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 太鼓橋のある町 3

**************************** 桃戸 千




第二章    秋 田 へ




路頭に迷った父は、母の実家のある秋田に晶子を連れて行くことにした。

父方に親戚はなかった。

借金を抱えながら晶子を育てることは大変だった。

悩んだ末の選択だった。



12月の秋田は真っ白な雪の世界だった。

タクシーで母の実家に向かう道中、景色はただただ白一色だった。

一度だけ、踏み切りでタクシーが止まった時、蒸気機関車が煙を吐きながら通った。

白い雪の中を走る黒い蒸気機関車。

晶子は夢の中にいるようだった。

一瞬、線路にも道路にも蒸気が立ちこめ霞が掛かったようになった。

だがすぐに何事もなかったように人も車も動き出した。

晶子も夢から覚めた。

そして、これから自分に降りかかろうとする何かに身構えた。



駅からそう遠くない住宅地の中に母の実家はあった。

古い作りの実家はなかなか立派な旧家で、雪の中に威厳を持って建っていた。

祖父は国鉄員で町の名士だった。



父と晶子が通された居間の真ん中には、煙突のついた大きなストーブがあった。

大きなやかんが乗せてあって、しゅんしゅんと音を立てている。

晶子は父の話す様を両目をいっぱいにあけて見守っていた。

父に対して親戚たちは冷たかった。

幼い晶子にもその冷たさは伝わってきて、晶子は不安だった。

ようやく話し合いは終わり、祖父は晶子をあずかる事を承知してくれたようだった。



ほっとしたのもつかの間、居場所のない父は直ぐに発つこととなった。

晶子の荷物を座敷に片付けると、父は正座して晶子と向き合い、

「晶、ごめんな」と言った。

ひざに置いた、大きな父の手が、こぶしを作りわなわなと震えた。

こぶしの上に大粒の涙が落ちた。

「お父さん、ちゃんと迎えに来てな」

晶子は父の涙にひるまずに言った。

「ああ、迎えに来るで。ぜったい迎えにくるから、かしこうにしとくんやで」

父はそのまま何も言わずに、母の実家を出た。



父が行ってしまうと、晶子はなぜだかほっとした。

自分の為に、苦しんでいる父を見るのが辛かったからだった。

今度は自分の番だ、と晶子は思った。

秋田の家は、はじめて見る物、触る物だらけだった。

トイレに行けば、木の板をくりぬいたところに蓋がしてあるだけの汲み取り式のトイレで、

お風呂は五右衛門風呂だった。

なかでも一番驚いたのは寝具だった。

晶子に、と用意された寝具は、ビックリするぐらい布団が分厚く重ねられていた。

まず一番したに丹前が掛けられ、すぐ上にウールの重たい毛布、

それから分厚い掛け布団が2枚、足元には練炭コタツが寝具を暖めていた。

布団はずっしりと重かった。

広い8畳の和室にたった一人で寝かされた晶子は、

見慣れぬ部屋と布団の重さでますます孤独を感じた。



その夜、晶子は夢を見た。

父が玄関のところに立っている。

「お父さん帰って来たの?」

返事はなく、いつの間にか父は大きな象に変身していた。

そして晶子の上にのしかかってきた。

「重い」と思ったとき目が覚めた。



重かったのは、積み重ねられた布団だった。

晶子は自分がどこにいるのか、すぐにはわからなかった。

そうか。おばあちゃんの家だ、と思い当たったとき、口元に冷たいものが当たった。

なんだろうか、指で触れてみると布団が凍っていた。

晶子の吐く息が布団に当たって、その水分が凍りついたらしい。

改めてここは北国なのだと思った。



家の周りには、雪よけの柵が張り巡らされ、玄関前の雪かきは朝の日課だった。

雪の多い時はなかなか玄関が開かなかったりした。



あまりの生活の違いのおかげで、晶子は寂しさがまぎれた。

それに、この家の人たちは思いのほか優しく、

笑わない晶子のことを、祖母たちはむしろ不憫がってくれた。



この家には、母の兄夫婦が同居していたが、この夫婦にまだ子供は無かった。

母の兄嫁にあたる叔母は『さき』といって気のいい人だった。

自分も女の子がほしいのよと言ってよく世話を焼いてくれた。

あまり櫛の通っていない晶子の髪を散髪し、とかしつけてくれた。

洋服もきちんと洗濯しアイロンをあてると、見違えるようにしゃんとした。



母の妹にあたる『映子』という叔母は、まだ高校生で晶子とは8つしか離れていなかった。

映子は晶子の遊び相手と家庭教師役を引き受けた。

不登校つづきでろくろく勉強もしていない晶子には、教えなければならないことが山ほどあった。

なにしろ小学三年生になろうというのに、掛け算はおろかまともな計算もできないのだ。

けれども彼女はとても優秀な、それもユーモアのセンスのある良い家庭教師だったので、

晶子が三年生に上がるまでにひととおりのことを教えてくれた。



厳格な祖母には規則正しい生活を叩き込まれた。

早起きのあと、蒲団をしまうなどの簡単な手伝いをさせられた。

そんなちょっとしたことが朝食前の良い運動になった。

東北の朝食は、納豆と漬物と味噌汁。

これが本当に美味しかった。

はじめて白飯を三膳もお替りした。

米がこんなに美味しいものだとはじめて知った。

青白かった晶子が少し太って頬にも赤みが差して来た。

祖母も叔母達もとても喜んだ。

それでも晶子は、笑顔を見せることが少なかった。



転入先の小学校も決まって、いよいよ新学期が始まろうとしていたある日、

さきが晶子を連れて小学校へ行くことになった。

4キロ先の小学校までタクシーで行った。

さきは学校で色々な手続きをして、担任の先生にも挨拶した。



学校を出ると、さきが秋田なまりの標準語で晶子にこう言った。

「晶ちゃ、SLって知ってる?蒸気機関車だよ。

 帰り道に格納庫があるから、たくさんSLが見れんだよ。

 みんな写真とか撮りに来てるから、行って見る?」



晶子の頭に雪の中を走る真っ黒な蒸気機関車が思い出された。

晶子は首をコックリと縦にふった。

さきは、にこりと笑って晶子と並んで、ぶらぶらと家までの道を歩いた。



踏み切りから線路沿いに歩くと、線路が急に増えその奥に4台ほどの蒸気機関車が止まっていた。

エンジンを切っているものもあれば、まだ蒸気が車輪の間からシューシューと出ているものもあった。

点検のためか、一台の機関車が汽笛をならした。

晶子はあまりの大きな音に耳をふさいだ。

「大きな音でしょう。びっくりするねえ」

晶子は面白いと思った。

でも、楽しさを顔に出すことは、ずいぶん苦手になってしまっていたし、なんと言っていいかわからなかった。



「うれしくないの、って聞かないの?」

急に晶子が口を開いたので、さきは驚いた。

「みんなおもしろいところに連れてきてくれたりすると、

 必ず晶に言うたよ。うれしくないの?って」

さきは、作らない自然な笑顔で言った。

「そんなこと言わないさ。秋田の家の人は、みんな晶ちゃが好きだもの。

 何か言ってもらおうと思ってやってないさ。」



晶子はうっすらと微笑んだ。

もう一度、汽笛がなった。



晶子は、さきが好きだ、と思った。祖母も映子も皆好きだと思った。

ふわふわと空に上がっていく蒸気機関車の煙を見ていると、

体の力が抜けて楽になっていくのがわかった。

空はいつもの灰色ではなく、薄い水色だった。

秋田にようやく春が訪れようとしていたのだ。




つづく





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