| 得体の知れない母 その3 |
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雨が降りしきる中閉まった窓を2人でぼんやり眺めながら姫が言いました。 「コウモリです。ペットです。」 「...ペット?」 「ホント良いんですか?」 「...ここまで来たら帰れないですよ。もうドアの前なのに。」 「はぁ...じゃあ...行く前に言っておきますけど家の中はゴミですから。」 「...は?」 「ゴミなんです。」 「...はぁ...そうですか...」 意味が分からず間抜けな返事を返すと姫はドアの横にあるインターホンを無視していきなりドアノブに手を掛けました。 「ちょっと。ノックくらい...」 「いいんですよ。」 「.....」 開いたドアの向こうから最初に目に入ったのは玄関にある靴ではなく黒いゴミ袋の山でした。人が一人立つスペースがやっとという程にゴミ袋が積み重ねられ、生ゴミも混ざっているのか変な饐えた匂いを仄かに立たせていました。真ん中の開いたスペースに一足だけ靴が置いてありましたがその靴までがボロボロでした。 さらに奥に目をやると廊下にまで何やらゴミ袋になっているらしくスーパーの白い袋が幾つか無造作に転がっていて、電気は消え、仄暗く陰気な玄関から見える2階へ続く階段がいやに遠くにあるかのように感じられました。 「...あの...」 「言いたいことは分かりますけどちょっと待ってて下さい。」 そう言うと姫は足元のゴミ袋をその横にあったゴミ袋の上に重ね、そのスペースに靴を脱ぎつつ何も言わずにバッグの中からスリッパを取り出し、廊下にポイッと放るとそれを履いて上がり込みました。 「ちょっと、勝手に上がって...」 「いいんですよ。あの人は喋らないので...上がって下さい。埃だらけですけど。」 「...喋らない...あ、ごめんください。」 上がって良いものかどうなのか足の踏み場もない玄関手前でうろたえている中で姫はどんどん中へと進み、階段の手前で振り返って僕を呼びました。仕方がないのでお邪魔しますと一言言って僕も開いているスペースに靴を脱いで上がりました。廊下は何だか埃なのかツルツル滑り、気になってふと下に目線を走らせるとスーパーの袋と袋の隙間や壁際を小さなゴキブリが何匹も這っていました。 「.....」 「こっちですよ。いっつも2階にいるんです。」 「良いんですか?ホント勝手に上がって...」 「ええ。もう上がって来てるのくらいいくらなんでも分かってますよ。喋らないし出てこないですけど...義姉、怠け者なんです。」 「...怠け者とかそういう問題じゃ...」 階段のふもとで玄関を振り返ると割りと長い廊下の両側に白い袋が幾つか、まだ小さな虫がチョコチョコとうろつき、玄関が黒い山に覆われて見えませんでした。階段を上る姫の向こうの2階から何やらゴソゴソ音が微かに洩れていました。さっきのコウモリを思い出しながら姫の後ろについて階段を上がりました。 「こんにちは。開けますよ。あ、こっちに来て下さい。」 「.....」 姫は2階に上がってすぐの部屋のドアをノックしてノブに手を掛けながら姫の後ろに来るようにいいました。部屋の中からは何かが羽ばたく音がバサバサ聞こえていました。 ドアを開けるとコウモリが3、4匹飛び出して1階へ飛んでいきました。驚きました。 「相変わらずですね、この部屋。大丈夫ですか?お客さんつれて来ましたよ。あ、どうぞ...」 「あ、すみません。あの...初め...まして。」 窓際のところに女の人がいるのは分かりました。僕の方を向いて笑ってくれていました。この方がTGのお母さん。優しそうな笑顔でした。でも部屋を埋め尽くす何やら分からないゴミに埋もれて腰から上しか見えませんでした。 「...あ、あの...」 その女性はにこやかに頷いてくれました。中へ入って下さいと誘っているような笑顔なのだけどどう入って良いのか全く分かりませんでした。入口付近に散乱、というよりは山積している丸まったちり紙やちり紙の空き箱、新聞の折り込みチラシ、乾電池や何かの箱、たくさん何か入ったスーパーの袋やリンゴの皮、汚れ破れた衣類、空き缶、空き容器やペットボトルの中を蟻が蠢きもう何がなんだか分からないくらいの散らかっているという限度を超えたそういう部屋でした。ふと見下ろした散らばった雑誌には1999年と書かれていてなんだか黒い染みがべっとりついて乾いていました。 たぶん広さは普通の8畳程度のはずなのに窓際にいる女性はすごく遠く、ゴミに埋まっていました。僕も怠け者だし小人もいるので散らかっていたりするのだけどそういう次元の話ではなくて、開いた口が塞がりませんでした。床が見えません。床の色が分かりません。姫は笑顔でここで結構です、と言いました。 部屋の右手に掛かったハンガーにまだコウモリがぶら下がっていました。部屋のどこを見て良いのかも分からず目をキョロキョロしていたら、部屋の入口付近のゴミが浮き上がるようにゴソゴソ音を立てて動き、姫の足元をヘビが這って僕の足の周りをうろつき出しました。わぁ、と声を上げて廊下の壁に寄り掛かって驚いたのを姫が笑いました。TGの母親の人の方を見ると同じく笑っていました。 「.....」 笑っているTGの母親の人の後頭部辺りの長い髪の毛が突然ワサワサと波立つように動き、頭の横辺りから子供の手のひらくらいの斑模様の蜘蛛が2匹耳を覆い隠すように這い出して来ました。TGの母親の人は髪の毛の中から出て来て肩へ向かって這い伝う蜘蛛を全く意に介さず僕の方を見て微笑んでいました。柔らかい無言の笑顔にゾッと背筋が凍えそうになり、喉まで出かかっていた言葉を小声で姫に。 「すいません、帰りましょう。」 |