時間




目覚まし変わりのモーニングコールが部屋を鳴らし、中川典子は瞼を開けた。
ジリジリとした暑さと、大東亜にはあり得ない自由がこの米国で得られた。けれども得られたものはそれだけだ。たったそれだけ。
あの忌まわしいプログラムから既に三年の月日が流れている。
中川典子はもう忘れてしまいたがったが、実際忘れられる筈はなかった。今だに最後のあの川田の顔が目に浮かぶ…。
薄手のコットン生地の布団をどけて起きあがると、典子は受話器を取りいつものあの声に耳を預けた。
「ハロー典子」
早朝だと言うのに、陽気な声を上げる人。電話の向こうは勿論、天才ギターマン七原秋也。
 アメリカに来てから既に三年。あの日以来、秋也は欠かすことなく私を守り続けてきた。その度に私は申し訳無い気持ちになる。
―いつまでも守ってもらう訳にはいかない―
典子は静かに電話を切り。いつものように秋也を待った。

―――私達は何をするためにこの国に来たのか―――

 丁度その頃、典子への電話を切った秋也は出支度を始めていた。
少し大きめなバックパックに、ごく普通の生活用品を詰め込んで、ごく普通に仕事に出かける。もう、1年以上この生活をしている。普通の生活って奴を。
 それこそ、始めの一年こそ大東亜の影に怯えながらコソコソと生活をしていたが何てことは無い、人間慣れてしまえば何でも出来る物だ。今は別々に生活をしている。それぞれのやるべき事をやる為に。極々普通の生活をして、仕事をする。
 けれど、一年も悠々と暮らしていると微かに疑問を感じ始めた。それこそ米国の暮らしは夢にまで見たアメリカンドリームなんてものじゃ無かったし、極々普通の生活をして、仕事をする。ただ、その繰り返しが日々の殆どを埋めていたのだからとても、楽な生活では無かった。仕事も転々とし。毎日の暮らしの為にはどんな仕事もした。
あれほど夢にみたロックの練習もたいして出来ない(事、ロックに関して言えば、まだ大東亜にいた頃のほうがまだマシなもんだった)
ただそんな生活のお陰であのクソったれプログラムの思い出って奴も忘れていった。一年もすれば殆どプログラムの事を考えることも無くなり、日々の小さな幸せに生きがいを感じて生きていく、そう例えば夕飯が美味かった、風呂が気持ちイイ。そんな些細な事だ。甘ったるい日常こそ全てなのだ。今は。
 けれどそれは、川田との約束。自分たちのやるべき事さえも忘れかけていた証拠だった。
そこまで考えると、ふと脳裏を言葉が掠めた。
「川田、俺達は前に進んでるのかな?」
荷物を纏め、ふうとため息を吐くと秋也は家を後にした。

何時も変わることなく秋也は其処にいた。私がどんなに早くても。私がどんなに遅くても。

勿論、その日も同じ…。
典子。と声が聞こえ、目をやると、秋也が掛けよって来た。短く切り上げた髪に左耳のリング型の銀のピアス。そして忘れてはならない。ケッズのスニーカー(あれとは違い、新品同様の本場物だ)
そう、その様はまるで伝説の男、ザ・サードマン三村信二を真似たかのように。
 プログラム脱出後、秋也はすぐ髪を切った。三村信二と同じ場所にピアスを開けた。考え方も変わったかも知れない。それは、どちらかと言うと三村信二 と言うよりも、川田章吾に近いが。
 あの日に三村が何をやりたかったのかは今でも解らない。解ってるのは彼はもうこの世には存在しない。もう二度と彼のプレーを見ることも出来ない。勿論それは三村だけじゃない。クラスメート全ての想いを含めて秋也はそうしたんだ…忘れないように。
「ハロー、秋也君」
満面の笑みで秋也に挨拶をするとそれ以上の笑みが帰ってきた。何時もと同じ。今日も万事OK…の筈だった。
時間にしてほんのニ、三秒。言葉にすれば二言、三言。原稿用紙で表せば…。 とにかくソレは一瞬の時間で表わされた。
 何時もと同じ時間。何時もと同じ場所。何時もと同じ七原秋也は何時もと違う言葉を発した。

―――今直ぐにでも大東亜に戻る―――

  「グレイト!お兄さん今最高に決まってますよ!これで彼女のハートもいちころですね!ついでに貴方もいちころでしょうけど」
――秋也君は何を言ってるのだろう。今の生活にそんなに不満なの? 幾等なんでも…そんな…急すぎるよ!そんなのって――
「どうして?、突然行くなんて」
余りに突拍子の無い出来事に、極々自然な答えしか典子の口からは出なかった。
肩に掛けていたバックパックを降ろすと、秋也はゆっくりと口を開いた。
「あれから三年」
秋也は問いただすかのようにそこで口を止め、典子は訳が分らないと言った顔を返し、秋也の言葉を待った。
スッと肩を竦め、秋也は続けた。
「そろそろ動いても良いんじゃないかと思う」
動く?…口を開いたと同時に秋也が何かを放った。
それは空中で典子の指先に弾かれ地面に転がり、エア入りのネイキのスニーカのつま先にコツと当たると動きは止まり、指先で拾った。瞬間、すぐに何かは解った。
「まさか忘れた訳じゃないよな。典子」
 忘れる筈が無い。いや、忘れられる筈が無い。とても大事な人。秋也君と同じ位大事な人の…バードコール。
三年前。島の脱出の際二人の間で小さな決め事をした。何があっても、何年掛かろうともあの国に強烈なカウンターパンチを食らわせてやる。それこそが私達がやるべき事。知ってしまった人間のやるべき事なのだと。けれど、それはわかっているのだが…。
「何かいい案でも浮かんだの?」
消沈しきった顔で秋也に聞いた。無理に決まってる。たった二人で一つの国を相手にするなんて。あの時だって、そうだった。
丁度二年前。やっと米国の生活に落ち着いたという頃、大東亜と言う国が世界中で報道される始めての事件が起きた。
 政治不信による過激派テロリズム。大東亜議事堂爆破に始まり国家法案委員会の人間を順に殺害。そしてBR法反対運動。
あまりに突然の事件の為、国の対応も全く追いついていなかった。ニュースの力も手伝いそのテロ団体はグングンと人数を重ねピーク時には各地方でテロが巻き起こり、一挙に世界中の視線は大東亜に向けられていた。
無論、大東亜もタダ黙っていた訳ではない。国の彼方此方で毎日のように衝突が起き、その様はまるで国と国の戦争のようだった。
大東亜国家は火力に頼り。テログループは人数で対抗していく。その映像は逐一世界のメディアが映し出し、あの国の恐ろしさが始めて世界へと映し出される。ファインダー越しのその光景は昔の大東亜では無かった。何処か遠い国の内戦の様。
「川田との約束、守れそうに無いかもな。その前に国が潰れちまう」
 大東亜共和国では過去に類を見ない程の大事件。とは言ってもこの米国や英国ではさほど珍しくない事だったと思う(米国でも頻繁にテロは起きていた)それほどこの大東亜と言う国は完璧な統率力を持ち、反乱を許さず、犯さずという心に染み付いたルールを上手く使っている国だったのだ。
 そんな矢先もう一つ事件が起きた。それは大きな目で見ればとても小さな事件。自分達にしてみればそれはとんでもない事だった。特に典子には…。
 テレビに羅列される多数の被害者の名前。次々とスクロールして行くその中に香川県の文字。中川の文字が二つ、三つ。その全てが典子の家族だった。
「プログラム当選に続きプログラム脱出。終いにはテロで家族も全滅!お客サンそりゃ三億円宝くじ三年連続当選より当たり難いでしょ。よっぽど神様って奴に見守られてますね。但し貧乏神だろうけど」
   その直後大東亜に戻る決心をした。大東亜行きの船や飛行機を必死で探した。無かった。ある筈が無かった。そんな危ない国に態々行く馬鹿が何処にいる?
それだけだった。その頃の二人は余りにも無力。もっと言えば無知。元々二人がここまで逃げてこれたのも川田のお陰。あの日プログラムで川田に会わなかったら。きっとそこで全ては終わっていた。今の自分はここには存在していない。七原秋也はただそれだけの人間なのだ。
 自分自身を責めるだけ責めた頃、テロは完全に沈静化し、祭りの後の何とやら。世界中のマスコミの視線も、普段通り下らない色恋へと向けられ、また普段通りの毎日がズシリと立ち塞がると、いつもの様に忘れてしまっていた。





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