Sさん(日本人)の疑問。
アメリカは広い。広い事はいいことなのか?
ぶつかり合いの無い場所では,何かを”醸造”することは出来ないのではないか?
とのこと。
アメリカは,醤油樽でも酒蔵でもない。言うなれば,巨大なケミカル工場だ。
職人の経験知や暗黙知ではなく,理論から入る。
理論を作る人,それを応用する人,それを実践する人。役割分担が出来ている。
こちらに来る直前に,○ロジェクトXで,日本の某醤油メーカーの話が取り上げられていた。
その醤油メーカーが,初めてアメリカに醤油を輸出しようとしたところ,アメリカのお役所に,含有成分を全部分析してデータを出せと言われたそうだ。
その醤油会社の一社員が,必死で成分分析して,全部リストにして提出したそうだ。
アメリカは無理解で,頑張って成分分析した日本人社員は偉いという,お話の流れはそうなっていた。
それって,それまでは,その醤油メーカーは,醤油の成分分析なぞしたことがなかったって事だ。
「職人さんが,長年の経験を生かして,美味しい醤油を作ります」
それでみんなが納得していた。
それがアメリカには通じなかった。
「日本人は今まで醤油を使ってきて,問題なんか起こさなかったんだ」と言っても,それは説明になっていなかった。
経験則の話でなく,万人が納得する根拠を見せろと。
暗黙知で社会が構成されている日本。それを形式知にすることを求めるアメリカ。ってやつか。図式化しすぎだけれど。
でも,日本人の暗黙知が読み取れないのは,外国人だけじゃない。
同じ日本人でも読み取れないこともある。
そうして,「察しの悪い奴だ」と言われたりする。
誰もはっきり言わないけれど,周りの人達の,表情や,言葉尻の積み重ねが,
そう言っている,ような気がする。
どうやったら,この無言の言語が聴き取れるようになるんだろう。ふしぎだ。
この疑問が,突然アメリカに行きたくなった理由の一つかもしれない。
「どうも,周りが,察しが悪い奴って言ってる気がするなあ。
でもそれを周りに聞いて見たところで本音は言ってくれないし。何年生きてても
自分のポジションが読み取れないなあ。
これって,世界中どこに行ってもそうなのかなあ。それとも日本だけで起こる現象なのかなあ」
という疑問。この漠然とした「なんでかなあ」という気持ちに,しっかり形を与えたかったのだ。
そうしないと,いつまでたっても一人空回りを続けてしまいそうな気がする。
自分の居場所は自分で作らなくちゃいけないものだけど,どうせ作るなら
少しでも居心地の良い所で作りたい。
かといって,アメリカで作れるかって言ったら,それはとても難しいことだけれど。