映画鑑賞について。

今まで映画なんてみるのもくだらない、と学生の頃思っていた。

映画の主人公に対して自己投影するよりも、

現実の世界の出来事のほうがおもしろかったからだ。

しかし現実に疲れた時。

危険を伴わずに様々な世界を経験できる映画は楽だ。

受動的。自分の知見から好きなように解釈も批判もできる。

自分の感受性を再認知できる。

しかし、誰にも影響を与えないし何も生産しない作業。

そろそろ映画にも飽きてきた。

現実に帰る準備が充分できたのかもしれない。

映画のようにはいかないぞ、と注意しながら

日常の些細な変化に喜怒哀楽していこう。

 

 

「惰眠は最高の贅沢」という。

ある人のHPで拝見したお話。

もともとはエリクソンの言葉で、

「睡眠は死んでからいくらでもできる」だそうだ。

そりゃそうだ。

睡眠は必要だが、無駄に眠ることはない。

その分行動したほうが有意義だという。

この考え方のポジティブさに驚いた。

物事はやらないよりやったほうがいい。

やってもうまくいかないという経験をもつものは

こう楽観的に考えることが難しい。

恥をかくのが恐ろしい。

でも、死んだら恥ずかしいこともなくなる。

だから死にたい、ではなく

だから恥ずかしいことさえ楽しみたい。

生きることは楽しいこと。

世の中は楽しむためにある、ともいえる。

もう死んでしまいたいと思うこともあったけど、

生きててよかった、ということも

これまでの人生で何回かはある。

だったらまた生きててよかったと

思えるために努力したい。

 

人生の選択

人生とは樹形図で示されるのではないか。

こうしてよかったと思う時もあれば

ああすればよかったと思う時もある。

そんな時違う選択をしていた自分を想像すると

もう何万人、何億人もの自分がいる。

日々、一秒一秒が選択とその結果の連続である。

そんなに選択してたら疲れる気もするが、

それは周囲の環境により形成された無意識選択と

自我として形成された意識的な選択によって

なされているのだろう。

 

学生時代、自分の選択は正しいと信じて疑わなかった。

今思うとおこがましいにも程があると思うが、

若さゆえの過ちだ。

その時はその選択は正しくない!と思っていた人たちが

今では人も羨む生活を送っていたりする。

これは私が樹形図の選択を見誤った結果だ。

本当ににバカだったとは言わないで。

 

今自分が樹形図のどこにいるのかわからない。

まず、どんな自分になりたいのか

どの部分は切り捨てずにおき、

どの部分は捨ててしまって構わないのか

それを考えよう。