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『Rainy day』

I don't want go out.

22/10/2003


『ゆめのまたゆめ』

一瞬の映像しか覚えていないのだが夢に権太楼が出てきた。私は「寄席の楽屋」らしき場所にいて、他にも見学者らしきひと数名と案内人らしき人がいたんだけどその人たちの顔は覚えていない。そこに普段着の権太楼がやってきて、私の目の前にあったソファに腰を下ろすやいなやばったり横になり大きく一つあくびをしただけですぐに寝入ってしまった。なんかものすごく本能のままな動物的なあくびで、楽屋に入ってきてから寝入るまでの一部始終を見ていた私は「楽屋の権太楼はいつもこうなんだ」と妙な納得をしてしまった。現役の噺家が夢に出てくるなんて。実物が観たいよう。

「247万なんて何でもないんだよ、俺には」
(by高橋がなり『マネーの虎』)
245万、いや249万だったかも。昨日の、単純に「青い(=若い)」依頼者に対する全員の真面目なコメントよかった。映像的にも「元ジャニJr」という存在自体がすでに好奇の目を引くに充分な光を放ってるんでテレビ的演出を施す必要がなかったと見受けられる。はじめはなんてあざといと思ったが長く見続けると目が慣れてきてさほど異物感がなくなり、嫌悪が一瞬で好感に転換する、今やってるジョージアのCMみたいな感触を視聴者にもたらす番組。でもそれは理念と言うかコンセプトに筋が通っているから可能な芸当なんですが。 あと、↑って言えるのいいなぁ、と思た。

21/10/2003



『気がついたこと -人生篇-』

「あ、こぶ平。横の女性は…紅さん?」
NHKの趣味講座「やさしい草木染」。こぶ平は、『単純に感動を口にすることが相手の自分に対する労力への報い』だと考える輩なんだろうな。基本的にあたしもそういうところあるので否定はしません。苦労知らずのぼんぼん(江戸では若旦那かしら)なんだよねぇ。落語頑張ってね、師匠。

お金がよう足りん。そろそろ稼がないと。

20/10/2003



『気がついたこと -エンタの神様篇-』

尻端折るな!
字幕いらんわ!
ネタ編集すな!
ゲスト要らんわ!
司会も要らんわ!
塙を晒し者にすな!
以上。

19/10/2003



『マルクスと引きこもりと設楽幸嗣』

今朝の朝食:竹輪一本 食パン一枚 コーヒー一杯
昨日のテレビ朝日『銭金』。易学で生計を立てているらしい“仙人ビンボー”氏の名が「設楽幸嗣」(88)。それって往年の松竹名子役と同姓同名じゃん。 でも1950〜60年代に子役やってた人ならまだそんなに年くってないはずだから別人だろう。念のためヤフーで検索してみたら子役の設楽氏がちゃんと出てきた。音楽家として活動しているらしい。へぇ〜。『お早よう』で弟役をやった劇団若草の可愛いあの子は今頃どうしているだろう。

17/10/2003



『携帯ストリップ(閑話休題)』

寄席に行く、時間がない。久しぶりに鈴本いこかと思ったら権太楼休みじゃん。今席は是非「権太楼⇒雲助⇒さん喬」と一日で制覇したいんだ。お金もないし。次行くとなると日曜の夜かなやっぱ。三太楼も出ているし。三太楼はなぜか日曜の鈴本夜席が似合う。

噺家さんの掲示板なり日記なり自己紹介文なりを読んでいると、好きなことして生きているなーと思う。世の中の流れとか他人の思惑(世間体)とかそんなのは二の次てな感じで。「バカに思われるといやだなー」「“オクレテル”(死語)と思われたくないなぁ」という現代人の多くが抱える悩みをもとからもたないみたい。それが噺家の噺家たる所以か。いい意味で単純。一方通行。噺家は職業と言うよか性分、だな。会社のための時代錯誤な滅私奉公や“最先端の流行”という幻想を追いかけて追いかけてあくせくして表情も言葉もひん曲がってしまっている人々よりよっぽど人間味があってあたしは好きなんだけど。そういう人たちも社会の前進のために貢献はしているわけで全否定はしないけどどちらかといえば噺家ヨリなのね、あたしは。噺家さんだけじゃなくて、寄席好き落語好きの人が趣味で開いているホームページの日記や掲示板にもそういう傾向はある。けど、それはそれ。

ちょいと今身動きが取れなくなっているけれど、これで適当に当面の食い扶持を稼げて日々それとなく生活が出来ちゃったりなんかすると、それとなく人生を送れてしまいそう。で気がつくと40目前。それが人生の一般的な流れ方なんではないですか。容易に想像できる未来だわ。
今のこの身動きがとれない(とらない)状況をもう少し前向きに有効活用して次なる就職試験の・ようなもの、と真摯に向き合おう。
来年の夏には、引越し&歯の矯正&免許取得開始するぞ。
というわけで文化庁のURLをリンクに新規はりつけた。次代の日本の文化を豊かにするのは私、という自負のあらはれ。
皆好き勝手なことして生きているのに、私にだけそれが許されない、などという法はないわけで。

16/10/2003



『貴意に添えず』

筆記試験ぐらいまでは進みたかったが。では次。
小説5枚とシナリオ50枚。これも就職試験みたいなもんだ。
あと1回くらい小三治聴きに行きたいな。
理想は墨田区内のマンションで楽隠居生活。

08/10/2003



『就職試験 第1次面接』

いちおうスーツを着ていったら皆同じようなスーツ姿の人ばかりだった。とりあえず、ほっ。でもこの色に一時でも染まるのは心地悪い。
重役用応接間みたいな広い控え室で待っていると、以前学校で講師をされていたMさんに会う。というよりも、声をかけられる。Mさんも私と同じ職種で応募したらしい。ちなみに募集は「助監督・脚本家・プロデューサー」と“地に足つき感”がいまいち希薄な職種ぱかり。来ている人も恐らくそんな感じの人が多いんでは、と淡い期待で観察する…間もなく最初に名を呼ばれる。
色々仕込んでいったのだけど、面接には(面接官からみて恐らく)平均的な答えしか出なかった。質問が質問だし。(「月に映画を何本くらい観ますか?」「どうして映画をやりたいと思ったんですか?」 そんなベーシックな質問されるとは思いもよらなんだよ、正直。)言いたいことは小論文で言ってしまったし。面接官の言葉と表情には最初から「あきらめ感」が漂ってるし。「撮影現場は女が来るところではない」という視点もちらほらおあったなぁ。アタマ硬いよ、おじさん。
狐につままれたような感じで面接場を後にして、Mさんと軽くお茶してその場で別れそのまま学校の暗室へ直行。現像したモノクロフィルムはピンとずれまくりボケボケでお話にならず。ピントあわせという撮影の基本が私は中々習得できませんで、あがってくる写真は私という人間を見事に反映しています。

なんか、もう、いい年なんですけど、全てにちゅうと半端で、それはそれで楽しいが賛同者は少ない。そういう自分の現在の立ち位置を確認するきっかけくらいには、なりましたかね。来週は筆記試験です、いちおう。

03/10/2003

『明日からもう仕事来なくてもいいよ、と言われたことこと』

無断欠勤2度したからなぁ。無理もないか。
即対処してくれて感謝しなければなりません。でもよかった。
生活費のために、ますます駄文書きに精出そう、と
誓いも新たな2003年10月1日初秋の夜。
今年はまだ『目黒のさんま』聴いてないな。

30/09/2003

『普段の朝』

  午前8時30分、私は浜辺にいた。目の前の、澄んだ海の底に大きなマンタがいた。私はマンタと目があった。するとマンタが私に向かって手をふった。「波に揺れた鰭の動きが手を振っているように見えただけだろう」と私は思った。ためしにこちらから手を振り返してみた。すると再度マンタは手を振った。マンタは確かに私に反応している。「地球に生きるもの、というたった一つの共通点さえあれば我々は、こんな風に目を合わせただけで気持ちを通い合わせることができるのだ」、と私は思った。
  携帯電話を見た。8時40分。9時になったら職場に欠勤の連絡を入れなければならない。8時55分では早すぎる。9時を1分でも過ぎたら遅すぎる。時間の経過が気になり深い眠りに落ちてゆけない。マンタは何処へ行っただろう。
  私はまだ浜辺にいた。海の底を見るとマンタは先ほどいた場所より少し陸に近づいていた。その表情は笑っているように見えた。「マンタは浜辺に上がろうとしている」。私は少し不安になった。
  社交辞令、という概念はマンタ界にあるのだろうか? 地球上に生きるもの同士であれど、そこまでの意識をマンタに求めるのは酷だろうか。私はそれ以上近づいて来て欲しくなかった。しかし再びマンタと目が合うと私は自分から彼に向かって手を振っていた。風貌を見れば彼が悪い奴じゃないことはわかる。だから、私は彼を無視しないだけなのだ。目が極端に離れたその顔はよくみると気持ちが悪い。私はさりげなく視線を逸らし、サヨナラの合図をしないままにその場から立ち去った。
  浜辺から道路に出て、携帯電話で再度時間を確認すると8時54分だった。まだ少し早いような気がしたので、もう一度布団にくるまった。しかし最早浜辺に戻ることは出来なかった。私の目の前はいつまでも茶色い箪笥のままであった。
  8時59分。私は職場に本日欠勤の連絡を入れた。うまい具合にかすれ声が出た。(おわり)

29/09/03


早く抜け出せと言いつつ抜け出せない。会社の仕事は結構楽なんである。一から何かを作り出すことに比べれば。この心持がダメなんだ、と言い聞かせつつあとどれくらいここに居る気かしら、と他人ごとのように自分の来し方行く末を考えてみる。

芸人と会社員と。この空気の密度の違いは何であろう。私に合う空気はおのずと見えているのだが、それでもこの間を行ったりきたりしている。死ぬまでこんな事をしているのではないかおのれは。会社員の「楽」はおのれを売り渡した挙句の「楽」なんである。

芸人ほど1つ事に没頭できずまた、会社員ほどおのれを捨てきれない。
06/05/2003


『こんな映画を観てきた(音曲篇)』ゼミ発表のための作品リスト 「フェリスはある朝突然に」フェリスがカーニバルで踊る場面。 「酔いどれ天使」笠置シズ子がジャングルブギ歌い踊る場面。 「ザッツエンタテイメント」ジュディガーランドの“Get Happy”タップで歌い踊る場面。 「何かいいことないか小猫チャン」「007カジノロワイヤル」 「ピンクパンサー3」以上3作品のタイトルアニメーション(⇒モンスターズインクへの流れ) 「鬼龍院花子の生涯」夏目雅子タンカを切る場面。 「白痴」久我美子と原節子が火花散らせる場面&三船と森雅之が寄り添って寝る場面 「ふたり」「青春デンデケデケデケ」自主制作みたいなつなぎの場面。 「ニューヨークニューヨーク」…ラスト、歌い踊る場面。 ビスコンティとフェリーニは今回は割愛。常人に到達できる世界ではない。 あと長屋紳士録とエノケンと…。そいからそいから…。編集しなきゃ。



2003年5月3日(土) 祭日としての土曜日、って有難いんだかよくわからん。 昨日の日テレ「FAN」にペペ桜井が出演したらしい。矢井田瞳御所望で。見逃しちった。 テレビであの芸はどう映るんだろう。興味津々。再放送は…ないか。 想像するに、きっとおんなじ芸をするんだろう。 「そういうわけでございまして 「北朝鮮の方でも色々揉めているようでございますけれども 「皆さんがいかに政治に関心がないかということがよくわかります… いつでもどこでも大受け、とはいかずとも大概通用するのであれば、 たとえ比べて単価は安くとも、芸がないゆえの何でも屋であり一発屋である有象無象に比べれば、 恒久的な価値はずっと上の気がする。買いかぶりすぎは承知で。寄席に10ヶ月近く通った実感。 ま、いずれにしろ深みは無いんだけどね。



2003年5月2日(金) 今日は平日、のはず。 黄金週間もあと3日を残すのみとなったがあーあ。また床屋行きそびれそう。 行ってしまえば2時間弱ですんでしまうことなのに、行くまでが億劫だ。 どうにもいづらい居場所なので、浅草近辺に引っ越したいと思い手始めに、 というか手遊びに物件検索なんぞしてみる。 「払えて6万だよねー」 「千束か浅草か田原町、或いは根岸4丁目」 「今戸いいねえ、今戸の狐。今戸焼」 「大家さん良い人だといいけど。金ない人間には冷たいんだろうなー」 「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」 「本所もいいけど寄席はけたあと晩飯食って夜遅く吾妻橋渡るのちと恐いなー」 「住めばミヤコさ、夜寝られりゃそれでいいのさ。どうせ金ないんだから」 みながらいろいろ1人ごちてみる。この1人ごちる、ということをはじめて久しい。 とりあえず布団さえ運び込めればよいのだけど、 その布団を私は何で運ぶだろう。まさか手では運べまいから、赤帽でも頼むのかしら。 免許の無いのが惜しい。そういう仕事を頼める友人の無いのもよわい云々になろうとしてなんとも…。 引越し費用はとりあえず借金をする事になるのだろう。ま、いいさ。 今はプライドより環境、の変化。それが進めば借金なんてすぐ返せるよ。 なんといって隅田川畔の住人にならぬよう…。
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2003年5月1日(木) 黄金週間中日。昨日の末広亭夜席興奮冷めやらぬ朝。 朝7時に目が覚めるのだが体がすっきりしない。 午後ふと考えた。“自分が28歳だなんてどうにも信じられない。 私はまだ18歳なのではないだろうか。いやきっとそうに違いない” ことさらに自分の精神を若く取り繕いたいわけではない。というより 何より実年齢がまだ28歳なのだから取り繕う必要もない、はずだ。 それでもやはり自分で自分を説明するとき、28歳、と伝えるより18歳、 と頭の中だけででも口にするほうが気分が楽だ。 要するに18歳から一歩も進歩していない、ということが言いたいのだけどね。 なんということを御不浄で考えた。 小さんまつり4日通ったら疲れてしまった。財布も草臥れた。 しばらく寄席には足を運ばないつもりではいるのだが。正直若干の飽きもきているし。 しかし、しかし権太楼が…。手招きをする。 あのモチモチとした白い肌とちょいと助平ぽい粘着質な台詞回しと 号泣顔とが、とがとがとが、私の身体細胞全域に巣食って離れない。 浅草の住人になって、毎日誰かの噺を聴いて一日を終えられたら楽しいだろうなあ。 人生が二度あれば、なんと言わず今の人生のうちに実現しよう
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