読書もしくは読書中日記

経済小説クラシックス=2=  『買占め』(清水 一行著)

  清水一行は日本経済の裏面を活写してきた作家だ。週刊誌のトップ屋稼業で鍛えた取材力とエンターテインメントのツボを押さえた作風は大衆小説の枠を超え人間を描く作家の力を見せつけている。その清水のデビュー作は『小説兜町(しま)』。その本のヒットの余勢を駆って出版された第2作がこの作品である。
 主人公は、当時は地場証券会社ではまだ珍しかった大卒の営業マン。この主人公が代金を支払おうとしない熱海の旅館業者の元へ出掛ける所から話が始まる。今では往時の繁栄は見る影も無いが、当時の熱海は新婚旅行のメッカであり、熱海筋といえば関西の吉野筋(スギなどの材木業者)と並ぶ大手筋だった。そこで、彼は旅館の主人から、東京の北部にある某企業(今も東京証券取引所に上場している某企業がモデル)の土地に絡む飛びきりの話を聞きつける。
 その企業の工場用地に隣接して新たに地下鉄の車輌基地ができるのだという。当然将来はその車輌基地を拡大しなくてはならず、その工場用地は買収対象になるはずだ。ところがその企業は業績不振で株価も低位に放置されている。この株を買占めてしまえば、どうなる?主人公はその話を聞き、友人の銀行マンに融資を受け、自分も一枚噛むことにするのだが...
 『買占め』には実在のモデルがいる。しかしモデル小説だから面白いのではなく、やはり清水一行の人間描写力の凄さが際立っている。今読めば(と書いたが、腹立たしいことに、今まで何十冊も出ていた文庫本が全て絶版になっているのだそうだ)確かに「古い」。が、古かろうが新しかろうが、人間の欲望や思惑は普遍的だ。だからこの作品はちっとも黴臭くない。株を買占めるとは、どういう事なのか。仕手筋とはどういう「仲間」なのか。そして、そうした一味とは全く別のところで動き回っている「思惑」の存在。こうした全てがランダム・ウォークの中にいるのだ。これを読んで面白くないと思うなら、相場には近づかない方がよい。そこまで言い切れる秀作。
 
2002年06月22日 20時30分00秒

経済小説クラシックス=1=  『乗取り』(城山 三郎 著 新潮文庫)

 日本経済を描いてきた作家、城山三郎の『輸出』『総会屋錦城』等と並ぶ、初期の作品である。

 この小説のモデルと目される人物は、先年鬼籍に入った「日本一の虚業家」横井秀樹で、驚くべきことにこの小説が出版された後、横井は堂々と某経済誌において”「乗取り」モデルの弁”なる一文を寄せている。小説の舞台は、これもまた今は無くなってしまった老舗デパート「白木屋」。このデパートは火災(多数の女性が被災した惨禍だったが、日本の服飾史においても特筆される事件だった)で有名だが、その末路は猛烈な「乗取り」の舞台となった。
 その一方の主役が横井であれば、その背後に金主として彼に肩入れした東急グループの総帥五島慶太がいた。小説も、横井がモデルである主人公が、五島がモデルである人物に近づく場面から始まる。

 「乗取り」という行為は「違法」ではない。これは「不倫」が「違法行為=婚姻の契約違反」であるのとは対照的だ。後者はまさか容認されてはいないだろうが、だからと言って刑法犯罪である「姦通罪」が無くなった今日でも、違法行為には違いない。一方、前者は純粋に経済的な行為だ。しかし、世の中の風当たりは、間違いなく前者の方が強い。これは「乗取り」という行為が、その利益に預からない大多数の「乗っ取られる会社の従業員の生活を脅かすもの」として(社会規範的に)考えられているからではないかと思う。
 また、乗っ取られる会社の経営陣には、それだけで間が抜けていると言わざるをえない面もあるのに、世間はどちらかと言えば同情的である。戦後日本社会が、規制中心の「1940年体制」を維持していたから、そうした「経済村」的秩序への挑戦者である「乗取り屋」が経済界の指弾を受けるのは、この時代(昭和30年代)には当然のことであったのかもしれない。

 しかし、逆に言えばこの時代は、横井秀樹は別としても、中内功(ダイエー)、江頭匡一(ロイヤル)[ともに後年城山三郎の小説のモデルとなる]と、既存秩序へ挑戦する起業家的経営者も続出した時代でもあった。日本の戦後民主主義はまだ若く、米国の強い影響の下、日本式「修正資本主義」は芽吹きつつあった時代だったともいえる。
 1970年代、資本自由化を経てますます洗練されていく日本の修正資本主義は、ドルショック、2度の石油ショック、プラザ合意の円高ショックを乗り越え、バブルの楼閣へと突き進んでいくのだが、この時代は一方で企業や新しい産業への展望が開けにくい時代でもあった。乗取りは姿を消し、株式市場は仕手株の「祭り」を除けば、大企業が大証券と組んで勝手に資本を強奪していく場所へと変質した。「自由や競争は資本的には無くなって行った」時代である。この時代の「喪失」が今の低迷をさらに長引かせる原因ではないのか?
 「乗取り屋」を排除できたことは、日本修正資本主義の発展には大いにプラスだっただろう。しかし、日本の「資本主義社会」にとっては必ずしもよいことばかりではなかったように思えてならない。

 この小説の舞台となった「白木屋」は結局、五島慶太の手に落ち「東急百貨店日本橋店」となった。その後、五島は死に、後を継いだ五島昇はすぐさま横井を遠ざけた。その五島昇が死んだ後、東急グループは横田二郎を中心とする集団指導体制となったが、バブル崩壊の痛手は大きく、東急建設、東急百貨店、東急不動産の中核各社の経営は危機的状況に至り、遂に東急百貨店日本橋店は、再開発のため閉鎖されてしまった。今はその百貨店の建物も既に取り壊され、時代の証人はここに全て滅び去ってしまったのである。
 
(この本のデータ)
城山 三郎 著 新潮社 版(1986年05月 発行 ページ 278P サイズ 文庫  \438円 ISBN4-10-113308-5)
(参考URL:ジュンク堂) http://www.junkudo.co.jp/index.jsp?
2002年06月09日 13時00分00秒

波のうえの魔術師(石田衣良:文藝春秋社)

 「木曜劇場」は「月9」と並ぶCX−TV(フジ)の看板ドラマの一つ。そこでマネーとマーケット、有り体に言えば「株式市場」を舞台にした作品が登場した。かつて「しゃぼん玉」で、それらしき登場人物はいたが、今回はかなりリアルである。

 ドラマは原作を元にエピソードを補充し、コメディー・タッチを強めているが、この時間帯のターゲットを考えれば、悪くない。大体、株式掲示板で取り上げるほどの話ではないのだが、それでも気になるらしく、あちらこちらの掲示板で話の花が咲いているのはご愛嬌というものだ。そうして、掲示板の常として「ここが違う、アソコが違う」と間違い探しばかり盛り上がっている。が、それは大して意味があると思えない。あまりにも間違えた内容だったら困るが、基本的にマネー・マーケットよりも長瀬智也の着ている服に興味がある人に株式談義を吹っかける方が「野暮」というものだろう。

 原作者は「いしだ いら」と読む。何でも『池袋ウエスト・ゲート・パーク』(これもTVドラマ化されている)でブレイクした(知らなかった)。この作品は『IWGP』とマニア間では省略されるが、オヂ世代にはこの4文字を見ると、反射的に「猪木ボンバイエ」等というテーマ曲が鳴り響いてしまい(自爆)もしかして作家もそれを狙っているのか、と穿ってみたくなる。そう言えば、『波のうえの魔術師』の主人公は、白戸則道(しらと のりみち)というが、僕は白川道(しらかわ とおる)に引っ掛けているのではないかと疑っている(爆笑)。
※昨年『天国への階段』でブレイクした白川道のデビュー作『流星たちの宴』は、作者の実体験(舞台は「投資顧問」)を元に書かれた。

 素人の主人公が、ふとしたきっかけでプロの投資家(運用者)と知り合う、という舞台設定は、池澤夏樹の芥川賞受賞作『スティル・ライフ』と同じ。コン・ゲーム(信用詐欺)に近い内容は、二度も失脚した英国人政治家ジェフリー・アーチャ−でお馴染み。小説の第二章では、ハッキリと『ウォール街のランダム・ウォーカー』を参考文献に挙げているが、これは生半可な付け焼刃の知識ではない。この作家、意外と懐が深いのかもしれない(笑)。
2002年06月01日 19時20分00秒

ごあいさつ
 経済関係の本から小説までさまざまなジャンルの本を読んだ感想を気ままに書いていこうと思います。
 貧乏ひま無しで、更新はゆっくりしか出来ないと思います。
 何時まで続くかわかりませんが、良かったら覗いて見てください。
2002年06月01日 13時00分00秒

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