2000. 2.26作成
新潟県柏崎市での事件は、事件の内容にもビックリしましたが、警察の対応にもあきれさせる点が多くありました。また、東京では、少年による殺人事件も発生しています。
この異常な事件について、私なりに思ったことをまとめてみました。
というわけで今回のお題:事件の教訓
* 被害者と加害者
日本の刑法は、加害者に対する人権を厚く保証しています。それは単に罰を与えるだけでなく、社会復帰を目的とした「更生」の役割を持っているからだと思います。
それに対して、被害者に対する人権は厚く保護されているとは言えないと思います。まして、加害者に対する被害者の感情は察してあまりある物ではないでしょうか。
今回の事件を例に取ると、思春期の一番大切な時期を9年間にわたって軟禁状態にした上、脅迫によって逃走意欲をなくさせ、精神的ダメージを与え続けた責任を、どの様にとらせるつもりなのでしょうか。
日本の刑事罰で懲役刑の場合は、複数の刑法にふれる罪を犯したとしても、その中の最も重い刑罰を基準に判決が言い渡されます。これに対してアメリカの場合は、それぞれの罪に対する刑罰を合算して判決が言い渡される事もあります。アメリカで「懲役100年」などという判決がでてくるのはこの為です。
「逮捕、監禁」の場合の最高は懲役5年、「傷害」の場合は10年となっているそうです。報道にもありましたが、心的外傷後ストレスレス障害(PTSD)を根拠に「傷害」罪として立件することで、より重い刑に服させることが出来るとの事です。もしアメリカ並に逮捕・監禁と傷害の「合算」したら、最高15年の刑が出されることも考えられます。
しかし、日本の場合は一番重い刑で判決が言い渡されるので最高10年が限界です。第3者の私でさえ納得できない「刑の軽さ」に、被害者側はどう思われているのでしょうか?。
被害に遭われた女性は身体やPTSDの治療、本来受けるべき教育、そして社会復帰へのリハビリと、膨大な時間を費やしていかなければならないと思います。特に心に受けた傷は時間をかければ治るものではなく、もしかすると一生かかっても直らないかもしれません。被害者感情を無視しているとは思いませんが、あまりにも刑が軽すぎるのではないでしょうか?。
最近、被害者の立場から裁判に参加しようという動きがあります。今までは証人としての参加が主だったように聞いていますが、捜査状況や結果の報告、起訴・不起訴の通知、裁判傍聴の優先権、捜査記録や裁判記録の閲覧等、何となく当たり前のように思えていたことがなされていない事が多かったことにビックリしています。
加害者の人権も大切ですが、被害者に対する配慮(知る権利)もあってしかるべきだと思います。傷つき、幸せを奪われた被害者に対する配慮と同時に、その後の経過を希望する場合には正確に報告し、少しでも被害者の希望が叶えられ、傷が癒される方向に進んで欲しいと思います。
*少年法
何年か前の神戸の事件以来、少年法の改正についてマスコミや有識者、国会などで取り上げられ、論議されています。先日も東京都内で、遊ぶ金欲しさに強盗殺人を犯した中学生が逮捕されました。
ごく一部の子供達によって全ての子供達がそうとは言いませんが、「自己の欲求と満足」が「命の大切さ」を上回り、「自制」が聞かなくなってきている子供が多いように思えます。いわゆる「自己中心的」な性格の子供達です(子供達に限らず、大人達にも「自己中心的な人」は多いのですが・・・)。
思えばバブル景気の頃から、人間関係は荒れてきたように思えてきます。近所つきあいは減り、隣が何をしているのかさえわからないマンション、札束で横っ面をはたく「金」万能主義、ゆとりから生まれてくる高級志向、その流れについて行こうとする集団心理・・・。私達大人社会の影響を子供達がそのまま反映しているようでなりません。
「きれる」とは、自分を押さえること(我慢すること)が出来なくなった事を指す言葉ですが、私が子供の頃から比べると、我慢できる限度が小さくなったように思えます。その例が、冒頭にもありましたが遊ぶ金欲しさの強盗殺人です。たかだか数千円のために殺人まで犯して得た物はなんだったのでしょう。
「その場が楽しければいい」という人が増えています。楽に生きていきたいと誰もが思うと思いますが、世の中はそんなに甘くありません。その場つなぎはいつか破綻するもので、社会にはその様な例がいくつもあります。まず、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」の言葉をしっかりと心に刻んで欲しいと思います。
話は横道にそれましたが、現在の刑法は14歳以下の子供には適用されません。それが「少年法」の改正論議の根拠となっています。
こんな話を道ばたで聞いたことがあります。「今なら人殺しをしても死刑になることはないな」という中学生のつぶやき・・・。人の命をなんだと思っているのでしょうか。物じゃないのです。壊れたら直せる物ではないのです。それを理解しているのでしょうか?。
このような輩のためにも、又、誤って罪を犯した子供達のためにも、少年法を改正することに私は賛成します。罪は罪ですし、罪は償うべきものですから、それなりの罰を与えなくてはなりません。裁判も関係者以外非公開でいいので、家庭裁判所の「審判制度」から検察・弁護人を要する一般的な裁判形式にすべきだと思います。公正に裁きを受けるためにも、是非実現して欲しいと思います。
犯罪防止効果を口にする人がいますが、私は否定します。今の刑法の量刑を重くしたところで、犯罪発生率が半分になるのでしょうか?。まず、「罪の意識」をしっかりと認識させ、被害者に対する「謝罪」の念と「償い」という重い責任を持つことの重大さに一人でも多くの人が気づいてくれればと思っています。
*地に落ちた警察の信頼
今回の新潟県警札本部の対応には、あきれることばかりです。初動捜査の遅れ、出動要請の拒否、情報の入力漏れや紛失、虚偽の発表と度重なる発表内容の訂正、果ては事件発生当日には県警トップの監査官との出張先での酒宴など、次から次へと不祥事が発覚しています。警察の対応についての経過はマスコミが報道しているとおりだと思いますが、何故、このようなことが起きたのでしょうか?。
通報があればすぐに対応する、事実を追求して市民に情報公開(記者会見)する、犯罪履歴や相談などの資料は整理・保管をして活用する、重大事件が発生した場合はトップの陣頭指揮による捜査・情報収集を行う・・・。民間会社であれば、資料の保管・活用や重大案件のトップによる陣頭指揮は当たり前の様に行われていると思います。なのに、虚偽の会見をして真実を隠していた意図や、資料の紛失や出動要請の拒否は、警察にとってなんのメリットがあるのでしょうか?。まして。トップが陣頭指揮を執らずに監察官との宴席を持ち、捜査状況や報告・承認を電話やファックスで済ますという、事の重大さに全く気づいていない神経にはただただあきれるだけです。
警察はなわばり意識の強い組織と聞いたことがあります。つい最近も、わいせつ事件で逮捕された警察官の配属されている警察署で、「逮捕した署の不正行為を発見して検挙しろ」などという檄が飛んだとの報道がありました。真実かどうかは別として、交通違反のや軽犯罪の検挙率については横並び意識、重大事件については手柄争いがあるらしいとのことです。もしこれが真実なら、事件を「出世争い」の道具として扱っていることになり、被害者だけでなく地域住民に対しての「保安」を軽視していると思います。
昨年、神奈川県警で発覚した不祥事は、警察に対する信頼を一気に失墜させました。第一線で働いている警察の方は信頼回復のため、一生懸命職務を果たしている方が多いと思います。なのに今回の事件ではその努力を無にしてしまっています。新潟県警は神奈川県警の事件は教訓としていないのでしょうか?。それとも「時間がたてば・・・」の考えがあったのでしょうか?。もし、そうだとしたら、「盗人、口元を拭う」であり、本末転倒です。
今日の報道では、新潟県警本部長と関東管区監察局局長が辞任(事実上更送)した様ですが、これで終わりというわけにはできません。徹底的な調査と結果の公表をしてもらい、他の警察への教訓として欲しいと思います。
*蛇足
某大臣の「失言」によって、又辞任(こちらも事実上の更送)しました。それなりの立場にいる人が発言するのですから重みがあるはずです。それを忘れて「手心を加える」様な発言や、「過去の歴史認識の違い」による失言など、思っていても口に出しては行けない言葉は必ずあると思います。私も人のことを言えた義理ではありませんが、立場が上であるほどその問題や影響は大きくなります。
何故同じ様な問題を繰り返すのでしょうか?。自分の立場を誇示したいのでしょうか?。そんな人間に投票する人たちも、やはり「恥」として考えていただきたいと思います。国会議員は「地域」のために働くのではなく、「国」のために働くために選ばれた人たちなのですから・・・。