その匂いを嗅いだ途端、過去に引き戻されてしまう匂いがある。
誰にでもそういう「思い出の匂い」があると思うが、
私にとっては、ある種のペンキの匂いが、その「思い出の匂い」なのだ。
そのペンキは、角材で出来た電車のおもちゃに塗られていた。
それから、同じ時に作られた積木にも塗られていた。
電車のボディーは赤く塗られ、横腹には白い帯が入っていて、
その白い帯には銀のモールディングが付いていた。
窓には明かりがともっている。
積木の方はサイコロ型で、ピンク色に塗られ、
それぞれの面に紺色のペンキで字や絵が描いてあった。
両方とも父が作ってくれたものである。
私の父は手先が器用な人で、しじゅう何かを作っていた。
作ると言っても、棚を吊ったり、古くなった浴槽のふたを
新調したりする程度だったが、私は父が何かを作るのを見るのが大好きだった。
そんな父がそのおもちゃを作ってくれたのは、
私が幼稚園に入るか入らないかの頃だから、
もう四十年近くも前のことになる。
それなのに、今でも同じペンキの匂いを嗅ぐと、
その時の情景が鮮明によみがえってくるのだ。
電車のボディーの鮮やかな赤い色。
積木に描いてあった、決してうまいとはいえない色々な絵。
それやこれやが、ぶわーっと目の前に浮かんでくる。
しかし、不思議なことに、このおもちゃを使って遊んだ記憶がまるでない。
遊んだ記憶どころか、そのおもちゃを手にしたという記憶すらない。
憶えているのは、そのおもちゃを父が作っているのを見ているところから、
出来上がるまでのことである。
とくに出来あがった瞬間の記憶が鮮明だ。
私は、父がそのおもちゃを作るところを、最初から見ていた。
庭の片隅の古材置き場から角材が選び出され、
のこぎりで切断され、かんなをかけられる。
かんなをかけると、ねずみ色の古びた表面の下から、
魔法のように新しい木肌が現れる。
やすりで形が整えられ、ペンキが塗られる。
出来上がっていく一部始終を見てきた、もうすぐ自分のものになるおもちゃ。
それがいよいよ自分に向かって差し出される瞬間。
それは、おもちゃというモノだけではなく、
そのおもちゃを作るという父の行為そのものをも手に入れる瞬間なのだ。
その凝縮された瞬間を、あのペンキの匂いはよみがえらせてくれる。
あの電車も積木も、とっくの昔になくなってしまった。
しかし、父が私にあの電車と積木を作ってくれたという思い出は、
私の中から絶対に無くならない。
記憶の中に深く埋もれていても、あのペンキの匂いを嗅げば、
強烈な存在感をもって、その思い出は意識の表面に浮かび上がってくるのだ。
(写真は角材の電車のおもちゃではないです。同じ電車の形をしたクッキーの箱です。)
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