永徳12年、すでに戦乱の世が始まってから百数十年が経過していた。かつてこの国を支配していた幕府はすでに無く朝廷の力も地に落ちていた。武将たちは各地で争い毎日どこかで戦が行われていた。民は疲弊し国土は荒れ、かつて豊秋津洲と呼ばれた国の面影は無かった。それでもこの二十年ほど次々と民のことを念頭に置く武将が現れ(そういった武将は概して強かった)いつ果てるとも知れぬ戦乱の世にもようやく出口が見え始めていた。各地で武将たちが吸収統合される中いまだに小領主たちが争っている地があった。摂津、播磨である。この二国にまたがる位置を支配している武将がいた。神戸孝信という。武将としても領主としても三級であった。その彼のもとに優れた制度があった。もちろん彼の創意ではない。祖父元信、父秀信がつくり守ってきたものである。領内に建物を建て字を教え、そろばんを教え、この国の歴史を教える場所であった。生徒は誰でもよく百姓や町人も多かった。そんな中のひとつに平野高等学校(通称高校)があった。文字通り明石の北、平野の地にある高校である。今年もここに百十余名の生徒が入学した。花香る四月のことである。
西条康範は道場に一人黙然と坐っていた。
(不思議なものだな)
窓の外を眺めながら康範は思った。
(あれほど仕官を嫌がっていたこの俺がこのようなところにいるとは・・・・・・)
確かに仕官ではないが似たようなものではないか・・・・・・。
彼をこんなところへやったのは明石城主早良宗時であった。話は一月ほど前彼が宗時の元を訪れた時から始まる。
「どうだそろそろどこかに腰を落ち着けるつもりは無いか。いい働き口があるんだが・・・・・・」
康範が座につくなり宗時はそう切り出した。康範と宗時は旧知の仲である。もともと康範もここ神戸家に仕えていたのだが二十歳を過ぎた頃に主家を離れて諸国放浪の旅に出た。もともと剣が遣えたこともあり、糊口をしのぐほどのことはできていた。
だがやはり落ち着き先を持たぬ者というのは辛いものがある。家を捨て、主家を捨てた康範に帰る場所はない。人間帰る場所がないほど辛いものはない。康範は最近になってそんなことを思いはじめていた。
「もう一度あの馬鹿息子に仕えろと言うのか?それはごめんだぞ」
「声が大きい」
宗時は康範を叱咤した。もちろん宗時も康範が主家を離れた理由は良く知っている。家中でももっとも仲の良い二人だったのだ。
「俺もそんなことは言わんよ。だいたいあの殿が許すはずがなかろうが」
まだ孝信の父、秀信が生きていた頃である。今からざっと三十年ほど前だから孝信はまだ元服前であったであろうか。ふとしたことから孝信と康範が大喧嘩をしたのだ。原因は康範が孝信の女色を諌めたことにあった。それもかなり直接的に、である。諫言をされる側としてこれほどいやなことはあるまい。康範も若ければ孝信も若い。その康範の態度に最初は我慢していた孝信であったが、再三再四に渡る康範の諫言にとうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。康範に対して刃を向けたのである。
先に抜いたのは孝信である。だが康範もそこであっさり斬られるほど甘い男ではない。刀を抜いた上、孝信の刀を叩き落とし、切っ先を喉元に突きつけたのである。孝信は泣いて詫びをいれた。
だが話はここで終わらない。なんといっても相手は主君の息子である。その権力を用いれば大概のことはできる。そして孝信はその権力を利用したのである。
その日の夕刻、康範が城内にいる内に康範の許嫁がさらわれた。孝信はさらった康範の許嫁を凌辱したのである。許嫁は翌朝、胸を突いて死んだ。
怒った康範を諌めたのは宗時であった。城内へ乱入して斬り死にしてやると喚く康範を仲間と三人がかりで縛りあげ、納屋へ放り込んだのである。康範はそのまま三日間放っておかれた。そしてようやく収まった康範に宗時は主家をでることを勧めたのである。
それから三十年間。康範は未だにあの事件を忘れていないようであった。忘れろというほうが無理なのかもしれないが・・・・・・。
「いいから聞いておれ」
宗時はそう言うと言葉を続けた。
「ここから少し北に行ったところに平野高校というところがある。そこでお前の剣を教えてやって欲しい」
「何だと?」
さすがにこの話は意外だったらしく康範は面喰っていた。
「俺の剣を教えろだと」
「そうだ。いい話だろうが」
「ちょ、ちょっと待て。この未熟な俺に何を教えさせようというんだ?え?大体俺は自己流だぞ」
「俺と一緒に剣を学んだではないか」
「あれは三十年も昔のことだ。それから三十年も経てば剣も変わるさ」
「変わってないな」
「えっ?」
「お前の剣は恐らく変わってないよ。剣が正しくない時は間違いなくそれを遣う人間が邪道に落ちた時だ。お前を見ている限りその心配はない。どれほど練ったかは知らんがたとえ全く進歩がなかったとしてもあの力は残っていよう。それで十分だ」
「――――――!」
事実康範の当時の剣の腕は相当なものであった。だからこそ己の剣だけを頼りに外の世界へと飛び出していけたのであるが・・・・・・。
「なんで急にそんな話が出たんだ?」
康範はふっと浮かんだ疑問を宗時にぶつけた。
「喬田屋という店は知っているか?」
「うむ。なかなか大きな店じゃないか」
「ああ。そこの末の息子が今年十二になったんだが、高校で剣を教わりたいと言うんだ」
「ちょ、ちょっと待て。何でお前がそんな商人とそこまで親しいんだ?」
「まあ色々とあってな」
宗時はそこだけぼかした。
「まあそういうわけでお前に白羽の矢を立てたというわけだ」
「ふむ」
康範は考え込んだ。確かに悪い話ではなさそうである。そろそろ放浪にも飽きてきた頃である。
「その末息子に会ったことはあるのか?」
「うむ。一度だけな」
「どんな奴だ?」
「なかなか利発そうな子だったよ。ただあれは喬田の息子ではないな」
「えっ?」
「いやな、俺も詳しいことは知らんからなんとも言えんが、恐らくあれは喬田の実の息子ではあるまい」
「実の息子はいるんだろう?」
「うむ。その上に二人ちゃんといる」
「じゃあなんで・・・・・・」
「さあ、それは分からん。何か深い事情でもあるのか・・・・・・。もっとも息子のほうも親のほうも全く気兼ねはしていないようだがな」
「息子と紹介されたのだな」
「ああ。間違いなくそう言ったよ。あれは喬田の『息子』だ」
宗時はそう断言するとさらに続けた。
「さあ、どうするか決めてもらおうか」
康範は再び考え込んだ。気持ちはかなり傾いていたのだが・・・・・・。
「最後にもう一つ聞きたい」
「――――――?」
「あの馬鹿息子、いや今は馬鹿殿だったな。あれはこのことを知っているのか?」
「いや知らぬ。言うつもりはない。まあひっそりと暮らすんだな」
宗時はそう言うと顔を険しくして言った。
「それからここは仮にも神戸の領内だ。そこで領主の悪口を言うのはやめてもらおうか」
「うむ」
さすがにこれには康範も頷いた。宗時は再び顔を和らげると付け加えた。
「家は用意しておいた。明日からでも住んでもらって構わん。まあ今日はここへ泊まっていくいいさ。旅の話をゆっくりと聞かせてもらおう」
「悪くはないな」
康範は呟くと辺りを見回した。
「悪くはない」
再び呟くと康範は己の世界へと戻っていった。