
この寒さによって彼らは自分たちの暖かさをより強く感じていることだろう。

ちょうどスイカに塩をふってあまさを引き立てるように。

素足にサンダルの彼女の足下を見送って家に帰った。
2002年10月25日 03時17分58秒

笑いのススメ
今回の日記は少し思考を変えて哲学精神に基づきながらはなしを進めていこうと思う。これから僕が書くことは、完全に世の中を哲学的視点からとらえてみようというある種の試みであり、いつもいつもこのように世の中を見ていると勘違いされないでいただきたい。とくに断定的表現を好む女性は「なんだこいつ!理屈っぽくてむかつく!」なんてことにもなりかねないので、その種の傾向がある方はくれぐれもこの前書きを忘れないでいただきたい、というのが僕のお願いである。
なぜこのように前置きを書き、わざわざ反感を想定してまでこの試みを実践しようかというと、それは今回のテーマである「笑い」を僕なりに述べるにあたり、哲学的思考手段をとることが一番ひとに伝わりやすいからと考えたからである。そしてここにはその手段をとることによってある種の笑いを期待するものもあるのだ。
なにはともあれ以上のことを頭に入れて素直に読んでいただきたい。笑ってもらえれば、大成功ということだ。では始めよう。

人が笑うときはどんなときか。ここで僕は一つ「人の不幸を見たとき」と考える。中には、「そんなことはない!日本がワールドカップで得点したときだってみんな笑顔だったぞ」というものが出てくるかもしれない。しかしそれは自国が得点したことに対する喜びの表れである。笑顔と笑いは似ているようで全く違う。残酷なようだが人は他人の不幸をみて笑うのである。不幸なんてものは日常にいくらでもころがっている。
1、犬のうんこをふんだ。
2、顔が不細工だ。
3、でぶだ
4、はげだ
5、ズボンのチャックを閉め忘れた
6、電車に乗り遅れた

数え上げればきりがない。そしてここで付け加えなくてはならないのは、人の不幸や悩みが深刻であればあるほど、本人にとっては笑えないことであればあるほど、いっそう笑えるのである。お笑い芸人はどうだ。ひとの不幸(ミスや失敗)や悩みをうまく利用してわらいをとっている。
しかし考えてみればすごいことである。彼らはもちろん仕事として不幸を笑いにかえているわけだが、この悩み多き時代にあそこまでなんでも笑いに変えてしまうのはすごい。彼らはすべての不幸悩みを笑いに変えてしまうプロだ。いや、人として最高の境地にいるのかもしれない。いや、いるのだ。普通の人だったらああはいかない。なにしろ女は化粧をしなくなる。老いをきにしなくなる。女がきにするのは特に容姿であろう。毎日鏡に向き合いもっときれいに、もっと細くと頭を抱えている。彼女らがみな、「もう不細工でしょうがないの」と笑いに悩みをかえることができればなんの苦労もないだろうが、そんなことはプロの芸人でもない限り不可能だ。第一男が困る。
そういった意味でも不幸を笑いにかえる能力は高く評価されて良いと思う。ことにユーモアのセンスに関してはどの国でも高く評価されている。お隣の国、韓国で女の子にもてる条件は顔よりもユーモアのセンスと優しさだとバイト先の韓国人じょうさんが言っていた。
そしてやはりユーモア、笑いの境地というのはどれだけ自分を笑うことができるか、自分が窮地に追い込まれたときにどれほど笑うことができるかだと思う。アメリカ映画などで兵士が自分がもうまさに死のうとしている時軽くジョークをはなち死にゆく姿を見たことがないだろうか。あそこまでいくともはや悟りの境地に達しているともいえるかもしれない。
社会の混乱の中、色々な悩みからストーカー犯罪や殺人、窃盗が横行している。そんな追い込まれた状況の中、最後に自分を笑いとばせることができる人間はそんなにはいないであろう。それが一つの人間の強さであり、その人間の器の大きさであろうと思う。わざとぼけてひとから笑いをとる人。それはある意味尊敬にあたる行為かもしれないのだ。そしてそれだけ人としての余裕があるのだ。
ひとから笑われる人生はなるべく送りたくないものだが、そこはあえて人から笑われるように生き、同時に自分自身も笑えるように生きるのも魅力ある生き方の一つなのだ。
2002年07月11日 01時32分15秒

我の日課とは
久しぶりに日記を書く。もはや日記ではないなこれは。月記にしようかな、などということになれば、ますます歯止めが利かなくなり、そのうち年記とかになりそうなのでやめておこう。

実は最近日記を書かなくなったのには2つ理由がある。
1つは念願の給料日が先月の28日で、金が入ったとくるやいなや怒濤のように遊びまっくってしまい、さらには疲れて体調崩して風邪までご丁寧にひいてたこともあり、自分のホームページすら確認しなくなっていたということ。
(その時の給料16万が今もうほとんどのこっていないということはわざわざ書くまでもないことだろう。金はあればとことん使う。なければ節約に命をかけるのが俺のやりかたである)

2つめは、最近、といっても6月の中頃くらいから今に至るまでだが、色々自分の中の思想とでもいおうか哲学とでもいおうか、ともかく行動の規範となる考えに非常に向かっていた時期だったのだ。簡単に言えば要は人生の葛藤の時期だったんだろ!何大げさにすかしとんねん!とでも言われそうだが、そんな自分の範囲だけに考えをめぐらせることができてれば、わざわざここに書くことでもない。問題はもっと奥にあったんじゃ!ぐらいにここではとどめておきたい。

ずいぶん前置きが長くなってしまったが(普段普通に友達に話すときでもよくいわれる)そろそろ本題、日記に取りかかろう。

えっと・・・お題はなんだったっけか・・
そうそう、「我の日課」だった。

僕は普段どんな生活を送っているかというと、本当に人様に話してもどうしようもない毎日である。基本は大学生だが、大学を崇高な意志の元に作ったお偉いさんにはまったくもうしわけないような、さらにいえば高い学費を払ってくれている親には胸を張ってはとても見せられないような大学生活である。
といっても全く学校に行っていないわけではない。興味のある分野の講義はしっかり出ているし、自分で調べものなどもやっている。むしろ講義より自分で詳しくその分野を掘り下げていって学んでる割合の方が大きいかもしれない。何度この時間が卒業単位に組み込まれないものかと思ったことか。まあ僕は普通には卒業できないでしょう。出てない講義が多すぎる。そしてこの時期になって必死で出てない講義のノートコピーに走る自分を不思議な感覚でみてるのである。

そんな生活をしてるものだから時間は結構自由につかえる。(最近はテストでそうでもない)学校はたいがい午後からなので、朝はゆっくりめに起き、書店にいって1冊本を見つけ、そのまま仙川のミスタードーナツーでモーニングセットを頼む。朝の11時までに行くとコーヒーとドーナツのセットで280円なのである。そこでゆっくりと一服、読書にふける。これがまた気持ちがいい。前の道路がちょうど建物もなく、日の光がいい具合に射し込むのだ。朝の雰囲気が嫌というほどつきささる。それが気持ちいいのだから最高である。
このあと、学校へ行って帰ってバイトまでの間またここでコーヒー片手に読書する事もあるのだが、その時の夕方の雰囲気というのもたしかに悪くない。だが僕的には、それもこの店、この場所、このコーヒーに限って言うなれば昼前のあの雰囲気には勝てないと思う。 遠くからボサノバが聞こえてきそうなあの雰囲気を感じ取れる場所はそうそうあるものではない。なぜならばこれは「女にもてるうまい店」みたいなマニュアル本に載っているようなものでなければ、僕以外の人ならばこのミスドーでそんな感動をうけないということも十分あり得るからだ。
ともかく自分のお気に入りの時間を過ごせる場所、そういうものは結構みんな持っていると思うのだが、そういうものにちょっと気を払ってみると、またおもしろい視点で気軽に過ごしてる毎日を見ることができるのではないだろうか。
2002年07月09日 20時42分17秒

自信
アメリカの社会評論家デール・カーネギーの言葉に次のようなものがある。

「人の生き方には二種類しかない。一つは、奇跡など起こらないだろうと思う生き方。もう一つは、奇跡は、必ず訪れると思う生き方だ。」

私は奇跡とまでは言わなくとも、常に後者側の気持ちを持って生きている。
自分はよくなんでそんなに自信があるの?
と言われる。多分根拠のない自信を変に思われてるのであろう。確かに根拠がないと言われてもしかたないかもしれない。
しかし私が持っている自信は単に自信を持っているのと同時に自分を信じてるという意味の方が強いかもしれない。

というよりか、もともと自信という言葉の意味は自分の能力や可能性を自分自身で信じることを言うのだ。

人生の終わりは死ではない。自信をなくした時だと私は思う。

自分で自分を信じれなくて、いったい誰が自分を信じてくれるのだろう。

逆に言えば自信を持ち、自分を信じていけばできないことはない。
そしてそれに伴う努力や苦労をおしまないことだ。

これがよく自信があるといわれる私の本音だ。
2002年06月03日 00時50分23秒

資本主義
今回は自分が学んでいる経営学、経済学について書いてみようと思う。
日本が資本主義だということは誰もが知っていることだと思います。しかしその実体というものが果たしてどんなものかということはあまりはっきりとは意識されてないように思うのです。
自分もそんなに深く学んだつもりでもありませんが、今ある知識の範囲内で少々思うところを書きたいと思います。

資本主義。その実体は完全なる競争社会でありましょう。つまり力のあるものだけがいい目をみる世界です。世の中というものは私たちが思っている以上にきたなく動いています。(この「汚い」ということばは一般的に考えられている表面上の市場の動きから見てということですが)

さて、その力とはなんぞや?ということですが、まずは経済の基本となる労働者と資本家の関係から焦点を当てて考えていきたいと思います。
大手コンビニのローソンに私はバイトをしていたことがあり、よくそこの店長と色々話をしていたのですが、その店長はよくこうぼやいていました。
「ほんと、コンビニなんてやるもんじゃないよ。最初はもう少し儲かると思ってたんだけどな。株式上場ったって儲かってるのは上の連中だけ。その下の店長ったってみんな苦労してるよ」
このコンビニは夫婦でオーナーと店長をやっておりそこそこ稼いでるんだろうなと思ったら大間違い。店長は年中無休で働いて月30万前後がいいところ。
つまるところコンビニに限らず、大手家電メーカー自動車メーカー百貨店、スーパーなど誰でも知っているような企業のその姿は、すべて下請けを叩きに叩いて、巨額の銭をむしりとった結果なのであります。
今のままで十分。人間こつこつ働いてったらいい。
そんなことをまともに考えていたのではこの資本主義のジャングルでは簡単に食い殺されるでしょう。そしてそう考えていた人たちが今いったい何人食い殺されているのでしょう。
そして国民から徴収したいくらの金が政界人のふところに入っていることでしょう。
そんなことを考えれば考えるほど気持ちが暗くなってきます。
なにかせねばと思う気持ちの前に日本という大きな黒い壁が立ちふさがってすべてを跳ね返してしまいそうです。そしてある時をもっていとも簡単にあっけなくその壁とともに日本という国が崩壊しそうなきがするのです。
2002年05月28日 04時21分28秒

天気
今日は雨だ。
別に晴れの日に気分がすこぶる良いわけではないけれど、なぜか雨の日は気分が乗らないことが多い。今日もまたそんな日だ。
雨に濡れるのが嫌なのか、水たまりに足をつっこんでズボンの裾がぬれるのが嫌なのか、はたまたそのじめじめした空気が嫌なのか。
小さい頃に雨に関するなにか嫌な思いでがあったかなと思い出してみても特におもいあたるふしはない。
とにかく「何か」が嫌なのだ。たしかに晴れてるのと雨のどっちがいいと聞かれれば、特に迷うことなく晴れが良いと答える。その程度の気分の違いだと言えばそれまでだが、なんだか空から降り続ける雨を見ているとただ気分悪いということだけではない、雨の魅力のようなものを感じてきてしまった。
「しとしと雨」
なんとも、古い言い方で言えば趣があるとでもいうような、楽しさの陰に隠れていたもう一つの自分の気持ちを表すかのようなこの雨に、どこか親しみをおぼえるのでした。
2002年05月10日 23時26分26秒

酒はいいものだ。
しかし酒はその飲む状況によりかなりその価値、もしくは気分が違ってくる。
酒はやはり大勢で気の合う仲間と飲むのがよい。くだらない話からはじまり、いいころあいに酒が回ってくると、それぞれ自分の密かな思いを語りあう。
熱い思いを語る奴もいれば、日頃の愚痴をぽろぽろこぼす奴。怒り出す奴、泣き出す奴。
普段のあいつ以外のあいつに出会える場であろう。
また一回酒を酌み交わした奴(その相手との間柄にもよるが)とはどこか親近感がもてたという風に感じた人は多分少なくないであろう。
とにかく酒を通じて普段以上に得ることは大いにあると思う。

そうなってくると酒を飲む意味というのは
酔いが回った気分の良さと共に、人とのより強いつながりを求める行為ともいえるような気がしてきた。
なんか理屈っぽくなってきたから、うまくまとめると、「酒は飲んでも飲まれるな」ということだ。  ??
2002年05月10日 00時15分11秒

アルバイト
新たにバイトを始める時はいつも嫌な時間をある程度通らねばならない。
なにも勝手がわからないまま、なんとかなんとかやろうとしても店長の評価はいまいちとか。
新しい群に馴染むということはなんともやり辛い。相手から見れば自分はよそもの、どんな奴が来たのかうかがいながら自分のなす行動、雰囲気、息使いまでも見られてるんじゃないかと思うくらいだ。そしてその無言のプレッシャーの中にいるのはただその場に自分一人。思わず
「だまれ!」
などと言いたくなる。
しかし味方は自分一人、そして敵は十数人。圧倒的に不利なこの状況、どう乗り切ればよいものか。
一つはアルバイトという軽い立場を利用して開き直ってどうにでもなれとばかりに仕事をやりまくる。失敗したっていいいさぐらいで。
もう一つは従業員を味方に付けることだろう。あんまり厳しそうじゃない、わりと下っ端めの男がいい。仲良くなっていろいろと現場の「決まり」みたいのを聞き出すのだ。要領がわかってしまえばこっちのもの。あとはしだいに自分も「群」に同居するようになる。
いってしまえばある程度の団体など慣れであろう。慣れを慣れと受け止めていられる限りでは。
2002年05月08日 19時01分33秒

大学
自分は一年浪人して大学に進んだ。それなりにやりたいこともあって経営学部に進んだわけだ。でも大学進学を決意したのは他に得るものを期待したことの方が大きいかもしれない。大学というやつは高校などと違って全国各地からいろんな考えを持ったやつらが集まる。
人生の中でこれほど自由に時間を使えて自由に行動できる時があるだろうか。学生だからこそできることはたくさんある。
しかし問題なのはその自由なそして大切な時間をうまく使えてないんじゃないかということだ。
非常に焦る。
このまま終わってしまったらどうしよう。
そんな不安が毎日頭をよぎる。
また明日学校がある。どんな一日になるだろう、大体想像がつく毎日ほどつまらないものはない。一日一日自分にできることはなんであろう。なにかしたい自分と、平凡な日常から抜け出せない自分がいる。困ったものだ。

でも一つだけ自分の中で決めていることがある。それは人との出会いを大切にすること。変な先入観などで勝手に人をどんな人間かなどと思わず広くアンテナ張って吸収したい。そんな風に考えてる今日この頃でした。
2002年05月01日 02時06分26秒

こころ
今日は心について書いてみようと思う。今日はおそく起きたので昼ご飯も食べずに夕飯のおかずを買いに行った。ベーコンがやすかったのでそれを一つ。あともやしが28円の激安だったのでそれと鮭の切り身、全部で250円だった。二食分の食事としてはまずまず成功といえる買い物ではないだろうか。何しろ金がない今どれだけ安くうまくて安い買い物をするのかがもんだいになってくる。そんなわけで今日の買い物はかなり成功といえるのだ。 そんな買い物の帰り道なぜか心がはずんだ。なにかわくわくしたのだ。なんか得した気分の時は気持ちがいい。つい最近まで風邪で寝込んでたので憂鬱な気分だったのだがそんなこと忘れてしまった。なんて単純なこころだろう。こんな簡単に気分なんてかわってしまうのだ。俺は単細胞なのかもしれない。でもそれと同時に人なんてみんなこんなものなのかとも思えてくる。 どんなことでも気持ちの持ちしだいでどうにでも変われそうである。そんなことにはっと気づいて、また自分の顔がにやけた。
2002年04月29日 01時19分49秒

今日はなにもせずにずっと家にいた。とくになにもせずにいたのだが、いろいろ自分のことについて考えてみた。そしてあることに気づいた。”私は暇が嫌いだ”このことは前からも十分承知していたことなのだがそれをあらためてこれほどのものかと再認識したのだ。本当に死にたいくらいだ。 学校や仕事が忙しいときは休みたいっておもうくせにそれがかなうととたんにこれだ。なんてわがままな生き物なのだろう。 でも思ったんだ。わがままで十分、やっぱりじぶんは活動していたいんだって。典型的な日本人なのかもしれないけどこれが自分なのだ。そんな一日でした。
2002年04月28日 18時18分54秒

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