―いつもいつもおどおどしていたあの少年が、日本代表になる日が近い。人の顔色ばかりうかがって、真正面から歩いてくる人、自転車と必ず同じ方向に進んでしまい、行き先を妨げ、ペコペコペコペコ頭を下げていたアイツが。たまたま始めたサッカーで、同じようにドリブルしてくる相手を完封して、申し訳無さそうにしていたアイツが。ただ、現在彼は、八百長を生業としているモナコの裏社会リーグにいると聞く。嘆かわしい限りだが、幸いにも彼には自信が致命的な弱点であるがゆえ、圧力と権威で押さえつけるあのリーグは実は彼を救っている。―『F・B』
オフホワイトとこげ茶色のレジメンタルタイがあまり似合っていない小雨降る夕方だった。
頑固で傲慢な狸は、説教臭い旧体質の梟の鼻を馬鹿にした。
愚鈍で言い訳がましいギリシャ顔の熊は、「必要ない」と陰口にしては大きい声をたたかれる。
老いた虎はバリウムすら流す虚弱な腸に困り果て、
フットワークの軽い豚は夜の街に早々に消える。
気まぐれな女狐だが常に熊に対しては嫌悪を示す。
少し斜に構えた新参者はこの動物園で季節を三つ過ごした。
園内の不文律と停滞した空気を学んだ。
そしてなにより、自分の手の短さと、傾けすぎた首の角度を認識した。
未だできることは少なく、それだけできることがある。
2004.4.1〜2004.4.6
「ややこしい世の中になった。例えばハリウッド的大衆娯楽映画を「おもしろい」とか「つまらない」と簡単にいえなくなっている。フランス映画はもちろん、中東、東南アジア映画にも食指をのばし、一方でさもあたりまえのように単館系リアル流日本映画を語ることができてはじめてハリウッドに還ることができる。つまり、表現や存在が相対化、しかも圧倒的多数の中の相対化をされなければ成り立たない状態に打ちのめされている。本来その言葉や絵、音が持つ力動が無力になっている。言葉は無力なのか。 『プラネテス』で幸村誠は「愛し合うことだけはどうしてもやめられないんだ」と木星にたどり着いた主人公に語らせている。人を包括する神(宇宙の果て)に届かなければ包括する神の愛には届かないと思考したロックウェルに対し、はじまりのはじまりや、世界と宇宙、生死を超えた彼の言葉には相対化すら無効化する、もどかしくも確かな想いが感じられる。」
そこまで書いて彼はペンを置いた。架空の猫に話し掛けるように、窓を開けた。
百万回塗り替えられた壁に嫉妬してみても、同じ空を見上げることはできる。しかしイラクの自衛隊派遣には全く無関係だし、イチゴのジャムを入れた酢豚がうまいだなんてだれが信じる?「どこにもない、誰も教えてくれない、想う胸は叫んでいる。それだ、剥き出しだけを京に棄てて、後の日、その桜、花に、野に。生まれては誰もが笑うと、その作為を信じて」中原と平井に捧げる。
2004.1.27〜28『L&P』P76より抜粋
いつのまにか網戸に蛾が止まっていた。暗くてもなんとなく黄色っぽい色だとわかる。昔、国語の教科書に額や鼻の頭の脂で作った模様に似ていた。周りのやつらは嫌な顔してたけど。唯一笑ってくれたのが彼女だった。今その人は『ワンダフルライフ』を見ている。僕はそれをもう3回見た。彼女はこれで5回目だ。
「あの模様は素晴らしかったけど、天国に行く時に映画にするほどじゃないな」「私いやなもの見ると笑ってしまうの知ってた?」
2004.1.25〜26『L&P』P55より抜粋
そうでしょうか、どうにもならないことなど溢れて、あちこちで大洪水をおこしていませんか。マンホールからも、目尻からも。その一つに死があるのではないですか。しかし死はあくまで個人の所有ではなく、他の誰かの体験によって死となりうる点を忘れてました。『文藝・春』で特集された行定勲は「贅沢な骨」、「ひまわり」で死をそのように表現しています。
死なんて遠い宇宙にでも投げればいいんだ。その行定勲が監督をした『きょうのできごと』の柴崎友香のほうが近い宇宙だ。『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』
私なら灰色の雲が近づいているを歌う。あの人を背中に乗せて、いったこともない町へ。
2004.1.19〜24『L&P』P23より抜粋
L&P
全面的にどうにもならなくて、岩波ホールで「美しい夏キリシマ」を観る。友人を救えなかった罪の意識に苛まれる主人公の少年が、最後何度も「殺してくれ」と叫ぶ行動は、安っぽい世俗の我々には安易に解ることを拒む―それゆえ素晴らしい―作品だった。
そうか、私は羽田圭介の『黒冷水』から、解りたくはないと拒絶したいが、自分の見えない部分を曝け出されたような居心地の悪さを強く感じさせられた。兄にだろうか弟だろうか、どちらかは区別できないが。ただ最後の仕掛けは必要だったのか。サビを余計に繰り返している曲を聴かされているような気分になった。
…なるほど、『蹴りたい背中』でもそうですが、複眼的で客観的な視点を自分に向け、どこまで自分が諦められている(又は過剰に誇らしい)存在かをそれらしく書くことで、実はその思考の危うさや間違いを示しているのですか。若者よ、確かにそれはそうでしょうが…
足りないのは Better Days Will Come ですね。どうか安心して下さい。どうにもならないことなどないのですから。
2004.1.1〜18『L&P』P13より抜粋