瓜連合戦両軍陣営の概略と古戦場地図 「那珂通辰の活躍」に戻る
 下表に「甕ノ原合戦」の翌年以降の南北朝の争乱の年表を示した。常陸国(現:茨城県)での争乱を中心に日本全体の動きも見ていただきたい。那珂一族は1336年12月に35人が自刃する結末で滅亡するわけである。
 しかし、通辰の一子、通泰は佐竹氏に降参する形で生き残り、北朝方に転身し軍功を立てる。その話は別項で書くが、全国を真っ二つに分裂しての争乱は50年以上続くが、その内実は個々の武士たちもその時により有利な方につく、ということで一貫して片方の陣営にいた武士は少ない。さらに言えば、那珂一族のようにまさに「一族郎党」こぞって南朝方に殉じたケースはあまり類を見ないのである。