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足利尊氏九州に走る
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「那珂通辰の活躍」に戻る
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甕ノ原を通過しようとした頃の北畠軍は総勢、八千と伝えられていたが、那珂通辰軍の加勢により、佐竹勢の攻撃をはね返し鎌倉に迫ったときには総勢三万に膨れ上がっていた。
伊達、信太(しだ)、金沢、由利、鳥海、大山、最上といった奥羽屈指の御家人の将兵がことごとく北畠軍に従ったのである。鎌倉を守る尊氏の嫡子、千寿王(後の足利義詮)を大将とする足利軍は、北畠軍をよく防いだものの支えきれず、京へと敗走した。
足利軍は先に打ち破った新田義貞軍を追い越すようにして京に入り、守りを固めたのであった。これを追撃する北畠軍には那珂通辰も加わっていた。
延元元年正月14日(1336年1月14日)、北畠軍は琵琶湖を渡り、後醍醐天皇の行在所(あんざいしょ)に着いた。
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後醍醐天皇から下賜されたと伝わる「菊に下一文字 」の家紋。戦功第一を賞して一文字を賜わったのである。
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時を移さず恩城寺にいた細川定禅を打ち破り、京に入ったのが正月16日のことであった。さらに2 7日には賀茂河原合戦,30日には糺河原(ただすがわら)合戦で足利軍を破り、官軍大勝利となった。
この合戦でも那珂通辰の奮闘目覚しく、その戦功により朝廷の紋章である十六葉菊の紋章を賜わったのである。
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