イルサンとYoutube動画その2

 

<2008年>

12月30日(火)

 脳出血発症から七年三ヶ月余りが過ぎた。最近の私の課題は、どうやったら「できる」から「する」に移行できるかということだ。例えば水で顔を洗う時。もちろん両手を使うことが「できる」。だが実際には右手だけで洗願を「する」のである。時間をかければ両手でできるのだが毎日となるとどうしてもさっさと右手だけを使ってしまう。今キーボードを使う時でも右手だけを使った方が気楽でよいのだ。発症以前はマウスも左手で操作していた左利きの私としては、今後はどうやったら左手で快適に操作を行えるかということの推移を是非見守って欲しいと考えている。時間は十分ある。

 ところでこの一年半程で大きく変化したと思われることがある、それはYoutube動画による日本の音楽Clipのupである。それ以前は日本語のサイト自体なかったのであるが、この一年半で日本語のサイトも登場し、大きく発展しいろいろなものがdownloadできるようになった。日本のビデオ事情は欧米に比べると大きく遅れており、ごく有名なものしか無かったということはあるものの、それでもこうやっていろいろなものを見てみるとやはり紹介するに値するものもいくつもある。よって今回はいくつかのClipを見てみることにしよう。

 

<2009年>

 

 2月26日(木)

 私が日本音楽のClipの中で、まず紹介したいのはオフコースである。現在でも小田和正については説明する必要はないだろう。東北大ー早稲田修士(建築)の経歴で、よしだたくろうのオールナイトニッポンで、「早稲田の修士に行ったのはドイツ語ができたから」と言ったのは有名な話だ。鈴木康博と長い間マイナーでやってきたが79年5人になって「さよなら」が大ヒットして89年解散である。

 ただ私の知る限り動画のClipは82年6月のコンサートからではないだろうか。小田和正が意識的にフィルムを撮らせなかったという可能性も有ると私は推測するが、実際経済的に、そして技術的に考えてフィルムを撮ることができなかったのではないだろうか。当時のフィルムのことを少しは知っている私からすれば、それがごく普通の状態だったと思う。

 その中で私がよく「聞く」Clipは75年「オフコースの小さな部屋」vol.5の「別れの情景Ⅰ」である。正式の74年ライブアルバム「秋ゆく街で」当該曲程の完成度はないものの、曲自体が素晴らしいので、よくiPodのものを聞き、静止画を眺めている。ただ最近はこのClipがなぜかDLできなくなっているのはとても残念だ。

 

 5月23日(土)

 次に紹介するのはサンハウスである。ギターは鮎川誠さんである。なぜ「さん付け」なのかというと、私の大学の先輩だからである。

 鮎川さんは九州大学(農学)の出身で、私と同じく学生寮に住んでいた。といっても私とは学年が離れているので実際にお会いしたことはないが、会ったことのある先輩は、「鮎川さんは黒眼鏡がかっこよかった」と言っていた。鮎川さんはその後奥さんと「シーナ&ザロケッツ」を結成して現在に至っている。ドラマや映画にもいくつか出演している。

 今回のClipはサンハウス柴山さんボーカルの「レモンティ」である。歌詞は「僕のレモンをあなたの紅茶の中に...」というその頃流行のいわゆる「ダブルミー二ング」である。最近忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」でまた話題になった手法だ。曲は「鮎川誠作曲」となっているが実際はどう聞いても「Train Kept a Rolling」のパロディだと感じるのは私だけであろうか。懐かしいライブである。

 

 7月20日(月)

 その次に私が紹介するのは中村章三さんである。この方を私が紹介する理由は、同郷熊本だからである。

 章三さんは76年にデビュー、「あれから君は」がヒットした。私もこの唄をカセットテープレコーダに録音し、何度も聴いたものである。その後私は熊本市内の或る楽器店&スタジオによく足を運んだが、そこでの話題はいつも章三さんだった。

「章三さん東京で何してるのかな?」「章三さん頑張ってるかな?」など店員さんはいつも章三さんのことを口にしていた。ただある時を過ぎると章三さんの曲を知らない人もこの店に来るようになり、それ以降噂によると章三さんは熊本に戻っているということである。現在のことは全く知らないが、私のように同郷のファンがいることをご本人がお知りになれば、と思う。

 今回のClipはこれもヒットした「裏町ライフ」である。これも前々回のオフコース同様画面は静止画のものであるが、唄自体とても素晴らしいものであり、よく聴いている。

 

 8月30日(月)

 それから紹介したい人としては大塚博堂がある。もうすでに亡くなった人なので「故・・・」というべきかも知れない。

 大塚博堂は大分別府の出身で72年にデビューしたが、ヒットしたのは76年再デビューの曲「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」である。 私もその頃中学生で、その他「めぐり逢い紡いで」などカセットに録音したものである。その後81年に37歳の若さで亡くなったのは私にとっても衝撃だった。それも脳出血である。同じく30歳代で脳出血になった私にとってはとても他人事には思えない。

 それと私個人にとって忘れることのできない思い出がある。それは私が大分の短大に勤めていた93年頃の事である。たまたま大分市民図書館に調べ物をしに行っていた時に、何とあるコーナーに大塚博堂の遺品がひっそりと展示してあったのである。その時は遺品を見る暇がなかったのが残念だが、レコードや楽譜がそっと飾ってあったように思う。その後私は福岡に戻ったが、その展示コーナーの事だけは今も覚えている。

 今回のClipは76年当時テレビ出演した際の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」である。動画そのものも鮮明であり、声もとても美しい。貴重なものと言っていいのではないだろうか。特に残しておきたい作品の一つである。

 

 10月11日(日)

 後紹介したい人としては井上陽水が挙げられる。井上陽水は私がフォークソングを聴くきっかけになったシンガーである。

 73年末から74年にかけてラジオで彼の曲を聞いてすぐに好きになった。そこでカセットテープにどんどん録音するようになって、今日に到るというわけである。私の家にはその当時すでにレコードプレーヤーがあったが、私はもっぱら市販のカセットテープ、或いはミュージックテープを購入していたように思う。なぜかというと、レコードは雑音がするのが嫌だったからである。最近陽水の曲をすべてデジタル化したが、「ライブもどり道」を最初にUSBに移した時は感慨深かった。

「夢の中へ」や「氷の世界」・「闇夜の国から」・「二色の独楽」などをよく聴いた。ここ福岡のものとしては「能古島の片想い」もよく聴いた。ただ私が聴いていたのは76年ぐらいまでで、彼の大麻事件以降はあまり聴いていない。でも私も「いっそセレナーデ」や「ジェラシー」ぐらいは知っている。今でも活躍しているのは皆さんご存じの通りである。

 今回紹介するClipは86年の「傘がない」である。「傘がない」のClipはそれ以前のものもあるが、私はこのClipの丁寧な演奏が好きでよく聴いている。

 今回日本のフォークソングを中心にいくつか曲を紹介した。動画は特に70年代のものは容易にDLできるが、日本のものはClipそのものが少ないという事情もある。しかしそういう制約にもかかわらず私はこういった日本の曲が好きである。このサイト、次のテーマをもとにまだまだ続けて配信します。