Swallow



「その隣がデザインを担当します、安原。最後に私が、今回の江口選手のスパイク開発のコーディネーターを務めます、江口です。江口選手からの要望がありま したら、私を通じて各部門の担当者に伝達します。いつでもご連絡ください」
 洗練されたインテリアで構成された会議室に集った面子を紹介し終えた江口勲は、ひょいと上がった右手に対し、なんでしょうかと穏やかに問いかける。
「コーディネーターさんに早速お願いがあるんですけどー」
「はい、なんなりと」
 にっこりと隙のない笑顔はビジネスの場面において頼りになりそうだが、人間味からは遠い。
「敬語、やめてください」
 その笑顔をじとりと見上げて、英介は簡潔な要望を口にした。
 僅かな困惑が漂った会議室は、大手スポーツメーカー・ホワイトドット社の中にある。
 日本の職人技をスポーツの場に生かそうと立ち上がったメーカーは、いまや世界中のアスリートから信頼を寄せられる大手に成長した。
 そのホワイトドットのフットボール部門で立ち上がった新たな企画が、特徴あるプレースタイルを持つ選手に合わせたスパイク開発。
 モデルとなる選手の要望にとことん応えたモデル仕様のスパイクは、後日グレードを一般仕様に変更して販売される。
 特徴ある選手としてまず白羽の矢がたったのが江口英介で、江口英介モデルのスパイク開発のコーディネーターとして誰の異論もなくおさまったのが江口勲 だった。
 ホワイトドット社からスパイク開発の話があった英介は素直にそれを受け、やって来た本社ビルの会議室で初めて担当が兄だと知ったのだ。
 最初こそ喜んでいたのだが、各部門担当者に囲まれた会議が始まると口唇をへの字に曲げた。
 機嫌が悪いのは、実兄の余所余所しい敬語や態度が原因だったらしい。
「申し訳ありません。仕事ですので」
「……」
 勲がそう伝えると、今度は悲しそうに目を伏せてしまう。
「……っ、え、えいすけ?」
 その表情に勲が動揺すると、会議室には忍び笑いが起こった。
「江口さん、いいじゃないですか。企画を円滑に進行していくのが江口さんの役割でしょう。弟さんが敬語じゃない方がいいって言うなら、それでいいじゃない ですか。僕らもそんな細かいこと言いません」
「そうですよ。弟さんのスパイク開発、夢だったんでしょう? 兄弟愛も混ぜて、いいもの作りましょうよ」
 ベテランの研究者達の後押しに、勲は渋々というポーズをとって降参する。
「じゃあ……、すみません。英介、兄ちゃん、普通に喋るから。な?」
 周りに一言告げてから、勲は俯いた弟の頭に手を伸ばした。
 柔らかな髪の毛をくしゃりと乱すと、ようやく英介が顔を上げて笑う。
 可愛いと言わんばかりに緩んだ顔は見慣れたものだが、仕事中に江口勲が動揺したり困惑する姿は実に珍しいと社員達はこっそり思う。
 江口勲を介した仕事は須く上手くいく。
 そんなジンクスが出回るほど仕事ができるエリート青年の動揺した顔など、滅多に見られたものではない。
 一息つく時には気さくな表情を見せるが、仕事中の彼には隙がない。周囲に気を配り、角はたてずに意を通し事を進める。多種多様な業界からのヘッドハン ティングをことごとく蹴り飛ばしているという噂もある。
 クールでスマートすぎるわけでもなくお調子者なわけでもなく、ハンサムで高学歴高身長高収入の彼には頭だけではなくその配偶者の席までもがハンティング の対象となっているのだが、未だ独身なのにはわかりやすい理由がある。
 弟と妹を愛しすぎているせいだ。
 彼のデスクには家族写真が飾られ、パスケースには兄弟で撮った写真がおさめられている。
 そんな男が、最愛の弟を前にどんな態度で挑むのか。
 社内ではそれが賭けの対象になっていたが、面白い結果が出たものだ。英介のスパイク開発に携わることになった担当者達は、早く他の連中に知らせてやりた くてウズウズする。
「このスパイクって、ワールドカップに間に合う?」
「間に合わせるように作るんだよ」
「じゃあ、俺は何が何でもメンバー入りしないといけないんだ」
「そういうこと。兄ちゃんの夢が二つも叶う」
 甘く暖かく、江口勲が笑う。
 女性社員が見たならば、陶然とした溜め息をつくか黄色い悲鳴を上げるかするだろうが、残念ながら今回のチームは男所帯だ。それでもいい顔をすると、同僚 達は思う。
「我がホワイトドットが英介のために作りたいスパイクは、英介がもっと早く走れて、ボールを操りやすくなって、フェイントが掛けやすくなって、ゴールをた くさん入れることができるスパイク。それと、一秒でも長く英介がプロであるための力になるスパイク」
 夢を語る口調も柔らかい。
 入社試験で弟のスパイクを作ることが夢なのだと語った大学生が、その夢を叶えようとしている。一人では決して叶うことのない夢の半分を、大切な弟に託し て。この会議室から、一人の青年の夢が実現への道を歩もうとしている。
「これからお前の走りやドリブルや体重移動を分析して、すっげースパイクを作るから。お前が思うことは何でも言うんだぞ。このチームはうちの社の中でも トップクラスの人たちばっかりだから、最高のものを作ってくれる」
「うん。っと、よろしくお願いしますっ」
 兄には甘えた顔を見せながら、社員に向けた顔にはスパイクという商売道具に携わる職人達への敬意と信頼を覗かせる。
「いいスパイクを作りましょう。お兄さんの愛情たっぷりのものをね」
 年配の開発者の言葉に、はにかんで笑う。
 生で見て話す江口英介は随分と可愛らしい。身内が傍にいるせいもあるだろうが、マスコミを通じて知る彼よりも幼い印象を受ける。
 それなのに、製品の説明の合間に見せるアスリートらしい眼差しや不敵さが頼もしくもある。
 惜しみなく注がれる兄からの愛情を、煩うわけでもなく当然のことと思うわけでもなく、糧として真正面から受け止めている。
「早速だけど、英介に宿題」
「宿題?」
「そう。スパイクの色と、名前を考えといて」
「名前?」
「品番や江口英介仕様ってだけじゃインパクトがないだろ。このチームで他の選手のスパイク作らせてもらう予定だけど、それぞれに名前をつけるんだ。こっち でも幾つか案を出すけど、英介も考えといて」
 大方の説明を終え、最後に勲が肝心なことを伝える。
 名前か、と呟いた顔がぱっと華やいだ。
「宿題できた。俺、ツバメがいい」
「ツバメ?」
「鳥のね」
 右手の人差し指を突き出してくるりと回してみせたのは、ツバメが空を飛ぶ様子を表したのか。
 ツバメ。
 英介から飛び出した言葉を口の中で転がして、勲は何かを思い出したように甘い溜め息をついた。


 十歳年下の弟の手を引いて見上げた空。
 どんな絵の具でも描き表せないような青空を、無数のツバメが飛び交っていた。
『にーちゃん、なにあれ! かっこいい!』
 大人しく手を引かれていた弟が突然叫びだすのは珍しいことではなかったけれど、あの何気ない場面を勲は記憶していた。
 勲が学生服の詰襟に窮屈さを感じていた頃、英介はまだ黄色いカバンを斜めに掛けていた。
 ひゅんひゅんと空を切るツバメに向かっていっぱいに伸ばされた腕、突き出した指の先は飛び交う小鳥に少しでも近付こうとしているかのよう。
『すっげー、はやい! ねぇ、なにあれ! ひこーき?』
 冬を迎えようとする島国に別れを告げるたくさんの黒い鳥影の一つ一つに視線を奪われ、クルクルフラフラと英介の大きな目が彷徨った。
『あれはツバメだよ』
『ツバメって、うちに小さいおうちつくってたトリさん?』
『そう。ツバメはあったかい所が好きなんだ。日本はもうすぐ寒くなるから、あったかい国に引っ越すんだ』
『ひっこしちゃうの?』
『冬の間だけ。来年、また来るよ』
『ふぅん。……じゃあね、オレもあったかいガイコクにひっこしたら、あんなにはやくなる?』
『え?』
『オレもあんなにはやくうごけるようになりたいの。みんなでかけっこしたら一番はやいけど、でももっともっとはやくなりたいの。ツバメはどうしてあんなに はやいの? あったかいところにいるからじゃないの?』
 そんな質問をぶつけられた頃の勲は、まだ英介のナゼナニ攻撃に上手く対応してやれるほど弁がたつ少年ではなかった。
 回答権を父親に譲っておいたのだが、あの穏やかな父が英介の突拍子もない質問にどう答えたのか勲は知らないままだ。
 自分と一緒に見た景色。
 英介の記憶にはしっかりと残っていたらしい。
 夏の終わりの空を切り裂くようなシルエットに憧れて走り続けた少年は今、同じ名前のスパイクの紐を締めた。


「どう?」
「うん。いい感じ」
「サイズは?」
「いい感じ」
 黒いボディ、サイドには白いラインが細く流れ、踵にはホワイトドットが光る。
 真新しいスパイクを履き、英介は第一歩を刻む。
 歩くたびに赤いソールが見え隠れする。それを気にして、英介は開発チームのデザイナーを振り返った。
「やっぱ、浮きません?」
「いいえ。かっこいいですよ。パンチも効くし」
「足裏見せたら絶対にわかっちゃう。即ファウルだ」
 履き心地に対しては文句はないが、デザインに対しては不安材料がある。
 疑ってしまうのは、隣でニコニコと満面の笑顔を浮かべる兄がいるせいか。
 ピッチ上、あんまりにもすばしっこく動く弟の居場所が遠目からでも捉え易いようにと、コーディネーターの私情を含んだ配色でソール部分は真紅となったス パイクで、英介は走り出す。
 ホームスタジアムには完成したばかりのスパイクの最終確認のため、ホワイトドット社の担当チームが集まっていた。
 グラウンドを数週走り、ボールを扱う。ジグザグドリブルや、サッカーの心得のあるスタッフを相手に感触を確かめる横顔が徐々に解れていく。
「問題無しですね」
 本人の感想を聞くまでもないと、コーディネーターはOKサインを出す。
「英介」
 勲の声がスタジアムに響くと、英介はランニングの軌道を変えて真っ直ぐに駆けてくる。
 途中、思い切りスピードを上げた体は弾丸のように勲の懐に突っ込んできた。それを踏ん張りながら受け止めて、勲は自分の夢の一つが成就したことと、自分 の仕事が成功したことを実感する。
 抱きとめた体を囲う腕に、つい力がこもった。
 練習着の上から英介の熱を感じ取る。
 一度、この体から熱が消えていくのを感じた手の平が、躍動する生命力を感じ取る。それは仕事を終えた達成感よりも深い安堵をもたらした。
「ツバメみたいに、遠い所に行かれると辛いなぁ。ずっしり重いスパイクにしとくべきだった」
 そして自分が携わったスパイクを履いた足でどこまでも走っていけるようになった弟の成長も実感し、冗談めかした言葉が口をつく。
「俺がツバメみたいって言うんなら安心していいんじゃないの? 巣を作った場所に絶対に帰ってくるんだから」
 こんなことを言ってくれるから、自分はいつまで経っても兄馬鹿を卒業できないのだ。
 勲は自分のブラコンを最愛の弟に責任転嫁して、丸い頭を撫で回す。
 英介は、ツバメが速く飛べる理由を見つけただろうか。
 あたたかい場所のほかに帰る場所も必要で、それらが揃っているからツバメ達は空を切り裂くように飛べるのだと。
 目的地を持って飛ぶからこそ、彼らは青空に放物線を描けるのだと。
 本当は、目的地など持たず、ずっとずっと手の届く所にいて欲しいのだけど。
 もうちょっと走ってくると、英介は勲の腕からするりと抜け出してしまった。
「江口さん、そんな嫁に行こうとする娘を見るような目をしないでも……」
「あれにラジコンみたいなコントローラーつけれませんかね。スイッチ一つで英介が俺の所に戻ってくるようなヤツ」
「冗談に聞こえないんですけどね」
「七割は本気ですけど。あぁ、でも、いいスパイクになりましたね」
「弟さん本人でも気付いていない癖を知ってる人がいましたからね」
 ツバメの色合いを模したスパイクを足に、英介はミニゲームを提案する。スポーツの分析には長けてはいるが、メタボリック何とかが気になり始める中年社員 の中心で英介が笑う。
 軽やかにピッチを駆けた英介のスパイクがボールを蹴る。
 ゴールが決まる。
 突き出した人差し指がくるりと円を描いた。





2013/10/19
創作フォルダを漁っていたら出てきたのだけど、この話、既出かしら……?? 公開した記憶はあるのにサイト探してもないようなので、アップしておきます。 タイトルは変わってるかもしれませんが、アップしてるよ〜!って状態だったらそっと耳打ちしてやってください。 作品数が多いので、自分でもどのファイルをアップしてるか抜けることがあるのです〜。

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