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マニラの汚いゲストハウスのドミトリーで最初の夜を過した時、私は自分がなんて馬鹿なことをしているんだろうと、情けなくなった。バンクベッドの下の段で、オーストラリア人のやけにバカでかい女の子が、鼾をかいて寝ていたから、その音に隠れて私は泣いた。 蒸し焼きにされてるような、やけに暑い夜だった。1泊300 円もしない部屋の窓は、夜でも全開にされていて、時折ぎらぎら 光るバルタン星人みたいな虫が、破れた網の穴から中へ入り込ん で来た。 窓のすぐ下で、酔っ払い達が騒いでいた。私は子供の時から酔っ払いが嫌いだ。嫌いと言うよりも怖い。あごが抜けてしまうんではないかと思わせるような笑い声は、やがて喚き声に変わり、耳もとにだんだん近付いて来た。部屋は3階だったから、建物の中にある階段を使わない限り、ここに来れやしないのだが、男がもうじき私を後ろから羽交い締めにするのだと、本気で怯えた。こんなに思いきり瞑っていたら、もう2度と開けられなくなるのではないか、というくらい閉じた瞼の上に、レイプされてぼろぼろになった自分が、海へ打ち上げられた土左衛門の私が交互に現れた。 涙が汗と一緒になって、顔から首へ、首から鎖骨の窪みを通っ て胸へと流れて行った。流れるそれが気持ち悪くて、Tシャツの すそを引っ張って拭うと、今度はむき出された脇腹が、何だか気 持ちが悪い。何やらかそこにいるようだった。そっと目を開けて みると、そこには、2匹のバルタン星人が勝ち誇ったように踊っ ていた。私は、もう少しで、大声をあげるところだった。その時 だったと思う。geckoの声を聞いたのは・・・。 gecko(イモリ)は、その名のとうり「ゲッコー♪」と鳴く。痺れるような甘いバリトーンで鳴き始めるから、女だったら誰でも、ついつい聞き耳を立ててしまう (と思う)。彼(勝手に牡だと決めつける)は、鳴く度にその声を半オクターブずつ上げていく。「ゲッコー♪」はやがて「ケッコー♪」となり、「キッコー♪」に変わっていく。「イッコー♪」と頂点を極めると、今度は半オクターブずつ音を下げていく。そして最後は、「ゲッコー♪げえっこう♪・・・ゲェー・・・ぐぇ〜」で締めくくる。見た目は不気味だが、憎めないと言うか、ひょうきんと言うか、何ともかわいいやつだ。 geckoの子守唄に誘われ、私はいつのまにか月の砂漠でらくだに揺られ、もうじきそこに現れる海に向かって歩いていた。 食器をカチャカチャ重ねる音で目が覚めた。オムレツとトーストの匂いが漂って来る。斜向かいのバンクベッドの下段にカナダ人のお姉さんが寝ているだけで、後は皆旅立ってしまったようだった。バルタン星人の姿もない。ジーパンとTシャツで作った枕の下から、腕時計を取り出して時刻を見た。まだ7時20分であるのに、蒸し蒸しと暑い。私は隣に寝かせておいたバックパックを開けて、パスポートと航空券(マニラ・バンコク往復 兼 帰国用)とUSドルのトラベラーズ・チェックと数ペソ入った小銭入れを取り出した。枕 (もどき) の脇に置いておいたウェスト・バックの中身と、貴重品を入れ替える。寝入った時に誰かに盗まれる可能性は充分ある・・・ような気がしたから、おばあちゃんのぽたぽた焼き3〜4枚と小さなタオルを入れてカモフラージュしておいたのだ。 「日本人は金を持っている」フィリピンではそう思われてるらしい。貧乏人の私としては、迷惑な話だが、そう思われているのなら、気をつけるにこしたことはない。実際、これから3ヵ月旅行して歩く為の10万円を持っていた。盗まれては困る。行きの飛行機の中で隣に座ったマニラで働く商社マンは、背広の内ポケットをカッターナイフで外から切られて、財布を取られた、と言っていた。ドミトリー部屋に疲れた知り合いは、現地で知り合った日本人とダブルの部屋をシェアしたが、翌朝目覚めてみると、現金すべて盗まれていたと言うし、ここでは日本人だからといって気を許してもいけないのだ。 タンク・トップと下着とバスタオルを左腕に抱え、化粧ポーチとウェスト・バックのベルトを口にくわえ、右手でバランスを取りながら、私はベッドから飛び降りた。共同のシャワー室に行く。生ぬるい水がちょろちょろと流れるシャワーの下に立ち、私は涙と汗とバルタン星人に汚された身体を洗った。確か「清潔なベッド」とか「ホッとシャワー」とかの看板が出ていたはずだ。なのに何故シーツはシミだらけ?何故、水しか出さん?排水溝は詰まっているらしく、水が足首当たりまで貯まっている。ああ、不快だ。朝から不快だ。 荷物をバックパックに詰め込むと、私はバスタオルをその上にかけ、ウエスト・バックを持って階下に降りた。裏通りに出されテーブルに付き、目と目の間は離れているけど、綺麗に陽に焼けたウエイトレスの持って来た朝食のメニューを覗く。一番安いフルーツサラダを頼む。 隣のテーブルではカップルが大きなオムレツを一緒に突ついている。いちゃいちゃが気に触るが、二人の口からこぼれるフランス語は、耳に心地よい。コーヒーの香りも漂って来る。朝から光化学スモッグでどんよりしているマニラの安宿の一角が、急にパリの町並みに変わって行く。(行ったことないけど)フルーツ・サラダは、丼の2倍サイズの器で運ばれて来た。パパイヤ、マンゴー、メロン、バナナ、パイナップル、スイカ等が三口サイズでごろごろと入っているではないか♪ 私は好きなもの、美味しいものを最後に取っておく主義である。だから、フルーツサラダと呼ばれる代物に入っているスイカは甘いはずがないのだという先入観でもって、先ずはスイカを口に運ぶ・・・。甘い♪甘い♪じゃあ、パイナップルだ!きっと酸っぱいに違いない。もう既に酸っぱい顔( ̄* ̄ )をして口に入れたが・・・ああ、いやん!これも甘くてジューシーで、お・い・し・い♪マンゴーなんか、ばかうまである。(*^o^*) 口からトロピィカルな世界に入り込んだ私は、フランス人の奏でる波の音を聞きながら、午後から渡るボラカイという島に思いを馳せていた。 安いパッケージを選んでしまったばかりに、とんでもないことが待ち受けていようとは・・・。北九州からから小豆島に行くのに、3万円コースと2万円コースがあったとする。時間もたっぷりあったとする。旅行会社のお姉さんが2万円の方がとてもお得だと薦めたとする。おまけに、その人の言葉が訛りのすごいもので、色々説明してもらうのがちょっとうっさい・・・だったとする。「じゃあ、2万円のコース!」ってことに普通はなるよね。「まあ、大した違いはないだろう」って、思うよね。しかし・・・一万円ケチってしまったばかりに私の旅は、ものすごいことになってしまった。マニラ(北九州)からボラカイ島(小豆島)まで、その日の内に、セスナで一っ飛びのコースにしとけば、こんなことにはならなかったのだ・・・ ばかばかヾ(`ヘ´)ノ バルタン星人や他人の鼾と戦いながら、300円弱の部屋でもう一晩過した私は、翌朝7時(早かったよなぁ)、まあとりあえず、マニラ(北九州)からパナイ島(四国)までは飛んだ。ところが、だ。私は、東側(高松)ではなく西側(宇和島)に降ろされたのだ。パナイ島の西から東へと、ジプニー(花や写真をぎんぎんに飾りまくった乗り合いバス、兼、貨物トラック、見た目はジープ、人と家畜でぎゅうぎゅう詰めの恐ろしい乗り物)に放り込まれ、山越え、川越え、その旅路、7時間を強いられたのだ。挙げ句の果てにその東側に着いてみれば、船はすぐには出せない、2時間待て、と言う。お腹も空いていたし、身体は家畜のようになっていたし、まあ、ひと休みは必要だった。 その部落でマーケットが開かれていた。おそらく車や船の到着に合わせているのだろう。土産用の民族衣装っぽい服や、置き物などが売られていた。不思議な野菜や果物がたくさん積まれている。日本人が珍しいらしく、じろじろと見られた。じろじろ見られては、買う気も失せる。マンゴーだけ5つ買い、ばくばくと食べ(全部食べた♪)、その後は、携帯目覚ましのセットをして、草むらに横になった。豚とにわとりに挟まれて完璧に疲れていた私は、バックパックを抱えると眠りをむさぼった。熟睡していたらしい。一緒のジプニーに乗って来たドイツ人のおじさんに私は揺り起こされた。 「だんけっ♪」 私の美しいドイツ語は通じたらしく、おじさんはにこにこし、到着した船の方を指差すと、聞き取りにくい英語で、船が着いたと言った。太陽が傾き始め、海からひんやりした風が流れて来る。目覚まし時計は無くなっていた。 もうじき波に持って行かれてしまいそうな桟橋から、ぼろぼろの帆の付いたカヌーのお化けみたいな船に乗った。その船に載せられた荷物の上に私は座らされた。人が2人は入れそうな大きな袋の中には、おそらくじゃがいもが入っていたのだと思う。私のおしりはごつごつと、船が揺れる度に痛かった。でも1時間もしないうちにボラカイ島が見えて来た。白い砂浜は夕陽に照らされ、ピンクに染まっていた。うさんくさい周りのおっさん達も急にセピア色に変わり、今度は本当の波の音とトロピィカルな風に包まれ、私はまた夢の世界に引きずり込まれて行った。 気候というのは人の気持ちをコントロールするようだ。私が東南アジアへ向けて旅立った時期は、日本は春先の清清しい季節に包まれていたから、蒸し暑いマニラが取り分け嫌なものになったのだと思う。日本が既に真夏を迎えていたら、さほどあの暑さも苦にはならなかっただろう。汗だくになった体にバルタン星人が貼り付いて来たあの夜の感触は、そうそう忘れられるものではない。お金をかけて空調の効いたホテルに泊っていたとしても、一旦外に出れば、蒸し暑さは数分で心地よさを不快に変えてしまう。「さらさら」と「べっとべと」の間を行き来するより、どちらか一方にとどまっていた方が、体も楽なのだ。それなら、さらさら側に、と普通の日本人は思うだろうが、もともと私はノーマルな日本人ではないし、部屋でじっとしていられるタイプでもない(おぉ!上手い言い訳)とにかく、そんな余裕のお金がなかったのだ。(T_T) 五月のボラカイ島の気候は最高♪であった。暑くもなく、寒くもない、かと言って初夏の生温さもなく、初秋の肌寒さもなかった。毎日が、24時間が、パーフェクト!であった。 夕陽を背中に、船はボラカイ島に到着した。ピンクの砂浜にはココナッツ・ツリーが並び、その向こうには明かりがちらちらと見える。恋人が隣にいたのなら、恋人はそっと私の肩を抱き、思わず「愛してるよ」(*^o^*) などと囁いてしまっただろう。それほど辺りはロマンティックな空気に包まれていた。が、しかし・・・最初に到着した桟橋に、私は降ろしては貰えなかったのである。 人も荷物もどんどん降りて行く。海は暗さを増して行く。三つ目の桟橋で、白人は皆いなくなった。私の椅子として活躍していたじゃがいも袋も降ろされた。残るは、もうセピア色の面影さえ残していない、ダークな船員二人と私だけである。二人は先程から何やらひそひそと話している。それはタガログ語だった(多分・・・。英語ではなかった)から、目、鼻、口、へそまでも耳にしていた私には、「かわいい・・・」「・・・レイプ」「海に捨てろ・・・」「明日には土左衛門」としか聞こえて来なかった。 く ん ・ ど く ん ・ ど く ん ・ ど く ん Here we are! 船はどうやら私の目的地(彼等の目的地であってはならない)に到着したようであった。船員Aはにんまり笑うと、月明かりだけが頼りの海岸に錨を降ろした。えっ!桟橋が・・・ない!(^^;)私のバックパックを頭に担ぎ、船員Bが船から飛び下りた。立ち泳ぎをしながら、私にも降りろとうながす。ううっ・・・私は立ちすくんだ。水に浸かることよりも、これから何が待ち受けているのだろうと言う不安が私に飛び下りるのを躊躇させた。しかし、私を襲うのなら、船の中でも充分用は足りるだろう。そうだ。陸地へ上がれば、逃げ道も出来るというものだ。これこそ清水の舞台から飛び下りるいきおいで、私は海に飛び込んだ。あんまり思い切ったものだから、胸まで水に浸かれば済んだことなのに、よろけて頭まで沈めてしまい、私は塩水をたくさん飲むはめになった。砂浜に辿り着いても、私はしばらくむせていた。 ココナッツ林に向かって進んだ船員Bは、ピューピューッと口笛を吹いた。私の事を笑って吹いているのではない。彼は私の荷物を頭から降ろすと、暗闇にピューッ、ピューッ、ピュ〜〜と、今度はもっと長く口笛を吹いた。それは何かの合図のようで、長い尾を引いていた。私は足ががくがくになり、まだむせているし、逃げるどころではなかった。日本の家族の顔が次々に浮かんで来た。「2週間で必ず帰るよ」と母にうそをついて出て来たのが悔やまれた。うそなんかつくから、こんなことになるのだ。うやむやな予定は3ヵ月だが、3ヵ月どころか、もう一生帰れないのではないだろうか。(;。;)船員Bは、何かを闇の中に認めると、Uターンして私の方に走って来た。 きゃ〜〜〜〜ヾ(≧∇≦*) しかし、何も起こらなかった。船員Bは、私の脇を通り過ぎ、じゃばじゃばと海をかき(その泳ぐ姿は凛々しくさえあった)、差し出した船員Aの手を掴むと、船に飛び乗った。そうして二人は錨を上げ、私の心配をよそに颯爽と立ち去ってしまったのである。ふう(*´ο`*)=3 籐のベッドに横になり、私は今日の慌ただしい一日を思い辿ることもなく、と言うよりすっかり忘れていた。ランプの燈でシャワーも浴びてすっきりした。大好きなカップヌードル(シーフード味)でお腹も満足していた。旅日記は明日付ければいい。世の中は、こんなにも平和ではないか・・・。竹格子の窓から青白い半月が見える。geckoが窓枠に三匹貼り付いて、輪唱している。南国ムードの気怠い風が部屋を流れ、ロウソクの灯りを怪しく揺らす。ふん♪ふん♪ふん♪私は上機嫌だった。 ひょっとすると私の生い立ちはこうである。実は私は南の島の王女様としてこの世に生を受けたのだが、今私が父と呼ぶその人が、海外出張の時に遊びに行った島で昼寝をしていたら、後続争いで私を亡きものにしようとしていた実の叔父の手によって筏に乗せられ海に流されてしまい、しかし運良く父の寝ていたビーチにそれは運命的に辿り着き、父は私のあまりの可愛さについ私を自分の子として日本に連れ帰ってしまったのだ。そうか、そうだったのか。(T_T) 私は本当のお姫さまであったのだ。だからこんなにgeckoの声が懐かしく、手放しでこの島の風土に馴染めるのだ。ああ、運命よ。ああ、日本にいる偽者の父よ。あんたはいけない人だね。ああ、父の暴虐に耐え忍び、ずっと私に事実を隠し通し、わが子以上に私を愛してくれた母よ〜。(´;ェ;`)(注:現実の暮らしでは、父が母の暴虐に耐え忍んでいる)姉妹、従姉妹達、いかなる親族からもかけ離れ、私がやけに目立ってエキゾチックに美しいのはその為か。(日本を発ったばかりで日焼けをほとんどしていない、それも小さい時から色白の部類に入る私が、なぜ南の国の王女様として産まれるような経緯を持つのか、は謎である。) 優しく押し寄せては、静かに引いていく波の音に引き込まれ、にわか王女はやがて静かな寝息を立て始めた。明日は、また今日以上に大変な一日になるのだと言うことを知る由もなく、南の島の王女は眠りの中、時折微笑んでさえいた。輪唱から大合唱に先程移ったgeckoの歌も、バスタオル兼、上掛けを剥いでむき出しになった王女の腹の上で踊るバルタン星人も、美味しい幸福(既に夢の中で何やら食べている)に包まれた彼女を起こすことはなかった。甘い月の光に照らされた辺りは、あまりにも穏やかであった。 「Magandang umaga, magandang umaga!」 穏やかな波の音と共に近付いて来るわけの分からぬ言葉に私は覚醒されつつあった。へ?おまえが、ガンダム?違うよ。私はガンダムじゃない。南の国のお姫さまぁ!! え・・・?マガンダン?オマガ?うん? 重い睫毛を持ち上げろと脳みそに信号を送ると、瞼の筋力が復活した。そこには、それこそ南の国のお姫さまにふさわしい、においまでエキゾチックなフィリピーナが立っていた。昨夜、私をビーチからこのコテージへ連れて来てくれた美人のお姉さんだ。彼女は白い歯を見せて微笑み、 「Kumusta?」 と言った。lonely planet - Philippine の Greetings & Small Talk のページに確か載っていたような言葉だが、分からない。寝起きの頭では、何も答えられず( ̄о ̄) ←こんな顔でいるしかなかった。彼女はテーブルの上から魔法瓶(私はこの言い方が好きだ)を取り上げると、部屋を出て行った。 しばらくそのままベッドの上でまどろんでいると、またさっきのお姉さんが魔法瓶を手にやって来た。ああ、そうか、お湯を取り替えてくれたのか。昨夜はあのお湯のお陰で、カップヌードルが食べれたのだ。今朝は何を食べようかな、と考えていると、まだそこにいたお姉さんが私の目を覗き込んでいる。そうだ、チップを待っているのか。昨夜もそう言えば、渡していなかった。私はベッドから降りると、ショートパンツをかけてある椅子の方へ足を向けた。 {ここでこの私の泊っている環境について少し書いておく。そもそもこのコテージは、私の日本人の女友達の友達(彼は確かジャーナリストで世界中を旅しているスコットランド人だ)のもので、彼は長い休暇が取れた時だけここで暮らすので、友達が訪れて来た時は面倒みてあげてね、よろしく!ぐらいの幾許かのお金も含め、現地人に普段の管理を任せている。} 私はショートパンツのポケットに入れていた小銭入れから10ペソを取り出した。あ、そうだ。カップヌードル・シーフード味もおまけに付けてあげよう。(私は自分の好きな食べ物を人にあげるのが好きだ。それで、貰うのはもっと好きだ)最初は1個つかんだだけだったが、その時後ろを振り向いたら、お姉さんと目が合ってしまったので、「えいっ、もってけ、どろぼう!」になり、残り3個を合わせ、つい全部あげてしまった。(この時こんな考えを起こしてさえいなければ、あんなことにはならなかったんだよなぁ・・・。)日本から非常食用に持って来たものだったので、当然日本語でしか「召し上がり方」のインストラクションはついていなかったから、大袈裟な身ぶりで説明した。彼女は thank you、thank you を繰り返し、カップルードル4個を抱え出て行った。なんだ英語しゃべれるんじゃんか。 マガンダンオマガ・・マガンダンオマガマガンダン・カマスタ・・マガンダン、マガンダン、カマスタ・・・いつも新しい単語を覚える時にそうするように、口に出し、何度も繰り返しながら、私は魔法瓶のお湯でインスタント・コーヒーを入れた。 ぶっはー =3 私は未だかつてこのような、まずいコーヒーを飲んだことがない。 コーヒーは、家でも外でもよく飲む。高校2年の時に「珈琲・舞蘭珈」というコーヒー専門店でバイトを始めた頃は、「カフェ・ラテ」とか「カフェ・オレ」などより、コーヒー牛乳の方が好きだった。それがある日をきっかけに私の味覚は180度転回した。その日私は、6時間目の体育でたくさん校庭を走らされ、とてものどが乾いていたから、バイト先に着いたらレモンスカッシュなんか飲んじゃお♪と、とても楽しみにしていた。しかしその日に限っていつもはいないマスターがカウンターの中にいた。おまけに私の来る時間を見計らって押し寄せて来るお客さんで店内はとても忙しくなり、私は水さえ飲む暇もなくなった。バイト終了時刻の8時近くになり、わざとそわそわしていると、マスターが私の為に特別に豆をブレンドしてコーヒーを入れるから、カウンターに座ってゆっくり飲んでいけ、と言う。私はエプロンをはずし、言われたとおりカウンターの長いストールに座った。マスターの入れた特別コーヒーはとても素敵な香りがした。重い琥珀色から立ち上がるふんわりした湯気をうっとりみつめ、視線を上げると、そこにマスターの目があった。おそらく10以上は年上の男の視線の前で、私はかなり緊張していた。自分があまりにも「ガキ」だということを急に意識した。それだから「圭ちゃん、ミルク入れるんだった?」の問いについ、「いりません!」と強く答えてしまった。ついでに砂糖を入れるのもその状況では憚れた。門限(家は母が厳しく8時半だった)に遅れてはいけないから、さっさとこれを腹の中に始末してしまおう。そんな勢いで飲んだコーヒーであった。が、マスターの言うところのブラック・コーヒーの大人の深い味わいが、私のコーヒーに対する考えをその日から変えた。 この国のインスタント・コーヒーは、こういう味なのであろうか。いや、ネスカフェじゃないか。ブランド名で出てる以上、よその国で売ったって同じ味のはずだ。インスタント・コーヒーはもともと好きではないが、コーヒー豆が手許になければインスタントでも飲まないよりましだ。要するにコーヒーなしではいられない。味を確認する為、私はもう一口そのコーヒーをすすった。 「うげぇー、...((((( ̄‥ ̄;) ま、まずすぎる」 しかし、まだ完全に眠りから覚醒していない私には、その味を分析することは難しすぎた。そして、またひとくち・・・ 「ひょえ〜。何だ何だこの味は!」 私は、味には厳しい。自分で作ったものが(お湯を注いだだけじゃないか)まずかったらその原因を突き止めなければ気が済まない。そこで私は、ネスカフェの缶の蓋をあけ、フリーズ・ドライの粒を3〜4粒摘み、舌の上に運んだ。 うっ、...苦い!!普通のコーヒーの味である。私は又性懲りもなく、カップのコーヒーを一口含み、そのまずい液体を舌の上でころがした。そうか、そうだったのか。私は魔法瓶の蓋、兼カップにそのお湯を注ぎ飲んでみる。おお、やっぱり!コテージから20mぐらい離れたシャワー小屋に行き、シャワーの蛇口をひねる。落ちて来る水のすれすれに顔を近付け、水を舐めてみる。おおお!シャワー小屋の前の扉のない小屋もついでに覗く。壁際の台に鍋がいくつか並び、鉄製のオーブンらしきものの前には枯れ木が積んである。キッチンなんだろう。しかし、水道はない。私はコテージに戻ると、先程のコーヒーカップにもうひと振りネスカフェを入れ、お湯を注ぎ足してから、50m先のビーチへ向かった。 白い砂浜に腰を降ろし、エメラルドグリーンの海を眺めて飲む『塩味のコーヒー』は、南国の香りがした。 エメラルドグリーンの海に身体を浮かべ、南国の空を眺めていた。両耳に伝わる水の音は、千駄ヶ谷のプールの金属的なそれとは違う、滑らかな優しい響きがある。心はもうマーメイド♪そしてしばらく人魚泳ぎに専念し、水に潜って黒地にオレンジの線の入った魚を追い掛けた。人魚姫が海底に住むおばあさんから貰った薬を飲み、魚の下半身を人間の足と変える、というくだりを一人で演じた。足をずるずると引きずり、砂浜を這う。しかし、疲れるので次の遊びを考えた。 コーヒーカップで砂浜に等身大の穴を掘り、そこへ自分の身体を沈め砂を乗せ、どうしても砂を被せられない右腕と右肩をどうしたものかと思案していたら、右手15m先から牛が来た。大層痩せた牛が来た。ぷわんと膨れたお腹以外はガリガリに痩せている。それでも上に乗られたら重そうだ。顔を踏み付けられたら・・・?急に怖くなり、一気に身体を起こそうとした・・・が、 動かない! ああ、なんで私はいつもこんなばかな遊びをやってしまうのだろう(T_T)こう言う時、人はジタバタするのだろうが、あいにく身体はしっかり砂で固定されていて、ジタとも動かない。それにしても何でこんな所に牛がいるんだ?ああ、待てよ。右手は自由だ。 私は必死に右手を動かし、胸の上の砂を払い除けにかかった。しかし、時は既に遅く、もう栄養失調の牛は右手を伸ばせば触れられてしまいそうな所まで近付いていた。 もう駄目だと目を瞑り、私を潰すだろう一瞬から少しでも楽になろうと腹筋に力を入れた。でも、10秒経っても何も起こらない・・・??目を開けてぎょっとした。すぐそこに栄養失調牛の顔があったのだ。牛はどうやら私のお腹すれすれの所で方向を90度変え、弧を描くように私の頭の方へまわったのだ。 あんなに牛の顔を身近に見たのは初めてだった。(写真やテレビで以外、本当は見たことがなかった)牛は、大きくてとても悲しそうな目をしていた。 牛に潰される危機から逃れた私は、砂の中からどうにか脱出し、シャワー小屋へ向かった。ちょろちょろと出る水は、やはり海水と大して変わりはないようだ。これなら、海にザブンと身体を沈めて砂を落とした方が早い。今に塩水で髪がコパコパになるだろう。レゲエ頭になって日本へ帰る私を想像する。南の国のお姫さまは今朝、人魚になり、今はもう半分レゲエに変身していた。 コテージの前にせり出したデッキには、テーブルが作り付けられ、その脇にはハンモックが吊るしてある。海を見ながらここで朝食を取り、その後はハンモックで朝寝でもしよう♪ 気持ちの良い空腹感に誘われ、私は一昨日マニラで買い出ししておいた食料品を・・・あれ? 何かおかしいぞ。パンがない。バターがない。チーズがない。コーンフレークも粉ミルクも小麦粉も砂糖も野菜・果物数種も魚の干物も・・・みんな消えている!! テーブルに並べておいた食料品は、カレー粉と塩とカラマンシー(緑色で小さくて丸くてレモンのように酸っぱい柑橘系の果物)という他の素材がなければ役に立たない物だけを残し、蒸発してしまっていた。大きな穴の空いたビニール袋と、破けた紙袋と、千切れた銀紙が、悲し気にデッキの床の上に散らばっていた。うううっ・・・ こういう時は、心を落ち着かせなければいけない。起きてしまったことを悔やんでいてもお腹は満たされない。先の事を考えるのだ。カップヌードルはすべてあげてしまった。ここにはコンビニなんかないぞ。『食べられる物』を探すのだ・・・ ああっ、そうだ!? 缶詰めがある!! 意外に早かった問題解決に私は有頂天で、バックパックから全部の缶詰めを取り出した。お肉もある。ツナもある。コーンも、ビーンズも、クラム・チャウダーだってある♪どれにしよう?ワクワクしながら一応すべてをテーブルに運ぶ。が、次の瞬間、目の前が真っ暗になった。アーミー・ナイフがない!! 缶切りの着いた私のスイス・アーミーは、パナイ島だ。 ついうっかりポケットに入れておいたスイス・アーミーは、マニラの空港で取り上げられたのだった。ハイジャックや危険防止の為、機内にはそんなものはもちろん持ち込めない。パナイ島に着いたら、パイロットから返して貰えということだった。それをすっかり忘れたのだ。 私は、キッチン小屋に走った。しかしそこには、缶を開けられるような文化的な物は見つけられなかった。コテージの後ろ、300m程離れた所にここの5倍ぐらいの大きさの建物が見える。きっとさっきのお姉さんの家だろう。私は、波のように押し寄せて来る空腹に耐えきれず、肉の缶詰めを掴み、ココナッツの木々の間を猿のようにすり抜け、その家を目指した。 「オマエガ ガンダム!マガンダン オマガ!」 ↑ おはようございます!ごめんください!と、言っているつもり・・・ 私の呼び掛けも空しく、(その前に通じていないのだろう)誰もその大きな小屋(家とは呼べない)の中から出てはこなかった。やけに小さくて、ガリガリで、じゅんこちゃんに似た猫が、窓の淵に座っている。撫でてあげようとしたら、ふう〜っと毛を逆立てて、逃げてしまった。猫が走り去ったあとに干物のようなにおいを乗せた風が、穏やかな波の音に合わせて流れて来た。いいなぁ…猫はきっと海からあがって干上がった魚を食べていたのだ。ううっ…猫を羨ましがってどうする? 小屋の向こうに小道があったので、しばらく道伝いに歩くと、向こうからまた牛がやって来た。 「ねえ、ねえ、誰かいないの?お前の飼い主さんはどこ?」 牛に聞いてみたところで、空しいばかりである。牛は、とろんとした目を私に向け、長いまつげを瞬かせた。さっきは少女マンガのようにキラメイテ見えた、潤んでいた瞳が、今は浮浪者のように濁って見える。ああ、鼻の穴も大きい…。指を入れてみたい衝動を押さえ、私は先に進むことにした。5、6歩行って振り向くと、牛も振り向いて私にガンを飛ばしてきた。 10分ぐらい歩いたところで、道は失くなってしまった。家どころか、どんどん辺りはジャングル化してくる。私はUターンし、自分のコテージに戻った。そこに信じられない光景が広がっていた。なんとさっきの牛が、私の城に入り込み、バックパックに前足を乗せ、鼻先で中をふがふがしていたのだ。その脇では、じゅんこちゃん(やけに小さい、痩せた猫)が、何やらバリボリ食べている。きゃ〜!そういえばまだ煎餅が・・・ おばあちゃんのぽたぽた焼きがぁ〜〜!! "Get out! Get out of there!! You bloody bastards!!" − 私は怒ると、何故か英語がぽんぽん口から出て来る。それも普段使っている英語より滑らかに且つ激しく出てくるような気がする。おそらく、日本語では、怒りの言葉を頭には浮かべたことがあっても、口にしたことがないからだろう。 そもそも日本語には、女性が使える汚く激しい言葉があまりない。例えば、自分のために丹念に焼きあげたお好み焼きを、床に落としてしまったとしよう。セーラもジョンも "shit!" と間違えなく口にするだろう。直樹や拓也なら、そのお腹の空いている度合いによってこれを「くそ!」に置き換えて言ってもおかしくないが、麻衣子や彩香だと、「あ〜あ!」とか「やだぁ!」とか「もぉ〜!」ぐらいしか言い様がないのである。 英語の罵り言葉を日本語に直訳すると、かくんと気が抜けてしまうし、反対に日本語のやくざ言葉(母がよく使う)を英語にしても変に優しくおばかな雰囲気になってしまう。例えば・・・ 「てめえ!ざけんじゃねえ!どたまかち割ったるかい?」 を直訳すると・・・ "Hey, you! Don't be silly! Do you want me to break open your head?" となり、これをまた教科書的に日本語に訳すと・・・ 「あなた、ふざけてはいけません。あなたは私に頭を割って欲しいのですか。」 になる。− 草ばっかり食べてるはずの牛と、肉と魚しか食べないはずの猫が、私の食料を食べてしまった。牛が加担しなければ、あれだけの量を猫が食べれたとは思えないし、猫が煎餅を食べるなんて、日本では聞いたことがない。 私の剣幕にすごい勢いで逃げていく2匹が、ハンバーガーと三味線に見えた。お腹がすき過ぎて、幻覚を見たのではない。空腹が立腹に、立腹が殺意に変わったのだ!! |
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